13.「幸運の神様」
「なんだって!? 部屋に入ったのは“リッカー53”本人?」
驚く貴也に、シレーナはゆっくりと頷いた。
「複製不可、ピッキングさえ許さないこの部屋の鍵を突破するには、どうあがいても鍵そのものをを用いるしかないわ。一般的に鍵穴1つに対し、カギは最低でも3本付属する。自分に1本、大家に1本渡しているとなると、残るは1本。でも、大家が進入した可能性は低いし、スペアを郵便受けに隠すなんて馬鹿の骨頂。友人に渡す可能性は極めて薄いし、誰よりも親密な関係だったアナタが鍵を持っていないとなると、残るは親族。でも、肉親や兄弟姉妹もいなくて、彼女と親戚が疎遠となると、この線も消える。となると、この部屋の外に持ち出された鍵は、オリジナルただ1つ。それを彼女が外出してから、駅で命を落とすまでに入手可能な人物で、どんな危険を冒してでもこの部屋に入る必要があった者」
「それで、リッカー53が」
「ええ。恐らくリッカー53は、何らかの方法で、伊倉ユーカが自分の正体を突き止めたことを知った。このままでは警察を嘲笑い、犯行を重ねた自分の身が破滅してしまう。それを恐れた犯人は、彼女から鍵を手に入れると、自殺か事故に見せかけるために、ホームから突き落とし殺害。警察が混乱している中で、私たちより早くアパートに到着し、部屋中を物色した。
無論、ただの推測にすぎないんだけどね」
シレーナの口が止まると
「すごい! 名探偵みたいじゃないか!」
子どものように目を光らせて感心する貴也だったが、冷静になると、おかしな点が見つかった。
「あれ、でもリッカー53はどうやって、この部屋の住所を付きとめたんだ?鍵を手に入れても、それがどこの家の鍵なのか分からなかったら、使いようがないじゃん」
「犯人自身が調べたとしたら?」
「調べるったって、どうやってだよ……そうか! 制服だ! ウチの学校を通じて情報を手に入れれば……でも、そんなことって」
ニヤリと笑ったシレーナは、話しながら彼の横をゆっくりと歩き去った。
「例えば、警察を装って電話をかけたとしたら? 御宅の学園のガーディアン、伊倉ユーカが何らかの事件に巻き込まれ行方不明になった。自宅を捜索したいから住所を教えてくれ、ってね。
ガーディアンの個人情報規制が強くなってきたからって、所詮教師は教師。警察のお仕事に関しては無知どころか、無関心の場合が多い。ガーディアンが事件に巻き込まれた場合、警察は学校じゃなく、教科省に情報請求を行う事を知っている教師の方が、圧倒的に少ないだろうから、学園側は犯人のウソを疑うことなく、簡単に住所を教えたでしょうね」
「もし、ウチの学園にユーカに関しての問い合わせをしてきた電話があったら、そいつが?」
振り向き「そうよ」と言わんよう、シレーナは人差し指で貴也をさした。
「顔を見られるリスクがあるでしょうから、直接、学校に行って問い合わせた可能性は低いでしょうね」
これで一歩前進。と言いたいところだが、問題は、彼女が自殺ではない証拠を探さなければならない事だった。
今のところ、遺書の類は見つかっていない。
「しかし、犯人は何を探っていたのかしら? ……ん?」
彼女の目は先ほど指摘した、あの棚に。だが、視線の先にあったのは置物ではなく、その下に置かれた3つの瓶だった。
琥珀色の直方体、水色の楕円、白の三角錐。色とりどりのそれは、太陽光に輝いて美しい。
その瓶に、半ば濁った視線を送るシレーナ。
(まさか、これって……)
彼女はスマートフォンを取り出すと、瓶の写真を撮った。
更に彼女は、部屋の隅に置かれたテレビへと近づく。
1人暮らしにしては大きいし、録画用のハードディスクは、最近発売された日本製の新製品だ。
「テレビつけるわよ」
貴也に断りの一言を入れ、テーブル上のリモコンを手に取った。
録画履歴を見てみると……。
「ん?」
そこには5件の録画予約が入っていた。最も先の予約で4日後の深夜1時。レイトテレビショーという古今東西の映画を流す番組である。
それ以外にも生放送の音楽番組や、週末に放送されるアニメの予約も入っている。
「古い方の“キャリー”か。観る前に、自分が全身血まみれになっちゃっうなんてね……でも」
シレーナに、誰しもが抱く素朴な疑問が生まれた。
自殺しようとしている人間が、こんなに録画予約を残して死ぬだろうか。
一方の貴也は、隣の部屋に。彼女の勉強スペースらしく、本棚と勉強机、私服や下着をしまうためのチェストなどが置かれ、壁には美しい海岸の景色が描かれたポスターが貼られている。
勉強机の足元に近づいた時
「ん?」
足元に画鋲が5つ、散らばっていた。
