彼女はエスケープ(☆)
「ゆるり秋宵」内の「となりにワープ」の二人の話です。
告白される現場といえば、空き教室に体育館の裏など、人目につかないところと相場が決まっている。
いつだろう、そこがあいつのくつろぎの場だと知ったのは。
もう何度目になるだろう、それを分かっていて場所を変えずに告白を受け、『誰か好きな人がいるんですか』という問いの答えを聞かれぬまま逃げ出されるのは。
俺のことを爽やか、なんて云ってくれる人がいるけど、それは俺にはふさわしくないって自分が一番よく知ってる。その称号はいっこ下の部活の後輩の高地だったり(奴はちょっと子供っぽいところがあるけど)、隣のクラスの沢木君にやってほしい。二人ともちゃんと爽やかだし、ちゃんといい奴だから。
見てくれでそんな風に判断されがちな自分の中身は、よく云えば策士、悪く云えば腹黒、なのかも。
それに加えてドライな気質でもあるんだけど、だからこそ暑苦しいバスケバカたちの部の部長なんてものをつとめられたのかもしれない。あいつらにいちいちつきあって、その意見をすべてかなえようとしてたら日が暮れる。出来る/出来ないでさっさと決めて、揉めごとがなるべく起きないようなチーム分けをすれば、『部長sugeeee!』とそのたび低音の声(もしくは気色の悪い裏声)で驚嘆された。
ちら、とバスケ部の男女のスペースを仕切っているネットの向こうでむつかしそうな顔して立ってる女を見る。こわい、きつい、くそまじめの三拍子揃った女バスの部長・林。いつも背をピンと伸ばして仁王立ちして、恐怖政治で部内を制圧している。
でもバスケが根っから好きで、誰より熱心に練習に取り組む背中をみんな知っているから、一丸となる体制が成立してるんだろうな。
俺とは真逆のアプローチ。でもうらやましいよ。
うらやましい、だけでは済まずに好きになったのは、もう二年も前のことだ。
小さいころから欲しいものは必ず手に入れていた。
簡単に手に入るものもあったし、もちろんその逆もあった。でも、手に入れる方法、――タイミングをきちんと読んだり、いい子の自分を積み上げて、ここぞという時にねだったり――を自分は自然と知っていて、行使するのに躊躇も罪悪感もなかった。そんな俺から見ると、林はとても効率が悪く不器用な奴、という印象ばかりが強かった。
要領が悪いんだから目立たないように大人しくしておけばいいのに、あいつときたら意見も自分の在り方も、人に云われたなんて理由では少しも曲げたりしない。正しい意見を通すことがいつでも正しい訳じゃないと俺は少し醒めたスタンスにいるけど、林は違う。
わざわざ、なタイミングで、誰もがスルーしているっていうのに空気を読まず、のこのこと出しゃばって、臆することなく意見して。
相手が同級だろうが二年だろうが部長だろうが顧問だろうが、関係なく。
「そんなやり方してたら、目ぇつけられるぞ」と幾度となく注意した。そのたび、「分かってる」と膨れて、やつ当たりのようにがしがしとボールを磨く林。そして、何の話だっけと忘れるほど時間が経ってから「……でもありがと」と律儀に礼を口にする。絶対に。
お前にもう少し柔軟性があったら、完璧なんだけどな。――まあ、そんなのはまったくもって林じゃないけど。
一から十までそんな調子なものだから、とにかく危なっかしくて仕方ない。おかげで、気がついたら体育館を真ん中で分ける緑のネット越しに、いつも目で追う羽目になってた。それだけじゃなく。
正論吐いて煙たがられて、悔しげな顔をしながら、それでも黙々と目の前のことをこなす奴を、いつしかほほえましく思ってさえいた。
あいつの良さは、『頑固もの』っていうタグを事故物件の魔除けのお札ほどべたべたに貼られたその奥にあるから、おそらく親しくない人間にそう簡単には理解されない。
そのままそうやって隠れてな。俺だけが知ってればいいよ、林がほんとは頑固なだけじゃないって。
自分にとっては耳の痛い、嫌なことを聞かされて、それでもちゃんとお礼の云える子だなんて、誰にも教えたくなんかない。
そう思ってた。
ある日、ミーティングで林は不当に槍玉にあげられた。
あいつの性格上、いつかそういう事態に陥るだろうな、という見当は勝手につけてたから別に驚きはしなかった。まあ、だからって俺に出来ることなんてない。
