宇宙のどこかのラブソング(☆)
「如月・弥生」内の「イージーでルーズでジェントル」及び「夏時間、君と」内の「スムースでジャジーでメロウ」、「ゆるり秋宵」内の「結城ボーイの苦悩」、「夏時間、君と」内の「ソングバードの退屈」に関連しています。
バイト先の不思議ちゃんは、宇宙人。てか、マジもんの天然。正直、すっげー苦手。
悪い人じゃないよ。でも無理ああいうタイプ。自分のことわざわざ『ワタシ』って、カタカナで呼んじゃうのって自意識過剰でしょ。
さすがにフロアで接客中はしないけど、バックヤードだとか通勤で歩く道すがらで、ところ構わず鼻歌唄うとかなんなの? 周りも許容&拍手してないで注意しろよ。
だいたい、いいご身分ですよねー。フリーター兼インディーズレーベルの歌手なんていうふわっとしたポジションで余裕ぶっこいてるのは、彼氏さんがお役所の職員さんだからですよねー。将来有望、安定な未来が待ってたら、そりゃーふわふわな人生送っちゃいますよねー。
別にいいんだけどさ、俺の目につく範囲にいられると、無駄にイライラする。
そういうのが思いっきり態度に出まくって、宇宙人にだけすげーヤな感じにふるまってた。挨拶されても無視したり、他の人とだけ仲良くしたり。
本人だってさすがに分かってると思うけど、店長に怒られるか、客からクレーム入れられるかしたら改善するよ、なんて思ってた時。
「ちょっといい?」
突然、宇宙人の婚約者に声を掛けられたバイト上がり。
その人の腕にぴったりと寄り添ってるのは、今日はシフト入ってなかった宇宙人。何しに来た、って思いたいけどここは駅のテナントだから、別に休みの日遊びに来てたっておかしくはない。
店を出たタイミングでつかまって、俺はダルそうにスマホいじってたから、『忙しいんで』とか言い訳もできないで「……はあ」と返す。すると婚約者は宇宙人の言うところの『グッドルッキングボーイ』な顔で「よかった」と微笑んだ。
おいおいまさか三人でメシとか? 勘弁してくれよ。親睦を深めるためのリソースなんか一 MBもねーぞ。
そう慄く俺の前で二人は当たり前のように絡めていた指をそのまま遊ばせながら会話してた。
「みずほさん、二階の雑貨屋さんからずーっと欲しがってたサメのぬいぐるみ再入荷したってメール来てたよ。見てくれば」
「え、そうなの!」
とびきりよく弾むスーパーボールみたいに、宇宙人はつやっつやな声を上げた。その声音も顔も、すべて婚約者だけのもので、いつもバイトで見せてるのとは全然違う。
繋いだ手をするりと離して「慧君ありがと! 行ってくる!」と言うが早く、走りだしてしまった。おいおい、たかがぬいぐるみ一つで走ったりすんな危ねえな……。
ヤベー職業の人とぶつからねーだろうなとか、エスカレーターから落ちねーだろうなとか、頼まれてもいない心配をして走って行った方を見ていたら。
「大丈夫。ああ見えてしっかりしているから」
婚約者が、『お前は知らないだろうけど』という言葉が聞こえるようなマウントを取ってきた。てか。
「……なんか俺に用すか」
「そうだね、少し。そんなに時間は取らせないよ」
そう言うと、立ち話もなんだからと、今上がったばかりの店に二人して入ることになった。
向こうは俺がここで働きだすより何年も前からここに来ているから、他のスタッフにも当然顔を知られていて、「あれ結城君、今日は珍しい組み合わせだね」と何人かに笑われたりしてた。
俺はクリームソーダ、あっちはコーヒーをオーダーして、ほどなくしてそれがやってくる。宇宙人は、と思っていたら「さっき来たメッセージによると、みずほさんは一番大きいサメを二匹連れて帰るか、大中小で一匹ずつにするかで長考中だそうだ」とホットコーヒーに口を付けつつ婚約者が言った。
「一個だけっていう選択はねーのかよ……」
「一匹だけだと寂しいだろうって。優しいから、彼女は」
綺麗な光景にはしゃぐ人を遠くから眺めているような、そんな淡く優しい表情を浮かべていた婚約者の顔は、俺を見ると微笑んだまま底冷えする凄みのあるものになる。
「だから、やめてくれないかな」
「……なにを」
「何度も無視したりわざと意地悪したり、いろいろと彼女にひどい態度を取るのは」
「――そう言うように頼まれたんですか」
「そういうような人じゃないんだよ、知ってるだろ?」
「……」
俺の沈黙を婚約者は『YES』と判断し、話を続けた。
「『嫌われるのはしかたない。でもなんだかつらそうだから』って、心配する人なんだよ。気になる存在の気を引きたい気持ちは分かるけど、だからって意地悪するのは手段として正しくないんじゃないかな」
「――――――――は?」
「あれ、気付いてなかった? やだな、めんどくさ……」
はあ、とため息をついてから、婚約者はにこりと笑う。
「言っとくけど、君がこれを機に態度を改めて素直にアプローチしてきても、俺は全力で排除するし、それこそ手段は選ばない。君を社会的に抹殺するのなんて簡単なんだからね」
「……あんた何言ってんの? 公務員だろ?」
「地方公務員ね。それがなにか?」
「このやりとり、役所にチクったらあんたクビじゃね?」
