20 「願望―ワルタナ駅」
車窓の景色に、オレンジ色のカーテン。
夜が明けてきた証拠だ。
不規則な揺れとサウンドが響き渡る。ポイントを幾つも跨いでいるのだ。
それが終わり、聞きなれたガタンゴトンの響きが、耳に届き始める。
車掌のアナウンスが流れた。
―――おはようございます。本日も花菱鉄道をご利用いただき、ありがとうございます。この電車は東ドーラ行快速特急です。途中…
その中で、シレーナは再びスマートフォンの画面を見せた。
画面にはこの電車の停車駅を書いた図が載っている。
「この53号電車は新畷を出ると、以下の順番で停車する。途中の百華駅で電車を増結。10両編成で東ドーラまで走る。アナウンスで言っていた市民球場駅には、もうすぐ着くわ」
「早いね」
「だって新畷の次だもん。快特でも各停でもね。
話を戻そう。今までの報告書、そして被害者がどこで襲われたのか大まかな証言から、リッカー53が犯行に及ぶであろう区画は、大きくこの2つに分けられる。
先ず1つは、ワルタナ駅~衣川駅。ワルタナ集合住宅群の中に位置するこの駅から、通勤通学客がどっと押し寄せる。その上、次の百華で電車の増結。ここで最長の5分間停車をした後、衣川駅へと向かうわ」
貴也が言う。
「そうか。乗客が一気に多くなるエリアだし、電車が長時間停車することで、ターゲットを物色する時間も与えられる。で、次の区画は?」
「もう1つは、ラルーク駅~北キャンパス駅。特にコデッサ駅と北キャンパス駅は学校が多く林立するエリアを走っている。その上、衣川駅とラルーク駅周辺は、沿線の学校に通う生徒のための寮やアパートも多いし、コデッサ駅はバイホ女子学園の最寄駅よ」
「女子生徒が多く乗ってくるエリアか。だとするなら、どうして衣川駅~ラルーク駅は空白なんだ?」
その疑問に、ハフシが答えた。
「ラルーク駅は、他の駅と違って特殊な構造をしているんです」
「特殊な構造?」
「ええ。ラルークは地上駅で、その上に架かる跨線橋に改札が置かれています。つまり、改札へ向かう階段が1つだけしかないんです。跨線橋は東ドーラ側の端っこ」
「成程。先頭車付近にしか出口はないってわけか……ん?さっきから見ていて思うんだが、ひょっとしてリッカー53は、この路線に精通した人物?」
シレーナは頷いて答えた。
「私も改めて調べてみてびっくりしたわ。確実に犯人―リッカー53は、この北百合線の乗降客の年齢層から駅の構造まで全て把握している。この路線を熟知した人物」
そう話した矢先、電車が減速を始めた。
眼前に見える、巨大なスタジアム。
◆
6時15分 市民球場駅到着
市民公園にほど近い立地のせいだろう。乗客は3人だけだ。
この駅が混雑するとなると、公園でイベントがあるか、プロ野球シーズンぐらいである。
すぐに扉を閉めて出発。
しばらく樹木が並んでいたが、すぐに住宅街。そして地上から高架橋へと目まぐるしく車窓が変化を遂げる。
「次がワルタナか」
「間の通過駅は3つよ。さて、そろそろ配置につきましょうか」
シレーナを先頭に、全員が立ち上がった。
「今までの被害を総合すると、狙われる車両は前から4~7号車
この北百合線を走る車両は、全て4扉車。つまり1両につき計8か所にドアがある。この電車は上りだから、ホームは一部駅を除いて左側。この第一区画は全て左側のドアが開くから、全員左側のドアに近い場所で警戒して頂戴。
百華駅で、2人合流するから」
『了解』
その時貴也は言った。
「それじゃあ、君たちが襲われ―――」
「言ったでしょ? そのための私たちだって」
「怖くないのか?」
だが、そこにいた女の子たちに、動じる気配はない。
加えて、シレーナの目が再び暗くなった。否、ハフシも地井も、一瞬暗くなったように貴也には見えた。
「さあ、どうだろうね」
素っ気なく答えるシレーナは、言葉を加えて返した。
「ここではっきりさせておきましょうか。
佐保川貴也。貴方が異動して配属された場所、つまり私とバディを組んだってことは、今まで学んできたガーディアンとしてのマニュアルも、学校で教わったルールも全て通用しない世界に身を投じることになるという事よ」
