踊れセニョリータ(後)
日高君の熱血な指導と、それに報いたい私の努力の甲斐あってか、放課後の一時間を使ったレッスンが三週目を迎えた頃、振りはほぼ入った。しかも、入った振りを「こうした方がもっとかっこいいから」って、カウント通りに動くんじゃなく少し溜めてみせたり、プラスアルファのカッコよさを伝授してもらって。おかげで、足を引っ張ることにはならなさそうだ。
二人での指導はうちのクラスの風物詩となった。大抵の人は『日高、あんまり真城さんいじめないでよ』とか云いながら(それでまた日高君が『ああ?』って凄んでた)部活に行ったり帰っちゃったりするのだけど、廊下側の窓を開けてわざわざ見物するギャラリーもいる。私は柔軟しながら、呆れた顔をその人に向けた。
「そんなに暇なら一緒に踊ればいいのに」
「いや、いいよ、こういうのは少し離れて見ている方が楽しいんだ」と返すのは、学級委員の男子。
「そうかなあ?」
踊るあほうに見るあほう、の法則なら踊る方が楽しいらしいけど。
訝しみながら足を開いて座り、上体を倒して柔軟していたら、突然背中にぐっと負荷がかかった。こんなことするの一人だけ。
「日高君やめてよ!」
「うるせー。真城体固すぎんだよ。少し解さないと怪我の元だ」
そう云って、ぐっぐっと徐々に負荷を高める。
「やめてそれ以上は無理、いたいいたい!」
「息止めんな。吸って―、吐いて―、……ほら、少し楽に行くようになったじゃん」
スーパーゆっくりな一〇秒、乗られたままをキープしてようやく解放された。てか、乗ってる間、私の背中に全体重を掛けないように、日高君は半ば空気椅子状態だったはずだ。そう気が付いて、誰かが背中に乗らなくても楽々床に胸が付きそうなくらい柔らかい日高君がストレッチをしている横に行き、ちょこんとしゃがんで「ありがと」ってお礼を云ったら、やっぱり「痛くさせられてお礼云うとか変な奴」と云われ、おまけに鼻の先を指でつんってされてしまった。
「……おーおー、見せつけてくれるねー」
その声に二人してハッとなって振り向けば、廊下側の窓からまだ学級委員が頬杖ついてニヤニヤしている。
「ちょっと健全な青少年には刺激が強かったよ、今のやりとり。『やめてそれ以上は無理』なんて、女の子に云わせちゃ駄目じゃない?」
日高君に向けてにこやかにそう云うと、云われた当人は少し顔を赤くして「うるせぇ」とだけ返す。
刺激が強かったのは私の足とか背中の筋にだよ、まったくもう。そう憤慨していると、何故か学級委員は「真城さんにはまだ早い話だったかな」と苦笑し、日高君は「いいからこいついじって遊ぶな」と私を背中に隠した。
そして、「ま、頑張って。修学旅行まであと一週間、仕上がりを楽しみにしてる」と言葉を残して、学級委員は帰って行った。――そうだ。
あと、一週間なんだ。
あと一週間で、終わっちゃうんだ。
ずっとこうしていられると思ってた。でもそんな訳なかった。
「……真城?」
私がぼーっとつっ立っているのに気付いて、日高君が柔軟しながらこちらを見上げてくる。
「どうした? さっきの痛すぎたか?」
「……ううん、何でもない」
学級委員が開けっ放しで帰っていった廊下側の教室の窓を、きちんと閉めてそれを鏡代わりに動きをおさらいする。
そういうフリをして、日高君に背を向けた。
この放課後の一時間が終わってしまうのが、寂しいと思った自分にびっくりしてた。
その気持ちをえいっと振り切るために、両頬をぱちんとやって喝を入れる。
せっかく、教えてもらっているんだ、ひと月も。バイトの時間を遅らせてもらって。なのに、ここでめそめそしてたら時間がもったいない。
終わったら、泣いてもいいから。今は教えられたすべてを出し切れるように、体に全部覚え込ませることが最優先。
踊るための準備を個々に終えて、月影先生に食らい付いていくマヤちゃんの気分で、頭を下げた。
「よろしくお願いします!」
「お? おう」
日高君もびっくりしながら、それでもこの日も熱血指導をしてくれた。
細かい動きの調整、腕の角度だとか、顔の向きだとか、を分かりやすく伝える為に、時折私に触れる日高君の、手。いちいちひゃあ! ってなりそうなのを必死に堪えて、これは指導だからと自分に言い聞かせる。
修学旅行から帰ってきて、フレッシュネスをご馳走したら、おしまいなんだから。
修学両行は広島から京都奈良、自由時間が一日だ。
自由行動は仲良しグループで、あとの班行動は仲良しグループ+男子の仲良しグループ。男女グループの組み合わせはくじ引きで決められた。
他校との無駄なトラブルを避ける為に、髪を一段階暗く染め直させられ、ピアスも外された日高君のいるグループは、例のイケてる女子の皆さんのグループと組んでた。一緒にプリ撮ろうよ、とか誘われても例の恫喝チックなああ? で、女子の皆さんがドンビキだ。それを気の毒に思いながらも、ほっとしている自分がいる。
