22 「無情―衣川駅」
轟音を立てて10両に増えた鉄の箱が、高架線を走り去る。
百華~衣川は、間に6つの駅がある、長距離区画だ。
眼下に広がる民家、渋滞を横へと流していく。
車内は正に圧縮地獄。新聞を読むどころか、場所によってはポケットに入った携帯電話を取り出すことすら困難。
人々はシートに座る幸福なサラリーマンたちを恨みながら、手すり吊革へつかまる。
電車が揺れるたびに、つかまる手に力が入る。
これにより血流が止まり体内に危険信号が流れる。これこそが、満員電車での通勤に疲労を感じてしまうメカニズム。と言うのは大いなる余談だが。
危険信号が体内で流れる人混みの中で、それより強い警戒信号を発しているのが、ガーディアンの面々だ。周囲を警戒していると気づかれないよう、さりげなく辺りを見回している。
この状況では、それくらいしかできない。
シレーナも苦闘中。
先ほどまで見えていたナギ警部補の姿も、もはや黒い壁の中である。
そんな車内、傍の女子生徒が話をしていた。
「そういえばさぁ、次の衣川って、昨日、女の子が自殺した駅じゃんね」
「そうそう。昨日は大変だったよ~。授業には遅れるわ、教頭には叱られるわで」
「あ、ウチも」
「でさあ、教頭、何て言ったと思う?」
「なになに?」
「遅れるのが分かっているなら、1本先の電車に乗りなさい…って。マジ頭おかしいって、あのババア」
「何それ、超ウケるぅ~」
制服までは分からないが、女の子とは思えない汚らしい言葉づかいが聞こえてくる。
それが、シレーナには息苦しい車内にいるより、苦行だった。
(黙ってくれ…)
まるでビニール袋をかぶせられている気分。
「……って、ニュースで言ってたけどさ。もしかしたら、マダ残ってたりとかして」
「いやだー。めっさキモーい。血とか?」
「肉片かもね」
「うわー、グッローっ! メンヘラ女の肉とか、マジ勘弁」
そう言うと、2人の間から笑い声が溢れてくる。別段楽しそうな話でもないのに。
他の学生の話し声と走行音で、どうにか彼の耳には入っていないようだし、距離も遠い。
貴也が聞いていたら…そう思うと、シレーナには安堵の空気が流れた。
昨日の駐車場。チンピラに絡まれる前の彼の顔には、確かに濁りというか、よどみがあった。
まだ、事件捜査と彼女への復讐を分けて考えられていない。
さっきの反応もそうだ。
でも……
(どうして私は、彼の事を考えてしまうのだろう……。彼が犯人に復讐してくれれば、私は仕事をせずに済む。いえ、仕事の相手が彼に移るだけ。
造作もないはずなのに……)
駄目だ。また、イライラがこみ上げてきた。
あの女子共といい、タカヤといい。
(畜生っ!)
再び、女子の会話が聞こえてきた。
「……かさ、死んだコ、どこの誰なんだろう?」
「え? 知らないの?伊倉ユーカって子らしいんだけどさ。十文字館の」
「マジで? そいつ……じゃん!」
えっ!?
今、あの子、何て?
「うっそーっ!」
「ここだけの話なんだけどさ……」
瞬間、自分の耳を疑った。
大っぴらにされる、事件への疑惑。
(そんな馬鹿な…でも、そうなれば、タカヤを自宅に寄せ付けなかった理由への辻褄は合う。まさか…彼女が殺された、本当の理由って!?)
彼女の脳内に動揺が走る。
電車に合わせ、最高速度で。
そのうち、女子生徒たちは別の話を始めてしまい、それ以上の事は聞けなかった。
途端、電車の速度が大きく下がる。
――間もなく衣川、衣川です。
シレーナは手元の腕時計を見た。時計の針が頂上を過ぎようとしている。
午前7時。
無線が鳴る。
――075よりシレーナへ。
「こちら、シレーナ」
エルからだ。
――すまん。渋滞に引っかかった。どうにかバイパスに出て、先回りしようとはもがいているんだけど。
「現在地は?」
――衣川駅まで、約2ブロック。
「了解。衣川駅はもういいわ。そこを離れて先行して。多分、コデッサ駅まで何も起きないと思うから」
――分かった。
通信を終えると、電車が駅手前と言うのに減速し、停車。
信号待ちという。
前がつかえているのだろう。
ようやく走り出した時、電車は約3分遅れで衣川駅に入った。
昨日見た、あのプラットホームに。
そこは、何事もなかったかのように時間がせわしく流れている。
手足が切り裂かれた線路を、車輪が踏み上げ、携帯や新聞に目を落としたまま、機械的に人が流れる。
24時間は膨大で充分なのだ。人の恐怖や痛みを風化させるには。否、最初からそんなもの、当事者以外にはないのだろう。人身事故において心配なのは轢かれた少女の安否ではない。電車がちゃんと動くかどうかなのだ。それによって左右されるのは、何の益にもならない朝一会議や、どうせ落第点を取る小テスト位であるというのに。しばし、そういう点において人命というものは、形や意味がないものよりも下位に定められる。
「自分の人生がかかっている事柄なんだから、他人の命より重要だ」
そういう意見もあって最もだろうし、一方で、そう思う事を非情と考える人もいるであろう。
だが皮肉にも、その“非情”こそ、社会ないしは世間という枠組みの中では普通なのである。そのようなことを考える、まして自分の利益より、明らかに虫の息となっている他人の生死を心配するなど、大馬鹿か暇人のすることなのだ。
少女が轢死した。そんな“どうでもいい”情報は、電車と人の波で風化させるべきである。これが、世間においての正解、無意識下の模範解答なのだ。
(無常ね)
この仕組みを突きつけられるたびに、シレーナは、ハフシは、地井は、そう思わずにはいられなかった。
今まで数多の事件に出くわしてきた。いろんな人を、死を、不条理を見てきた。
青春の1ページに起きた出来事として……。
駅員が右手を挙げた。
その合図を確認すると、車掌がボックス下部に手を差し出して、レバーを押し上げる。
全てのドアが閉まり、安全のための赤ランプが消えた。
◆
午前7時06分 衣川駅3分遅れで出発
次の停車駅はラルーク
その間、2駅




