36 「最後の一片」
「ちょ―――」
「今のあなたには、質問する権利も、答えを享受される権利もない」
「……」
「私はね。あなたの覚悟を聞いてるの。選択肢は単純に“イエス”か“ノー”」
「……」
だが、シレーナは分かっていた。あくまで感情的にではなく、人間心理と、それに基づく論理的な思考で。
目の前で貴也が突きつけられている問題は、単純という言葉では片付けられないものだということを。このクイズには当事者の感情が付属している。そして、回答者は他でもない。その当事者なのだ。
「時間がない。早くして」
「…待ってくれ」
「出来ない」
「もう少し、考えさせてくれよ」
「ダメ」
冷たいシレーナの言葉とは逆に、貴也の声がイラつきを帯び始めた。
「俺だって、迷ってるんだ。どうしてカナが殺されたのか、その理由が知りたい。でも、その場面を前にして、自分がコントロールできるか分からない自分がいるのも確かだ」
「ふぅん。じゃあ、答えは“ノー”ね」
「そうじゃない」
「何が違うの?」
「そうじゃないんだ…“ノー”じゃない」
「はっきりしなさい」
「分かってる…分かってる」
「いいえ。あなたは分かってない。時間が押せば、犯人は逃亡するかもしれない」
「お前なら…お前たちなら、そんなのすぐにわかるだろ?」
「分かるわ。分かるから、あなたに聞いてるの。新参者のあなたに」
「なら、少し考えさせてくれ」
「堂々巡り? この無駄な時間をいつまで続けるの? 明日? 明後日? それとも死ぬまで?」
瞬間、貴也はフェンスを殴りつけ、大声を張り上げた。
「お前には…無いのかよ……人間としての感情ってやつは無いのかよぉっ!!」
咄嗟の出来事に、困惑した。
ニンゲントシテノカンジョウ?
どうして、そんなことを言うのか、否、そんな言葉を投げかけられるのは久しぶりだった。
□□としての□□……■■ガ■■■■■。
「お前の言葉を聞いていると、まるでロボットみたいだ。感情がない……俺からすれば、真相を知るか否かってことは、単なる二択クイズじゃないし、人生の選択なんて安っぽいもんでもない。言うなれば…賭けだ」
「賭け?」
「ああ、賭けだ。奪われた大切な人が、命が、“悲しい、悔しい”って感情。その全てをベットする、人生の大きな賭けなんだよ!
倍率も分からない。そしてどっちに賭けても、何かを失うのは見えている。もしかしたら、今の自分が破綻してしまうかもしれない。そんな賭けを俺は今しようとしている。
それなのにお前は……」
そこまで言うと、貴也はシレーナに背を向けた。
「成程、賭けね。確かにそうよ。否定はしない。
でもね、この賭けを、マカオやベガスのルーレット・カジノと同じにしてもらったら困るわ。佐保川貴也。あなたは、“賭け”において客であり…銀玉でもある」
「銀玉?」
「そう。ディーラーは私。私たちと出会った時から、タカヤという銀玉はホイールを回り続けている。どのポケットに落ちるか。それによって私は、客に真実と顛末というチップを渡す。ただそれだけの話よ。
あなたの言う賭け事は、もう始まっていたのよ。そのことに気づくのが遅かった」
「……」
「さあ。どのポケットに入るの?
このまま私と共に、真実を見るのか。それとも、自宅で合格通知のように真実と思しき情報を待つのか。
私が全ての真相を話すなんて考えているなら、それこそ甘い考えってやつね。むせ返る程甘い考え」
ああ、そうか。
貴也はシレーナの言葉で、ハッとした。
俺は確かにガーディアンだ。でも、学校内の風紀委員で満足していた俺が、こんな大きな事件を前に何もできなかったろう。もし、あの朝、シレーナに出会わなければ、カナの死の真相は永遠に分からなかっただろう。
分からなくてもいい、って選択肢もあったはず。でも、それは俺が許さなかっただろう。“あの日”を経験した俺が。
そして、シレーナと事件を捜査することを決めた。そこに乗っかるからには、責任と覚悟が一緒についてくる。あの朝、アイアンナースに置き忘れたなんてジョークは通じない。
もう俺は、彼女たちの中で回り続けていたんだ。事件の真相を賭けて、シレーナと仲間たちというルーレットを。
そして、この夕刻。そのポケットが決まる。
“赤”か“黒”か。
「シレーナ」
タカヤは一直線に、シレーナの瞳を見た。
「確かに、この賭け事始まっている。ディーラーは君で、俺は銀玉。
でも……俺はただの銀玉じゃない。思考する銀玉だ」
「…」
「このまま、ポケットを決めてたまるか。俺は赤か黒かじゃない。その色のどの数字に入るか、それで決める」
