実在のずきゅーん(☆)
「夏時間、君と」内の「マボロシのどかーん」の二人の話です。
『デートしましょう』って、時々誘われる。
で、ご飯食べたり、飲んだり、映画を見たり。――キスしたりハグされたり「好きだ」って言われたりはなくて、すんごくお行儀良いデート。てかデートなのかコレ。認めたくない。だって向こうから何にも聞いてないし。『好き』とか『付き合って』とか。ファイナルサマーセールもオータムフェアも終わって、それでもまったく進展なしってどういうこと。
なのにまた、『デートしましょう』ってメッセージがあちらからぴゅーんと飛んでくれば、すぐにOK! なスタンプを返しちゃう自分。チョロすぎて泣ける。クッソ。無駄に期待持たせんなや。
毎回、覚悟してんのよ。今日こそ、今日こそって。
いそいそお支度しちゃってさ、でもおろしたての服を披露するのはくやしいから、何回か袖を通したお気に入りを纏ってさ。なのに。
毎回、不発弾を持って帰ってきてる。すごすごと。
脈なしの恋でもいいの、なんて言えるほど健気じゃないし、そんなに気が長い方でもない。
だからもう、今日はNOTデートモードかつ、今日でおしまいにしようって思った。
デートは、好き合ってるか付き合ってる人がするものだもん。こっちばっかじゃ、成立しないじゃん。元ヤンじゃないけど筋が通ってないのは嫌い。ずるずる曖昧な関係が続くのなんてまっぴらごめんだ。
そんなやさぐれ状態で向かった居酒屋の小上がりで、青山さんはいつもよりなんだか元気がないみたい。
お酒のペースはいつもと同じ。ゆるゆるーっと、でもいつもと違ってずっと口を付けてるからけっこうな速さでグラスが空になる。そんな飲み方してても顔色ひとつ変えやしない。むしろ、グラスの中身は水です、みたいなのほほんとした顔。
頬杖ついて、伏し目がちにしゃべる。口元はずっと優しく微笑んでる。
うん、でもやっぱり元気ないな。スーツの肩の辺りがしょんぼりしてるもん。
とことん自分の中で消化したいタイプの人なら、ここで『どうしました?』って聞いても無駄。
青山さんは、言ったら楽になるタイプかなあとか彼女でもないのにそこまでつっこんで聞いちゃっていいのかなあとか思いつつ、結局はこらえ性のない口が「どうしました?」って言っちゃってた。
「……どうって?」
「なんだか、元気がないように見えたので」
「え、僕そんなあからさま?」
「それほどでもない、と思いますけど」
それってつまり私があなたのことよ――く見てますよって言っちゃってるも同然だったけど、お元気じゃないらしい青山さんは頬杖しながら「そうかあ」と苦笑するだけだった。
「あ、私が聞いちゃって大丈夫なやつです?」
「いいんじゃない? まあまだ社外的にはオフレコだけど――」
そう言うと、青山さんはちら、と周囲に目を配ってから、内緒話のように手で口元を隠しつつ私の耳元で「旗艦店が閉店します」と囁いた。
「え、」
「表向きは、老朽化したテナントが取り壊されることになっての撤退、だけど、次新しくどこかに入る予定は今のところない」
「……そうですか」
まだここまでお店が全国に出来る前、旗艦店は『あそこに行けば必ずほしい雑貨が待ってる!』って評判のショップだった。私も、学校帰りに足繁く通って、バイト募集の知らせを聞けばアタックしに行ってた。
今、正社員やパート社員で入っている人たちは皆、似たような経歴の持ち主ばかりで、だからうちのお店は自社の雑貨が大好きなひとたちだらけだ。たまに、『大学から近いんでバイトここに決めましたけど、そこまで雑貨好きって言うわけでもないです』という子もいるけど。
青山さんは、グラスの中に言葉を落とすようにぽつぽつと話し続ける。
「全国にショップを展開しすぎた、なんてことも聞くけど、片道二時間かけて県外に買い求めに行く、なんてお手紙をもらった社長がもっともっとショップを増やそう、って思ったのも間違いじゃないと思うよ、個人的にはね」
「……はい」
「旗艦店だけじゃなく、売り上げ不振の小規模店舗を中心に、これからクローズが増える。僕は店舗出店計画には携わっていないから何の権限も影響力もないけど、でももっと、なんか出来たんじゃないかって、おこがましくもそんな風に考えてしまうんだよね」
「おこがましくはないんじゃないですか?」
「……」
「社員なら、会社のこと考えるの当たり前じゃないですか。私だって、青山さんほどじゃないけど時々考えますもん。そっか、それで元気なかったんですか」
「……ちょっとだけ」
「じゃ、なんか元気出るものでも食べてください」
「もうおなかいっぱいだよ。……ありがと」
「どういたしまして」
まーた感謝されちゃった。積んだ徳は、次の恋まで持ち越せるかな。
結局この人は私の恋人にはなってくれなかったけど、元気になったならよかったよ。
残っていたお酒をくっと飲み干して、「そろそろお開きにしますか」って、自分から席を立つ。
「おいしかったですね~」
「ああ、また来たいな」
そういう、勘違いさせるっぽい言葉に、今までは『絶対ですよ』なんて食らいついてたけど、もうしない。
私が黙ってたら、青山さんはおや? という顔をした。ふん、遅いよ。
でもって、私が「青山さん、これ」と半額相当を出すと、おやおや? という顔になる。
今までは『デート』っていうお題目の下、一向に手出しをしない青山さんがお財布を出してくれて、私には払わせなかった。でも。
「……楽しかったです。でも次からは副店長とエリマネとして、デートじゃなく普通の飲みとして承ります」
