15 「その少女、格闘」
頭上にあるプラットフォームは、いつもの日常の中を流れていた。
無人のホームをアナウンスが流れる。
「間もなく、電車が通過します。危険ですから白線の内側にお下がりください」
やがてカーブの向こうからやってくる、北百合線の急行電車。
今から通過する足元で、今、騒乱が起きようとしていることも知らずに。
男6人が、下着のみのボトムレス、ワイシャツにネクタイの女の子を取り囲んでいる。
そこに言葉はなく、火の通ったポップコーンのように、破裂のタイミングを待っていた。
キーン!
電車が接近する際に聞こえてくる鳴き声。
それが大きくなってくる。
段々、段々、段々、段々。
「―――――」
スピードを上げて頭上を鉄の塊が差しかかった。ロン毛の開いた口が合図となり、次々に男たちが襲い掛かる!
彼らが走りだし、それよりも速く轟音は彼方へ!
「やああああっ!」
声を上げ殴り掛かってくる相手を、彼女は顔色換えずに、無言で交わしていく。
まるで、そこを吹き抜けるそよ風のように。
「逃げてないで、かかってこいや!」
そんな声がしてきた。
「そう?」
「うぐあっ!」
先ず眼前で殴り掛かってきた男を交わしながら、肘を顔面にめり込ませる。後頭部を打ち付け、気絶。
「とりゃあああっ!」
更に襲い掛かる男を1人、2人とすり抜け、背後から走ってきた男に回し蹴り。
「がはっ!」
叩き付けられた衝撃で、停車しているセダンの車体が揺れ、警報アラームとクラクションが鳴り響く。車両側面にもたれかかる男へ疾走、腹にとび蹴り。
「うぐえええっ!」
喉を突き上げる不快感。口から吐瀉物をまき散らしながら気絶。
「汚い」
点滅するハザードランプに照らされた彼女の顔が、ゆがんだ。
次いで、こちらへ走りながらパンチを飛ばしてきた腕を掴んで背負い投げ。飛ばされた体が、先ほどまで彼女を掴んでいた背の高い男に当たる。2人とも起動不能。
刹那! 背後から衝撃。
どこから調達したのか、鉄パイプを持った鼻ピアスの男。彼の一撃を食らい、地面に叩き付けられた。
頭から血が流れ出す。
それでも痛がる素振りを見せず、すぐに仰向け。視界には小太りの男が、今まさに全体重を足にかけ、顔を踏みつけんとしている。
「死ね! クソビッチ!」
すぐに体を転がして回避。勢いをつけて起き上がると後ろを取り、髪の毛を掴んだ。
「貴方は、後ろがお好み?それとも……」
「や、やめてくれ…」
シレーナは笑みを浮かべると、彼の背後から股間に膝蹴りを一発。
「ううーっ!」
「まえっ!!」
それでも彼女は止まらない。苦悶の表情を浮かべる男の顔をT型フォードのボンネットに1度、2度と叩き付けた。
「ううっ……うう……」
「フッ。気持ち良すぎて声も出ないか」
鼻血を吹き出しながら崩れ落ちるその体から手を放す。間髪入れずに、鉄パイプを振りかざした男が向かってくる。
「死ねやーっ!」
勢いそのまま、シレーナに右フックを受け、更に左回し蹴り。気絶。
ものの2分で、駐車場にはうめき声しか響いていない。そんな状況。
「こんな程度? 所詮、盛りは口と下半身だけかよ……胸糞悪い」
ゆっくりと周囲を見回し人数を口に出して数える。
「いっぴき、にひき、さんひき、よんひき、ごひき、ろっぴき……いっぴき足りない」
シレーナは足元の鉄パイプをはじき上げ、右手に受け取る。振りかぶり、駐車場の奥へと進む。
高架に沿って縦に長い駐車場は、車も少なく、アスファルトに斜陽が差し込む。回廊にも思えた。
所々に駐車する車や柱の影を確認することなく、ただ無言で歩き続ける。鉄パイプを引きずりながら。
カラカラン……カラッ…カラカラカラン……。
アスファルトが鉄を削る音だけが、ただ響く。
その動きは糸が切れそうな人形。
ゆらりゆらりと、力の抜けた体が獲物を狙って歩く。
その獲物もまた。
キーン!
再び電車の接近する悲鳴。
音を隠れ蓑に、駐車場外から1台の四角い商用バン、シルバーのマツダ ボンゴが彼女の背後に忍び寄る。
ガムテープで固定された右ライト、折れたワイパーが退廃さを漂わせる。
車内で引きつった表情で、ロン毛がただ獲物を狙う。
「この野郎。女の分際で……」
車は駐車場に入ると、距離を開け微かなスピードで、シレーナの後ろにぴったりとつきまとう。
頭上を電車が通過した。さっきより長く奏でられるワンマンショー。
快速特急。それも上下線で交互に通過したか。
轟音がコンクリートに響き渡る。
瞬間!
