踊れセニョリータ(前)
高校生×高校生
ダンス、嫌い。踊れる人って、ほんと尊敬する。
体硬いし、リズム感ないし、振り付け覚えられないし、そもそも人前でなんかすんの苦手だし。
ただ、うまい人のダンスを見るのは、好き。――例えば同じクラスの日高君とか。
廊下で披露された彼の踊りをぼけーっと見てたら、その本人にペシッと額を叩かれた。
「何すんのっ」
「ボーっとしてんじゃねーよ、こっちはバイト一時間遅らせてもらって付き合ってんだからな、とっとと柔軟しろ」
「……スイマセン」
ぼそっと呟いても、さっさと元のポジションに戻ったそのひとには多分聞こえちゃいない。ため息を吐きながら柔軟体操をした。とりあえず関節も叩かれた額も痛い。
――ダンスは嫌いなの。
でも、修学旅行の夕食後のクラスごとの出し物の時間、うちはダンスするって多数決で決まったから、仕方ない。マイノリティの地味子の意見なんて、強くてイケてる女子の皆さんの前では毛虫ほども小さい扱いだから。でも出来れば目立ちたくない。後ろ―の方で、こっそりひっそりを希望。『あれ、いたんだ』くらいの存在感で。
と、そう思っていたのだけれど、甘かった。
『真城さんダンス苦手みたいだから、日高に見てもらうことにしたから』
お昼休み、お弁当を食べ終わって本を読んでいた私に、イケてる女子の皆さんの中でボス的存在の女子が、そう言い切った。そこに私の意見が挟まれる余地なんてないと云わんばかりの断定口調での通告。え、そんな、困るし、などもごもご云っている間に、云うべきことを云ったその人は早足で廊下に出てしまう。――そんなあ。
教室の隅で、男子たちが漫画の話題で盛り上がってる中、ひときわ目立つ日高君を見た。
振り付けとダンス指導員に任命された彼は、つんつん頭にかなり明るめな髪色(比較的自由な校風とは云え、たまにうっかり明るくし過ぎて生活指導の先生に追いかけられてる)、学校に堂々とつけて来てるシルバーのわっかのピアス(たまに生活指導の先生に見つかっては取り上げられてる)にかなりの腰パン(目のやり場に困るほど下げられてる時がある)と見た目かなりチャラい。私とは、違う宇宙に生きてる存在。そう、思っていたのに。
きっと『ああ? そんなのやってらんねーし』と凄まれて断られるのがオチだろうなあと思ってビビリつつ挨拶に行くと、『話は聞いた。今日からやるぞ』と、ものすごい使命感にファイアーしちゃって、これから毎日放課後一時間を使ってマンツーマンで教えてくれるって云ってくれた。……時間取らせるなんて申し訳ないって理由で断ろうと思ったんだけど、眼光鋭い彼の前ではとうとう云い出せずに昼休みが終わった。
乗り気しないままのろのろと柔軟体操を終えて、さあこれから教えてもらうってタイミングで、体中の勇気をかき集めて切り出してみた。
「あの、あたし参加しない方がいいんじゃないかな? そうすれば、日高君にも迷惑かけないし、その方がきっとダンス揃うし。なんなら、あたし当日足を挫いたことにでもするからさー」
そう云ったら、目ん玉剥いて説教された。コンタクト落ちるよ。
「ああ? 何云っちゃってんの?」
「お互いに利のある前向きな提案」
「どこが前向きなんだよ、思いっきり後ろしか向いてねえっつうの」
……だって、バカにされるんだもん。イケてる女子の皆さんに。
やなんだもん、こっちは何にもしてないのに蔑まれるとか。
想像するだけでいじけそうになる。体育座りで膝を抱えた。
いいじゃん。彼氏いなくても地味子でもそれで迷惑かけてないのにどうしてバカにするの。
ずぶずぶとネガティブの底なし沼に沈みかけていたら。
「背筋伸ばせ!」
いじけ心に、その言葉は雷みたいに飛び込んできた。
ひゃっとその声に背を叩かれた気持ちになって伸ばしたら、今度は「立て!」って命令された。これまた反射でぴゃっと立った。
「手拍子に合わせてジャンプ!」