「な、なんだよそれ……」
意味が分からない。
どうして、そんなことになったのか。
貴也は体がすくんだ。
「どうしてって顔、してるわね。貴方が望んだことじゃない?」
彼は声を荒げた。
「冗談じゃねえ!俺は何にも望んじゃいねえ!お上からの辞令を受けて―――」
「嘘つき」
シレーナが淡白にいい放つ。
「嘘つきだと?」
「アンタは、自分の恋人を殺した犯人を捜し出したい。そう望んだ。だから、私についてきた」
「……」
「私といれば、じきに犯人にたどり着く。そこで正義の鉄槌でも犯人に食らわせて、死んだ恋人の弔いにする。そう考えていたんでしょ?」
「……」
「違う?」
「……」
返す言葉もない。
確かにそうだ。
貴也1人の力では、警察も手をこまねいている連続通り魔を追うなんてことできるわけがない。
でも、昨日の推理に、彼女の周囲の人間……最初に会った時の無礼さと痛覚異常は、まだ信じられない部分はあったが、この女、シレーナに付いて行けば、ユーカを殺した犯人に辿りつくことができるのでは。
そう考えていたからだ。
「小説のヒーローが口走りそうなセリフを声を高らかにあげて、自分は守られた“カゴ”の中。他力本願で運ばれてきた事の結末に、さも自分が成しえたかのようにしゃぶりつこうだなんて、虫が良すぎないかしら?
何か望みをを叶えるってことは、引き換えに自分が代償を支払うことに等しい。その代償が“平等”を謳う神様の天秤を壊すほど、大きく破滅的なものでもね。
ざっくり言えば、ギブアンドテイク。物事の仕組みそのものよ。
アンタの代償。それは、初対面で“狂ってる”って言い放った女とバディを組むこと。それ以上でも以下でもない」
そう、それは当然の理由。当然の代償。
しかし、脳は理解できても、心が理解できない事柄が、1つだけ胸につかえていた。
「どうして……お前なんだ……」
どうして、シレーナなのか。
確かにシレーナの傍にいれば、犯人は見つかる。運が良ければ復讐できると思っていた。
じゃあ、何故警察は、わざわざシレーナの傍にいるようにという辞令を出したのか。
ガーディアンの規則。同じ学校、同じクラス。そしてファーストコンタクト……。
いくつかの理由は浮かんでくるし、理解できる。
だが、何かが違う。
貴也のコアのような、言葉では言い表せない、パーソナリティーの根幹的な部分が、異議を唱え続けているのだ。
それが何なのか。思考というものを持ち合わせていないそれに問うても、何も返ってこなかった。
「決まってるだろ?」
「!?」
突然口調が変わり、シレーナが口を開いた。
決まっている? 何が?
「……いや、近いうちに、その理由が分かるだろう。
無駄話は終わり。そろそろワルタナ駅に着くわ。タカヤは隣の車両に私と」
そう言って、シレーナは亜麻色の髪を翻す。
連結部分のドアを通り、シレーナと貴也は隣の車両に乗り込んだ。
既にそこには、ナギがいた。
「これより、ガーディアンも警戒に当たります」
「この車両は私がいる。十分だ。私はこの職について早7年。列車内ので警戒は、赤子を見守るよりたやすい」
「それなのに、見逃した、と?
……別に喧嘩を売りに、この車両に来たわけではありません。我々は、我々独自のプロファイルに基づいて行動させていただきます」
しばらくナギは黙っていたが
「そこまで言うなら見せてもらおうかね。君たちの仕事を」
その言葉と共に、ナギは進行方向から見て、左側第3扉に陣取った。
車窓に、分厚い盾のようなビルが何十個と見えてきた。
高度経済成長期にニュータウンとして整備された、ワルタナ集合住宅群。以降、ワルタナ地区は丘陵地をくり抜き、住宅街として整備されてきた。
「タカヤ、貴方は左側第1扉に陣取りなさい」
「シレーナは?」
「第4扉。急いで動きなさい」
すぐさま、2人は配置についた。いや、全ての捜査関係者に緊張が走る。
◆
ホームに入った電車の窓に、市民球場駅が凄まじく長閑に見える程の乗客数。数えただけで100人以上入るだろう。
ドアが開いた瞬間、シレーナ達の任務がスタートした。
午前6時24分 ワルタナ駅到着。




