33 「ロード」
11:36
ケルヒン地区 百華
電車で通った場所を、シレーナは別の交通手段で移動していた。
ワインレッドのケンメリGT-R。
既に運転を再開した花菱鉄道で、遅ればせながら車を回収した彼女は、再び車を衣川方面へと転がしていた。
正午近くの、静かな住宅街を突き抜ける道路。
ワイヤレスでつないだケータイ。貴也にダイヤル。
「タカヤ?」
――あ、シレーナ。いいところで。
「どうした?」
――衣川駅ホームの防犯カメラに、気になる人物が映ってるのをメルビンさんが見つけたんだ。
「それで?」
――画像が荒かったから、メルビンさんの知り合いに送って処理してもらったんだよ。そしたら…
興奮気味に話す貴也の声が遠ざかる。
実は、さっきから後方からの視線が気になっていたのだ。
(誰か、この車を追いかけてる?)
「悪い、タカヤ。話は後で聞く。それと、学校へ行く準備をして。後で拾って、そのまま送る」
――え? 今、捜査の真っただ中だろ?
「2日連続で休んでちゃ、他の奴が心配するだろ? それに、あの学校のガーディアンとして、最後の仕事が残っているでしょ?」
――最後の仕事…。
「いいわね。じゃ」
電話を切ると、すかさずサイドミラーを見た。
積み荷を満載した軽トラックの陰で、最初は良く見えなかったが、その後ろ。センターラインをはみ出しながらこちらを伺う車が見て取れた。
(あの車か?)
ダークブルーのBMW Z4。彼女の知り合いに、あんな車を運転している人物はいない。
(誰かしら?)
再度、トラックの陰からフロントが覗く。
瞬時にシレーナは、ナンバープレートを読み取った。
「GRA22-A2311…オーケイ」
すぐさま、左手でケータイをブラインドタッチしながら、アクセルをふかした。
前方には信号、青から黄色に変わった。
片側2車線道路を横切る横断歩道と、押しボタン式の歩行者信号。
ケンメリが通過した直後、信号は赤に。
だが
「!!」
Z4が加速。軽トラを追い抜き、横断しようとした老婆を跳ね飛ばさん勢いで、堂々の信号無視。
呆気にとられたシレーナの手に、力が入った。
「さて、ついて来れるかしら?」
ギアを切りかえ、ケンメリは前方を走る一般車を次々と縫うように追い越す。
それは無理にではなく、まるでワインレッドのマタドールが踊るように。
高速なのに静寂。神業と言っても過言ではないだろう。
背後で、クラクションが響く。
ルームミラーをちらっと見る。
Z4の強引な割り込みで、横を走っていたワゴン車がパッシングを送る。
「フッ、下手ね。これなら振り切れそう…」
そんな中、電話がつながった。
「エル? 大至急、調べてほしいナンバーがあるの…ええ、そうして。今運転中でね……GRA22-A2311。ダークブルーのBMW Z4の持ち主を調べてほしいの…よろしく」
通話を終え、ルームミラーを見る。
丁度建物の角から曲がってきたミニバンと、直進する別の車で2車線が塞がれ、前方には交差点。今まさに路線バスが1台、右折しようとしているではないか。
その上Z4は、その2台の後ろときた。
(チャンス)
丁度、信号が赤に変わり右折優先の信号が点滅した。
矢印に従い、交差点を曲がる路線バス。
シレーナはスピードを上げ、わざと直進レーンから右折、横目でバスを見ながら速度調節を行う。
動く壁に隠れながら、相手に気づかれることなく、Z4のドライバーから姿をくらませることに成功したのだ。
曲がりきると、速度を上げてバスの前に。
しばらく走った先に、広い駐車場を持つコンビニを見つけ、そこに車を入れた。
走ってきた方向から死角になるように。
しかし、1分、2分と経っても、あのZ4の姿は見られない。
「上手くいったわね」
彼女は1人微笑し、車を再び走らせるのだった。
◆
――気づかれただと?
「はい。申し訳ありません」
先ほどの交差点から、5キロほど離れた場所にあるスーパーの駐車場。
そこにZ4が停まっていた。車内では、運転手がケータイを片手に会話していた。
スーツを着た30代くらいの男の顔は、蒼白に近かった。
――まあ、いい。あの子から目を離すな。今朝、電車に乗ってきたときから嫌な予感はしていたが。
「お言葉ですが、彼女も所詮ガーディアン。こちらから潰すことも可能だったのでは?」
――無理だろう。
「なぜです?」
――彼女と最初に会ったあの朝、私でも対応に困る、あのバカ署長を一発でねじ伏せた。
その時の目を見た瞬間分かった。何物にも動じない強い意志と覚悟…いや、それはただの“目くらまし”だろう。あの子は…あの女は必ず食らいつくすはずだ。俺たちが牢屋に行くまでな。
「おおげさじゃありませんか?」
男は鼻で笑った。
――いいか、何としてもお前は、彼女を…シレーナ・コルデーを見つけ出せ。恐らく彼女は“物証”を探しに行ったはずだ。
「…イージーノート…ですか?」
――シレーナがそいつを見つけ出したら、俺たちは終わりだ。
「勘弁してくださいよ。だったら、あなたがやればいいじゃありませんか」
男は、イラついた口調で話す。
一方的に指示を出す、相手に対し。
「貴方はビョーキなんですから、せいぜい1年くらいで出てこれるじゃありませんか。私はどうなんですか?」
――元はと言えば、お前から出た錆だろ。だったら、お前が尻拭いをするんだ。それが部下ってもんだろ!
「ふざけるな! アンタの指示で俺は、何でもしてきた。アンタの犯行を隠すためにビデオを捨てたり編集した。被害者の証言だって幾つも捨ててきた。
でも、今回ばかりは、もう限界です。アンタが、あんなことをしたばかりに」
――口を動かす暇があれば、早く探せ。あのノートが見つかれば、お前の人生も終わりだぞ。
元犯罪者の再就職ほど、死にたくなる所業は無いからな!
相手はブツリと電話を切る。
男はシートにもたれかかり、両手で顔を覆うと深呼吸を1つ。
エンジンをスタートさせるのだった。




