61 「セイソウ ~御嬢様~」
煉瓦の壁が延々と続く一本道の廊下。
春先冷たいコンクリートを、革靴が噛みしめていた。
亜麻色の髪を揺らし、その少女― シレーナ。コルデーは。
オーバルフレームの眼鏡を、ブレザーの胸ポケットに仕舞いながら、彼女の歩みは突き当りの扉まで続いた。
人の気配!
シレーナは歩みを止めた。
扉の前に誰かがいる。
「エラリー」
頭の大きな白いリボンで、それが誰か理解できた。
メイドカフェ「スイート・クロウ」の若きメイド長 エラリー。
そう、ここは彼女の店の地下…つまりは、シレーナ達M班の箱庭の傍、という事にもなる。
「また、向かわれるのですね…血のある方へ」
そう、ロングメイドの女性は声をかけた。
心配そうに、寂しげな表情を浮かべて。
シレーナは前を向いたまま答える。
「それしか、ワタシが生きる場所はないから」
「アナスタシア様から話は聞いています。今回は御嬢様が暴走するかもしれないと――」
「そうだな。確かにワタシは、会ったこともない相手に、シンパシーにも似た匂いを感じてるのかもしれない。同族、って言い方でも過言じゃない匂い。
でも、奴はワタシとは違う。それだけは断言できる。
だから、暴走なんてしない。するかもしれないとしたら、そう…アイツらがまた、ワタシの前に現れた時、かもな」
「違うと断定できる理由って、一体…」
エラリーが聞くと、彼女は言った。
「奴は奪い過ぎている、そして、そのことを認識できていない。大きな違いは、そこですよ」
「御嬢様…」
「だから、ワタシは行くの。
従われたからじゃない。“音もなく訪れるため”に」
それが何を意味するのか、英国生まれの彼女には理解できた。
シレーナの心理と共に。
「お着替えは?」
「いらない。あの服を着るときは、再び彼らと対峙するとき。そう、決めてるから…」
「かしこまりました」
ゆっくりとエラリーが頭を下げると同時に、横の大きな扉がスライドしていく。
開いた漆黒の口へ、シレーナは吸い込まれるように進む。
「ありがとう、エラリー。いつもゴメン…」
「行ってらっしゃいませ…――御嬢様」
その悲しげな表情のメイドを、氷のような眼をした主人を、互いに見ずにすれ違うだけ――。
◆
白い無地の磁気ストライプカードが、匣体をスラッシュ。
動脈、声帯認識を素早く済ませ、彼女は叫ぶ。
「制限解除!」
乱雑に置かれた部屋を埋め尽くすロッカー。その扉が一斉に開かれ、数々の武器弾薬が少女の前に姿を見せる。
迷うことなくシレーナが真っ先に手に取ったのは愛銃、クーナン 357マグナムオート モデルS。
鈍い光を放つ銀の銃身を、官能的に瞳で撫でまわし、実弾を装填。
左手で持ち上げたそれを、ブレザーの下に隠したホルスターに仕舞うと、今度は別のロッカー。
手に取ったのはハンドガン。小さなリボルバータイプのそれは、黒い銃身に照明を反射させ妖艶に光る。
チーフスペシャルの俗称を持つ、小型リボルバーの代名詞、S&W M60。
銃弾を一発ずつ、シリンダーに込めると、ゆっくり銃身に仕舞い、それをクーナンを仕舞った反対側 ―右腰、ベルトとスカートの間に挟み込む。
次いで、そこから離れた古びたコインロッカー。
中には様々な長さ、材質、大きさのナイフが、区切られた室内に2本から3本、スタンドに置かれた状態で主人に選ばれるのを待っている。
シレーナが取り出したのは、持ち手が黒いプラスチック材質の小型ダガーナイフ。
それを、ケース付きの専用ベルトに仕舞うと、スカートをバッとたくし上げ、下着の上からベルトを巻き付ける。
丁度お尻に、ナイフケースが来るよう。
再びスカートがおろされた時、そこにいるのは学生に擬態した魔女、そのものだった。
「さあ、行こうか」
◆
地下から、エレベーターでゆっくりと登ってくる紅い悪魔。
テールライト。その車の伝統たる赤い「R」が輝く。
地上に姿を現し、扉が開かれる。
沈みきった闇を閃光が切り裂くと、飢えた野獣のようにエンジンが唸りながら、Rは姿を現す。
スカイライン GT-R KPGC110……“レッドキャップ”。
タイヤはゆっくりと、赤レンガ倉庫を闊歩して停止。
運転席から降りたシレーナは、スマートフォンを耳に当てる。
「スマイルよりテミス。セイソウ準備完了、指示を」
――こちらテミス。対象者は2名。
1人はジョナサン・バイン。アンジェ中等学園2年。連続児童暴行殺人事件主犯、及びトンプソン一家惨殺を含む、4件の関連殺人容疑と1件の殺人未遂容疑を確認。1859を以て、対象をナンバー1655として登録。
もう1名は、エマ・ルイーザ。市立北高等学園1年。連続児童暴行殺人事件共犯、及びゼアミ区内においての嬰児殺人遺棄容疑、警察関係者監禁容疑を確認。同じく1859を以て、対象をナンバー1656として登録した。
尚、現在この2名は消息不明であり、現在市警が総力を挙げて捜索中である。
「了解。まだ見つかってないとはね…」
――セメテリーポイントは、どうする?
「まだ指定はしない。2人が発見され次第、状況に応じて決める。第三者を巻き込むのは、どちらもリスクが大きすぎるからな。
報道管制、コード07を施行できるよう準備を。それと、市内の各検問地点に、交通規制の即時施行ができるよう指示を出してくれ」
――07…報道ヘリ飛行禁止、か。
「相手が乗り物を強奪した場合、殺せるものも殺しにくくなるからな。前回のように、施設におびき出すような、派手なこともできないし」
――分かった。広報課は渋るだろうが、何とか手配はしよう。後は、お前の腕次第だ、スマイル。
相手の言葉に、シレーナは失笑した。
「誰に向かって言ってるの? 相手が誰であろうと、その命火を燃えがらの一片まで絶つ。それが“ワタシ”なんだから」
電話を切り、群青の少女は呟く。
星のない夜空を仰いで。小さく。
「これ以上、命を奪う事は許さない。そこに、どんな理由があろうとも…」
どっちのシレーナが言った言葉か分からぬままに……