「そうしたければそうすれば? 別に俺は構わないよ。ちゃんと記録しているしね」と、胸元に挿した『ただのペンに見えるもの』をちらりと持ち上げてみせた。
「むしろ自分の心配をした方がいいんじゃない? カフェの本社と大学の学生課とご実家にこの音声データ送ってみようか。自分の態度、認めちゃってたけど」
軽く脅しを入れて優位に立ったつもりが、相手の方が上手だった。一枚ではなく、何枚も。
婚約者は内緒話をするように顔を近付けて、「ツメが甘いんだよ」と囁いた。
「っ!」
俺がたじろぐとすぐに離れて、悠々とコーヒーを飲みながら優しい顔で――他の人たちにはそう見える顔で――さらに釘を刺してきた。
「ハンパな覚悟で関わってくるなよ。自分の気持ちもロクに分かっていないのに」
その言葉が、俺の隅々までいきわたったのを見ると立ち上がり、「じゃあ、今後は円滑な人間関係の構築を目指して頑張ってね。時間を割いてくれてありがとう」と伝票を持って行ってしまった。
一人になったテーブルで、言われた言葉を思い出しては打ちのめされた。
何一つ、反論出来なかった。悔しいと思うことさえ叶わない。
そして、突きつけられた事実に、おそるおそる触れてみる。
俺は、なんだか知らないけど宇宙人にイラついてた。
あいつが、理不尽なクレームをつけられても平気って顔でにこにこしていたから。
婚約者を見つけると、ぱっと顔を輝かせて一〇〇メートル先からでも犬みたいに駆けていってしまうから。
俺がしくじって指先にほんの少しのやけどをすれば、たちまちおろおろしてしまうから。
嫌いなはずだったし本気で超絶苦手だったのに、俺の心は感情を揺らす小さな破片をリスのようにこまこまと集め続けて、そして。
こんなのに名前を付けたくはない。
かなうはずもない思いをいつまでも抱き続けるほどバカじゃない。
――でも、優しくするって思いつかないくらいには、バカだったな。
俺は、宇宙人に地球を見てほしかった。気にかけて、長く滞在してほしかった。
でもあの婚約者は違うんだな。宇宙人が旅立つ時にはきっとロケットを飛ばして、後ろをどこまでもくっついていくタイプと見た。
あーあ。バイト辞めっかな。今すぐ気持ちを真っ平らには出来ねーし、告白とか、結果分かりすぎてるし、そもそもあの婚約者が怖くて出来ねーし。
だから、俺のいない宇宙のどっかで、ラブソングでも唄っててください。
どうぞお幸せに。
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「へえ、あの子バイト辞めちゃったの?」
ちょっとした釘を刺した数週間後、みずほさんとのデート中にその一報をもたらされた。
「そうなのヨー」と応える彼女の膝の上には、同伴してきたサメ(Sサイズ)。ちなみにあの日、バイト君と別れてから雑貨屋さんに向かうと大二匹か大中小かでまだ悩んでいたので、「じゃあ皆連れて帰りなよ」と俺が唆し、大二匹と中小一匹ずつの計五匹を両手に抱えて帰る事になった。――どのサメをお持ち帰りするか、顔やかたちでそこから散々悩んだのは言うまでもない。
ずーっと撫でられているサメが羨ましいと思っていると、みずほさんは「もしかして、慧君いじめた?」と核心をズバリとついてきた。
「――いじめてなんかないよ」
「うーん、嘘っぽい声だなー」
「ほんとだって。持て余してたイライラの原因を教えてあげただけだよ」
「ふうん」
「信じてないね、みずほさん」
俺がそう言うと、彼女はようやくサメから手を離し、俺の手をぎゅっと握った。
「拗ねないの」
「――はい」
信じてもらえない事で心がちりっとしたら、即座に見抜かれた。
彼女には虚勢や嘘が通じない。見透かされるのは怖いけど、自分を丸ごと受け入れてもらえるというのは、何にも代えがたい充足感があると知っている。
繋がれたまま自分より高い体温を味わっていると、手をぎゅむぎゅむさせながら「最近、ちっとも遠出してないよネー」と彼女が言う。
「そうだね、車デートしばらくしてないからそろそろ行きたいな」
そんなやりとりをしているうちに、元ライバル候補のバイト君の事はページをめくったように彼女の中から薄れて、「今度の連休、どっか行こ。どこがいい?」なんて指を絡めて提案してくる。
「みずほさんはどこがいい?」
「それはワタシが聞いてるんだヨー」
そうかわいく憤慨する彼女に、「じゃあ熱海なんてどう?」と提案すると「そうそう、そういうのがみーはききたかったの! 熱海いいねえ、紅葉スポットも行きたいよネー」と満足げに笑んだ。うん、少し前に熱海特集のテレビを食い入るように見ていたからね、きっと喜んでくれると思った。
「じゃあ、みずほさんのライブとかぶらないように日程組もう」
「うん!」
まだ何も決まっていないのに、彼女は「楽しみだー」と唄うように言って指を離し、サメをぎゅっとした。羨ましい。
そう思ってたのもばれていたらしく、「あとで慧君のこともぎゅーってしてあげるから」なんて耳打ちされてしまった。
――相変わらず、人の心のど真ん中を撃ち抜くのが上手で困る。
もう簡単に膝から崩れ落ちたりは多分しないけど、追加攻撃でそうならないように警戒しながら、サメと戯れる彼女を存分に眺めた。




