優しくするから(☆)
「夏時間、君と」内の「優しくするなら」の二人の話です。
お菓子をあげるよ。ケーキもプリンもクッキーも、チョコウエハースもゼリーもポテチも、甘くないレモンフレーバーの炭酸も。
君が望むだけ、好きなものをあげるよ。
優しくするから――だからどうか、逃げないで。
友人の妹の、高校一年生に恋をした。そんな、少女マンガのような甘ったるい、ありえないシチュエーションに誰より自分が慄いたし、めちゃくちゃドン引いた。正直、年下は趣味じゃない。コドモの相手は面倒くさい。そう思ってたし今でもそう思ってる。
なのにどうして君なんだ?
初めて会った日に舞い上がった心は、オイルで充填された万華鏡の中のきらきらしたビーズみたいにいつまでもそのままで、なかなか元通りに落ち着いてはくれない。時間をかけてやっと定位置に戻ったとしても、会えばまたすぐに舞い上がる。混乱は長く続いたまま一向に収まる様子を見せず、一年も経つ頃には自分が彼女へ抱いている感情をしぶしぶながら受け入れざるを得なかった。
けれど、兄である堂本から定期的にもたらされる、ちさっちゃんに関する情報は、どれもこの片思いが好転しそうにないものばかり。この状態で逆張りするギャンブラーもそうはいないだろうと思う。男嫌い、恋愛に興味ない、学校が厳しい、……あと何だっけ。
まあ、普通に考えて友人の妹はない。向こうだってきっとそうだ。こんなの上手くいくのは物語の中だけの話なんだから。
早いとこあきらめなくちゃ。そう思っても。
「ちさっちゃん、こんにちは」
「……こんにちは」
挨拶と共に返されるぎこちない笑みにだって、心は大いに沸き立ってしまう。開けたばかりの炭酸みたいに、勢いよく溢れそうになる。
男嫌いという話だけど、まだこちらへの態度は嫌悪+避けるのコンボによる最悪パターンとかじゃあない、と思う(うぬぼれでないことを切に願う)。でも彼女の瞳の中に見え隠れする何かをしかと見定める前に、いつも逃げ去られてしまう。万華鏡の中の美しいかたちを、もういちどは見られないように、あっという間に。でも俺は、それが何かを知りたい。『好き』でも『嫌い』でも。『興味ない』でも『キモ』でも。
――いっとう最初の言葉なら、もちろんすごく嬉しいけど。
リズミカルに階段を上る足音を追いかける耳。ちょっと会話を交わして二階に行かれる程度には、懐かれてないんだよな。まーた逃げられちゃった。残念。
俺が堂本家のリビングにいる時、ちさっちゃんはあんまり部屋から出てこない。ここにいてくれたらいいのに。『こんにちは』って笑って、一緒におやつを食べながらたくさんおしゃべりできたらいいのに。それくらい、片思いのロリ野郎だって望みたくなる。
――なんかせっぱつまってる気持ちが、ダダもれになってんのかな。それでドン引かれてるとか。うわ、すごくありそう。だって隠せてる自信ぜんっぜんないもん。あー、こわ。恋、こわ。俺ってこんなやつだっけ。てか、どんなやつ? もう分からん。
ちさっちゃんを知る前の自分のかたちを、思い出せない。
「俺ってキモい?」
人をリビングに放置しておいてちんたらコンビニに行っていた堂本が帰ってきて早々に、思わずそう聞いてしまう。
「テラシさんが? キモって思ったことなんか、いっちどもないよ俺」
一度をやたらと強調しながら云うと、堂本は何かのキャラクターのように裏声でヒヒヒッと笑う。
「キモいテラシって、なんか想像つかねーなー」
「……じゃあ、顔が怖いとかは」
そう探りを入れると、堂本はキッとこちらを睨みつけてきた。
「お前それは世の男どもにケンカを売ってんの? 大半の女子は! お前の顔が! 好きです! 怖いもキモいも聞いたことないっつーの!」
そう云って、プンプン怒ってしまった。――そうか。じゃあ、ちさっちゃんは、俺の顔とか雰囲気がキモ怖くて逃げてる訳じゃないかもしれないんだな。じゃあどうして、と、また手詰まりになってしまう。
自分、男にも女にもそんなに嫌われる方とかじゃないんですけど、正直どう思ってますか? この見てくれって苦手ですか? それともやっぱちさっちゃん限定で気持ちダダもれになっちゃってますか? 今度どんだけ自分がヤバいか客観視する為に、二人でおしゃべりするところをちょっと動画取らせてもらってもいいですか? 盗撮とかじゃないし、ヘンな目的に使うとかじゃないんですけど。あ、はい駄目ですねアウトですよねごめんなさい。
お菓子とかジャンクフードじゃなく、好きな食べ物は何ですか?
