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ゆるり秋宵  作者: たむら
season1
7/47

よりいっそう、寄り添う

会社員×会社員

 インターホンを押しても応答なし、玄関横の小窓から明かりが漏れる事も部屋の中に人の気配もなし。と云う訳で、久しぶりに合い鍵を使ってその部屋に入った。よかった、鍵替えられてなくて。そんな事をいちいちホッとしなくちゃいけない程度には、私たちは今別れの危機に瀕している、かもしれない。


 ケンカ、した訳じゃない。相手を嫌いになった訳でも、誰かほかに好きな人がいる訳でも。――多分向こうも。ただ、よくないタイミングだけがぴったり合ってしまった。

 メールの返信を『すぐじゃなくてもいいか』と、許してもらえる間柄だからって甘えて延ばして、忘れたり忙しかったりしているうちにまた延びて。なんとかメールでやりとり出来ても、互いの予定が合わずデートの約束が数回流れ、気が付けばふた月近く会ってなかった。

 このまま自然消滅する、と云う考えが浮かんではその都度大急ぎで打ち消した。そうじゃないだろう。そうしたいわけじゃ、ない。

 だから、金曜の夜ここに来た。彼の部屋へ。


 さして広くもない部屋の中を見る。最後にお泊りした二ヶ月前と比べて、これと云って変化は見られない。そこらじゅう漁ったりはしないけど、信じてるけど、でもぱっと見で女の人の影がない事を心底ホッとした。ちらっとでも疑ってごめんと、心の中で彼に謝った。そして。

 食器棚から、自分用のマグとお箸を取り出した。それから歯ブラシも、クローゼットに掛かっていたお洋服も撤退。あれやこれやと大ぶりの紙袋の中に詰め終わった頃合いで、鍵が開く音を聞いた。――彼だ。心が跳ねる。

 ドアを凝視する。ちょっとずつ現れる彼の姿。その顔、忘れそうだと思ったけど、忘れられる訳なかったね。

「――ただいま」

「お帰りなさい……」

 あ、もう声聞いただけでなんか泣きそう。

 なのに彼ときたら片眉を僅かに顰めただけで、さっさと手洗いうがいをしに洗面所へ行ってしまった。

 がらがらがらがらがらがらと自分の三倍くらい長く続くうがいの音に、相変わらずマイペースな人だなあと、ホッとしたような、ガッカリしたような。――別に、『会いたかった』とかって熱烈に告白されたいとか、ハグされたいとか、そこまでは思ってなかったけど、こう、もうちょっとなんかないのかな。嬉しそうなそぶりをして見せるとかさ。それとも、もう、そんな風に私の事見られない? といじけつつも久しく聞いていなかったその足音で心がすごく満たされる。

 それでも、顔を再び合わせる瞬間は緊張した。

「久しぶり」

 ぺたんとフローリングの床に座り込んだまま手をぴっと胸のところに上げて云うと、「久しぶり」と律儀にお返事が返ってきた。そのままなげしに掛けてあるハンガーを手に取ると、ズボンもジャケットもきちんと吊るしてまた掛けて、靴下を脱いだ。

 シャツのボタンを外しながらまた洗面所に消える。出て来た時にはもうジーンズと長袖のTシャツを装着してた。見慣れたおうちモード。でも、会わないうちに秋冬バージョンだ。

 彼は私の前を素通りすると何でもないようにソファに腰掛け、リモコンを手に取りテレビを付ける。いない人みたいに扱われているようで、何となく居心地が悪い。紙袋をそっと自分の後ろに押してたら、「で、ここで何してたの? 俺から逃げる準備?」といっきなり爆弾を投げられた。上手い事、私の心のど真ん中で爆発したよ。おかげで久しぶりに会えた嬉しいも、どうしよう緊張してるよ今更も、色々砕け散りました。――満足?

 さっきとは違う風に泣きたくなったのをぐっと堪えて顔を上げた。

「逃げるって、どういう事」

「どうもこうも、語るに落ちるって奴じゃないの?」

 顎をしゃくって、紙袋を差す。

「うちに置いてあった私物の撤去だろ? 別れたいとしか思えないんだけど」

「違う!」

「悪いけど、別れてなんてやんないから。なんならこれから避妊しないで抱こうか?」

「――そんなの、出来る人じゃないでしょうが」

 ふらりと立ち上がって、ゆっくりこちらに近付いてくる彼を睨みながら云っても、簡単に「出来るよ」って答えられてしまった。

「あんたを引き留めるためなら何でも、俺は」

 云うや否や、床に押し倒された。

「ちょ、まっ!」

「待つ訳ないだろう」と心底呆れた声を私の首元に落として、その手はもう内腿に差し掛かってる。

「え、やだ、やだってば!」

「聞かない」

「聞いてよ、お願いっ、んっ!」

 話してる最中に唇を塞がれた。不本意な行為に持ち込まれてると云うのにその口付けはひどく甘くて、そんな場合じゃないって頭では分かってても、素直な舌は彼の舌に応えてしまう。すると向こうも角度を変えて何度も何度も口付けてくれた。でも二ヶ月ぶりのキスは、交わしても交わしてもし足りなくて、一向に満足出来ない。

