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ゆるり秋宵  作者: たむら
season1
5/47

ゆっくりダイヤモンド(後)(☆)

 体が揺さぶられている感覚で目が覚めた。

 ふ、と目を開けると、本多君が私の様子を心配そうに覗き込んでいた。

「あ、起きた」

「……っ!」

 寝る前のやり取りを一気に思い出してがばっと起き上がると、まだ酔いが残っていたのでふらついた。

「こら理子ちゃん、急に動いたら危ない」

「ご、ごめんなさい……」

「謝ることないよ。それより気分は? 気持ち悪くない?」

「気持ち悪くないけど頭が少し痛い……」

「じゃあお水飲もう」

 本多君がお店の人を呼び止めて、お水をもらってくれた。

 お腹は空いていないかとか、寒くないかとか聞かれている間に、本多君がTシャツの上に羽織っていたシャツを借りて着たままだったことに初めて気付いた。

「こ、これ」

「あ、いいからまだ羽織ってな。さっき寝てる時寒そうにしてたし」

「……じゃあ、お言葉に甘える、ね」

「どうぞどうぞ」

 私が恐る恐るそう云うと、なんだか嬉しそうな本多君。いいかげん麻友ちゃんに冷やかされそうだと思っていてもその声は一向に聞こえて来なくて、不思議に思った私があたりを見回してみても、やっぱりどこにも麻友ちゃんの姿はなかった。

「本多君、麻友ちゃん知らない?」

「帰ったよ、三〇分くらい前に」

「ええっ!」

 起こしてくれればいいのに、なんて甘えた考え。

「あとはよろしくって託されたからよろしくされた」

「ほ、ほんとごめ」

「謝らなくっていいって云ったよ」

「でも」

「いいの。頭痛いの治ったら駅まで送るよ」

「うん。……ありがとう」

「どういたしまして」

 少ししてからまだ頭痛があるかを聞かれて、もうすっきりしていたのでそれを伝えると手を取られた。

「俺この子送って来るから」とメンバーに声を掛けて、そして「行こう」とお座敷を出てしまう。そこにいた殆どの人が「送り狼か!」「がんばれよー」だなんて冷やかす中、一人鋭い目つきで私を見ている女の子と目が合った。

「理子ちゃん」と手を引かれて、はっと気付いて目を逸らした。慌てて靴を履いて、お店を出る。

 すごく嬉しいシチュエーションだけど、さっきの彼女の目が忘れられない。あれは、多分私とおんなじ気持ちの人……だ。

「本多君、私なら大丈夫だからいいよ」

「理子ちゃんが大丈夫かどうかじゃなくて俺が理子ちゃんを送りたいの」

「……ありがとう」

「どういたしまして」

 ごめんなさいを云われると違うと咎められるから、せめてもとお礼を口にすれば、本多君はふわりと笑う。私よりうんと背の高い本多君と歩いているのに、私のペースに合わせてゆっくり歩きをしてくれてる。そうされるたびに心の中にまた一つ好きが溜まっていく。

「あ、シャツ」

 ひやりとする夜の外気に気付いて、羽織っていたそれを繋いでいない方の手で取った。

「ありがとう、本当は洗って返したいけど、さすがにこれ以上借りてると本多君が風邪引いちゃうから」

「ん、わかった」

 私が何とか片手でそれを畳んだのに、あっという間に広げて肩に掛けて、――わざわざ『一回離すよ』って云ってからシャツに袖を通すとまた当り前のように繋いで、「このシャツ、理子ちゃんの匂いがする」なんて冗談を云う。

 私のペースで歩いてても駅まではあっという間で、でもなかなか「ありがとう、じゃあね」が云えなくて、黙ったまま改札の横に立ってた。本多君も、黙って手を繋いだままでいてくれた。