女子の話に男が首を突っ込んだって何の解決にもならないどころか火に油を注ぐだけ。それも分かってた。でも、集団だということで気が大きくなってるのか、林からの注意に反省するどころか、そいつらは半笑いで言いがかりをつける始末。
我慢できなかった。いや、気が付いたら声を荒げてた、が正しい。
「真面目の、何が悪いんだ」って口にしながら、何云っちゃってんの俺、と呆れる自分もどっかにいたけど、そいつは抱えていた怒りを鎮火してはくれなかった。
いつも見せてた『森君』じゃない、自分の苛立ちを隠さないまま痛烈な言葉を続けて放った俺に、林以外の女子は想像どおり鼻白んだ。そして。
――きっと林はかたくなな顔のまま「余計なこと云わないで」なんて口にするんだろう。フォローしたつもりのこの行為は肩透かしで、なおかつ徒労で、おまけにわざわざ敵を増やしたに違いない。あーもう、らしくないことなんてするんじゃなかった。
自分の馬鹿さかげんにただヘコんでいると。
林が、泣いた。それだけで、びっくりするくらいめちゃくちゃ動揺した。
女子の涙を初めて見た訳じゃない。涙を武器にされたことだって何回かはある。自分には通じなかったけど。なのに、どうして今俺はおろおろしてる? その理由さえ分かんないで、ただそこにいることしか出来なかった。
自分が誰かにひどく心を揺さぶられるなんて、と思いながら、タオルに顔をうずめた林の、その頼りない姿から目が放せない。
なんだよ。いつもむかつくほどまっすぐで強い子のお前、どこいった。
そんなに弱い姿を隠し持っていたなんて、反則にもほどがある。試合なら一発退場レベルだろ、――ああ。
こいつ、ただの女の子だったんだ。バスケが好きで、正義感が強くて、曲がったことができない、とびきり不器用な。
そう思うと、心は何かで満たされる。あたたかい、あつい、どうしようもない何か。
扱い方なんか知らない。いなし方も。今までの常識がまるで通用しないもの。
小器用な俺を笑うように、その日芽生えてしまった気持ちは、タイムラプスで見るヒマワリの成長よりも早回しでぐんぐんと育っていく。
他の女子なら、きっと簡単だった。あいつは違う。ゴチをちらつかせてもはだかの上半身を見せても、ちっとも食いついてなんかくれない。おまけに、告白される場をわざと林の憩いの場のすぐ近くにして何度聞かせてみても、それについて苦情を云われもしない。
他人がいると知ったら気まずいだろうと気を遣うのか(俺にではなく、告白してくる子に)林は徹底的に気配を消して、いつもこっそり撤退する。だから、一番聞いてほしい『誰か好きな人がいるんですか』という問いの答えを、当の本人だけが知らない。
頼むから、なんかしら反応してくれ。俺ばっかり空回りしてるなんて嫌だ。こっちを向いて俺を見てくれ。
――正体不明だったその気持ちに、とうとう名前がついてしまう。
それでも嫌われたくなくて、自分からは身動き出来なかった。どうでもいい人にはいくらでも云える言葉も誘いも、林相手には気安く繰り出せないという体たらく。今まで真面目に人と向き合ってこなかったツケが溜まりに溜まって、今ここで一括払いする羽目になっている、と気付いてみてももう遅い。
部長同士の間はよかった。それを理由に連絡を取れたから。その役職さえ取っ払われてしまえば手札を失った俺はますます動けなかったし、クソ真面目な向こうから用もないのに連絡が来るなんてこともない。映画やドラマみたいなミラクルも起きないまま、じりじりと日にちばかりが過ぎた。
どうしたらいい。
本当は分かっている。きちんと告白しなければ伝わらないこと。何とも思わない女子からされているように、望みがないと分かっていても相手に伝えなければ、何も始まらないということも。
すきです、と口にすれば一秒。まだ自分には訪れない一秒。いずれはそれから逃げられない一秒。
今日も告白を受けてお断りをして、いつもならさっさと踵を返すのに、なぜかつっ立ったままそこにいた。時折吹く冷たい風が落ち葉を転がす、乾いた音を聞く。
こっそり逃げ出す足音が、今日はなかった。告白された現場でバッティングされなかったことにホッとしているのか、ここにいないことにガッカリしているのか。両方でもいいか。
まったく、しばらく会話すらしてない女に、なんでここまで俺は執着してるかな。
どっぷり受験モードで、うわっついてる場合じゃないのに。――いや。
