17.「アナスタシア」
PM17:33
首都 オパルス
警察庁
この国の首都として政治経済、金融、情報…ありとあらゆる物事が集中するメガロポリス。
官庁街の一角に、この国の警察組織の頂点が構えられている。
最近建て替えられたばかりの真新しいビルは、政府中枢が集中する街において目を引くものがあった。
夕陽も傾き始めた頃。シレーナの姿はこのビルにあった。
「重傷4名、軽傷3名。物的損害、車3台、鉄柵6枚、自動販売機1台……まあ、派手に暴れたもんだ」
手元のレポートを片手に、その人物は自分のデスクから、応接用のソファに目線を上げる。背もたれの上に腰掛けるシレーナを見た。
その頭には、白い包帯が電車のラインカラーのように頭を走っている。
「向こうが血気盛んだっただけの話よ」
「さあ、どうだか。仮にそうだったとしても、誰からも話が聞けない以上、あなたの証言を鵜呑みにすることはできないわ」
「殴られ犯されながら、それでも“話し合いましょう”なんて叫び続ける人、見たことがあるというなら是非聞かせてもらいたいものね。そうでしょ? ミセス・アナスタシア」
「失礼な。私はまだ未婚だ」
微笑した、この女性。
膝まであるだろうサンディブロンドを引き下げ、シレーナよりも落ち着いたブルーの瞳。
史上初の女性長官、アナスタシア・ウィドー・アドミラル。
教育科学省と共に、全国のガーディアンを管理するトップの人間でもある。
「しかし、この手合いは調書改ざんの手間が省ける。連中が転がしていた車だが、2か月前にひき逃げで手配を食ってたし、3週間前の乱闘でも目撃されている。その件で巡回中の警察官が7人を発見、職務質問を行うが警察官に対し暴行。公務執行妨害で逮捕。お前と佐保川貴也については、一切の痕跡を調書から抹消する。それでいいか」
「片付くなら、どうだっていい。それが犯罪者なら尚更」
「全くだ」
そう言うと、彼女は机の上にある煙草に手を伸ばす。
赤い箱に革命家の顔が入ったパッケージ。「チェ」が彼女の愛煙である。
「お前は、そのために存在し、そのために生かされているんだからな」
「その話はもういいよ。それより、こんな息苦しい場所に呼び出して、何の用だ?」
「そう焦るな」
いらつくように話すシレーナに、落ち着きながら煙草に火をともす。
風情ないジッポライターではなく、アナログなマッチで。
煙草に火が付くと、手を振りマッチの火を消す。灰皿にカランと音が響くと、次いで白い煙が天井に向かって伸びていく。
「例の、列車飛び込みの件はどうなってる?」
「報告した通り。それ以上の報告はない。それより、質問したいのはこっちよ。鉄道警察隊はどこまで、この事件を調べたのか」
アナスタシアが答えた。
「衣川駅の防犯カメラを調べた。駅のコンコースと改札口に設置されているそれには、いつも通りリッカー53らしき人物は映っていなかった。今、過去の事件発生時の防犯カメラ映像と照合しているところだよ」
「成程。その全てに映っていた人物が、犯人の可能性が高い…か。でも、不特定多数が利用する公共交通。照合には時間がかかるでしょうね。それに、いままでカメラに姿を映さず、物証も残していない犯人が、こんなところで自分をさらけ出すとは思えない」
「ああ。この事件は発生当時から疑問に思えて仕方ない。列車内に“リッカー53”は確かにいた。被害者がいて、目撃者もいる。だが、どの事件も駅から外に出た形跡がない。犯行時に着ていた衣服を処分したんだと睨んでトイレやごみ箱を探しても、それらしきものは出てこない。凶器も同じだ。
まるで、亡霊のようだ。血と少女を求めて彷徨う性欲の亡霊」
シレーナはその言葉に微笑した。
「警察上層部が亡霊を口にするとはね」
「姉が、そのテの専門家でね」
「ふぅーん。今度手相でも占ってもらおうかな」
冷やかすシレーナに、アナスタシアは何も言わず、タバコの灰を落とす。
その間に、彼女は眼鏡を外し続ける。
「アンタがこの事件を亡霊の仕業で片づけたいなら、ワタシは構わないぜ。“仕事”をしなくて済むからな」
「そいつは無理な注文だな。仕事をしなくなったら、君は犯罪者になるからね」
「…人殺しか」
張り詰めた声に、アナスタシアは煙草をふかし
「給料泥棒さ。それに、あの女は嫌いだ。いや、生まれたのが1日違いだから、姉と呼ぶのも何だか違和感があるがね。アイツは昔から、汚い手を使っていろんなものを得てきた。今じゃ、フランスで悠々と暮らしているそうだが。そんな姉を、私はどうも好きになれなかった」
