63 「強奪」
PM8:24
西区3丁目 分譲住宅地「エポワール・ウェスト」
つい最近から販売を開始した新興住宅街。初々しくも外見が同一の建物が、広大な空き地の至る所に点在し、ビニールが被された建設中の住宅も見て伺える。
昼間は住人の自家用車より、建設車両の出入りが激しいのだが、夜ともなれば何とも静かだ。
そんな静寂を、サイレンが孤独に通り過ぎる。
白い車体に赤いラインを纏った救急車が1台、とある住宅の前で停車した。
救急隊員2人が外でパニックになっていた少女に話しかけた。
「通報者の方ですね?」
「助けてください! 弟が…!」
扉を開けて中に入ると、廊下には嘔吐物が点々と続き、その終点― トイレには便器に向かってえずいている小さな背中。
「夕ご飯を食べていたら突然お腹が痛くなりだしたんです! どんどん体調が悪くなって……」
姉と思しき少女の言葉から、隊員はノロウィルスを疑った。
だとすれば、早急に搬送が必要だ。
「お父さんかお母さんは?」
「お仕事でいないんです…私…わたし…」
そう言うと、少女はその場に大声で泣き崩れた。
一刻争う事態だ。2人に冷静な状態を維持させることも困難。
隊員は、少年の搬送を最優先とすることを決めた。
ノロウィルスの時と同じ対応で、少年をトイレから運び出した後、架台に横たわらせて車内に。一方、少女の方も空気感染の疑いがあるため、一緒に病院へと搬送する。
車に乗り込むと1人がテキパキと、搬送する病院を手配した。
あらゆる感染症の患者に対応できる、アラヤド区のグランツ・ホスピタル第三分棟が選ばれ、病院も受け入れを承諾した。
もう1人は、泣きじゃくる少女の傍で
「お父さんかお母さんの電話番号、わかるかな?」
しかし、ウソ泣きで気を引き付けられた隊員の背後に、血を十二分に纏った包丁を手にした重症者…だった者がゆっくりと目を開けて彼らを睨みつけていることに、誰も気づかず――。
◆
PM9:11
ゼアミ分署 特別捜査本部
本部は相変わらず人が出入りし、情報が電話や言伝でもたらされる。
最早、シティ全域が総動員され、2人の行方を追いかけていた。
イナミにも焦燥の色が、顔に滲み出る。
「まだ見つけられないのか、これだけのアミを張っているってのに」
「ええ。市外につながる鉄道も監視していますし、各検問でも不審な車は片端から止めています。それでも見つからないとなると、既に市外に逃げている可能性が……」
大江警部が弱腰の姿勢を、彼に見せつける。
「いや、2人は間違いなく市内にいる。そして、逃げるチャンスをうかがっているに違いない」
「それは、刑事の勘ってやつですか?」
大江が聞くと、イナミは言った。
「そうです。ですが、私ではありません。もっと感の強い…いや、経験則が勘を上回ってる、群青の捜査官の勘ですよ」
その時、対策本部の電話を取っていたエミリアが叫んだ。
「2人が動いたわ!」
「えっ!?」
その言葉に、どっと捜査官が少女の元に、詰め寄った。
電話の相手は、西分署の捜査員。
情報提供の相手は意外や意外、何と消防だった。
話によると、西区第二消防署から緊急出動した救急車1台が、ノロウィルスの疑いのある患者を、アラヤド区にある病院に搬送中、消息を絶ち、一向に病院に到着していないというのだ。
患者が何かしらかの感染症に感染している危険から、直ちに捜索を始めたが、無線もGPSも沈黙。すぐさま警察に通報。
不審に思った西分署が、救急車を呼んだ家に向かうと、住人の若い夫婦が惨殺死体で発見されたのだ。妻の方は損壊が激しく、遺体に咀嚼の痕跡すら見受けられるとのこと。
更に、ノロウィルスに見せかけるためか、夕食をミキサーで混ぜ込んだ偽物の嘔吐物が、リビングからトイレにかけての範囲にぶちまけられていた。
西分署は、犯行の手口などから、手配中の2人が脱出を図るため、偽の通報で救急車を呼びだしたのではないかと感じ、対策本部に一報を入れたのだった。
「救急車が消息を絶った場所と時間は?」
エルが聞くと、エミリアは答えた。
「今から10分前、場所は西区5丁目の市道22号線上。GPSの履歴によると、東に走りながら沈黙したそうよ」
「22号は、アラヤド区に入ると家裁通りに名前を変え、繁華街を突っ切ります」とメルビン
「となると、もうアラヤド区に入っていると考えた方がいいな。その救急車のナンバーは?」
エミリアは再度、受話器を耳に当て、口を動かしながら素早くメモを取る。
「GRA87…H…83175。識別番号…W05。車種は日本車……了解!」
間髪入れず、大江警部はその場にいた捜査員に叫んだ。
「大至急、この救急車を手配! 発見次第、すぐに停止させるんだ!」
室内に緊張と、一層の喧騒が駆け抜けていく。
その中でも、大江警部の声は図太く、よく通る。
「家裁通りに展開中のパトカーか検問は?」
「アラヤド駅北側を走行中の移動は2台!」と清水刑事
直後に、同じくゼアミ署刑事課の梶田刑事が叫ぶ。
「家裁付近でアラヤド署が検問敷いてます!」
「すぐに連絡入れろ! すぐに!」
「了解!」