 もっと。ねだるように舌をすり寄せれば、ざらりと表面を舐めて、絡められた。


 結局、キスは長く続いた。あらぬところを弄っていた筈の手は、両方とも私の頬と顎を支えてた。

 ゆっくりと、彼が離れる。その息が上がってる。でも目は、熱とは裏腹に昏いままだった。

「俺を好きって事以外、聞かない。別れの言葉とかいらない」

 囁くテンションはいつものものなのに、纏う雰囲気が違う。手がまた、内腿に触れる。彼とセックスしたくない訳じゃないけどこんなのは嫌で、じたばた暴れてたら簡単に抑え込まれた。そんなに身長変わらないし、がっちりしてる方でもないのにやっぱり男と女じゃ体が違うんだ、なんて、のんびり考えてる場合じゃない。伸し掛かってきた重たい体をなんとか押し返そうとしてたら手をまとめて押さえつけられて、前をあけたブラウスの下に着ていたキャミソールもあっさりとたくし上げられた。今まで一度も怖い事されたりなんかなかったのに、どうして今なの。

「好きだってば! だからやめよう、落ち着いて、ねえ」

 胸に顔を埋める人にそう云っても、ちっとも伝わってないって分かった。

「うわ、残酷――」って云って、自嘲するみたいに嗤った息が、谷間に掛かる。このまま体だけぐずぐずにさせられるなんて一番駄目だ。彼の手で快楽に導かれる前にと、必死に訴える。

「何で信じないの! 信じてよ!」

「だったらなんで逃げるんだよ!」

 初めて聞いた、彼の怒鳴り声。いつもドラえもんの足がちょこっと地面から浮いてるみたいな、そんな低空飛行なテンションの人なのに。私がデートに遅れても『好きだよ』って云っても少し優しく笑うだけなのに。

 びっくりして、その拍子に我慢してた涙がとうとうぽろりと零れた。それ見て彼はぎょっとして、私の手首をまとめてた手の力を緩めて少し離れる。でも私は体を丸める事も出来ずに、床に倒されたままでいた。涙が耳の方に幾筋も流れる。彼が身を起こしてティッシュの箱に手を伸ばすと乱暴に何枚も引き抜いて、私の顔をそっと拭いた。その後鼻の上に二枚重ねてふわりと乗せられたティッシュで、遠慮なく洟をかむ。彼は胡坐をかくとバリバリ頭を掻いた。

「泣くなよ……」

「だって、私の云う事、信じないんだもん」

「信じるも信じないも、帰ってきたらうちから明かり漏れてて『あ、来てる』って嬉しくなったのにいそいそドア開けたら逃げる準備なんかしてるから悪いんじゃん」 

「逃げないよ」

「……じゃあ、なんで、荷物まとめてんの」

 地を這うような低い声。これも初めて。

「全部ちゃんと聞いてくれる?」

「自信ないけど」

 そう云って私の両手首も引いて起こすとあけっぱなしだったブラウスのボタンを手早く閉めてから、離れたところに座った。それから機嫌を直したとは云えないまま「どーぞ」とこちらの言葉を促した。距離を取られるのはさびしいけど、それでもさっきよりいい。とりあえずは聞いてくれる体勢になった。

 不機嫌なままの顔を見るとまた泣きたくなるのをなんとか堪えて、話し出す。

「まず、お箸ね。あれ、先の塗装が剥げちゃってたの。それからお茶碗は、ヒビが入ってた」

「……」

「それと、歯ブラシは先がちょこっと開いてきてたし、お洋服は夏のばっかりだったから入れ替えなくっちゃって。次来る時には新しいの用意しようって、ちゃんと私、この先の事だって考えてて、にげる、じゅんびなんかっ、――」

「ごめん!」

 きちんと話すつもりだったけど、疑われたのが悲しくてやっぱり泣けてしまった。

 彼はそんな私の前に膝でにじり寄って両肩を一瞬強く掴んだ後、そっと力を抜いて恐る恐ると云った具合で俯いた私の顔を覗き込んだ。もうその表情は私を疑ってないし、不機嫌でもない。よかった。ちゃんと、聞いてくれた。安心して泣き続けてたら、ふわっとハグされた。

「悪かった。謝って許してもらおうなんて思ってないけど、ほんとにごめん」

「――疑われたのは悲しいけど、疑わしい行動をしたのは私だから、いい。それに」

 胸に抱かれて、まだまだ湧き出てくる涙でTシャツを濡らした。こちらからも胴に腕を巻きつける。

「あんまり気持ちを聞かせてくれないのに、今日は聞けたから、それだけは嬉しかった」

 低空飛行テンションなのに、私が逃げるって勘違いしたらあんな風になっちゃうとか、知らなかった。私の告白を聞いた彼の『うん、俺も』って云う簡単な言葉で始まったお付き合いだし、普段は言葉で熱く語る人じゃないし。

「ちゃんと好かれてて、よかった」

 そう、呟くと。

「当たり前だ」ってつまんなそうに云って、それからぎゅうぎゅうに抱き締められた。

 当たり前なんだって。私の事好きなんだって。誰かに話したい。呆れた顔されてもいいから聞いてもらいたい。

 嬉しくって、云われた言葉を何度も噛み締めてたら、突然「明日、買い物行くぞ」って云われた。買い物?