私がいくら飲んだって、私より飲んでるはずの青山さんは常にきちんとしてた。
不用意に近くなることも、触れることもなくって、めちゃくちゃ紳士。そっか、当たり前だよね。エリアマネージャーだもん。立場のある人が下の人間になんかしたらセクハラになっちゃうもんね。だったら、思わせぶりな態度なんか取らなきゃよかったのに最初っから。
私が突き出したお金を「……分かった」といったんは受け取って、青山さんはまたそれを私の手に包ませながら自身の手で上からきゅっと包んだ。は? その気もないのに優しくすんなや。オイコラ勝手に滲んでくんな、涙。
「そんな顔させて、すまないね」
「あやまんな!!」
飲んでるからか止まらない涙を、青山さんは繋いでない方の手に持つハンカチでひょいひょいぬぐう。すっきりと香るライム。うちで取り扱ってる、私も好きなリネンウォーターだ。無関心になりたいのに、またひとつ青山さんを知ってしまう。クッソ。
「私のこと好きじゃないくせにこういうの、どうかと思います」
手を繋がれたまま言ったって説得力ないけど、でも言った。
青山さんは「好きじゃないって言われるのは違うなあ」とのんきに返す。
「でも、」
何もなかった。アクションも、言葉も。デートって言われるだけで。私が、そのたびに浮かれるだけで。
そう言ってしまうのはちょっと自分がへこみそうで言いよどんでいたら。
「僕は、『導火線に火』じゃないだけって言ったよね」
「……は?」
「線香だって、馬鹿にしたもんじゃないよ」
「…………は???」
「低温やけどってあるでしょう、あんな感じ。少しずつじりじり焼かれて、気がついたら大変なことになってる」
それはただの低温やけどの説明なのか。
それとも。
ぬぐわれてクリアになってた視界が、またぼやける。それをまた、ぬぐってもらう。
「たいへんなこと、って?」
「もはや黒焦げ」
「ちゃんと言って」
「そうだよね。いや面目ない」
「いーから早く言えや!」
「ガラ悪いなぁ、もー……。好きです」
「そんなさらっと言わないで」
「もっとねちこく?」
「そうじゃなくって!」
私が噛みつけば噛みつくほど『愉快!』って顔しやがる。
くそ、とマボロシのボタンに手を掛けようとすれば、「こらこら、だめだってば」と、親指が人差し指の付け根に食い込むのを阻止するように、上から包んでる手をぎゅっとしながらのんきに言うし。それでチョロい私は、まんまとおとなしくなっちゃうし。
「もーねー……、こんなん久しぶりでさ、脇汗も手汗もひどいんだから許してよ」
「私気にしてません」
「二〇代爽やか男子のフローラルの香り、だったらそうだろうけど、冴えないおっさんの汗だもの、……ビビりもするよ」
そう言って笑うと、影になってる部分がもっと深く陰っているように見える。
「まさか二〇代の女性と付き合うだなんて思ってもなかったし、見初めてもらうとも思ってなかったから、気持ちがゆっくり育ちつつも大混乱中なんですよ」
だから?と 睨めつけると「剣呑剣呑」と昭和のおじさんみたいなことを言う。
「だからね、すっごいビビってたんだけどさあ、でも毎日気になっちゃって。今どうしてんのとか、またヘンな客の相手して親指の付け根に爪痕いっぱい付けてない? とか」
そう言うと、手を繋ぎ直しながら爪痕を付けがちなあたりを、親指の腹でそっと撫でる。
「で、さっきの、こっちの凹みを見事に察知してもらえたの、……すごく嬉しくてね。これはもう降参する頃合いかなあと」
「具体的に」
「お付き合いし」
「よろこんで!!」
「はは、早」
僕まだちゃんと言い切ってないんだけどと言いながら、青山さんは私を割れ物を包むみたいにふわんとハグした。
そんなこんなで、やっとお付き合いが始まった。
でもまあ、各駅停車で特急の通過待ちみたいな人だから、劇的に何かが変わったりはしてない。今のところ。
お店にはヘンなクレーマーはやっぱり来るし、万引きもあるし、欠品も不良在庫もある。
でも。
「お疲れー」
「お疲れ様です」
「ん」
売り上げ日報やら売り場のレイアウトやらをチェックする青山さんは、来るたび私の指の付け根もチェックする。そこに爪痕がなければほっと笑顔になるし、今日みたいに跡が付いてるとのほほんとしつつちょっとだけ怒ってる顔で詳細を問われる。今日は爪痕多めだから、心配マシマシトッピングな「何事?」だなあ。
「黙秘します」
「ああそう。ねえ、今日ヘンな客来なかった?」
私が答えないと、通りかかったスタッフに声を掛けて「あ、来ました来ました」なんてぺろっと答えられてしまう。
「何があったか教えてもらえる? 僕の担当してる他のお店と、本社にも注意喚起出しとくから」
「了解でーす」
エリアマネージャーの青山さんは、クレーマーの対策に力を入れることにして、それを上にも進言してるらしい。確かに、『雑貨は好きだけど理不尽なお客様の対応がもう無理です……』という離職は少なくない。すぐには無理でも、会社が社員やアルバイトを守ることに本腰を入れてくれたらすごくありがたい。
この取り組みは直接売り上げにはかかわらないかもしれない。だけど、『なんか出来たんじゃないか』のなんかを、一つずつ見つけて頑張る青山さんに、私はまたずきゅーんと心臓をやられてしまう。
なにさ、線香のくせに。
そう毒づいてるけど、もうすっかり自分が負けていることを知っている。クッソ。
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