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セルリアン・スマイル ~その痛み、忘却~  作者: JUNA
Smile1 ガーディアンの女 ~Desperate or hopeless encounter~
29/129

29 「“普通”」

 

 「そうよ。伊倉ユーカの家に置かれていた3つのビン」


 シレーナはラルーク分署裏手にある車庫にいた。特殊車や車検間近のパトカーを置いているため、あまり人は来ない。

 その中の1台、白い車体に青のシングルランプを屋根にのせた、ハドソン セブンパッセンジャー。移送用に使われる大型クラシックカーのステップに腰かけて、話を進める。


 ――それが、何だって言うんです?

 「ラベルが気になってね。オシャレってやつには確信がないから、地井に調べてもらったのよ。驚くことに、正体は香水。しかもガーディアンの給料どころか、一学生の小遣いでも手に入らないくらい高額な代物。シャネルにアルマーニ、クリスチャンディオール」

 ――驚きましたね。どれも高級品じゃないですか。

 「それだけじゃないわ。大きなハイビジョンテレビに、最新鋭のハードディスクレコーダー、官給ではない3LDKの住まい…基本、家族と無縁、もしくは存在しないことが加入条件のガーディアンにおいて、これだけの贅沢ができるとは考えにくい」

 ――ですね。シレーナさんのような方ならともかく…あっ、失礼しました。

 「いいのよ。そうなると、1つの結果に辿りつく。これだけの贅沢ができるということは、ガーディアンのペイ以外に、副収入があったんじゃないかってね」

 ――でも、チイの報告が本当なら、彼女、アルバイトなんてしていませんよね? 無論、彼女の正確な情報を疑う訳ではありませんが。


 シレーナは微笑した。


 「アルバイトを足しても、あんな贅沢な暮らしはできないわ。毎晩援助交際でもしていたなら、あり得そうだけど、ガーディアンにはご法度の上に、ユーカの部屋に、それを匂わせるようなものは見られなかった。

  で、ここからなんだけど、さっき面白い話を聞いたのよ」

 ――面白い話?

 「興味深い、の方が良いかもね。今から話す事はタカヤに…いえ、いずれ分かってしまう真実だから、仕方ないのでしょうけど…兎に角、全ての真相が分かるまで、伏せていて頂戴」

 ――分かりました。それで、何を掴んだんです?

 シレーナは、ハドソンから立ち上がると、ケータイを持つ手を換えた。

 「少女Aの証言よ。とっても意外な人物と繋がっていた“少女A”の―――」


 ◆


 同時刻

 衣川駅 防犯モニター室


 何のデジャブだろうか、佐保川貴也は昨日いたはずの場所で、モニターとにらめっこしていた。

 駅長室の隣にあるこの部屋は、駅構内に置かれた防犯モニターを管理、録画している部屋である。普段なら列車制御機器と一緒に設置されている代物なのだが、駅の規模が大きいため、このように別室扱いなのだ。

 リアルタイムで流れる映像に囲まれ、ルーキーは53号列車が到着する前後20分間の映像と格闘していた。

 コンコースからホームまで、その数12本。とはいっても、そこまで重要な映像は含まれていない。ホームの映像の大半は、鉄道公安隊が持って行ってしまったからだ。


 「はあ……」

 意識が風化したポスターの如く、どこかへふうっと飛んでしまいそうな彼の顔に、冷たい刺激が走り抜ける。

 慌てて振り返った先には、缶コーヒーを手にしたラオがいた。


 「どうだい、新入りクン」

 「ええ、順調に行っていますよ」

 「顔に書いてあるぜ、限界ってよ…コーヒーは飲める口かな?」

 「大丈夫です」

 「这是很好的(そいつは、よかった)」

 貴也はラオから、冷えた缶コーヒーを貰うと

 「北京語ってことは、中国の出身?」

 本人は目を丸くした。

 「驚いたな。大抵、中国語って一括りで聞いてくるのに」

 「なんとなくです。聞き取りやすかったので」

 「本省人さ。生まれも育ちも台湾の高雄だよ。でも、あの辺りで話している福建語は、どうもイメージ悪いしカッコ悪しで、北京語を使い始めたら、こっちの方が場慣れしちゃってね」