「死ねやぁ!」
アクセルを踏み込み、くたくたの車体が加速を始める。
シレーナまで…もう距離はない。止まる素振りもない!
時速は60キロに迫ろうとしていた。この速度で撥ねられれば、無事では済まされない!
「ひひひひひひ」
勝利の笑み。
笑みの先に紺色の背中が迫る。
「えっ!」
彼女の姿が眼前から消えた。直後
ボン!
車体が何かと接触した音が聞こえた。
車の前に倒れた彼女を撥ねたか? いや、衝撃がない。人を撥ねた衝撃が。
(以前、同じように人を轢いた事があるから分かる。あの時の音、衝撃が俺の体を貫いていない! 消えた!? 煙のように!?)
だが、このスピードで狼狽する暇があるということは、むしろ馬鹿としか言いようがない。
どんな道でも、その先には必ず終点があるものだ。
「わああああっ!」
激しいスキール音の直後に衝撃音。
ボンゴは駐車場のデッドエンドまでノンブレーキ。ハンドルを切り車体を横滑りさせたが、遅すぎた。鉄柵を勢いよく突き破り、背後に置かれていた自販機をなぎ倒し乗り上げて停止した。
車なのか自販機なのか、シューという空気の抜ける音が立ちのぼり、フロント部分は自販機の形にめり込んで大破していた。
当のロン毛は、ハンドルに頭を強打していたものの無事だった。シートベルトをしていないにも拘らず生還するとは。
「いっつーっ」
血の流れる頭を押さえながら起き上がり、粉々になり前が見えないフロントガラスを傍観する。
一体どうなったのか、把握もできない。
「うおっ!」
突然、ドアが開き、男が引きずり出された。
アスファルトに腰を強打した男の視界は開き、そこに表情のないシレーナの姿が。
「うわああっ!」
ロン毛は右手を伸ばし、彼女を制止しようとする。
「わ、わかった。俺が悪かった。だから許してくれよ」
「どうして?」
その言葉に、耳を疑った。
どうしてとは、どういうことだ?
「私もね、あなたと同じ意見なのよ」
「な、なに言ってやがるんだ…」
声が震える。足が震える。その上伸ばした手も震え始めた。
「私もじっくり味わう方なの」
ゆっくりと鉄パイプが振り上げられる。
「や、やめてくれ…」
遂に頭上に鈍く光る凶器。向けられる狂気。
「もう私を止める人はいない。じっくりと嬲り殺せるわね」
「やだ……やだ……」
亜麻色の髪がなびき、口が一瞬緩んだ。
そして――――!
「やめてくれぇーっ!」
相変わらず空気の抜ける音が五月蠅い。
彼女の振り下ろした鉄パイプは、その長い髪の毛のギリギリ手前で止まっていた。
ピタリと気持ち悪いくらい。
鉄パイプの影が顔から離れると
「ふあ~」
情けなく気の抜けた声と共に、こおばしい臭いが周囲に漂う。
「はあ?」
ロン毛は「ママ、ママ」と呟きながら、白目を剥いてしまった。
「気絶したうえに漏らすなんて……」
足元にカランと音を立て、鉄パイプが落下した。
「こんなマザコン、楽しむこっちの気が失せる」
全ての相手を倒した。これで動くものは1人もいない。誰も-多分-死んでないが。
「うっ……」
肩から力を抜いた瞬間、彼女の足元がグラリと揺れる。
貧血でも起こしたように体がふらつき、ボンゴに手を付き体を支えた。
「めまい…ま…っさか!」
その時、貴也の声が聞こえた。
「シレーナ」
自分を呼ぶ声。
振り返った瞬間。
「!!」
◆
貴也は車が突っ込んだ轟音で目を覚ました。
サモエドに手を乗せて起き上がると、そこには伸びた不良たちが。
「なんだよ……これ……」
視線を下から前へ。
鉄柵をなぎ倒したバンの前に、その影はあった。
「シレーナ……あっ」
貴也は足元に、彼女の眼鏡が落ちていることに気づく。
(あの時、投げ捨てられたんだったな)
彼は眼鏡を拾うと、痛む腹部を押さえながら、彼女へと歩みを向けた。
「シレーナ」
彼女を呼んだ。
その体がびくついたのが、確かに見えた。
ゆっくりと振り返った彼女は、名を呼んだ彼を、目を見開きながら迎えた。
様子がおかしい。