 きょとんと胸元から見上げると、「箸と茶碗とあとなんだ?」って聞かれた。

「歯ブラシ。――お洋服は、そのうち、また持ってくるから」 

 買わなくていい、って云おうと思ったのに、「いいから服も買う。ついでだから」って、なんのついでだか分かんないけどそんな事を口にした。

「それと、指環な」

「へ」

「左手薬指、何号なの」

「なな、だけど」

「細っせーな」

 ほんとかよって笑う。ようやく見られた二ヶ月ぶりの笑顔にぽーっとなって、それから慌てて現実に戻る。

「何、なんで指環って」

「もうこんなのはごめんだから」

 静かに、ぽつりと云った。

「誤解も勘違いもすれ違いも。簡単に切られるって思うのも、そう思われるのも」

 思ってないよって反論しようと思ったけど、多分そう云う事じゃないんだと気付いて口をつぐんだ。――私だって、そうしようなんて思ってもなかったけど、会えない間に何度も『自然消滅』って言葉が頭に浮かんでしまったから。

 この先そんな言葉がちらっとでも浮かばないように、そんな隙なんてないくらいに、もっと寄り添いたい。そう思ってたら、「とにかくもう絶対、こういうのは二度といやだ」って彼が云って、私の頭の上に顎を乗せて長くため息を吐いた。

「……子供みたいな云い方」

 でも、ほんとにそうだね。もう絶対二度といやだね、こんなのは。

 今日は誤解が解けたから良かったけど、もし解けてなかったらと思うとぞっとする。そう伝えたら、「だからそのための指環だよ」って云われた。

「そのための?」

 私が子供みたいに繰り返すと、また胸元に抱き込まれる。

「手放す気なんか、ない。ずっと繋いでたい」

 う、わ。

 抱き込まれてて良かった、今きっと顔、すっごい赤い。

「あんたの未来が欲しい。俺にくれる?」

 こく、こく。頷いたら、ふって笑った気配。

「知ってると思うけど女が喜ぶような洒落た事は云えないし、つまんない男だからね」

「でも優しいよ」

「優しかったら今頃こんなんなってないだろ、さっき散々泣かされてて何云ってる」

「でもあなたがいい」

「――」

「あなたしかいらない」

 私のそんな言葉を、「モノズキ」って呆れたふりして云うけど、口調はあったかい。多分、まなざしも。そっと頭を上げて見てみたけど、彼はもういつもの顔になってた。残念。

「とりあえずその荷物は、クローゼットにでも入れといて」

「なんで? せっかくまとめたのに」

「捨てる物はごみの日に捨てとく。でも服は、そのまま。――ここに引っ越して来ればいい。そしたら、忙しくても何でも二ヶ月も会えないなんて事にはならないだろ」

「え、いいの」

「むしろそれは俺がそう聞きたいよ」

「嬉しいよ、でも」

 私が言葉を濁すと、表情がまたさっきを髣髴とさせるような昏さを帯びる。黙っててまた誤解されたり傷つけたりしてたら悲しいから、恥ずかしいけど云ってしまおう。

「……私荷物持ちだから、ぎっちぎちにモノだらけにしちゃうかも、このお部屋」

 そう告白すると、思いきり笑われた。これも今日初めて見たレア顔だった。

 そんなの、もっともっと見たいよ。彼のものになった未来に、いつかまた見せてもらえるかな。て云うか、未来って、一緒になるって云うこと、だよね? 私はそう解釈したんだけど。

 なんて改めて聞き返せなくて――『別にそこまでは考えてなかった』とかだと悲しいし――曖昧な言葉で、確約された。いつかもうちょっとちゃんと云ってくれたらいいなあ。大勢の人前でフラッシュモブだとか大画面の広告使って派手にじゃなくていいから。



 結局、やっぱりどう考えても荷物は多すぎて、この部屋で一緒に暮らすのは無理だと云う事が判明した。しかも仕事が立て込んできつつあって、またしばらくデートは無理そうだ。そう告げてしょんぼりしてたら彼が「……籍入れる前に、もっと広いとこに引っ越すか」って、左手の薬指の指環を撫でながら云った。

「うん」

 相変わらず彼らしいその低空飛行のテンションでの遠回しな云い方(プロポーズ)が嬉しくて、返事をする前から泣いてたら「泣くな」って優しく云った後、泣き止むまでたくさんキスをしてくれた。


続きはこちら→ https://ncode.syosetu.com/n0063cq/22/

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