11「サモエド車中談」
午前10時44分
ダーダネスト・バローダ地区
グランツシティ中心部からやや北東に広がる、シティでも旧市街の部類に入る住宅地である。5年程前から区画整理が始まっているものの、いまだに迷路のような小路と洋風の古い民家が広がっている。
煉瓦造りのビルに、木製のドア。通りに面する鉄製ベランダには草花が飾られる。この趣ある風景に花を添える石畳を一台の小型車が走リ抜けた。
真っ白なボディ、側面には犬の肉球をあしらった、オレンジ色の小さなデザインが。シレーナが「サモエド」と呼んだ地井の愛車。スズキ ハスラーだ。その証拠に側面に塗られたオレンジのラインの中に、小さく「Samoyed」のロゴ。
「次の角を左に曲がって……3つ先を右に。その先にある黄色い建物が、彼女のアパートだよ」
「分かった」
助手席で貴也が指示を出すと、その通りにシレーナがハンドルを切る。
大きな国道から外れた途端、どんどん道幅が狭くなっていく。
「早くユーカの事件を証明しないと、動くものも動けないぜ」
「その点に関してはご心配なく。ハフシ達に水面下でゆっくりと動いてもらうよう、さっきチイに言伝頼んだから」
「そうだったのか……。
ん?ところで、ハフシさん達はどこに行ったんだい?お店に入ってから、姿が見えなかったけど」
「……ココを右ね」
シレーナは貴也の質問には答えず。黙々とハンドルを切り替える。
車は先程と比べて、比較的大きな石畳の道路に出た。しかし車一台が通るのがやっとみたいで
「収集車とは、運が悪いわ」
「こんな時間に?」
「ダーダネスト・バローダ地区は、知っての通り小路の多い地区。グランツシティのなかでも、ごみの収集に時間と労力が最もかかる場所でもあるのよ。だから昼前になっても、狭い道を担当する収集車が走っていたりするのよ」
「やけに詳しいじゃん」
シレーナが答える。
「ガーディアンとして動く以上、この街の情報は頭に入れておかないとね。ここはイライラせず、待ちましょう」
サイドブレーキを引くと、シレーナはカーナビに目を向けた。
画面の端っこを、鉄道の地図記号が斜めに走っていた。
「この近く、北百合線が走っているのね」
「ん?……ああ、ホントだ」
彼女に言われ、貴也も窓の外に広がる無機質な壁から、近代的な画面に目を移した。
「ダーダネスト駅だから……」
「衣川駅から4つ目の駅ね。彼女、よく電車に?」
「そこまでは…でも週末は、よく中心部に買い物に出かけるって言っていたよ。ダーダネスト駅は普通と準急しか止まらないから不便って、ぼやいていたっけ」
そう言って貴也が天井を見て口を閉ざしてからは、シレーナもハンドルにもたれ、眼前の作業を見るだけ。会話は途切れた。
道を塞いでいたゴミ収集車が発進。彼女たちの視界に黄色い壁の建物が見えてきた。
「この建物でいいのね」
「ああ。この三階、302号室が彼女の住まいらしい」
その言葉にシレーナは違和感を覚えた。
「らしい?」
「実際、俺、彼女の家に行ったことないんだわ」
途端、シレーナは貴也の胸倉をつかみ上げた。
「お前っ!」
「で、でも、一度だけ彼女の家に速達送ったことがあって、その時、ここが私の住所って言っていたから……」
「速達ねぇ……ラブレターでも送ったの?」
半ば冷やかす彼女の、強引な手から解放された貴也は、その質問に首元を直しながら答えた。
「生徒手帳だよ」
「はあ?」
瞬間、シレーナは眉間を寄せて驚愕した。
ガーディアンにとって生徒手帳は、捜査のために必要なもの。警察IDと同等の働きをするものなのだ。
なのでガーディアンの規則には、生徒手帳の扱いまで詳しく書かれており、ガーディアンIDの入った生徒手帳は、いかなる状況においても郵送してはならない、とされているのだ。
「ちょっと、それ規則違反よ!」
「俺もそう言ったんだが、ユーカがどうしても郵送してほしいからって、メールで住所を一方的に送って……そう言えば、何か家に届けようとすると、彼女、家から離れた場所を待ち合わせ場所に指定していたな。いつも、向こうが一方的に……」
貴也が下を向きぶつくさと呟き始めた。シレーナは言う。
「まあ、いいわ。教科省の登録リストにも、ここが本住所って書いてあったし」
「調べてたのかよ」
「一応」
「だったら、最初から聞くなよ……」
小声で文句をたれる貴也だったが、彼女は息を吐きながら、こういうのだったのだ。
「あなた、本当に伊倉ユーカの事を知っているのかなって、思ってね」
「まさか、俺の事を疑っていたのか?」
「ええ」
即答だった。
貴也の中で抑えていた怒りが再度、こみ上げてきた。
「この野郎……」
「あらゆる人を疑え。これが捜査の基本。情が入れば、真実が曇る。
第一、どうして伊倉ユーカは、警察や中央に連絡しないだけでなく、今日まであなたに何の情報も出してこなかったのか。それが疑問よ。
タカヤに対し恋心があったのなら、その間にあるものは、そこらのバディが持つそれと比べて異質であり、つながりも親密であるはず。そんな彼女が、どうして1人で危険な行動に出て、犯人の手掛かりすらロクに残さず、あんな曖昧な暗号を伝える必要があったのか」
冷静な彼女の口ぶりに、貴也がイラつき始めた。
強く尖った言葉で、シレーナに向かう。
「知ったかぶりはやめてくれ。お前がなんと言おうが、俺はユーカを信じる。これまで一緒にガーディアンをやってきたし、デートだってした。それに“愛してる”って言ってくれたんだ。
俺たちの事を何も知らないお前が、俺とユーカの事をとやかく言う事の方が不愉快だ!」
「……」
シレーナは何も言わずに、彼の目を見ていた。屈託のないと言うと、どこか語弊があるし、芯のあるという表現も違和感がある。
言うなれば、そう……どこか機械的な……。
何も言い返さない彼女に、貴也は舌打ちをしながらシートベルトを外す。
「先に降りて、大家に事情説明してくれ。駅の近くの駐車場に車入れてくるから」
「…了解」
同時にサモエドから降りた2人。助手席から車の前を通り、運転席へ無言で体を滑り込ませると、そのまま車を発進させた。
石畳を走り去るサモエドの小さなケツが右に振り消えると、彼女は眼鏡を外し、胸ポケットにしまっていた白いハンカチでレンズの汚れをふき取る。
再び眼鏡をかけようとしたとき、シレーナはフッと嘲笑にも似た笑いを1つ。
「平和なガキだこと……」
貴也は知る由もないであろう。
彼女が呟いた一言を。
そう呟いた声は、先程とは全く別物。氷柱の如くひどく冷たく鋭利であったことに。




