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ゆるり秋宵  作者: たむら
season2
37/47

扉の向こうはキラキラ

バイト×高校生

 毎週金曜日の夜、私は勝負を挑みに行く。といっても恋愛だとかギャンブルとかじゃない。

 駅前のスクランブル交差点を過ぎてゆるい坂を上がる途中、小っちゃいビルの地下に続く階段を下りる。ヒールにウィッグにカラコン。今日は念入りに変装したつもりだ。

 友だちには笑われてるよ。まだやってんの、とかって。お姉ちゃんだけが、まあやるだけやってみなと励ましてくれてる。面白がってるだけかもだけど。


 カン、カン、と音を立てて地下へ潜っていく。すると扉の前の受付ブースで、いつ見てもダルそうなお兄さんが持ってたスマホから視線を上げて「いらっしゃい」とぞんざいに声を掛けて来た。

「一人?」

「はい」

「フライヤーとか持ってる?」

「ないです」

「ID見せて」

「……」

 やっぱ駄目か。

「ヅラとカラコンしてても、声がまんまじゃバレるだろーが」

「あっ」

 ――そうだお化粧してくれたお姉ちゃんにもそう云われてた。ちゃんと声を低くするとか逆に高くするとかしてみなって。

「何回云ったらわかんの、ここは二〇歳未満のお子様は入れねえの」

「くっそー……」

 思わず漏れた呪詛の言葉。それにはまるで無関心な彼の視線はさっさとスマホの画面に戻り、さらに手でしっしっと追い払われた。

「ちくしょー! 覚えてろ!」

「完全悪役じゃねーかその捨て台詞」

『へっ』って笑った顔が憎たらしいったら憎たらしい。


 お姉ちゃんのよく行く遊び場に、私も行ってみたいと思うようになったのは、そこで遊んだ話をする時のお姉ちゃんがいつも楽しそうだから。でも、クラブってとこはやたら年齢確認が厳しくって、ダメモトで突撃かましてみても今のところ突破できたことは一度もない。もっとユルめのとこもあるらしいけど、私はあそこがいいんだ。どうしても、あのえげつない程チェックの厳しいお兄さんの鼻を明かしてやりたいから。

 そう思いつつ受付ブースの前で立ったままの私とすれ違って、向こう二年絶対くぐれないドアの向こうへするりと行ってしまう人たち。

 開いた扉からは、爆音とキラキラと楽しそうな笑顔が見えた、と思ったらすぐに消えてしまった。それを見届けてから、ようやく階段を上がった私の背中に掛けられた、やる気のない「またどーぞー」の声。


 別に悪いことしようなんて思ってないよ。ワンナイトな恋にもおクスリにも興味ない。

 ただ、入ってその世界をじかに味わってみたい。それの何が悪いのさ。二年くらい大目に見てくれたっていいじゃん。

 あのいけ好かないお兄さんにはいくらそう熱く訴えたところで「だからってここでお子様を見逃して入れたりするとチクられてうちが営業停止になるからダメー」って云われちゃうんだけどもね。


 昼間のクラブに潜入したことならある。友達の彼氏がダンサーさんで、その人の出てるコンテストの会場だったから。

 でもやっぱりなんか違った。やっぱり夜がいい。ほんものがいい。

 一八才になったら選挙だって投票できるし、ばーっと世界が開ける気がしてた。でも、クラブどころか、マンガ喫茶もカラオケも、高校生のうちはオールナイトも不可。案外不便だ。

 制服は好きだけど、早く脱いで次に行きたい感じ。今の自分じゃ、たちうちできないんだもん。



「いらっしゃい、……帰れ帰れ」

「ちょ! ひどくない!? せめて一連の流れくらい聞いてみない!?」

「聞くだけ時間の無駄だろ、ったく。俺の自慢の二十歳未満センサーも出る幕なしだわ」受付にいるお兄さんはあきれ返った後、改めて私の顔を見た、と思った瞬間に『ぶふぉぉ!』と吹いた。

「ほんとひどくない!?」

「だって、おま、そのツラ何ごと? 歌劇団にでも入団するつもり?」

 今日はお姉ちゃんがいなかったので、自力で頑張ってギャル風にしてみた。いつもと違う濃い目のお化粧は、最初違和感がすごくて恐る恐るだったけど、慣れるとだんだん楽しくなっちゃって(ついでにやめ時も分かんなくって)、気が付けばまつげの上に雀一羽くらいなら乗せられるんじゃないかっていう頑丈なつくりになってしまっていた。髪の毛も巻きに巻いたし。

「盛りゃーいいってもんじゃないだろが、学生相手の定食屋じゃないんだから」

 ――そう云われてしまうと、返す言葉もない。唇を噛んだら、お姉ちゃんに借りたとっておきのルージュが香った。でもこの上品な匂いも、今の自分にはまだふさわしくないみたいだ。

