28 「その探偵、カウンセラーにして…」
ダーダネスト・バローダ区
ラルーク綜合病院。
被害に遭った女子生徒が搬送された病院である。
正面口にアイアンナースが停車。
ハフシと地井は、車をノエルに任せて病院綜合窓口へ。
聖トラファルガー医大付属学園生という肩書と、地井の持つカウンセラー資格のお陰だろう、普通なら門前払いのところを、すんなりと通過。
被害者はバイホ女学園1年の牧野麗子。応急処置が終わり、現在は506号室にいるとのこと。
ただし
「面会はお断りしているのですが…」
5階。ナースステーションで、看護師から柔らかく断られた。
「そこを、何とかできませんが?」
「すみません。警察の方にも説明したのですが」
ハフシが何とか押してみるも、やはり…。
「どうかしたのかね?」
後ろから、初老の男性医が現れた。看護師が説明する。
「それが、先ほど運ばれてきた患者さんに面会したいと」
「警察にも言ったが、今はできない」
ハフシが、IDを見せた後で聞く。
「聖トラファルガー医大付属学園ガーディアンのハフシです。失礼ですが、あなたは?」
「ウィリス・アドラー。運ばれてきた女の子の担当医だ。兎に角、彼女は今、安静にしていなきゃいけないんだ。だから帰りたまえ」
今度は、地井が押してみた。
「精神的なものですか?」
「ん?」
「私も、彼女を見ました。傷の程度も出血量も、大事に至る程ではありませんでした。そうなると面会を謝絶しているのは、彼女の精神面を案じての対応ですよね?
年頃の女の子が身体を弄ばれた。その事を警察の事情聴取で聞かれれば、羞恥とフラッシュバックで、彼女の心にさらなるダメージを与えかねない」
男性医は、顔をしかめて聞いた。
「君は一体…」
「申し遅れました。私、臨床療法士の地井春名と申します」
そう言って、一枚のカードを取り出した。
臨床療法士、平たく言えばカウンセラーの国家資格。それを証明する免許証がこれである。
金色の光沢に、国の心理学会公認マーク。しかも、臨床療法士はこの国にある、心理カウンセリングに関する唯一の国家資格なのである。
心療科で働く医師でも、この資格を持つ者は少ない。
医師も認めざるを得なかった。
眼前にいる、まだ10代の女の子が、一人前の腕前を持つカウンセラーだと。
「私を、療法士として彼女に面会させてはもらえないでしょうか? それに、同年代の女の子でしたら、心を開いてくれる可能性もあるはずです」
ウィリス医師は、暫く無言で地井を見ていた。
何せ、ひょっこりと現れて、自分はカウンセラーだと言ってきたんだから。
しかし、彼女が言う事も一理ある。現在、病院の心療科にいる女性医師は、別のクライエントとのカウンセリング中なのだ。
「…分かった。ドアの外に看護師をつけておく、患者さんに負担がかかると判断した段階で、出て行ってもらうが」
「感謝します。家族の方は?」
「オパルスからこっちに向かっている、直に到着するだろう」
◆
「あのウィリスって医師、心理面にも配慮が行っている…今時の医者にしては、いい人ね」
「チイ、君って一体…」
ナースメイド姿に着替えたハフシは困惑を後ろに、地井は病室へと歩みを向ける。
彼女はフッと笑うと
「ガーディアンのペイは安いしぃ、探偵業も不安定だからねぇ。だ・か・ら、副業だよぉ」
とおっとりとした口調で喋るも、その足はしっかり。
「まあ、ぶっちゃけ。心理療法士とかぁ、心理カウンセラーって名乗ってもいいんだけどぉ。あれって、資格じゃないから信頼薄いんだよねぇ」
「で、わざわざ取ったの?」
「そうだよぉ~」
感嘆するハフシは、地井の背中がどこか大きく見えた。自分より背がちっこいのに。
廊下を通ると、背広姿の男が3人、固まってきつい眼差しを2人に送った。
(あんな人たちを送られちゃ、相手もたまったもんじゃないな)
