10「リッカー53への考察」
「リッカー53…それは、花菱鉄道北百合線で発生した連続通り魔事件の犯人に対して、警察が当てた俗称よ。新聞でも“通り魔”って名前でしか報道されていないし、正式には警察整理登録番号223547号。
リッカーは“舐める者”の意、53は花菱鉄道の列車識別番号53号電車、午前6時08分新畷発東ドーラ行快速特急を指しているわ」
「どうして、53号電車?」とダナ
「今までの犯行が、全て、この53号電車内で起きているからよ。その犯行は卑劣で残忍」
そう地井が言う。その口調は先ほどまでのおっとりしたものではなく、普通の早さで少しシリアスな雰囲気を漂わせた。
話をシレーナが引き継ぐ。
「まあ、犯行と言っても大まかに言えば痴漢よ。爽やかで気だるい乙女の朝を切り裂き、全てを汚す許されざる犯罪。でも、この犯人は自らの手の代わりに、ナイフを無垢な体に突きつけるの。
警察の調書によると、犯人は走行中の新畷発東ドーラ行快速特急車内において、ターゲットとなる女子生徒に近づき、臀部を鋭利な刃物で撫でまわし、被害者の恐怖が最大限になったその時―――」
そう言ってシレーナは、ナイフで相手を突き刺す真似をした。
「これまでに5人の女子生徒が被害に遭っているわ。そのうち2人が全治3週間の重傷。犯人は全ての犯行現場において、被害者のお尻をナイフで一突き。次の停車駅で下車し、その場から立ち去っているわ。被害者や防犯カメラの情報から、犯人は身長160~170センチ、黒のパーカーとマスクを着用していることくらいしか分かっていないわ。
チイ。貴方はこの事件、どう見ているの?」
シレーナは、そう言うとカップをゆっくりと持ち上げた。
次いで地井が、どこから出したのか黒のダブルリングノートを取り出し、めくりながら話す。
「被害者の特徴、年齢、学校もバラバラ。完全に無差別な犯行ですね。痴漢などの、身体に直接接触し性的な行為をするわいせつ犯罪は、攻撃的な側面を持っていますね。この犯人もナイフという凶器、そして満員電車という環境下は、事件発覚による羞恥と加害者からの報復の恐怖を被害者に植え付ける、最悪の状況になります」
「自分が辱めを受けていることを他の乗客に知られたくない。加えて犯人が報復に出る恐怖が、被害者を支配してしまう。こう言う事かな?」
「ええ、そうです。被害者の性格も大人しい傾向にあるとも言われます」
貴也の言葉にも、淡々とした口調で答えた。更に続ける
「しかし、どうにも分からないのが、ナイフなんですよね……加害者は自らの手を差し出すことなく、終始ナイフを用いて被害者の体を弄び刺突する。それに被害者が全員女子高生というのも」
すると、貴也が言う。
「偶然じゃないのか?たまたま目の前にいたから」
刹那、地井が鋭い視線を飛ばす。
「貴方、本当にガーディアンですか?」
「な、なんですと?」
「電車には不特定多数の人間が乗っているんです。2回、3回なら偶然と呼べるでしょう。しかし、全ての被害者において同一の事象が伺える。これはもう偶然とは呼べませんよ」
いままでで一番熱い口調に、貴也は驚嘆したと同時に、何も言えなくなった。正にその通りだからだ。
「チイ。あなたはこの疑問を、どう解釈する?」とシレーナ
「考えられるのは、ナイフそのものに象徴的な意味合いがあるということ。例えば加害者の性器ないしは性的欲求を象徴していて、ナイフを用いることで欲望を解放している。
もしくは、女性―特に若い女性に対しての嫌悪感。接触を極端に嫌がる、しかし自分の欲望を満たしたい。その相反する感情の葛藤を解決する手段としてナイフを用いた。加害者は過去に、何らかのトラウマを抱えている可能性はあるわね。それが青年期における性に関する失敗か、それともエディプス・コンプレックスによる自我形成において何らかの失敗が起きたか。
しかし、これだけ残忍な犯行を重ねているにも関わらず、加害者は電車という空間で犯行を行っていることからして、小心者で自分の犯行を他者に見てもらいたいという感情が隠れている可能性があるわね」