「はがれたポスター……なんてないよね」
踏まないように足元を確認しながら、机に近づくと、ますます怪しい。
机に並べられた教科書やノート。どれも乱雑に並べられ、前へ上へ角がはみ出している。どれもページがぐしゃぐしゃになり、折れていたり破けているものもある。
引き出しも先ほどよりひどく漁られている。
「画鋲が溢れてる」
透明なケースが引き出しの中でひっくり返り、まるでまきびしの如く、開けた者を拒んでいた。しかし、持ち主の手を噛む引き出しなど、この世にありはしない。これも侵入者の仕業だろう。
「あ」
貴也が声を上げた。引き出しから、スペアキーが出てきたのだ。やはり、シレーナの読みは当たっていた。
更に引き出しを見ていくと、不思議な光景が広がっていた。
中に入っている印鑑や保険証、お札数枚の入った巾着には手が出されていなかったのに、通帳は確実に見られた形跡があった。ページの端々が折られていたからだ。
私服の入ったチェストも、無論ひっくり返されていた。それも一着一着広げながら。
「どういうことだ?お金や印鑑に手を付けていないなんて……犯人は何を探していたんだ?」
貴也はシレーナを呼び、部屋を見せた。
彼女もまた、自分が観た録画予約の件を話す。
「自殺しようとしている人が、生放送や映画を録画するなんて、自殺者の心理って側面から見ると、あまり起こりえないイベントだと思うわ。となると伊倉ユーカに、自ら命を絶つ意志も願望も薄いと見る方がいいのかもしれない」
「これで自殺の線はなくなったわけだ。やっぱりユーカは殺されたんだ!」
語気を強めながら吐き捨てた彼の横で、シレーナはノートを1冊取り出して、パラパラとめくる。
「ノートに通帳……犯人はなんらかの書類、ないしは手帳の類を探していたのは確かね」
「肝心なのは、そこに何が書いてあることかだけど。まさか、遺書……な訳ないよな」
勉強机にノート、通帳、教科書を並べ、暫く俯瞰していたが
「もしかしたら、そこに“リッカー53”の正体を指し示す何かが記されていた!?」
お互いの体に電気が走る。それがユーカの部屋から出てくれば、この事件のみならず、一連の事件すら一気呵成に解決することも夢じゃない。
しかし、現実はそうじゃなかった。
「でも、ここまでひっくり返しても無いってことは」
「元々、そんなものはなかったか、あるいは出かける前に全て処分したか」
それを聞いて、貴也は青ざめた。
「処分?」
「私たちが到着した時に、清掃車がゴミを収集してたでしょ。恐らくあの中に……」
「すぐに連絡して、ゴミの焼却をストップさせよう!」
慌てたように早口で言う彼に、シレーナは言い放った
「無駄よ。どうせ今頃は処理センターに……」
そう言いながら開けて振る手を、突然貴也が掴んだ。
真っ直ぐな目で、彼女を見る。
「やる前から、あきらめちゃだめだよ。シレーナ」
「え?」
「幸運の神様は、頑張った人に、あきらめなかった人にだけ微笑むんだ。例えそれが茨のように痛く、山登りのように苦しくても。そして、それを乗り越えた人にご褒美を与えてくれる。
だから、望み薄なんて言うのはNGだよ。もしかしたら、紙の一片でも見つかるかもしれないよ」
突然のことにキョトンとするシレーナ。
「ま、まあ、これは俺の母の受け売りなんだけどな。ハハハ」
すぐに笑いで隠しながら頭を掻く貴也。
彼女は「分かった」と言い、念のためにと、全ての部屋の捜索を貴也に命じて、ベランダへ出た。
スマホをタップし、ハフシを呼び出す。
「私よ。シティの清掃局に連絡して。大至急、停めてほしい清掃車があるの…そう……今日、ダーダネス・バローダ地区を巡回した清掃車…車両番号37、ナンバーはGRA43-D55371…この車が回収したゴミの中に重要な証拠が混入している可能性が高いの……よろしく」
通話を終えると、彼女は晴天の空を見上げた。
そして、貴也の言葉を思い出す。
「幸運の神様は、頑張った人にだけ微笑む、か」
重みのある呟き。そしてこう言い放った。
「だったら、どうして私にご褒美はないの? あれだけ頑張ったのに。あの痛みを乗り越えたのに。
この“眼”だって、まだ“見える”のに……」
そう言いながら眼鏡を外した。その裸眼は悲壮に漂いながら、同じ青を臨んでいる。何もない澄んだ群青。
訴えるような声に、空は静寂を決め込んでおり、瞳に映る光景すら“全く変化はない”
「ほら、何も答えない。何もくれない。何も助けてくれない。
結局のところ、そんなものいないんだよ。
・・・フフフッ。早く、殺したいなぁ。みんなが大、大、だぁ~い好きな神様をさぁ」




