24 「Wrong Train Runnin'」
一瞬の静けさ。
電車のモーター音しか聞こえない、混雑した車内。
それはすぐに消え去った。
車内のあちこちで悲鳴が上がった!
「逃げろっ!」
「たすけてくれーっ!」
どこに犯人がいるか分からない。
乗客たちは周りの人を押しのけ、踏み倒し、隣の車両へ逃れようと必死になっていた。
ハイヒールで手を踏みつけられるサラリーマン
「あああああっ!」
押しのけられ、手すりに頭を強打する男子学生
「はぐっ!」
足元の部活鞄に足を取られ転んだOLの後ろから、どんどん倒れてくる人々。
「痛い痛い痛い!」
まさに、阿鼻叫喚。
シレーナは横になった女の子に覆いかぶさり、かばうのに一生懸命。貴也やハフシ、捜査員の声も空しく、恐怖は隣の車内にも伝染する。
そんな中で、シレーナは無線を取り出した。
――メルビン! 応答して!
「シレーナさん!」
――次の駅に停車してドアが開いたら、乗客の中から不審な人間を見つけなさい。貴方の能力なら、それができるはずよ。
リッカー53は、先頭車の方へ移動したはずだから。
「分かりました。ですが、次の駅って……」
シレーナが気づいた時には、電車は減速を始めていた。
次はラルーク。北百合線でも特異な構造をした駅だ。
(マズい! 犯人を逃がすどころの騒ぎじゃない!
恐らく先頭車両の乗客は、今、ここで起きている事態を知らない可能性が大きい)
何も知らず降車した人々の背後から、パニックになった群衆が押し寄せてきたら……。
やれることは、1つしかなかった。
「やむを得ない」
◆
―――乗客の皆さん。こちらは鉄道公安隊の三室です。
スピーカーから流れた声に、先頭・最後尾側の乗客がざわつく。
―――車内で緊急事態が発生したため、この電車は次のラルーク駅にて運転を中止いたします。尚、電車が停車し扉が開いても、すぐには降車せず、落ち着いて鉄道公安隊の誘導に従ってください。
パニックを懸念したシレーナが、鉄道公安隊の無線に乱入し、全車両の捜査員に指示を出したのだ。
リッカー53の出現を全車両の乗客に伝え、潜入した捜査員の指示に従って順番に降車させる。
ホーム上での二次災害を防ぐに、もうこれしかない!
ダーダネスト・バローダ区
午前7時14分
53号列車 ラルーク駅入線
新畷側が若干カーブした島式ホーム、東ドーラ側に架かる跨線橋にしか改札がない、とても特異な地上駅。
既に駅には連絡を済ませており、駅員の誘導で53号列車に乗るはずだった乗客は新畷方面行の電車が発着する、向かいの3・4番線ホームに移された。この時間帯、都心から住宅街へ向かう下り線を利用する乗客は、上り線より少ない。
時間がない中で緊急の措置だった。
なのでこの上り線、1・2番線ホームには誰もいない。朝の光景としてそれは、日常からかけ離れたものだ。
空しく流れる電車接近のアナウンスと、2番線に進入するツートンカラーの車両。
減速……完全停車。
ドアが開かれると、4~6両目の乗客が籍を切ったかのようにホームへあふれ出し、一目散に駅の出口へと走る。
「邪魔よ!」
「どけ!」
押しのけ、転び、悲鳴と罵声が飛ぶ。人間の本性を丸出しにしながら。
その様子を、7両目から出たメルビンがじっと見つめていた。
まるで定点カメラのように。
あふれ出る恐怖に、髪の毛で隠れた彼の目はじっと。
全ての波が治まった時、ガラガラの車内には荷物が散乱し、刺された女の子を除いて4名の乗客が倒れていた。誰もが血を流している。
貴也の姿もあった。人の波にもまれ、反対側のドアに叩き付けられていたようだ。
「いっつー…シレーナ、大丈夫か?」
起き上がると、頭を軽く左右に振りシレーナのもとに歩み寄る。
彼女も起き上がり、外れかけた眼鏡を整えながら彼を見上げた。
「ええ。この子も無事よ。貴方は?」
「何とか生きているみたいだ」
◆
一方、エルの運転するパッソが、市警のパトカー数台を引きつれ、駅前ロータリーに滑り込んだときには、パニックとなった群衆が落ち着きを取り戻そうとしていた。
「畜生、遅かったか」
駅出口には、階段で転んだ人だろうか数名がうずくまっていた。
彼らの介抱と、駅周辺の封鎖を市警に頼むと、エルは改札を抜け、プラットホームへ。
ようやく先頭と最後尾の乗客を誘導し始めていた。ベンチには負傷した捜査員が座っていた。
遠くから、救急車のサイレンが聞こえてくる。
ホームに佇むメルビンに、声をかける。
「メルビン。どうだった?」
「それらしい人は、いなかった」
「お前らしくないじゃないか? ちゃんと見たのか?」
するとメルビンは言った。
「公安隊の捜査員が最初に車内で見つけた…。とすると、あの目撃証言通りの格好をしていると睨んで、見ていた…」
すると、シレーナの声が聞こえてくる。
「エル!」
車内に入り、彼女を見つけた。
被害者の返り血だろう。白いシャツが真っ赤に染まっていた。
「すまん、シレーナ。間に合わなかった」
「了解。先ず、この子を緊急搬送。話はそれからよ!」
「わかった…あ!こっちです!」
エルが叫んだ先。階段を駆け下りる救急隊員の姿が、そこにはあった。
この事件で、乗客34人、捜査員2名が負傷。
被害を受けた女子生徒は、ダーダネス・バローダ地区との境目にあるラルーク総合病院に搬送された。
外傷は全治2週間。
結局、リッカー53はパニックの雑踏に紛れて、またもや姿を消してしまったのだった。