次々と飛び出してくる、訳の分からない単語のオンパレードに、貴也の思考回路は追いつくだけでも白煙を上げそうになっていた。
その時、ダナが彼の背後で声を上げた。
「警察は何をしているんです?これだけの被害者を出していながら……」
「どういう訳か、犯人はその警察の包囲網をかいくぐり、逃走しているんです。どれだけ厳重にしていようとも」
シレーナの言葉に、地井は下唇に指を当てた。彼女が思考するときにする、独特のポーズだ。
暫くして、彼女が話す。
「もしかしたら、加害者は警察の動きを熟知している人間ということになるわね。性犯罪はその性格上、再犯率が高い犯罪の1つよ。もしかしたら……」
「マエがある?」
「あくまで可能性です。現段階での断定は、正確な犯人像を混乱させかねませんから、控えましょう」
そう言われ、シレーナはテーブルに肘をつき、顔の前で両手を合わせる。
「リッカー53……警察でもその正確な犯人像を掴めずにいるのに、どうやって伊倉ユーカは、この犯人にたどり着いたのかしら」
独り言のように呟く彼女を横目に、貴也は咳払いを1つ。
「近道は1つさ」
「?」
「彼女の家に行って、何か手がかりかないか、探すんだ」
そう言われ、シレーナは貴也の目を見た。
真っ直ぐで真剣な眼差しに、シレーナは一抹の不安を覚えたが、それをため息で薙ぎ払い
「そうね。ここであれこれと想像力をかきたてるのは、小説家でもできること。私たちに空想のストーリーはいらない。欲しいのは、目の前の事実とそれに基づく真実だけ」
「まあ、そうなるわね」
「チイ。そっちでも調べてくれないかしら?リッカー53について」
「それは探偵として?それとも……」
「ガーディアンとしてよ」
「オーケイ……あ、ダナさぁん。紅茶のおかわりくださぁーい」
「ほへ?」
さっきまでのやり取りが全くなかったかのように、突然、さっきの眠たそうでおっとりとした状態に戻った地井を見て、貴也はだらしない声を上げながら拍子抜け。
「かしこまりました。お嬢様」
笑顔で軽く頭を下げ、メイドはテーブルを後にした。
目を丸くしている貴也に、シレーナは言う。
「チイね。心理学とか仕事の話になると熱が入るのよ。だから、おっとりとした感じ、消えたでしょ?」
「いやいや。そんな簡単な話なの!?」
「複雑そうな物事ほど、案外理屈は簡単だったりするものよ」
そう言うと、シレーナは紙ナプキンを取り出し、ブレザーに胸ポケットに差していた赤い万年筆を取り出す。
なにかをサラサラと書いてはいるが、向かいに座るシレーナはその筆先を左手で隠しているため、何を書いているかは分からなかった。
「チイ?」
ダナに紅茶を注いでもらっている間、シレーナは地井にさっきの紙ナプキンを手渡した。
アッサムの香りが、シレーナの嗅覚を刺激する。
「上はハフシ達に伝えて。それから下は私からあなたに依頼したい調べごとよ」
「はぁーい。わっかりましたぁ」
シレーナは椅子から立ち上がり、ぶっきらぼうに貴也に問うた。
「タカヤ。伊倉ユーカの家は?」
「ダーダネスト・バロータ地区だよ」
「ここから車で20分ぐらい……あの辺りは小路が多かったはず」
彼女は再び地井の方を向き
「あなたのサモエド貸してもらえるかしら?ウチの小型車、オーバホール中で」
「ああ。コーデリアさんが言ってたアレですね?はぁい」
地井はスカートのポケットから車のカギを取り出すと、シレーナに手渡した。
黒いカバーのみの構造からして、鍵のいらない最近の自動車であることは分かった。だが、サモエドなる自動車が存在しただろうか?
「行くわよ、タカヤ」
彼の準備も待たないままに、シレーナはさっさと店の出入り口へと向かって歩いていく。
「お、おい。待ってくれよ!」
貴也は冷めた紅茶を一気に飲み干すと、通学鞄をかかえ「ごちそうさま」の声を後に、シレーナの後を追うのだった。
「行ってらっしゃいませ。ご主人様!」
「シレーナと捜査かぁ。大変だぞーっと」
ダナと地井は互いに見合い、笑みを浮かべるのだった。