 ゆっくりとどこまでも沈下していきそうな心は、「どれ記念に一枚」と、断る間もなく向けられたスマホのシャッター音とフラッシュであっけなく浮上した。

「何すんの勝手にー!!」

「ほれ、見てみ」

 くるりと返された画面に、思わず見入る。画像処理という慈悲を一切施されていないディスプレイの中の私は、滑稽なくらいにやりすぎだった。デコレーションに凝りすぎたあげくバランスを崩して、今にも倒れそうなケーキタワーみたい。

 歌劇団の人ほど上品じゃなく、ギャルの人ほどセクシーじゃなく、まつげもチークも何もかもが云われたとおり特盛りで。

「……今すぐドラッグストア行ってその場で化粧落としたい」

「はいはいじゃーねーまたどーぞー」

 明らかに気落ちしてる私に何のフォローも入れず、お兄さんは何にもなかったようにまたスマホで遊んでる。そして画面から目を離さないまま「さっきの保存したから、要り用ならあげるよ」なんて云いやがった。

「いらないし!」

「あっそ」

 あーもー、なんて憎っっったらしい人なんだろ!

 坂を下りる足取りも心の中も、ずーっとぷりぷりしてた。

 おかげで、落ち込んでるヒマがなかった。



 盛り過ぎの反省もあって、次はぐっと大人しめにボストンタイプの眼鏡+カツラじゃなく、ほんとに切ったショートボブ、で突破してみることにした。

「いらっしゃ、」

 いつも茹ですぎたおうどんくらい間延びしているお兄さんの語尾が、ぶつっと切れた。それで、「髪、」と指差される。てか、瞬時に私だって見抜かれてんじゃん。ちぇ。

 少々気落ちしながら「イメチェンしてみました、秋だし」と自己申告してみたんだけど、辛口コメンテイターなその人は、いつもみたいに皮肉げに『へっ』て笑わないで、なぜか渋い顔のままだった。

「……俺が『盛りゃーいいってもんじゃない』って云ったから、髪、間引いたのか」

「はあ? 何云っちゃってんの全然ちがうよ、切りたいから切ったの、それだけ!」

 私が一息に反論すると、その人は「そっか」と呟く。

「そーデス」

 なになになに、ちょっとしおらしいとかぜんぜんらしくないんだけど。やめてよ調子狂う。そう思ってると、スマホを弄りながらさらっと云われた。

「もし俺のせいだったら今日は見逃して中に入れてやろうかと思ったんだけどなあ」

「お兄さんのせいです!」

「遅せーよ」

 ようやく『ヘっ』て憎たらしい笑顔が見られて、妙にホッとした。


 週末ごとのこのやり取りはすっかり他の人たちにも知られちゃってて、常連のお姉さんたちには『がんばってね!』と一人一人に飴をもらったり(おかげでポケットが重い)、イイコイイコしてもらったり。いい匂いのする綺麗な人たちに構ってもらってフワーってなってると、受付のいけ好かないお兄さんは「店に金を一滴も落とさないくせに客と顔なじみになるとかナマイキすぎんだろ」とカウンター越しに私の鼻を抓む。

「ちょっとやめてよ!」

「早くお帰り下さいマセ」

「帰るよ、今日も無駄足踏んだし!」

 あーあと聞こえるようにため息をついて肩をあからさまに落としたって、この人の良心は一ミリも咎められはしないんだろうな。私以外の『突破チャレンジ』な人にも冷淡だし。

「ちょっと」

「?」

 歩き出したら呼び止められて振り向く。

「!」

「舐めれば」

 ぽいっと投げられて掌に受けたのは、はちみつミント味と書かれたなんともチャレンジャーなフレーバーののど飴。――今日ちょびっと喉が痛いの、ばれたのかな。

 ありがと、と云う前に「スゲーまずいからそれ」と先に云われてしまう。

「せっかくお礼云う気だったのに失せた」

「知るかよ、早く帰れ、邪魔」

「はーい。またね!」

 めげない私の言葉に、いけ好かないお兄さんはスマホ見ながら『へっ』て笑ってた。

 あーもー、ほんと憎たらしいね……。

 そう思ってるはずなのに、なんで気持ちが弾んでるかな。

 分からないまま、もらった飴の包装を破いて、中身を舌に乗せた。その途端。

「……まっず」

 はちみつとミントがそれぞれ激しく主張し合っていたその飴は、残念ながら二舐め程度で口から出す羽目になった。買ってこの味だったら怒るなあ、と思いながら、やっぱり心も足取りも弾んでいる。