 「へえ」

 ラオはゆっくりとコーヒーを振り、プルトップを開けた。

 「さあ、仕事に戻ろう。収穫は?」

 「残っていたビデオは、ほとんどがコンコースと改札だけ。何も映っていませんね。

  リッカー53らしき人物は、この衣川駅から乗っていないんじゃないでしょうか?」

 「そうか…それ以外の場所の映像は、あるのかい?」


 貴也は一枚のDVDを掴んだ。

 「ホームのが1枚。ですが、ホームの端の方に設置されたカメラなので、あんまり…」

 「もう、見たのか?」

 「真っ先に。でも全然」

 その時だった。


 「見せてくれないかな?」

 『うわおっ!』


 2人の背後にはメルビンが、背後霊のように佇んでいた。

 「いつからいた?」

 「さっき部屋に入った」

 「あ、なーんだ。お前、放っておいたら存在消えちまうからな」

 ラオの言葉に、耳を疑った貴也は

 「え? そんなに存在感薄いんですか?」

 と、新人としては(というより、そんなことは関係なく言ってはいけない気がするが)無礼な言葉が飛び出したが、当の本人は

 「うん。薄いよ。すごく薄い」

 頷きながら。

 「否定…しないんですね…」

 「他の人からも言われているからね…。否定のしようもないよ」

 そんな彼に、ラオは言う。

 「だからこそ、あの能力を持ったんだろ?」

 「それって、瞬間記憶のことかい?」と貴也

 「だけじゃないのさ」と前置きし


 「さっき君は言っただろ? 存在感が薄いのかって。それが彼の弱みでもあって、強みだ。メルビンは尾行のプロなのさ。どんな状況下でも、例えスターリンのような猜疑心の塊のような相手でも、感づかれることも見つかることもなく、任務を遂行できる。

  彼女も言っていた通り、記憶も尾行も、ミスは一度もない」

 「そんなことって…」

 瞬間記憶に存在を故意に消失させる能力…そんなことって

 「信じられない…」

 「何故?」


 何故?

 答えなんか1つだ。


 「そんなの決まってるじゃないか。普通に考えてみろよ」


 すると、メルビンはいつの間にかノートパソコンをかついで部屋にいた。パッソから取ってきたのだろう。それにDVDをセットした。

 一方のラオは

 「普通…ねえ」


 「何か問題か?」


 「大問題だね。答えになっていない」


 即答。


 「君に聞くが、その“普通”とやらは、何を基準にした“普通”だい?」

 「世の中だよ。世間一般を基準に考えれば、そんな能力のある人間なんて、考えられないじゃないか。それに“一度も間違えたことがない”? おかしいよ、それは」

 すると、ラオは言う。

 「それ、シレーナさんの前では言わないことだ。彼女はとりわけ“普通”って事象が大嫌いなんだ」

 「どうして?」


 「いいかい? “普通”って事象は普遍的で平等公正な表現ではないんだよ。その人や社会を主体にした時、目の前にある事実がどれだけ、自分のものさしに当てはまるか。そのピタリ賞がいわば“普通”で、溢れたり足りなくなれば、それは“異常”と見なされる。その“普通”や“異常”で、他の事象を計ろうなんてエゴ以外の何物でもない」


 「そんな…」

 「例を示そう。 例えばこのグランツシティ。綺麗な街並みだし、空は青く澄み渡って濁りもない。電気も食糧も交通も不自由なく与えられている。この“普通”からすれば、ニュースで届けられる紛争地区の惨状は“異常”に見えるだろう。でも、紛争地区にいる人はどうだ? 街は破壊され、空は飛行機で埋め尽くされる。電気も食料も配給に依存しなければいけないし、まして外に出で行くなんて命がけだ。それが“普通”なんだ。グランツの光景は“考えられない光景―異常”なのさ」

 「……」

 黙りこくった貴也に、ラオは言った。

 「まあ、俺の言う事をすぐに理解しろとは言わないさ。だが、俺たちの班で仕事をするなら、頭の隅に置いておくことだ。

  “普通”や“常識”、“当たり前”といった概念は、俺たちの捜査には通用しない。全てを捨てろとは言わない。だが、いざという時、そいつをバラストのように捨てられるようにはしておけ」


 「俺たちの班?」

 その単語に、違和感を抱いた。


 「そう、俺たち。制服が違うのはそのためだ。俺たちは―――」

 ラオが続けようとしたときだった。


 「あ!」


 メルビンが声を上げた。

 「どうした。メルビン」

 「おかしな影が」

 「なにっ?」

 2人がメルビンの元へと急ぐと、彼はモニターの上部を指さした。

 画面奥の方のホームで、向かいの番線の陰に隠れた人影が、何やらポケットから出して被っていたのだ。

 貴也が見落とすのも無理はない。電車から降りた乗客―つまり、画面手前から奥へ向かう人たち―と重なって、隠されていたのだ。

 「まさか…」

 「この人影が、どこから来たのか分かるか?」

 「パッと見ただけじゃよく分からない。詳しく分析すれば…アイツに任せようか?」

 「そうだな。でも、いいのか。扁桃腺」

 ラオが聞くと

 「腫れはもう引いていて、今は自宅待機してるらしいよ」

 「ならば、アイツにもラッシュアワーの恐怖を体感してもらおう」

 メルビンとラオは互いに頷くのだが、背後の貴也は置いてけぼりを食らうだけだった。


 「なあ。初心者にも、分かりやすく、教えてくれよ~」



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