「そう」
「まっ、昔話はまたの機会にするとしよう」
そう言って、引き出しから取り出したのは白い定型外郵便用の封筒だった。A4サイズの用紙が入るそれをシレーナに差し出す。
「最後に、コイツだ」
「やっと来たか」
ため息を1つ。シレーナはソファを降りると、アナスタシアの前まで来て、それを受け取った。
「これが本当の要件だろ?」
「随分な挨拶ね」
「昔からそうだ。アンタはどうでもいい話題で延々と事を伸ばして、一番最後に伝えたい大事な要件を放ってくる。まるで“ソドムの市”だよ」
「お前、その年齢であんなゲテモノ映画を見たのか? というか、どうやって見たんだ。18禁だろ、アレ」
新しい煙草を取り出しながら、アナスタシアは顔を引きつらせた。
「企業秘密。まあまあ楽しめたけどね」
「私は食事のシーンでリタイヤしたよ。チーズスナックを手にしながらな」
「あの程度で?」
アナスタシアは、理解できんと言わんばかりに首を横に振りながら、マッチを擦る。
「さて、車で1時間半かけてやってきたワタシに、アンタは何を見せてくれるのやら」
シレーナは眼鏡をかけて、封筒から一枚の紙を取り出した。
最初に顔を覗かせたのは、2文字の目立ちたがり屋。
「辞令?」
白い全てをさらけ出させ、彼女は小心者たちの文章を読み始めた。
「元十文字館学園ユニット所属 佐保川貴也捜査官とバディを組み、以後、一切の捜査活動を共に行うことを命ずる。
警察庁長官 アナスタシア・ウィドー・アドミラル……はあ!?」
「うん。そういうこと。話は以上だ」
瞬間、シレーナは机にバンと、両手をついて
「冗談じゃありませんよ! なんで、あんな素人と!」
「仕方ないでしょ。伊倉カナが死んだことで、十文字館学園のガーディアンは閉鎖・解体されることになったんだから。ガーディアン設立維持の必須条件は2人以上の学生捜査官が所属していること。他に所属する捜査官もいない以上、閉鎖はやむを得ず。そして幸いなことに、お前と佐保川は同じ学校、同じクラスときた。これ以上の適材適所、どこにある?」
「これまで私は一人でやってきた。その必要があったし、それを誰もが望んだからだ! どうして今更……」
すると、アナスタシアが鋭い眼光で、シレーナをにらみつけた。
「兎に角、これは警察庁と教科省の決定だ。そして、何より私の決定でもある。拒否するのであれば仕方がない。君がどうなろうと私は一切関知しないことになる。今日これから夕飯を食べ寝ること……いや、この部屋を五体満足で出れるかすらも保証できない」
「……」
「さあ、どうする」
「……勝手にしろ」
ぶっきらぼうに答えると、辞令を畳みブレザーの内ポケットに突っ込みながら、部屋のドアへと歩く。
「アナスタシア」
唐突に呼んだ名に、彼女は煙草をふかしながら、無言。
「分からないんだ」
「何が? 教えられるのは、せいぜい掛け算割り算―――」
「そうじゃない!」
「?」
黙りこくったシレーナの後姿を、ゆっくりと見る。
「……抱きしめられたんだ。タカヤに」
その告白に、アナスタシアは煙草をくわえながら、次の一言を待つ。
「今まで、いろんな奴に抱きしめられてきた。チイもエルもハフシも、そして、あの男も……。
でも、タカヤは違った。今まで感じたことがありそうでなさそうな……自分でも言葉にできない不思議な感覚に襲われた。それから今まで、イライラが止まらないんだ」
「……」
「なあ、教えてくれ。この感情は何なんだ。どうして、イライラするんだ? どうして、タカヤだけ……」
横目で暫く彼女を見ていたアナスタシア。
煙草をふかしていい放つ。
「聞く相手を間違えているぞ、シレーナ。私はカウンセリングなどしたことないし、心理学にも否定的だ」
「そう……ごめんなさいね」
バタン。
木製のドアが閉まる音。
しばらくの沈黙と、立ちのぼる一筋の煙。
どれくらい経ったか―という表現は野暮だろう。まだ半分以上も残した煙草をもみ消し、懐から二つ折りの携帯電話を取りだした。
勢いをつけて開いたそれを、耳元に当てた。
「私だ…そっちはどうだ……そうか……」
彼女は電話の向こうの相手と、話を続ける。
「その、まさかさ。私も予想してはいたが、軽々と裏切られたよ。こいつは脅威だ」
そして、椅子から立ち上ったアナスタシアは、歯を浮かべる程の笑みを浮かべるのだった。
「変更はない……始めよう。我々の未来のために」