パーン、パーンと、廊下でその手拍子はやけに大きく響く。すごくゆっくりだったから、大縄跳びの『郵便屋さん、お入んなさい』がこれまた苦手な私でも、すっとあわせて跳ぶことが出来た。しばらく、そのまま跳んだ。
「おっしゃ。スピード上げるぞ、ついて来い!」
パーン、パーン、だった音が、パン・パン・パン・パン、とテンポを上げる。ちょっと待って、音にはついて行けるけど、体力がついて行かない。
日高君はマサイ族みたいにぴょんぴょん跳びながら手拍子してるのに、私はインスタントラーメンが出来上がるより早くゼーゼーして座り込んでしまった。
「おい真城、お前体力なさ過ぎ」
「いわれ、なくてもっ、分かってるよ、そんなの……」
へたり込んで肩で息をする間に反論したら、思いもよらず優しいお返事を戴いた。
「んでも、自分で云うほどリズム感悪くないじゃん」
「……ほんと?」
「ほんとほんと」
にっと笑うと八重歯が見えた。瞬間、心臓がドキッとした。
今の、何、不整脈? 運動不足怖いなー。
「おし、息整ったな、立て」
「……はーい」
たらたらしてないでとっとと立て、と云われて指導が再開される。幸い、その後のレッスンの間、ダンスをしている時以外で鼓動は乱れなかった。
体力的にはだいぶ厳しいけど、いいタイミングで『ちょっと褒め』が投入されれば、単純な私は俄然その気になる。
『そうそうイイ感じ』だとか、『今の良かったからもう一回』だと云った飴をスパルタ指導の合間合間に効果的に投入されて、気が付けばかなり前向きに取り組むようになった。
こう、と向い合せから後ろ向きになった日高君に見本を示されて、同じようにやってみたり。
自分から、『もう一回、教えてもらっていい?』って意欲的になってみたり。
そしたら、最初は『ちったあやる気出せこのアマ』モードだった日高君が、終わる頃には「ほら、ちゃんと踊れたじゃねーか」って笑ってた。
「え」
ぽかんとしてたら「でっけー口!」ってさらに笑われた。
「振り、入ったよ、ほんの二小節な!」
あんなに苦手意識でがっちがちだったのに。ダンスなんてうまくできないし、ちゃらついてるみたいで嫌いだったのに。
「まー振りがちゃんと入ったらもっとシビアに駄目出しするけどさ、この調子で頑張れば、ひと月もありゃダイジョーブ」
ぐっと力強く親指を立てられた。ってか、もっと『シビアに駄目出し』されちゃうんだ私。うわあ。
まだ二小節しか振りが入ってなくって、気が遠くなりそうだけど、でも。
「……日高君、ありがと」
「いーっていって、うまく行ったらフレッシュネスで好きなだけ奢ってもらえればそれで」
「了解」
くすくすと笑いが止まんない。今のが本気か冗談かも分かんない。でもなんか楽しい。
今日は意外な発見が二つ。
見た目で思いきり回避してた日高君は、実は熱血ダンサー兼熱血指導員だったってこと。
そんな彼が教えてくれるダンスは、厳しいけどすごく楽しいってこと。
放課後の一時間の指導が終われば、帰宅部の私も学校に残っている理由なんかない。二人で下駄箱に向かって歩いた。
「なー真城、やってみてどうだった? もしほんとのほんとにヤだったら、音出し担当になるってのもあるけどさ、そんなん悔しくないか? お前のことダンスが下手ってバカにした奴らとかさー」
「あ、知ってたんだソレ」
かっこわるいなあ私。……恥ずかしい。
日高君はまたくわっとコンタクトが落ちるんじゃないかってほど目を見開いた。
「お前が悪いんじゃないんだから堂々としてろよ! 出来る奴がえらくて出来ない奴が下なんじゃないんだからな。大体その原理で云ったら、真城が超絶上手くなったらお前ら下じゃんて話だし」
「何かそれはやだねえ」
「だよなー」
下駄箱からローファーを出して、履き替えた。
野球部が、何か掛け声をかけながら練習してる。吹奏楽部の楽器が出すランダムな音、サッカー部の顧問の声も聞こえてくる。それらをBGMに歩いてたら、なんかふっと素直な気持ちになった。