そんな訳で昼間はちっとも接点がないのだけど、宿泊最終日までの夕食後の自由時間、三〇分だけ時間をもらって、やっぱり廊下でダンスレッスンを受ける。と云っても、学校じゃないので簡単に振りをおさらいして、あとはおしゃべりする位だ。
不思議だなあって思った。同じクラスなのに今までちっとも話したことがなかった。体育祭とか文化祭でもまるで接点がなくて。なのに、出し物がダンスになったから、こうしてここにいる。
いよいよ明日が本番だ。もっと緊張するかと思ったら、かえって『もう、慌ててもしょうがないし』と妙に肝が据わった。それは日高君にも伝わったみたいで「心配しなくていいみたいだな」と優しく笑ってくれた。
「お前、よく頑張ったよ。正直『これは……』って頭抱えたくなったもん最初」
「日高君のおかげだよ。熱血指導で見捨てないでくれたから、頑張れたんだから。教えてくれるのが日高君じゃなきゃ、ここまで頑張れなかったかも」
二人して、自販機コーナーのベンチに並んで座って、私はオレンジジュース、日高君はウーロン茶をのみながらぽつぽつとおしゃべりをしてた。
「まあ、泣いても笑っても明日で一区切りだ」
「うん」
「頑張ろうな」
そう云って、目の前に突き出された拳。おずおずと近付けて、ちょんと自分の拳を当てたら、日高君が八重歯を見せてにっと笑った。――それ見て高鳴る胸が、不整脈じゃないって私はもう知ってる。
最終日。
自由行動している間も気もそぞろで、お店やビルの壁面に鏡みたいになってるガラスがあれば振りを確認してしまう私を必死に友人たちが止めながら、観光した。
お土産を買って、写真を撮って、はじめて来た場所に興奮して。
でも、頭の中はやっぱりダンスのことで占拠されていた。
いよいよの出し物タイム。ダンスの指導が始まる前はいじわるげだったイケてる女子の皆さんも、私の奮闘を見ているせいか以前はあった見下げられ感が今はない。――もしかしたら、元々そんなのはなくって、卑屈な私の心が勝手にそう捉えていたのかも。だとしたらごめん。
自分の位置からは離れたところで振りの確認をしているボス女子を見た。最初は勝手に押し付けられて正直迷惑だった。でも今は、自信を付けさせてくれてありがとうって思う。それだけじゃない。
ダンスが楽しいって知ることが出来た。
日高君に、恋をした。
全部、放課後のレッスンをしなくちゃ生まれることのなかったものだ。だからダンスが下手だとバカにされてたらしいことは、もういいや。
晴れ晴れとした心になった。そして。
「二年四組はダンスです!」
全員が舞台に並び、司会の子が高らかに云ったタイミングで担任の先生が曲を流してくれる。
イントロと同時に緊張したのが分かる。でも。
ひと月で叩きこまれた振りは、私を裏切りはしなかった。心が緊張していても勝手に体が動いてくれた。体につられて、緊張が、あっさり解ける。
センターで踊る日高君が、ターンするタイミングでこっちを見た。
――楽しいか?
鋭い目つきの奥に、心配そうな色が見える。安心させたくて、にっこり笑った。
――楽しいよ!
日高君も、それ見て笑い返してくれた。
最後、センターに全員が集まってそれぞれポーズを決めて、終わり。割れんばかりの拍手に、大成功したことを知る。自分的にもミスがなく大満足の出来だ。
次のクラスの出し物があるのですぐに舞台から降りて、四組が座るゾーンに戻った。落ち着かない息を繰り返していたら、イケてる女子の皆さんやボス女子とすれ違う瞬間、一人一人が私の肩や頭をぽんと叩いて、「やるじゃん」「お疲れ」と口々に声を掛けてくれた。――嬉しい。気の利いた返しが出来なくて、その後ろ姿に「ありがと!」って云うのが精いっぱいだった。
落ち着く間もなく今度は彼女たちと入れかわりに日高君があっという間に駆けつけて、「大丈夫か」と真顔で聞いてきた。
「へ」
何が大丈夫なのか分からなくてきょとんとしていたら、ますます険しい顔をさせてしまった。
「今あいつらに声掛けられたろ、なんかやなこと云われなかったか?」
――心配、してくれたんだ。かーっと赤くなりそう。でも今なら体動かしたあとだからって言い訳できるかな。
「大丈夫。『やるじゃん』とかって云ってもらっただけ」
「――そっか」
ならよかった、と、私の横にどっかり座り込んだ日高君はまた額にたくさん浮かんだ汗をそのままTシャツで拭こうとするので、「駄目」と用意しておいたタオルで勝手に拭いた。
「風邪引くって云ったじゃん」
「男なんだから平気って云ったじゃん」