 どうしてそんな風にしてくれてるのか聞いてもいいかな。お酒のせい? ライブが満足いく出来だった? それとも。

 まさかね、って思ってたその理由をおずおずと口に乗せようとしていたら。

「斗真!」

 鋭い声のする方を見やれば、やっぱりそれはさっきの女の子だった。

「もういいでしょ? はやく戻ろうよ」

 そう云ってぐいぐいと繋いでない方の手を鮮やかなコーラルブルーの爪の手で引いて――力を抜いた私の手は簡単に解ける。

 やめて、なんて云える権利は、私にはない。権利がないのに云う勇気も。

「本多君ありがとう、おやすみなさい」

 ようやくそう云って、改札の中に逃げた。あれ以上二人を見たくなかった。

 だって、あんなにかわいい子が相手じゃ私なんて。


 電車に乗っても、せっかく二人きりだった嬉しいさっきよりも、さっきの最後を思い出して、窓ガラスに映る自分を見てはため息が出た。

 胸が、痛い。



「昨日はどうだった?」

 講義室で顔を合わすなりそう聞いてくる麻友ちゃんをじろりと見て、「どうもこうもないよ」って答える。

 別にそれだけで、詳細を伝えた訳じゃないのに、麻友ちゃんは眉をうんと顰めて「あのチキンが」って云い捨てた。

「本多君を悪く云わないで」

「あいつがちゃんとしてれば今頃まとまってた筈なのに……」

 まとまってたって、なにが?

 そう聞く前に、「あの」って、昨日聞いた声が聞こえて、机に置かれた手の先にコーラルブルーの爪を見た。

「……こんな面倒起こすなら昨日連れて帰ればよかった」

 眉をしかめたままの麻友ちゃんのため息交じりの言葉を、どこか他人事みたいに聞いた。


「やめて欲しいんです、斗真の周りをうろうろするの」

 講義のあと、カフェテリアの隅っこで、その子は座るや否やそう切り出した。

「困るって、云ってたし」

 がん、と頭を殴られたような気がした。

 お冷やを口に運ぶ。震えてる手が見られていないといい。こくりと一口飲んで、聞かなくちゃいけないことを口にした。

「それを、本多君があなたに云えって云ったんですか?」

 もしそうなら軽蔑する。でもそんな人じゃないって知ってる。

「……困るって云ってたのは、本当なんだから」

 子供みたいな言い訳口調に、示唆されたわけじゃないってホッとして、でも傷付いた。

 自分の知らないところでそんな風に云われてただなんて。云ってくれればいいのに。別に私、勘違いしてないのに。今すぐにだってただのファンに戻れるのに。


「じゃあ」と彼女が席を立っても、私はなかなか立てなかった。

 ここのアイスココアは、ハーシーのチョコシロップを牛乳で溶かしたもので、甘くておいしいから大好物。なのに、どんどん氷で薄まっていくそれを、どうしても飲めない。

 本多君と一緒の講義を、初めてさぼった。何かあればいつでもノートを貸せるようにって思ってたことさえ、なんだかおこがましい。本多君は遅刻もしてたけど皆勤だったから余計なお世話だった。


「理子ちゃん」

 そう声を掛けられて、思いきりびくっとしてしまった。

 顔を上げれば、少し傷付いたような本多君が立ってる。すぐににこっと笑顔になって、「ここ、いい?」って云って、返事を聞かずに向かい側に――さっきの彼女が座っていた席に、座った。

「探したよ。今日、いつもの講義にいなかったからノートを後で……」

「困るって、ほんとう?」

 本多君の言葉を、硬い私の言葉が遮った。

 本多君はえ、って顔をしてる。

「昨日駅に本多君を迎えに来た子が教えてくれた。……ほんとう?」

 そう口にすると、今度はあ、って顔をした。そして、すっと気まずそうに目を逸らされた。

 うんとは云いたくないけど、いや? って云ったら嘘になる――そんなところかな。

「分かった、ごめん」

 立ち上がって、手帳のポケットからこれから行く予定だったライブのチケットを出した。

「もう、周りをうろうろして迷惑かけたりしないから」

 それだけ云って、カフェテリアから小走りで立ち去った。


 恋なんて、しなければよかった。

 繋いだ手の熱さなんて、飲み屋街から一本外れた道の夜の空気の匂いだなんて、細い月が綺麗だったことなんて、知らなければよかった。


 

 それから、私は約束した通り、本多君になるべく会わないように気を付けてた。

 同じ大学だし小さいキャンパスだからどうしても食堂なんかが被る――その姿を認めた瞬間、麻友ちゃんと若菜ちゃんにガードされて、遠い席に連れて行かれた――し、水曜の二コマ目も単位を落としたくないからサボれない代わりに、振り向かず最前列で講義を受けた。やっぱり二人は私の左右を固めてくれた。

