スウィートでハニーでシュガー(☆)
高校生×高校生
「クリスマスファイター!」内の「シャイニーでシマリーでブライト」、「如月・弥生」内の「タイニーでリトルでワンダー」、「夏時間、君と」内の「ラブリーでキュートでディアー」に関連していますが、未読でもお楽しみいただけると思います。
「かんな、起きているかい」
本人と同じくらい優しいノックと声に、それ以上だんまりを決め込むことは出来なかった。
ベッドに転がったまま「……おきてる」と小さく返すと、「入るよ」と一声あってから、静かにドアが開いた。廊下の灯りが差し込み、壁に映る長身のシルエット。小さい時は、おんぶも抱っこも肩車も大好きだった。自分がうんとのっぽになったみたいな気分になれたから。
でも今は当たり前だけどそんなことしない。お父さんは、友達のお父さんよりは多分ちょっとだけカッコよくて、でもお父さんなので、普通の女子高生のあたしは普通に素っ気ない態度を取っている。お父さんも、ムキになったり悲しんだりしないで、そのままでいさせてくれている。それがありがたいような、申し訳ないような。
今日だって、ただいまも云わずに部屋に直行した態度の悪いあたしのことを叱りつけたっていいのに、あくまでお父さんは穏やかだ。でも明日の朝はきっとお母さんに怒られるだろうな。『ただいまぐらい、云いなさい』って。でもごめん、今日はどうしても云えなかった。お母さんだって、そう云うこと、あったでしょ?
それでも、さすがに突っ伏したままでいるのは子供っぽいって分かってるから、重苦しい体を何とか起こしてベッドに座った。――私服に着替えてもいないから、ブラウスがくちゃくちゃだ。多分スカートも。後でアイロン掛けなくちゃ。
お父さんは天井に据えられたバカみたいに明るいLEDの照明を付けないで、学習机に乗せてあるライトのスイッチを入れた。ふわん、と小さく燈るひかり。
「バイトから帰って来るなり部屋に閉じこもって晩御飯も食べずにいると聞いたから」と机に置かれたトレイには、お母さんの作ったスコーンと紅茶が載っている。あたしの、小さいころからの大好物。それを見るだけでじわりと涙が滲みそうになる。お母さんも、こうやってあたしのことを甘やかしてるって分かったから。
「じゃ」とそれだけで出て行きそうなお父さんに、「え、何があったとか普通聞くもんじゃないの」と戸惑いの声を上げると、「聞いて欲しいなら聞くよ」と微妙にずれた返事が返ってきた。
「別に、そう云う訳じゃ……」
「だろ? 高校生が親に秘密を持つのは当たり前のことだからそれをとやかく云う気はないよ。でも、心配はしているし困っている時はいつでも助けになりたいって、僕もしのぶさんもそう思っていることだけは覚えていて」
「……お父さんまたお母さんのこと名前で呼んでる」
「あ」
ついうっかり、という感じで口に手をやり照れるお父さん。思春期の娘が困るくらい、二人は未だにラブラブだったりする。――そんな二人が身近にいるから、あたしが『夢みたいな恋や結婚は実在する』ってすりこまれたまま勘違いして育ってても、誰にも責められないと思う。それなのに、さ。
思い出したくないことを思い出しては、ずんと重たい気持ちになった。
ため息をこっそり逃がしたタイミングで、お父さんが「それじゃあ」と部屋から出ていく。
「うん、ありがと」
ぱたん、とドアが閉まる。お父さんが消して行かなかった小さなあかりがぽつんと夜の灯台みたいに燈っている。それをじっと眺めていたら、だんだんに力が湧いてきた、ような気がした。
すると現金なあたしの体は、『お腹が空いたし、喉も乾いた!』と全力で主張し始めた。なので、持ってきてもらった差し入れに手を付けようと机に向かうと。
「……あ」
トレイのそばに、文庫の本二冊があった。
それを見て、なんだかふっと笑いそうになる。
小さい時は、お父さんによく本を買ってもらった。
お父さんの職場は本屋さんだから、あたしにも妹のみずほにもよく絵本を買ってきては、『もう置くところがありません!』とお母さんに叱られていた。――ちなみにお父さんは、先日百科事典を購入しようとして家族会議を開き、『だから、置くところがないでしょ!』とお母さんだけでなくあたしとみずほにも反対されてしょげかえっていた。
『ちいさいモモちゃん』、『ごきげんな裏階段』、『飛ぶ教室』、『わたしたちの帽子』。毎月のように、プレゼントされてた本たち。
小学校高学年になる頃には多分お父さんの本棚からおすすめの本がやってきた。
中学に上がる頃になると、あんなに温厚で外見もまあまあなお父さんとも前ほど話さなくなったけど、借りた本を『面白かった』『あんまり、だった』と一言感想と共に受け渡しをして繋がってた。お父さんはどんな感想でも『そう』って静かに笑って受け取ってくれた。
高校に入ると部活とバイトに忙しくて、それでも月一くらいのペースで『恋愛もの!』『短時間でも読みやすい奴!』ってこっちから注文付けて、お父さんが『これは?』と持ってきてくれる本を読んでいる。
今月のリクエストはまだしていなかったけど、どうやらこれは恋愛モノ――かな?
