12.「鍵、キー、KEY」
伊倉ユーカの住まいはダーダネス・バローダ地区の一角にある、黄色い5階建ての集合住宅。外観は貫禄或る様相だが、中はリフォームをしたらしく、近代的なマンションと何ら変わりない。
だが、エレベータがないのは想定の範囲内。階段で3階まで上がる。
大家のスペアキーで伊倉ユーカの部屋に足を踏み入れる2人。複製不可の防犯キーが回ると、重厚な扉が開かれる。
「結構広いな」
貴也が驚くのも無理はない。
モダンな2DK。女子、いや学生1人が寮代わりに住むには少し広そうだ。
「この家は、靴を脱ぐタイプなのね」
革靴を脱いだシレーナの紺色ソックスが、フローリングの床にゆっくりと舞い降りる。
室内は整理されており、明るい色のテーブルやベッド、カーペットが配置され、カーテンは水玉。部屋中にぬいぐるみや観葉植物など、ザ・女子といった感じのものが飾られている。
「これが女の子の部屋ってもんなのか……」
興味津々で部屋を見回す貴也に、シレーナは咳を1つ。
「遊びに来たんじゃないのよ」
「分かってるよ。最優先は彼女が自殺ではないという証拠を見つける」
「だったら、手を動かしなさい」
「へいへい」
ふざけた返事を飛ばしながら、貴也は白い手袋をポケットから取り出した。既にシレーナは手袋をはめ、クローゼットに手をかけていた。
遅れて大介も、別の棚の引き出しを開けてみた。
部屋の清潔さとは打って変わって、書類やチラシが乱雑に仕舞われている。否、というより、まとめられていたものを撹拌したように。
底の書類は折り目がついてぐしゃぐしゃなのに、上に置かれた弁当やピザ出前のチラシは重なったまま無傷だ。
どの棚の引き出しを開けても、そんな感じだ。
「誰か先客がいたようね」
そう声を上げたのはシレーナだった。
振り返ると、シレーナは顎をクイッと動かし、「こっちに来て」と合図。
彼女の前には木製の5段チェスト。その上にはインテリア用の棚が置かれ、色々な小物が飾られていた。覆うものがないからか、上の段は埃をかぶっている。
「これをみて」
彼女が指さしたのは棚の2段目。
「これが、どうしたよ?」
貴也が覗いたが、別段変わったところはない。右に大聖堂。その左側に門と市電の置物が並行して置かれている。
何の変哲もない。
「これだけで、どうして先客だって言えるんだ?」
「置物の埃を見て。長いこと置かれているハズなのに、置物の形と、周りの埃の跡が全く合わないじゃない?」
言われてみれば確かにそうだ。聖堂の下には市電のモノと類似した楕円形の埃の後、そして、門にはこれに垂直の形で埃がたまっていた。
「もしかしたら、この3つは元々、こう置かれていたんじゃないかしら?」
シレーナはそう言いながら、置物の配置を変えてみた。聖堂の場所を置き換え、門と市電を並行ではなく少し斜めに設置した。
ピタリ一致。
「誰かがぶつかって、そのはずみで置物が落ちたのね。そして慌ててさっきの場所に、この3つを置いた。そんなところかしらね」
「気分転換に置き換えたんじゃないか?」
「それならば、埃を拭いてから置き換えるんじゃない? 部屋の様子からして、彼女、ずぼらな性格じゃなかったみたいだし」
貴也は続ける。
「じゃあ、出かける前に落としたとか」
「あり得る話ね。でも、荒らされた引き出しに、ぐしゃぐしゃになったクローゼットのコート、整理されたように見せかけて、引きはがされたベッドのシーツが掛布団で隠されている。
この棚の下のチェストだって」
そう言って引き出しを見ると、中身はグチャグチャだ。まるで絵具を混ぜたパレットのように。
「これだけの状況から推測できるのは―――」
「誰かが部屋に入って、物色していったということか?」
「大家さんに聞いてみますか。何か見てるかもしれない」
◆
シレーナは管理人室へ戻り、大家に聞いてみた。
「私たちより前に、この部屋を訪ねた人はいましたか?」
大家であり管理人の初老の男性は、首を横に振った。
「いいえ。それどころか、伊倉さんが亡くなったことすら、さっき初めて知ったんですから。
はあ……まだ若いのに……」
その落胆の具合から、この大家の言う事は本当であることは分かった。
(だとすると、あの部屋は……)
そこで今度は
「では、このアパートの住人ではない人が、出入りしたということは」
「あるとは思うけど……ここ、他にも大学生が3人住んでいるもんだから、そう言う事はしょっちゅうだよ。私自身、ずっとここにいるわけじゃないからさ。食事やら何やらで、この部屋を外すこともあるしねぇ」
管理人室は入り口に近い場所にあるが、古い建物だからだろう、防犯カメラの類は一切ない。各部屋の郵便受けに「青少年に有害なチラシ お断り」のステッカーが貼られているのがせいぜいだ。
つまり、誰でも出入り可能という訳だ。
「なんて、ずぼらなセキュリティよ……彼女が防犯鍵を取り付けたのも、納得ね」
呆れた独り言は、幸いにも大家には聞こえなかったようだ。
だが現実に、誰かが伊倉の部屋に入っている。もし工具類を持ち出してるのなら、ドアの鍵が開けっ放しになっているか、鍵穴が破壊されているかして、その痕跡が残されているはずだが、大家に部屋を開けてもらったとき、そのような異変は見受けられなかった。第一に、相手は防犯キーだ。並みの空き巣でも開けることなどできるはずがない。
だとしたら、ベランダか?
シレーナは部屋に戻ると、カーテンと扉を開け、ベランダに出た。
眼下は小さな月極駐車場。あまり利用されていないらしく、車は2台しかいない。周囲は同じような家屋に囲まれている。
あの駐車場に車を横付けして、そこからロープなりを用いて……と考えたが、そんなことを白昼にすること自体リスクが高いのではないかと、シレーナは自分の推理を払拭した。
それに、ベランダの窓にはピッキングといった、侵入のためにいじくられた形跡がない。
だとすれば、考えられる可能性は1つ。
「まさか、鍵を使って?」
だが、この部屋のキーは複製不可能だったはず。防犯意識があった彼女が、ドアの周囲にもう1つ鍵を隠すなんてこと、しないだろう。
だとすれば、ダイレクトに鍵を開けることになるが、鍵を持っていて且つ彼女と親密な関係の人間。恋人である貴也は、このアパートへの接近そのものを拒否しているため論外。大家が密かに侵入し、窃盗ないしは自らの性的欲求を満たしていた……なんて想像もできるが、それにしては痕跡を残すなど大雑把すぎる。彼女の親友が鍵を可能性も限りなく低い。
となると、一番無難な線だけが残る。
「どうした、シレーナ」
「タカヤ。彼女に親族は?」
「遠い親戚が数人いるらしい。疎遠になってるって、いつか言ってたよ」
「そう……」
だとすると、答えは1つ……。