 ライブにもいかなかった。せっかくの学祭のステージも見ないで帰った。

 そんな風にしてると、日にちが立つのが早い。

 なのにどうしても恋心は弱ってくれない。


「もうヤダ……」

「何が」

 水曜二コマ目のあとの階段。

「諦めが悪い、私」

「別に諦めなくっていいんじゃないの?」

「だって困るって云われたも同然なのに」

「……ほんとに、一発殴ってやろうかあの男は」

 あれ以来、麻友ちゃんの眉間には皺が常駐している。私なんかの為にそんなに怒らないでって笑ったら、もっと眉を寄せられた。

「理子はもっと怒っていいでしょうが」

「……怒る権利なんてないよ。もう、いいの」

「でも忘れられない?」

 突然、ずっと静かに会話を聞きながらメール――相手は多分らぶらぶ彼氏――してた若菜ちゃんがすっと顔を上げた。

「うん」

 困るって云ったと認められて、私もただのファンに戻りたくて、でも気持ちはどうにもならなかった。

「じゃあ、合コンでもセッティングしようか」

「え」

 これには、麻友ちゃんも驚いてた。

 若菜ちゃんがまたメールを打ち始めて、「洋介さんにメンツ揃えておいてってお願いしてみる。あそこの常連さんの上杉さんの部下の人とかならきっと粒ぞろいだろうし」とすっかりその気だ。

「わ、若菜ちゃ」

「――そんなのは駄目だ!」

 突然響いたその声の強さに驚く。だってそんな云い方する人じゃない、はず。

 きょろきょろしてみても、講義室のあるフロアにはその姿はない。と思ったら、力強く階段を上がってくる足音が聞こえてきた。

 きゅ、と靴底が方向転換する音が、三回。そして、強張った顔の本多君が、階段に座ってる私の前に現れた。

「――!」

 立ち上がって逃げようとしたら、「逃げないで、お願いだから」と留められた。また、すとんと同じところに座って俯く。

「何しに来たの」

 三階から、麻友ちゃんが七センチヒールで仁王立ちして、階段の途中にいる本多君を見下ろす。

「今更、惜しくなったとかかな」

 にこにこした若菜ちゃんの艶やかな唇からも、辛辣な言葉が飛び出してきた。

「言い訳を、しに来た」

 弁明を始める前に、ちゃんとそう云える本多君がやっぱりいいなあなんて、また好きになってる自分を嗤いながら言い訳とやらを聞くことにした。


「理子ちゃんに、嫌な思いをさせてごめん」

 場所を変えて二人で大学近くの古き良き喫茶店へと足を運ぶと、まずはそう謝られた。

 ううんそんな、なんて嘘は云えなくて、黙り込む。

「困るって云ったのは本当。だけど、理子ちゃんが聞いたのは意図的にピックアップされたところだけなんだ。――聞いて、もらえる?」

 少しだけ心が動いて、僅かにこくりと頷くと、「ありがとう」って本多君が云う。

 傷付くかもしれないけど、どんな話をするのか聞いてみたかった。

「もう、ばれてると思うけど、理子ちゃんにそれを云いに行った子は数少ない俺のファンで、――飲み会で理子ちゃんを送った後、彼女から告白された」

「!」

「でも、断ったんだ。だって俺には好きな人がいたから」

「……」

「俺はその子がえらく恋愛に不慣れなくせに、自分でも分かってないまま誘惑するから困ってるって、そう云った」

「……?」

 ちょっと、待って。ってことは。

 思わず顔を見上げると、私をじっと見つめてる本多君がいた。そして、ため息を一つ。

「まさか、告白する前に俺の云ったことでこんな風になるなんてね。……ごめん」

 こんどは、本多君が俯いた。

「理子ちゃん……藤村(ふじむら)さんに無理のないペースで、少しずつ仲良くなれたらって思ってた。さっき講義の後、どうしても話を聞いて欲しくてあちこち探してやっと声が聞こえたと思ったら合コンなんて話が出て、気が動転した。うっかりデカい声出したりして、ごめん」