変わらないやり取りに、二人して噴き出した。そうだよ。
今日でダンスが終わっても、別にクラスまで変わる訳じゃない。日高君の放課後の一時間を私がもらうことはもう出来ないけど、挨拶したりおしゃべりしたりは、これからだって出来るはずだ。そう気付いたら、日高君の汗を拭きながらもにこにこが止まらない。
すると日高君はバリバリと頭を掻いて、「何とも思ってない男にこう云うことすんなよ」って困った口調で云う。
だから私も、「何とも思ってない男子の汗を自分のタオルで拭くほどあざとくないよ」って返した。そう気が付いたのは、放課後の一時間レッスンの後半戦だったけど。
日高君は私が握ってたタオルを奪って、それをぽすんと私の後頭部に掛ける。
「じゃあ、どう思ってんの」
「――すき、だよ」
すぐには答えられなくて、いっぱいためてから答えたら、後ろに回されたタオルの両端を日高君がぐっと引っ張って、それにつられて前に出てしまう。逃げないようにか、タオルの上から私の頭を押さえるように触れる、その手。
「俺も」
チャラく見えるけど、だからって女子との恋愛トラブルの噂はこの交流が始まる前にも後にも、ついぞ聞かれなかった。目つきは鋭いけど、指導は熱血で、優しくて、楽しかった。それが胸の高鳴りの答えだ。
五組の出し物は寸劇で、皆は夢中で舞台を見ている。それに乗じて、薄暗がりの中で触れるだけのキスをした。
タオル越しにてっぺんを支えられた頭はそのまま胸に飛び込む。私だけでなく、日高君も鼓動が早いのが分かった。
「帰ったら、フレッシュネス行こうな」
「うん、奢るよ」
「バカ、それはもういいんだよ――彼女なんだから」
嬉しくてうっとりしていたら、落とされていた電気がいつの間にか戻っていて、学級委員にもイケてる彼女たちにも皆にも先生にも、囃し立てられてしまった。日高君は慌てて離れようとしてた私をぎゅーっと抱き締めて、「いいだろ!」って得意そうに笑った。
あれから、放課後の一時間のダンス指導はもうなくなった。だけど、そのかわり。
「遅ぇよ」
「ごめん、日直やってたから」
「同じクラスなんだから知ってるっつうの」
ほれ、と差し出された手をするりと繋ぐ。
あれから日高君はバイトの入り時間を戻さずに、放課後の一時間を私にくれるようになった。校門を出たら私はバス、日高君は駅へと別々に向うから、学校でおしゃべりすることが多い。バイトのない日は、フレッシュネスに行ったり、ぶらぶら街を歩いたり。
この日も二人でぶらぶらと歩いていたら、日高君が「俺今度、ダンスのイベント出ることになった」って何でもなさそうな口調で私に告げた。
「え、すごい!」
「観に来る?」
「いいの?」
「いいから誘ってんだろ」
「うん、……あ」
「なんだよ」
急に立ち止まったから、繋いだ手がピンと張った。
「……地味子だし日高君がお友達に笑われちゃうかも」
ダンスをしてからだーいぶ卑屈成分が低くはなったけど、まだ完全には除去できていない。俯いたら、繋いだままの手が見えた。また怒られちゃうかなと恐る恐る見上げたら、日高君はいつかみたいに険しい顔はしていなくてほっとした。
「んな奴いねえよ、俺も気にしてねえし」
「でも」
「俺は真城が地味子でもかわいいって知ってるから別にそのまんまでいいんだけど」
そう云いながら、顔赤くする日高君がかわいいな、なんて思ってたら「ああ?」って凄まれた。もうそれが照れ隠しだって分かってるから効果ないって。笑いながら自分から指を絡めた。
「すきだよ」
「知ってる」
余裕っぽい言葉とは裏腹にその顔は得意げで、指は痛いくらいにぎゅうぎゅうされた。
あれからダンスのレッスンはもうしてないけど、こんな時には私、いつも最初に二人でぴょんぴょん跳ねた時とおんなじ気持ちになる。楽しくて嬉しくて、ずーっとこうしてたいって、そう思うんだよ。まあ実際にはずーっとぴょんぴょんする体力なんかないけどね。
「明日チケット持ってくるな」って、八重歯を見せて笑った日高君に「うん、楽しみにしてるね」って返事をしながら、その日は何を着て行こうかな、イケてる彼女たちにお洋服を見繕ってもらうのもいいかも、なんて考えてた。
お洋服を見繕ってもらいましたの巻
女子「これどうよ」
真城「え、ち、ちょーっと露出多すぎ、かな……」
女子「何云ってんのこれ位余裕っしょ! せめて膝は見せてスカートひらりで日高をドキドキさせてやんなよ」
女子「でもあいつムッツリっぽいからさー、露出路線よりチラリズム方面の方が燃えるんじゃね?」
女子「あ、云えてるかもー!」
とかなんとか。
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14/11/14 誤字訂正しました。