別に、失恋した訳じゃない。
告白する以前の問題で、好きだって云う自覚すらなかった。ただ、一緒にいることが嬉しくて楽しくて、なんでそうなのかなんて、考えてもみなかった。
今日の部活の後、帰宅部の沢木が一年生の女の子と仲良く帰っていくのをがーん、て効果音付けてソフト部のグラウンドからお見送りしちゃっただけ。
まだ何も始まってなかった。だから、泣きはしない。悲しいだけ。
沢木とは本のやり取りをしている。きっかけはお父さんから借りた本を読んでいたら『それ面白そうじゃん』と向こうから声を掛けられて。聞けば読書傾向が結構似ていて、好きな本のことでバカみたいに盛り上がった。だって、あたしの周りの仲の良い子たちは小説より漫画を読む子ばっかりで、一緒に『これいいよね!!』って盛り上がれる友達がいなかったから。沢木もそうだったって云ってた。
友達。――そう、本友達、だ。それだけ。別に特別どうとかじゃない。
次、どっちが面白い本持って来るか、勝負な。そう云ってたけど、彼女が出来たんならもうナシかな。沢木がいいって云ったとしても彼女に悪いしあたしも痛い。
ずーっとのんびり仲良く出来るって思ってたから、急にこんなでちょっとびっくりした。
断ち切られて、悲しいって思う。でも、さ。スパって切れた傷の方が、きっとぐちゃぐちゃの傷よりは治りやすい筈だよ。スライディングで擦り剥いた時より、紙とかで切っちゃった傷の方が治りが早いのと同じでさ。
そう思うんだ。
せっかく人がモチベーションを必死に上げようとしてたのに、お父さんが持ってきてくれた本のうちの一冊が切なくも最後しんみりと幸せになる恋物語だったので危うく泣きそうになってしまった。こういう時はね、思いっきり笑える本がいいと思うよ。恋にならないまま終わったそれに付ける薬は、恋じゃないと思うから。
明日なんて来なければいいのに。そんな風に思うのは初めてだった。
友達とけんかしても、部活でフライがうまく取れなくても、辛いことがあっても、大体夕ご飯を食べる頃にはけろっと忘れてた。きっと、ちゃんと夕ご飯食べてないせいだ。
これが特別な痛みだなんて思いたくない。
特別な傷になんかしたくない。してやるもんか。
お風呂に入って、お気に入りの香水をほんの一滴だけ手首に付けて、あったかいカフェオレを作って飲んで、大好きな優しい音楽を聞いて。
ものすごーく自分を甘やかしたのに、それでもだめだった。
沢木と彼女は夢の中でまでのこのこやってきて、私を傷つけた。何度も、何度も。
結局、うつらうつらしたまま明け方を迎えて、もう寝るのはやめた。無駄だって、安眠なんて得られないって分かったから。
カーテンを開ける。マンションの七階から見える外の景色は、晴れてても雨が降ってても好き。
まだ眠っている街を眺める。
そのうちだんだんに犬の散歩やら通勤やらで外を歩く人が増えて、街が嬉しそうに動きだしたのが分かる。
今日は、曇っているけど。気分は結局最悪のまんまだけど。
それでも、あたしの生きてるこの世界は美しいと、思った。
「これ」
朝の教室で、ぶっきらぼうに突きだされた本。顔見なくても手で分かる、なんて。
小さい時犬にかまれただとか、釘に引っかけたとか、突き指したとかで、全然奇麗じゃない手と指。でも、その手に触れてみたかったよ。そんな思いをえいっと封印して「おはよ」って精一杯普通に云う。
「持ってきた、おもろい本対決の本。そっちは?」