心の中でハフシは呟く。
廊下の角を曲がりながら、地井は制服の上から病院で借りた白衣を羽織る。
その背後から、背広の1人が歩み寄ってきた。
「おい、ガーディアンが何の用だ?」
見覚えがあった。ナギと同じ班の鉄道公安隊捜査員。
すると、地井は言い放つ。
「ここにガーディアンはいませんよ」
「なんだと?」
「私たちはカウンセラー。彼女の心の傷を治しに行く。それ以上でも以下でもない」
すると、背広男は返す。
「ふざけるな。そんなの後回しだ。今は、犯人の―――」
「担当医の許可は取ってあります。文句がおありでしたら、そちらに言っていただけますか?」
再び歩き出した地井は、吐き捨てられた言葉を拾ってしまった。
「傷だ? 所詮女だ。感じていたに決まってるんだ」
瞬間、2人の目が暗くなった。
「反吐が出るわね」
「ああ、全くだ」
「男のステレオタイプ…よくあんなので、公安隊が務まるわね」
「あんなのだから、犯人を捕まえられないんでしょ」
目的地が見えてきた。
<506 牧野麗子様>
病室ドアの前で止まり、互いに深呼吸。ゆっくりと扉を開いた。
「失礼しまぁす」
個室のベッドでうつ伏せになっていた少女は、振り向くように地井とハフシの姿を見た。
「誰ですか?」
「初めまして。臨床療法士の地井春名と申します。牧野麗子さんね」
笑顔で、名刺を取り出した彼女に少女―麗子は普通に接した。
「2人とも警察の方じゃないんですか?」
「ええ。どうかしましたか?」
すると、彼女の視線がゆらいだ。
「いえ…今日の事件って、あの…世間を騒がせている通り魔の犯行なんですよね…だったら、協力しないと…」
ハフシにも分かった。
枕を握る手が震えている。
(この子、無理して…)
麗子はか弱く、笑顔を見せた。
「多分、病院側の配慮ですよね? カウンセラーさん。私は大丈夫ですから、警察の方を―――」
その手の甲に、地井はそっと右手を添えた。
「辛かったでしょう」
「えっ?」
「私もあなたと同じ年頃の女の子よ。貴方の抱えている物が分かるわ」
一つ一つの言葉が、優しく彼女を包み込むように出てくる。
そこに、いつものおっとりとした口調も、事件を考察するときの“普通の”口調もなかった。
しかし
「…けないじゃい」
「どうしたの?」
顔をそむけた麗子が何かを呟いた。
聞き返すと
「アンタなんかに、私の辛さが分かるわけないじゃん!!」
地井の右手を振り払い、ヒステリックに叫びあげた。
その眼からは涙が。
「電車の中でお尻撫でられたことがありますか? 刺されたことは?」
「……」
「誰ともわからない手が、私の身体を弄って…逃げたくても逃げられなかった。怖くても、こんな恥ずかしいことが分かったらって思うと叫べなかった。
今でも、あの男が耳元でささやいた言葉が、油のようにこびりついて、拭えないんです…。
そんな思いをしたことがあるんですか? 綺麗ごと、並べないでください!」
小さな心の中に押し込めていた感情。
一気に吐露した少女は、枕に顔をうずめて嗚咽を漏らし始めた。
「あの男って…」
彼女の口から飛び出した言葉に、焦燥感にも似た感情が沸いたハフシだったが、地井が振り向き、視線で“やめなさい”と、制止。
再び、彼女の方を向くと
「麗子さん」
「帰って!」
枕でぐぐもった叫び。
すると地井は、そっと手を添えた。
「分かるのよ。私も…あなたと同じだったから」
「…!!」
麗子は、添えられた手に違和感を感じた。
冷たい。
いや、体温の問題ではない。言い得て妙だが、それは無機質的な冷たさでもあった。
彼女はその手を、腕をゆっくりと触っていく。
「…義手?」
地井は頷いた。
「私はね、昔、ある事件に巻き込まれて左腕を失ったの。あなたと同じように、学校に行く途中にね」
「えっ?」
「左腕だけじゃなくて、両足の骨もボルトで何重にも固定されていてね、もう自分の骨と筋肉の力で立ち上がることすらできないの。
