74 「穴」
私立十文字館学園は、いつもと同じ期間が過ぎていた。
誰もが小さい個々に固まって、その世界に興じる。
だが、貴也は乗り気じゃない。
空いた穴が気になって――。
◆
グランツシティを震撼させた児童連続暴行事件と、同一犯によって起こされた連続殺人事件の解決から4日。逃走手段となった救急車を得るために殺した、もう一人の隊員が造成地近くの用水路から発見されたことによって、事件は幕を下ろした。
犠牲になった児童や地井を含め、18名の重軽傷者、そして14名の死者を出して――。
これは、近年のグランツシティにおいて、類を見ない最悪規模の殺人事件である。
犯人であるジョナサンとエマの兄弟は、逃走中の事故による火災で焼死。犯人死亡のまま書類送検という形で、今回もシレーナの犯行は隠された。
だが、2区画8棟の建物と57台の車両を灰にし、13時間経って消し止められた火災が起きたのは紛れもない事実であるし、嘘を引き立たせるには十分すぎる被害だ。
食品倉庫での一件は、まったくの別件として処理。
未成年であることから実名報道は伏せられた。
これだけの事態を引き起こした責任を、と兄弟の氏名公表を叫ぶ世論の声は大きい。だが、ジョナサンがかつて“奇跡の少年”と呼ばれた生還事件の被害者であったため、実名はすぐにワイドショーを通じて大々的に報じられるに至り、警察庁も正式に身元を公表。
ただし、共犯のエマに関しては、下記の嬰児遺棄事件のこともあり、今現在も警察は身元を明かしてはいない。
その一方で、“奇跡”の裏で虐待事件があったこと、殺害現場に被害者を食べた形跡があること、大手企業経営者が自らの子供に日常的に暴行を行っていたことなどが、週刊誌やネットニュースの美味しいネタになると、人々は偽善な正義の言葉より、娯楽なゲスの勘繰りにむしゃぶりついた。
今でも、あることないことが、処理されていない下水のように強烈な臭いを放ちながら、垂れ流されている。
グランツシティのツイッターは、さながら産業革命期のテムズ川状態だ。
同時に、ゼアミ区の嬰児死体遺棄事件も被疑者死亡のまま、書類送検となった。
直近のDNA鑑定によって判明した南区での嬰児遺棄事件も、エマの犯行であることが判明し、同日書類送検となった。
2人に拘束され、爆殺されかけた地井春名は、軽い脳震盪を起こしてはいたものの、彼女の容体は比較的安定していた。
救出から4時間後には目を覚まし、意識の混濁などの後遺症も皆無。全治2週間と診断された。
今は、探偵業を休み、目下、ラルーク綜合病院で療養中。
スイート・クロウのメイドたちや、ハフシらも見舞いに行ってるらしい。
◆
そして、貴也の今の問題はシレーナだ。
事件解決から今に至るまで、彼はシレーナの姿を見ていない。
学校にも姿を見せず― 学校側には風邪と伝えているそうだが―ラインはおろか、電話にも応答がない。
それはエルをはじめ、Ⅿ班全員も同じらしい。
そんな中で、彼は、まさか…と考えてしまう。
以前に彼女が肯定した「人殺し」
アナスタシアの言った「殺人に特化した瞳と、抑えきれない殺人衝動」
シレーナを構成するであろう、“それ”が彼女が姿を見せない理由なのだろうか。
幾重にも走った亀裂が艶やかにも不気味で、妖しくも美しい瞳。
授業中でも、彼の視線は黒板ではなく、ぽっかりと空いた、その机にのみ向かっているのだった。
◆
時間は虚無の中では、脱兎のごとく過ぎていくらしい。
そうこうしているうちに、放課後となった。
教室から出ていく少女たちを、呆然と見る貴也。
そこに、彼女の姿はいないはずなのに…。
だが、ガーディアンがいなくなって以降、丈の短いスカートの女子が増えたのは確実に感じていた。
寒くないのか。どこに可愛さを感じるのか。犯罪に巻き込まれるかもしれないことを考えたことがあるのか。
言ったところで、もう、彼には何の権力はない。
「さ、帰るか」
立ち上がったその時、窓の外から聞いたことのあるサウンドが漏れてきた。
疑惑を感じ、彼が早足でそこに向かうと、眼下の路地を、やはり走り去る。
ウィーズマン GT。
「アナスタシアさん? ……まさか!」
その瞬間、彼の中で、この車の主の言葉がよみがえる。
車は、どうやら、この学校の地下駐車場に向かっているみたいだ。この路地は、地下駐車場方向への一方通行だから。
もしかしたら、シレーナのことが聞けるかもしれない!
「おい、貴也。一緒にバーガーでも、食いに行こうぜ!」
「悪い。ちょっと用事があるから、先に帰ってくれっ!」
親友の誘いも断って、カバンを引き下げ、下へ下へ、とにかく下を目指して走っていく――。
気づけば、地下駐車場。
教職員の車や、部活遠征用のマイクロバスに混じって、あのウィーズマンが停まっていた。
「やっぱり…十文字館に…」
荒い息を整えながら、彼は恐る恐る車に近づいた。
そこに、答えがあると確信して。
一歩
また、一歩
「タカヤ」
聞き覚えのある声なのに、体をびくつかせ、瞬時に振り返る。
そこに、仁王立ちになったアナスタシアがいるだけなのに。
彼女はただ、赤いスーツに身を包んで、不機嫌そうな顔を浮かべるだけなのに――。