「さんきゅ。でもごめん、あたし持ってきてないや」と肩をすくめる。本当は、昨日自分の部屋の本棚から何冊かピックアップしたし、リビングの壁一面を潰して置いてある本棚も朝眺めてきたのだけど、どうしても『コレ!』って云うのが選びきれなかった。
「だから負けでいいよ」と云い切り、お父さんから昨日借りたもう一冊の本――こちらは冒険譚――に向き直ると「何だよそれ」と沢木にムッとされたのが分かった。ムッとしないでよ、こっちは泣くのを我慢してやってるんだから。
なかなか私の机の横から立ち去らない沢木に、殊更そっけなさそうに聞こえるように声を掛ける。
「もうやめよ」
「……何を」
「こういうの」
「なんで」
「なんでって」
本を閉じて初めてそいつを見上げると、何故だか酷く傷付いた顔をしていた。
「……彼女に悪いでしょ」
こちらも半ば呆然としながらそれを告げると、「はあ?」と大きな声を上げられて、皆の視線があたしたちに集中したのが分かった。
「やだ、静かにしてよっ」
あたしが小声で必死に注意してもそ知らぬふりだ。それどころか、「永嶋、ちょっと来い」と手を掴まれて、二年一組の教室を出てすぐのとこにある渡り廊下に連れて行かれてしまう。いつもより近くで向かい合って立って。そんなの、昨日までならすっごく嬉しかったのに。
「ね、もうすぐ先生来ちゃうから教室戻らないと」
――教室棟と管理棟を繋ぐ渡り廊下にいるってことは、一年のあの子の教室からも見えてしまうかも。そう気遣ってやってると云うのに、沢木ときたらちっとも聞く耳持たない。温厚そうに見えて結構頑固だって知ってるけど、そんなに人の気持ちに鈍感な奴だったっけ。手、繋いだまんまなんだよ、あたしからは振り切れないんだからそっちが離してよ。
「彼女って、何」
それを君がきくか? とムッとしつつ、なるべく平気そうに見えるように装った。そんな自分がオロカなようで、でもやっぱり取り乱さないのは我ながらエライと思う。
「出来たんでしょ?」
昨日見た二人が忘れられなくて、何百回目か分かんないけど胸が痛む。
沢木の眉間に、深く皺が寄る。なんでそんな顔するの。理由不明のその表情に、また一つ胸が痛んだ。
「出来てねえし」
「はあ?」
今度はこっちがおっきな声を出してしまった。
「なんで、永嶋はそう思った訳」
「なんでって、……あたし見たもん」
「何を」
「あんたと、一年の女の子と、昨日一緒に帰ったじゃん」
だから諦めたんじゃない。昨日一晩かけて、心の奥に深い穴を掘って、そこにコイゴコロになり損ねたものを埋めて、平気なふりをしているんじゃない。
「それなのにあたしなんかと仲良くしてたらその子に悪いよ」
繋がれていない方の手で胸を押して、離れた。なのに。
「悪くない」
どうして手を引き寄せたりするの。そうされちゃったら、もう突っぱねることなんか出来ない。だからと云って素直に握り返すことも出来なくて、ただ俯いてた。もうどうしたらいいかわかんない。出来たばかりの彼女に悪いって思うのに、繋いでみたかったその手を繋げて、心は喜んでる。でも泣いてる。
「なあ、今日永嶋の目が赤いのってそのせい? 態度がおかしいのも」
違う、と云えなくて首を横に振った。なのに、繋いだ手をさらにぎゅうとされた。
「ごめん、俺すげー嬉しいわ、今」
ひどい。
人の心を何だと思ってるの。
好きな人から好かれるだけじゃ足りないの?