好みのミュージシャンは誰ですか? 好きな歌って何ですか?
アレルギーと地雷はありますか? 犬と猫だったらどっち派ですか?
君のお好みの色が分かんないのでとりあえず無難に黒ばっか着ちゃうけど、これってどうですかアリですかナシですか?
質問をこれでもかってかましまくりたいくらい、ちさっちゃんの気持ちや好きなものに関する俺の認識は、驚くほど少ない。だってほら、こんな風に前のめりにがっついて聞く訳にもいかないし。めっちゃ聞きたいけど、そんなんしてこれ以上避けられたら目も当てらんない。それに加えて、こっちの気持ちを知ってる堂本は協力するどころか『俺は中立国なので何も致しませ――――ん!』と云ってほんっとーになんっにもしてくれないし。
見聞きしてなんとか手に入れたちさっちゃんの『好き』――果物の入ったゼリーに甘くないレモンフレーバーの炭酸にお菓子――でおびき寄せようとしても、なかなか一〇〇パーセントの笑顔は見せてもらえない。自分にそれを見せて欲しい、よりも、彼女には笑っていてほしいから、本当はいつだってぎこちない笑みが哀しくて、少しだけ苦しい。
それでも、彼女はいつだって万華鏡のかたちめいた一瞬のうつくしさを俺に見せつけては、また簡単に心を舞い上がらせた。
僅かな情報と僅かな接点、材料がそのふたつだけで、人って恋できちゃうもんなんだな。
好きだよ。
云ったらどうなっちゃうかなんて、分かり過ぎて云う気もしない。
絶対云わない。恋を上手に鎮火できるまで俺は『お兄ちゃんのお友達の大学生のお兄さん』でいい。
しつこいと思われない頻度を慎重に見計らってしつこく堂本家へ通っていた秋口のある日、ちさっちゃんに道端でばったり会った。行き合えた嬉しさは、彼女の涙を見た瞬間、穴をあけられた風船のように急激にしぼんだ。
どうしたの。なにがあったの。俺がちさっちゃんにしてやれる事はなにか一つでもあるの。
おろおろするばかりで、タオルハンカチを差し出すくらいしか出来ない、そんな自分を場外に飛ばす勢いでちさっちゃんがあざやかに放った、逆転ホームラン。
嬉しかった。同じ気持ちを同じように隠し持っていたから。
まだ赤い目を和ませながら、俺に笑いかけてくれたから。
もう逃げずに、そばにいてくれるから。
まあ堂本はあらためてキッッッッチリ〆めないとだけど(な――にが中立国、だ)、なんて頭の片隅に思いながら、門のところまでお見送りに出てくれたちさっちゃんに「俺、うんと優しくするから」と彼氏としての所信を精一杯まじめに表明すると、「優しくない寺島さんなんて想像つかない」と笑いながら、背伸びして頬に甘いあまいキスをくれた。いや、キスがはじめてな訳じゃないしさっき俺からもおでこにキスしたけどまさかちさっちゃんからもしてもらえるなんて、と突然のことに俺が目をまん丸くしている間に彼女はくるっと身をひるがえして「じゃあ、気をつけて帰ってくださいね!」と家の中へぱたぱた入っていってしまう。
――あーあ、まーた逃げられちゃった。
今までみたいな苦さや哀しさはないまま、今までと同じ言葉を同じように胸の中で呟く。ぷかぷかと万華鏡のオイルに漂ってるみたいな気持ちで、もしかして今、リアルで地に足が付いていないんじゃないの俺、なんて一瞬本気で思っちゃう程度には浮かれながら、夕間暮れの住宅街を歩く。
その日、ちさっちゃんの放つきらめきは頬へのキスで俺にもおすそ分けされて、それはいつまでもまなうらに光り続けてた。
俺は飽きることなく、それにずっと見惚れてた。
「ゆるり秋宵」内46話につづきあり
次話にお兄ちゃんを〆た話があります
 