事件の後の私は、表面上は何もなかったかのように、明るく気丈に振る舞っていたわ。でも、それは仮面の私に過ぎなかった。心に傷を負って、自分の中に閉じこもっていたわ。叫ぶこともできなければ、泣くこともできなかった。
死んでしまいたいと思って、病院で出されるお薬を貯めていた時もあったわ」
「そんな…じゃあ、どうやって…」
麗子が身体を乗り出して地井に問う。
彼女は、微笑んで言った。
「今のあなたと一緒よ。
お話を聞いてくれる人がいたの。楽しかったことも、辛かったことも、なんでも話せる相手。
全てを曝け出した後、心の中にあった闇が、すーって抜けて行った。身体の回復も、そこから早くなっていったと思ってる」
部屋の壁にもたれかかっていたハフシが、そっと目を閉じた。
「今度は私が、みんなを助ける番。そう思って、私はカウンセラーになったの。身体にも心にも大きな傷を負った。だからこそ、相手の事も理解できる。だからこそ、解決できる道を探すことができる」
「地井…先生…」
「だから、私に聞かせて。あなたの心の声を」
そっと、右手を添えた。
温かい右手。
瞬間、麗子の目が潤み、地井の胸に顔をうずめると、泣き始めた。
ぐぐもっているが、それは正に心のヒビ―彼女の隠していた辛い感情の吐露だった。
そんな麗子の髪を、彼女は優しく撫で上げた。
「苦しかったでしょうに。こんな小さな体で……急がなくていい。ゆっくりと、私と一緒に、あなたの“傷”を治していきましょう」
地井の瞳が、やさしく彼女を包み込む。
そんな最中、ハフシのケータイが鳴った。
頷くジェスチャーを地井に送ると、早足で部屋を飛び出し、ロビーからテラスへ。
数名の入院患者が、日向にいる中、ナースメイドが電話に出た。
「ウィ?」
電話の相手は、シレーナだった。
――そっちはどう?
「チイ先生の、やわらかカウンセリング講座。第一章終了ってところですかね」
――流石、チイね。そこいらのニワカ療法士と訳が違う。
ってことは、彼女から証言は、まだ得ていない訳ね?
「断片的にですが、分かったことが1つ。彼女は、犯人の声を聞いています。
最重要容疑者を集めて、声を聞かせれば、てっとり早く済むんじゃないかと思うんですが?」
――そうだけど、今の段階じゃ難しいでしょうね。
地井のカウンセリングが序盤を脱したということは、彼女の精神は不安定な状況よ…襲われた彼女、声を上げて泣いていた?
「ええ」
ハフシは持ち手を右から左へ変えると、テラスにもたれて景色を眺めた。
手前に新しい家々が並び、少し遠くには旧市街の名残。そして右側奥手には、エルサレム顔負けの、コンクリートの巨大な壁で囲まれた区画も見えた。
――それなら、ワンちゃんありそうだけど、餅は餅屋。チイの意見を伺わないとね。
「で、本題に入ってくれませんか? 先輩。世間話をするほど、暇じゃないはずですし、私も“笑顔の壁”を見続けるのは飽き飽きしますから」
――へえ~。そっから見えるんだ。まあいいわ。
実は、伊倉ユーカに関して面白い情報を得ることに成功したわ。
「チイが昨日、いろいろと調べたんじゃなかったんですか?」
――ええ。してもらったわよ……もしかして、見たのね。ナプキンの内容。
「一連の事件の洗い出し、伊倉ユーカの身辺調査。そう書いてありましたよ」
――変なところで、あの子、天然なんだから…まあ、いいわ。結局は皆で共有する情報だし。
結果から言わせてもらえれば、どこにでもいる模範的なガーディアンね。成績優秀、品行素行にも問題なし。同性異性両方から親しまれているし、朝礼すら一回もサボったことがない完璧な女の子だったわ。
「だったら…」
――でもね。その後、彼女には追加調査をしてもらったのよ。
「なんですか?」
――小ビンよ。
「小ビン?」