抗議しようとして顔を上げたら、今までで一番優しい顔した奴と目があった。
「俺、永嶋のこと好きだよ」
「! じゃ、どして、かのじょ……!」
「だからそれ誤解。not彼女」
「……え?」
「幼馴染だから」
そう告げられたところで担任が渡り廊下の向こう側の職員室から出てくるのが見えたので、二人で慌てて教室に戻った。
沢木から、改めて昨日のことを説明すると云われて部活の後に連れて来られたファミレス。学校の最寄りのそこでは友達が夕方からバイトしてて、席に案内されるなり尋問された。
「ご注文お決まりになりましたらお呼び下さい。――ところでお客様方は、お付き合いを始められたんでしょうか」
「まだだけど告白はした」
「ちょっと!」
バイト中に聞く方も聞く方だし、まんまと答える沢木も沢木だ。
聞いた友達は「やったね!」と小声で喜んで、それからユニフォームのエプロンのポケットから小さな紙を出した。
「お祝い。使って」と笑うと、「いらっしゃいませー!」と大きな声を出して、入口へと歩いて行ってしまった。――お食事半額割引券を置いて。
「どうしよう、これ」
「いいんじゃない? せっかくもらったんだから使おう」
「でも」
「でもじゃねーの。いいからさっさと俺と付き合うことを了承しろ」
そう云うと、おっきいグランドメニューで顔を隠してしまった。
私も、そそくさとメニューの後ろの方をめくった。
和栗モンブラン、メープルシロップ掛けのワッフル、ベルギーチョコのパフェ。
メニューに載っているスイーツはどれもとってもおいしそうだし甘そうだけど、今のあたしの気持ちにはきっと負ける。でも、うちの両親にはまだかなわないかな。
ニヤニヤ顔の友人にオーダーをして、しばらくたってから「よ、よろしく……」と何とかお返事をすると、「おっせーよ」って沢木に笑われた。それを見ただけで、一晩痛んですっかり萎んでいた心が、もう一度おおきく弾む。
「永嶋、今月誕生日だろ? なんかプレゼントしたいと思ったんだけど女子の好きそうなのって全然分かんなくて、幼馴染に相談してたんだよ」
「……ふうん」
「信じてねえだろ」
「うーん」
だって、見かけた時その子はとっても嬉しそうだったから。そう云うと、「あいつは他校の彼氏とラブラブだ。んで、ずーっと『いつになったら告白するのさ』ってせっつかれてて、ようやく俺がお前に誕生日プレゼント渡すって決めたもんだから無駄に張り切ってただけだから」とうんざりした顔を見せた。
「……そっか」
「そうだよ」
いまさらふてた顔したって無駄だ。ずっと目が笑ってる。きっとあたしも。
「じゃあその子にもお礼云わないとだね」
「その前に俺とまずは誕生日にデートして、用意した現物を見てからな」
あ、そうだった。
笑って、それからようやく携帯の番号などなどを交換した。
デートは、部活が休みの日曜日で、私の誕生日だった。『誕生日だから』とバイトを入れずにいてよかった。
「行ってきます」とスニーカーを履くと、お母さんが「今日何時ごろ帰ってくる?」って聞くから、「夕ご飯までには」と答えた。
心配を掛けてしまったので、こっそりとお母さんには彼氏が出来たことを話しておいた。お父さんからはノーリアクションだけどきっと筒抜け。うちに連れて来たら、あんなに温厚なお父さんでも『娘をたぶらかしたのは貴様か―!』ってちゃぶ台を『一徹返し』しながら怒ったりして……ないか。
きっと、嬉しそうに、でも少し寂しそうに笑うんだろうな。『かんなをよろしく』なんて云っちゃってさ。
あたしがまだ見ぬその日を妄想してちょっとだけセンチメンタルになってたら、それを吹き飛ばすみたいに「デート頑張ってね」って、お母さんが笑った。
「頑張るものなの?」
「まあ、それなりにね」
激励なのか先人の教えなのか分からないそれを携えて、待ち合わせ場所へ、いざ。
お誕生日プレゼント、何かな。
沢木の私服はどんなんかな。
あの日、あわてて掘り返した気持ちは元気にすくすく育って、立派なコイゴコロになってる。留まることを知らず、天に向かってまっすぐ伸びるジャックの豆の木に負けないくらいまっすぐなそれは、駅の改札の前に立つ沢木を見つけると、また一回り大きくなった。
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14/10/31 誤字脱字等訂正しました。
15/05/26 一部修正しました。