「別にさ、私がバカにされなくてクラスの足を引っ張らないなら、他の人とかどうでも良くって」
「うん」
「それでね、さっきの、やったのなんかほんのちょっとだけど、……けっこう楽しかった」
「だよなー!」
日高君がぱっと表情を変えた。にこにこして、まるで大好きなプラモデルを自慢する男の子みたい。
「ダンスって気持ちいーんだよ。そりゃ、思ってるように出来なくてキーってなることもあるけど、すっげえ楽しい。体の中の音符が喜ぶのが分かる、踊ってる時」
そう話してるだけでにこにこしちゃう日高君。その自然な言葉に嘘なんてないって、分かるよ。ほんとに好きなんだ。それだけじゃないのは、彼のダンスを目の当たりにして分かった。
『一生懸命やっててえらいね』なんていえない。きっとそんな次元で彼は踊ってない。――そうか。
「日高君はたまたま踊れる人じゃなくって、踊るって決まってた人なんだね」
でなきゃ、あんな、薄暗い廊下での踊りになんか惹きつけられないと思う。
そう思って口にしたら、私の顔をじっと見て、それから「……さんきゅ」と小さく呟いた。そうこうしているうちに、校門までたどり着いた。
「あ、私バスだから。日高君は?」
「俺駅まで行く人」
「そっか。今日はどうもありがとう。明日からも宜しく!」
「おう、ビシバシ行くぜ! お疲れ!」
日高君は八重歯を見せてにっと笑って、そして駅へと歩き出した。
ほどなくやって来たバスに乗り、座席に座って揺られながら、今さっきの指導を思いだす。ふふ、とどうしても笑ってしまう。
こうして日高君のことが頭に浮かぶと時々不整脈が起きるけど、それ以外はとても楽しい一日だった。――でも明日は筋肉痛かなあ。
気が付いたらうとうとしてて、海に行った帰りに見る夢で波に揺られるみたいに、いつまでも私も日高君もぴょんぴょん跳んで笑ってた夢を見た。
やっぱり次の日は筋肉痛で、痛い痛い云ってたら日高君に小バカにされて大いにムッとした。でもこの日も気が付いたらほんの二小節の新しい振りが入っていて、昨日の分と合わせて四小節だけ踊れた。昨日よりさらに嬉しくなった。
「ほんとはもっと詰め込みたいけど、真城すぐテンパりそうだしちょっとずつなー。お疲れ」
そう云って、廊下の水道でがーっと顔を洗ってバーッと乱暴にTシャツの袖で拭く日高君。
「あ、」
「なんだよ」
つんつん立たせた前髪からぽたぽたと水滴を滴らせながら、日高君が云う。
「タオル、私持ってきたのがあるのに」
「いらん。それ使ったらお前使えねーじゃん」
「別に平気だよ、ケッペキでもないし」
ああ、まだまだ雫が落ちてくる。このままじゃ廊下も濡らしちゃうよ。
そう思ったら、行動に移すのは私にしては珍しく早かった。
「よいしょ」
背のびしても、まだ届かない。
「ちょっと、日高君屈んでよ」
「ああ?」
だから細くした眉をひそめてそんな『あ』に濁点付けるみたいなヤンキーチックないい方したら、知らない子は泣いちゃうから。私はもう日高君が優しいって知ってるから泣かないけど。
ああ? と若干凄みながらもやっぱり日高君は屈んでくれた。
「ありがと」と、お礼を云ってから、手にしたタオルでそっと水滴を拭いていく。
「風邪引いちゃうよ、秋なんだからねもう」
「――平気だっつうの男なんだから」
「それ、うちの小学生の弟みたい、同じ云い方」
くすくす笑っていたら、屈んでいた日高君がまっすぐ立ってしまって、もう届かない。
「お前ねえ……」
「何?」
「……何でもない。てか、人のアタマ拭くのにお礼云うとか変な奴」
「だって屈んでくれたからってフレッシュネスで奢る訳にもいかないし、お礼くらい云うよ」
私が弁明すると、日高君はなんて云うか、かわいがってる犬を見てる、みたいな超優しい顔をこちらに向けた。
「やっぱ変な奴」
「二回云わなくてもいいでしょ!」
ギャーギャー云いながら下駄箱まで歩く。それが、何だかすごく楽しかった。