 名字を、知らない訳じゃなかったんだ。こんな時なのにそんなことで嬉しくなって、でもいつもみたいにじゃなく、名字で呼ばれたことをさびしく思う。

「信じて欲しいなんてもう云えないけど、俺は君が好きでした」

 震える声でそう云って、顔を上げた本多君は、いつもみたいに笑ってた。

「時間取らせてごめんね」

 謝るんじゃなく、『ありがとう』を教えてくれた張本人が、今日は謝ってばっかりいる。

 伝票を指に挟んで立ちあがった本多君を、とっさにとどめた。

「待って」

「り……藤村さん」

「待ってよ、一人で決めて勝手に先に行かないでよ」

 手を伝票ごとぎゅうっと握る。

「私のペースに合わせてくれるんでしょう?」

 自分の中の勇気をかき集めて、深呼吸。気絶したっていい。でもそれは伝えてからにしよう。がんばれ私。

 今まで一度も誰にもその言葉を云えなかったのは、今この人に伝えるために取っておいたから。

 そう思ったら、するりと言葉が出てきた。

「好きです。本多君も本多君のベースも、好き」

 そう伝えたら、「夢見てるみたいだ」と本多君が呟いて、そして私のすぐ隣にすとんと座って、私の肩に凭れた。

 長身の人がそんな風にするから、鳥の巣頭がふわふわ私をくすぐる。鼻先も、首筋も。

「本多君、また、下の名前で呼んでくれる?」

「もちろん――理子ちゃん」

「また、髪の毛触らせてくれる?」

「俺以外の男の髪に触らないって約束してくれるなら」

「触る訳ないよ、本多君だから触りたいの」

「――ほらまたそうやって俺のこと誘惑する」

「してない、けど」

「うん、もういいや、だって」

 恋人同士なら問題ないから。

 私にだけ聞こえる声でそう云って私の顔を真っ赤にさせてから、「行こう、理子ちゃん」と本多君は一足先に立ち上がり、繋いだままの手をきゅってした。

「うん」

 歩き出す。多分他の人よりずいぶんゆっくりな、私のペースで。

「本多君」

「何、理子ちゃん」

「今度鼻歌聞かせて」

「ええ?!」

 本多君にしてみたら突然の、でも私がずーっと温めてた『本多君にして欲しい』リクエストに、本多君は少しびっくりしつつも、「俺の鼻歌きいて理子ちゃんが笑わないならいいよ、でも周りに人がいない時にね」って云ってくれた。調子に乗って、もう一つリクエスト。

「本多君の高さの景色を見て見たいけど、でもおんぶは重いよねえ」

「いいよ、いつかお姫様抱っこで見せてあげる」

「わあ、楽しみ!」

 私のこのリアクションに本多君は苦笑して、――あとからお付き合いすることになりました、と報告した時に若菜ちゃんと麻友ちゃんにもこのやり取りを教えると、「本多、前途多難そう」と、ようやく麻友ちゃんが顰め面しないで、でもちょっといじわる気に笑った。



 その時はどうしてよ、って思ったけど、念願かなって一年後、初めて二人で旅行に行った先のホテルのお部屋でお姫様抱っこをしてもらって、酔っ払った時のあれこれも、『本多君だから触りたい』発言もお姫様抱っこを楽しみと言い切ったことも、自分が何の気なしにしていたあれらは確かに誘惑だったと、ようやく自覚した。

 気付くのが遅くてごめんね、と云おうとして、そうじゃないと思い直す。

「斗真君」

「何、理子」

 付き合っていくうちに呼び方が変わった愛しいひとの名前を、キスを交わしながら互いに口にする。

「ありがとう、大好き」とベッドに横たえられながら伝えると、「だからそれも誘惑だって」と、斗真君からやや乱暴なキスをもらった。


 私のペースに合わせるって、云ってくれてありがとう。

 ご飯を食べるのも、熱い飲み物も冷たいアイスも、映画を選ぶのも、並んで歩くのも、全部私はゆっくり。

 斗真君を思うきもちは、その中でも特別ゆっくりと時間を掛けて、胸の内に輝いている。

 ダイヤモンドに負けないくらい、光ってる。


「ゆるり秋宵」内28話に本多君目線あります。


14/10/30 タイトルに(☆)追加しました。

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