67 「湾岸線」
PM9:46
東区
新都市高速グランツ線 英欧橋インター付近下り線
誰もいない輪の中で、白色の魔物たちは依然と追いかけっこをしている。
強奪された救急車の後ろに、ぴったりとアイアン・ナースがくらいつく。
電気とアニメの街、英欧橋を抜けると、もう間もなく、2台はイースト・ランプに差し掛かる。
環状道であるグランツ線は、グランツ港沿岸を取り囲むように走るハイウェイ、湾岸線と合流する。実はグランツ線は、既存であった湾岸線との接続を前提に作られたため、このイースト・ランプより道路は暫くの間、2つの路線が混合する形で南に続いていく。
「一体、2人はどこへ向かってるんだ」
ハフシの疑問は、警察関係者、しいては読者の疑問だろう。
これだけの包囲網の中、彼らは目的があって救急車を奪ったのだから。
「やみくもってこと、ないッスよね?」
「わざわざ救急車を奪ったのは、検問をノーマークですり抜けるため。そこから見ても、彼らは目的があって逃避行を続けてる。でも、その場所が分からない。
2人の目指すのはどこ…」
その時、無線が鳴った。
――メルビンより各移動へ。
「ハフシ」
――科捜研が、爆破された家屋から回収した書類から、気になるものを発見しました。
「手短に」
――長距離フェリーの運航表です。載ってる便を、捜査本部で片端から調べた結果、乗船予約者と連絡が取れない便が2つヒットしました。
恐らくジョナサンとエマは、車や列車ではなく、船で逃走を図るんじゃないかと。
「そのフェリーは?」
メルビンが答えた。
――1つは10時19分に6号埠頭から出る、桜綿杜南港行の「ポントス5世」で、こちらは貨物と旅客兼用の商船です。現在2組3名と連絡が取れてません。
「もうひとつは?」
――10時35分に18号埠頭から出る、エポラール港行の「オケアノス」です。グランツ港を出る最終の旅客船で、1組2名と連絡が取れてないとのことです。
直感した。
「先輩!」
「ああ。可能性があるとすれば、後者。全ての始まりとなった、エポラールシティへ向かうカーフェリー」
「でも、警察が包囲しているのに、わざわざ目的地に向かいますかね?」
「いや。向かわないさ。2人にとって、その地名は単なる象徴」
「じゃあ…」
「シージャックだよ。何度か目にしたことはあるけど、オケアノス号は大型船だ。あの大きさと想定される満タンの燃料なら、公海ぐらいまではギリギリ脱出できるはずさ。
2人はフェリーを乗っ取り、乗員乗客を人質に国外に逃亡するつもりだろうよ。
恐らく、船の燃料と人質の生命が果てるところまで」
ノイズが車内に響く。
無線から、本能的に背筋を凍らせる、冷たい声。
――スマイルより各移動。セメテリーポイントを16号埠頭に設定。M班は引き続き連中を追い込み、それ以外の車両は周辺道路を至急封鎖せよ。以上。
「16号埠頭?」
「あの辺りは運輸会社とか倉庫なんかが集中している場所ッスね」
「確かに、この時間なら人はあまりいないな」
――ハフシ。
呼ばれて無線を取る。
「どうした?」
――今、奴はどこだ?
「イーストランプだ…今、港区方向に入った」
――埠頭に近いインターで、何としてでも降ろせ。殺さない程度になら、ぶつけても構わない。
「了解」
無線を終え、ハフシは呟きながらハンドルを握った。
「難しい注文を」
車は巨大なループをくぐって、別の道路に合流していく。
高速道路は光り輝くグランツ湾に沿って、走る。
既に道路は封鎖され、市警のパトカーがアイアンナース後方、湾岸線から追随。
甲高いサイレンが重複し、ただ1つ、その相手を追い込む。
片側三車線の巨大なサーキット。
「先輩!」
サンドラが叫んだ!
ハフシの視界、左側からライトアップされた銀色の吊り橋が見えてきた。
まるで戦艦のような風貌のそれは「ヴォワ・ラクテ」。天の川の別名を持つ、人工島と本土とを結ぶ湾岸新1号線の大橋梁である。
こちらへ向かえば、道路は現在再開発真っ只中の29号埋立地に。
しかし、セメテリーポイントへ向かう高速出口は、分岐点の手前にある。
つまり…処刑ポイントへ近づいた証拠。
その時、一台のパトカーが救急車に迫る。
相手を押しやり、強引に出口へと降ろそうとしているのか。
「やめろ! そいつに近づくなぁ!」
ハフシの叫びは無駄だった。
後部ドアが再び開くと、背後についたばかりのパトカーが大きくのけ反った!
立ち上がった架台が救急車から飛び出し、パトカーの前方部を破壊したのだ!
恐らく、乗ってる警官は即死したのだろう。車は中央分離帯に激突。
浮遊した車体が、反対車線に落下し、複数台の車が巻き添えを食らう。
トレーラーがパトカーの残骸を押しつぶして停止。そこに別のトラックが1台、また1台。
阿鼻叫喚の現場を後に、彼らは進むが、正義感からか、さらにパトカーが救急車に近づいた。
「クソッ!」
またしても警官が犠牲になる瞬間を、手をこまねいて見てろと言うのか!
ハフシが下唇を噛む。
しかし、後部に乗ってるエマは、必死に何か棒状のものでドアを閉めてしまった。
彼女はてっきり、この救急車に乗っていたはずの、もう1人の隊員の遺体を放り投げるのかと思っていたが、そうではなかった。
仮に、殺した隊員の遺体をどこかに遺棄したとしても、彼らはトカレフで武装している。それをパトカーに向けて撃てばいい。
「使えないんだ」
「えっ!?」
ハフシの呟きに、サンドラが応える?
「2人は持ってる拳銃を使えないんだ。もし弾を撃ち尽くせば、いざという時に反撃できない。それに頭の回る彼らだ、さっきの銃撃戦で、この車が完全防弾なのを理解したんだろう」
「つまり、撃っても無駄…と?」
「そうなれば、彼らは否が応でも車を飛ばし、ボクたちを撒こうとする気だ」
「どうするんですか?」
ハフシは笑った。
「その気にさせるだけさ。追いかけっこは、もう御仕舞だ!」
アクセル全開。
アイアンナースは救急車の横を走り抜けた。
だが、先刻のようなアクションはない。
救急車は、先ほど迫ったパトカーに、体当たりせんと執拗に車線変更を繰り返す。
16号埠頭インター出口 5キロ。
標識が通り過ぎ、道路がゼブラゾーンを経て、2つに分岐する。
ブレーキ!
巨大な体が、横滑りしながら三車線の道路を塞ぐのを見るや、救急車が左右に混乱しながら、ゼブラゾーンを踏み、高速から離脱。
誘導になんとか成功した。
その後を追って、パトカーが、そして遅れてパッシングしながらイエローフラッグが通り過ぎる。
「なんとか降ろせましたね」
「そうだな…ボク達の出番はこれまでだ。後は、群青の瞳に幸運を」
エンジンの唸り声だけが響く高速道路に、彼女らはひとりぼっち。
ようやく終えた狂気の一場面に、誰よりも先に安堵する。
ハンドルから手を放し見上げる空。
微かに流れる雲が黄色い月を隠していた。