あいつも頑張ってんだから、俺も頑張んないとって、勝手に励みにしてる。それで、もし二人とも進路がちゃんと決まったら、そん時はもう逃げないで告白しようって、そう決めてる。今すぐに、じゃないところが情けないし、成功率もきっと低いだろうけど、仕方ない。
林を好きになって、人を好きになるってどういうことかを知ったんだから、受験期なのに今、こんなに心を縛られてることも、仕方ない。
そんな風に納得して、踵を返そうとした時。
がさ、と人が動いた音が、倉庫の奥の方から聞こえてきた。まさか。
今日はいないと思ってた――ああ、こんな吹き溜まりにいたんじゃ、いくら足音を潜めて逃げても、たまりにたまった枯葉でさすがに分かってしまうから、動けなかったのか。
なるべく落ち葉のないコンクリの部分を、林を真似てこっそりと歩く。角を曲がる。
林が、枯葉の中で静かに泣いていた。
半ば埋もれて横たわり、魂が抜けたような顔で涙を流しているその姿は、美術の教科書に載っていたミレーのオフィーリアみたいだ。
俺と、告白してきた子の会話で、そんなふうになっているのなら。――だとしたなら。
めったに泣かない林のぐしゃぐしゃな泣き顔に、心は痛みながら仄かに歓喜する。
こちらに気付いて逃げ出そうとする林を閉じ込めて、臆病な心で一つひとつ問いただした。そして、ようやくの一秒。
やっと云えた。やっと、手に入れた。離すもんか。何度ワープされても必ず捕まえる。
ついさっきまで自分からは動けなかったくせ、もうそんな風に思う。
困らせたくはないからそれなりに我慢はするけど、俺はお前の足首にぎちぎちと食い込むトラバサミのように、執着する。きっと想像以上に気持ちは重たいだろう。ほら、今だって『いつから自分が好きか』なんて聞いてみてもしょうがないことをわざわざ聞いて、林の決して軽くはない口からそれを引きずり出して、自分と同じ時からだと知って喜んで。こんなのは今まで見せてた自分とは違う。幻滅されたら、と心が竦む間もなく、林がはにかむ。そんな風に笑うから、ますますこちらが図に乗るんだなんて知りもしないで。
彼女の頭に、まだ残っていた枯葉のかけらを抓む。図らずも縁結びをしてくれた秋の落し物を見るたびに、今日のことを思い出すんだろう。
泣いていた林、やっとの一秒、これから始まる二人。
「おまたせ」
待ち合わせに少しだけ遅れてやってきた林は息を弾ませている。
「急がなくていいって云ってんのに」
「だって」
真面目な彼女は相手を待たせたくないから、といつも時間より早く来ている。今日はたまたま電車が遅れたからこうして自分より後に来たけれど。
走ったせいで乱れた髪を梳いていたら、「……早く会いたかったから」と俺でないと聞き取れない声で呟く。
せっかくかわいいことを云ってくれたのに、切り替えのへたな林はこうなると照れてそっぽを向いたまま、元に戻るまで長くかかる。急かしても仕方がないので、俺は気長に待つことにしている。デートの予定はお茶をする、なので特に急ぐ理由もないし。
二人して無言で歩いて角を曲がる。すると、そこには歩道を埋め尽くすほどの落ち葉。黄色も茶色も赤もランダムに描かれている。林がオフィーリアのようだったあの時と同じに。
「同じだね」
「うん」
林が、それを覚えていたことが嬉しい。自分だけでないのが嬉しい。
いま、二人で同じ景色を見ていることが、何より嬉しい。
「行こう」と声を掛けてまた歩き出す。
一年前の予感は大当たりで、俺は未だに執着心がすごいしめちゃくちゃ重たい。受け止める側の林に幻滅されていないのをいいことに、その重量はどんどん増している。その細い足首に相変わらずトラバサミがぎちぎちに挟まっていると未だ気付いていない林は、無邪気に笑いかけてくる(やっとテレが落ち着いたらしい)。手をのばすと、当たり前のように繋いだ。
「今日行くとこ、スイーツが豊富らしいから、何食べようか迷っちゃうね」
「俺はいつも一択だけどね」
「知ってる、チーズケーキでしょ」
からかう林に笑みだけ返した。
俺はいつでもお前一択、なんだけどね。
高地君→ https://ncode.syosetu.com/n4804ce/7/
沢木君→ https://ncode.syosetu.com/n0063cq/21/
21/01/03 誤字訂正しました。
 