そう言うと、彼はシレーナに手を伸ばした。
「行こう。その先で、どう出るかは、その場で考える」
すると、シレーナは嘲笑した。
「甘いわね、タカヤ。自分にも、世の中にも…甘くて、ずるい」
「君はどうなんだい?」
「どういう意味?」
「シレーナ、君は一体何を隠しているんだ?」
「……」
彼女は黙りこくった。
「君の様子を見ていると、俺に何かを隠しているように見えるんだ。今回の事件に絡んだ、もっと大きな何か」
しかし、その言葉に答えるシレーナではなかった。
「もうすぐ、警察庁の車が来る。それに備品の一切をのせて、パトカーの返却も行いなさい。全てが終わったら、正門前で待ってて」
それだけ言うと、彼女は貴也を後に、屋上テラスを出て図書室に戻ろうとした。
「シレーナ」
突然の呼びかけに、彼女は足を止めた。
「本当に、あの人が犯人なのか? 俺には、どうも信じられないんだ。だって、あの人とユーカには面識が――」
「タカヤ」
今度は彼女が、貴也へ呼びかけた。
「伊倉ユーカが、あなたに遺した最後の言葉、覚えてる?」
「ああ。“all mirage. Magic of persona.”だったよ」
「そう。“全ては蜃気楼。仮面の魔術”」
途端、貴也の表情は変わっていった。
「おいおい、まさか…」
彼を後に、シレーナは再び歩き始めるのだった。
「――いい推理だ。佐保川貴也」
◆
シレーナは教室に戻ると、鞄を手に教室を出て駐車場へ。
ワインレッドのケンメリGTRに乗り込むと、学校を後に道路を走る。
スリープ状態のタブレットを起動すると、そこにはまだメンバーの姿が。
「悪いわね。待たせちゃって」
――シレーナ、今どこだ?
エルの問に。
「これから、最後のピースを探しに行くのよ」
――最後のピース?
「伊倉ユーカが殺された、本当の理由…といっても、多分闇に葬られるでしょうけど」
――そいつが、あの場所にあるって保証はあるのか?
「あの人は、わざわざ死人から鍵をかっぱらって探した。でも、見つからなかった。それに持ち物にも、清掃車の残骸からも、それらしきものは見つかっていない。学校に置いておけば盗まれる危険がある。だとすれば、アレはまだ、家にある」
車は次第に、石畳の道へと入っていく。ケンメリでは少し狭い道。
そこは、ダーダネスト・バローダ地区。
シレーナの目的地は、伊倉ユーカの住まいだったのだ。
大家に適当な説明をして、カギを借り、すぐさまカナの部屋に。
室内は、当然ながら彼女らが来た時と、何も変わっていない。
シレーナは西日の差し始めた部屋へ入り、白手袋をしながら部屋を見回す。
(あの日、大方の場所は調べたはず。手を付けていないのは、キッチン…)
その足で、システムキッチンを調べていく。棚と言う棚を調べても、何も出ない。
と同時に、食器棚とIHクッキングシステムを有する、この場所に納得のいく違和感を感じていた。
(確かに、あの話が本当ならば、これだけの住まいを持てたのも納得ね)
これで、調べていない場所は1つだけ。
その場所へと目を向けた。
「Can I take the bathroom?」
答える人もいない部屋に、律儀なお願いを唱え、シレーナが向かった先はトイレ。
落ち着いたクリーム色のマットレスが迎える中、先ずは頭上の棚を見る。ペーパーや生理用品の入ったポーチ、消臭剤の類があるだけで、何もない。
次にペーパーホルダー。無論何もない。
そして便器をかがみながら見回す。何かが置いてあるわけでもない。
(どういうこと? 風呂場の可能性は低いし、洗面台は前回調べた)
瞬間、シレーナの眼がタンクに向けられた。
水の詰まったトイレタンク。もしここに、アレが隠されていたら……。
すぐに彼女は、便器の右側に立ち、重たい蓋を持ち上げると、ゆっくりと床に下ろした。
中を覗いてみると
「あった」
それは密封袋に入ったまま、水中に沈んでいた。物体が長方形のピンク色をしていることは分かった。
手袋を外し、引き上げると、その正体が判った。
スケジュールサイズの手帳。表面は水玉のあしらわれたピンク色のビニールカバーがかけられている。
袋からそれを取り出し、中を見るや否や、シレーナの表情が変わっていく。
1ページめくるごとに、段々と、口から笑みがこぼれていく。
「これで、全てがつながった…確実に、犯人は彼だ」
それと同時に、閉じた手帳を眺めて、彼女はつぶやいた。
「唯一の救いは、この手帳の持ち主が死んでいるってことね。そうでなければ、最悪……タカヤ。あなたは私に殺されるかもしれなかったのだから」