 今日はいつもと違う感じで訪れることになった。

「コンバンハ」

 そう声を掛けると、いけ好かないお兄さんはスマホから顔を上げて、――ダルそうな表情から一転、思いきり顰め面して見せた。そりゃそうか。

 私はヒールもお化粧もウィッグも変装もなしの制服姿そのままだから。

「おい、とうとう開き直ったか」

「今日は違うんだよー」

「何がだ!」

「家に入れなくって……」

 私がてへって笑うと、その人は今度は大真面目な顔になった。

「虐待されてんのかお前」

 その勘違いを私は慌てて否定した。

「あ、違う違う! お父さんとお母さん旅行行ってて、お姉ちゃん彼氏さんとこにお泊り行く日で、なのに私カギを家に忘れて今朝登校しちゃって、それで」

「……心配して損した」

「今日これからどうしようかなーって思いながらボーっと歩いてたらうっかり来ちゃって」

 慣れって恐ろしい。金曜日のこの時間はココに来る、ってもう刷り込まれちゃってんのね。

「別にだから、今日は入ろうとか思ってないから」

 さて、どうしようかな。漫画喫茶とかも高校生がいていいのは夜一〇時までだからもうアウトだし、十一月じゃ野宿も厳しそうだしねえ。あ、そうだ。

「バイト先行って休憩室で寝させてもらおうっと」

「……おい待て」

「何すか」

「バイト先って」

「ファミレスだけど。夜間店長さんがイイ人なんだ」

 一〇時で上がる私と一〇時から入るその人と、一緒に働くことはめったにないけど(お正月とかクリスマスとか、ス-パー繁忙期に彼が一時間前倒しで入ることはたまにある)、顔を合わせれば気さくに構ってくれるしその構い方がキモくないからバイト女子たちには好評な人だ。おとといも『お、今日おだんごがすげーキレーに結えてんじゃん!』て色んな角度から見て褒めてくれたっけ。

 思い出し笑いしてたら、目の前の人はみるみる不機嫌になった。

「お前なあ、イイ人♡なオトコなんかいる訳ねーだろ」

「だっているんだもん」

「……ったく……」

 お兄さんは不機嫌を続行しつつも、お客さんが来れば私を横にどかしていつもの塩な対応で接客をして、ときおり私みたく二十に足りない女の子をセンサーで瞬時に見抜いては追い返してた。それをただスゲーって感心してたら、小っちゃい受付ブースの横のドアがぱかって開いた。

「入れば」

「……へ?」

「扉ん中には入れてやれないけど、とりあえず受付には椅子も電気ストーブもあるしトイレは道出てすぐにコンビニあるし、だから朝まではいさせてやれるけど」

「いいの?」

「開いてると寒いから早くしてくれる?」 

「あ、はい」

 しかめっ面で面倒くさそうに云われた。でも。

「足、ダン箱に突っこんどけ」「毛布掛けろ」「眠ろ」って、口調とは裏腹に何だか妙に面倒見がいいったら。

「お兄さん、実は優し」

「キモいこと云うガキは今すぐここから蹴りだす」

「優しくない! 冷血!」

「びーびーうるっせーな」

『へっ』って笑ってそう云っても、説得力なんてもうないよーだ。


 目をつむる。全然まだまだ寝る時間じゃないけど、お兄さんを無駄に怒らすのもアレなので。時折わーっと音が漏れてきたり、やってきたお客さんにお兄さんが対応したり(聞いている限り、常連さんにもビギナーさんにも全員に塩対応だ)。そんな状態で眠れる自分はもしかしたら図太いのかもだけど、適度にざわざわしているのって何だか妙に心地よい。――音がだんだん遠くなっていく。


 いい夢見た。ハタチになった私が満を持してこのクラブに来ると、身分証を確認したお兄さんが『どーぞ』と扉を開けてくれる夢。

 でもせっかくなら扉の中にも一緒に入って、踊ってみたかったなあ。っていっても、自分が踊れるのなんて小学校の運動会でやったよさこいだとか、体育の授業のダンスとか、そんなもんなんだけどさ。でも絶対一緒の方が楽しいよ。

 きっとお兄さんは私の踊りを見たらいつもみたく『へっ』って笑って『ヘッタクソ』とかいうの。それでも、途中で止めないで最後まで踊ってくれるような気がするから。

 誘ってみたいな。Shall we dance? って。



 起きたらお兄さんが隣にいなかった。階段の上、少しだけ見える外は朝の気配がまるでなくって真っ暗。時間を確認してみたらまだ四時前だ。

 目を上の世界から戻すと、受付ブースの前でイチャイチャしてるカップルがいる。と思ったら男の方がお兄さんだった。思いっきりほっぺたにちゅーされて、マンガみたいに口紅がきれいに転写されてる。

 キスしたお姉さんは「まったねー!」とご機嫌な様子で階段を上がって行ってしまった。

 ごしごしと、ほっぺたを手の甲で乱暴に拭うお兄さんに「爛れてるぅ」と口笛を吹くとイヤーな顔された。

「見てたのかよ」

「ばっちり。チューしてたね」

「されてたんだっつーの」

「一緒じゃん」

「違えーよ。俺は付き合ってもねえ酔っぱらいのキス魔に襲撃されただけ」

「……なぁんだ」

 安心したのか、モヤッとしたのかそんな返事になった。つっけんどんよりもっとフラットになった私のリアクションに、お兄さんがいつもの私みたいにむきになった。

「なんでここにキスしたいのがいるのによそで済ますよ」

 ここ、と思いっきり私を指差されて、どっちかっていうと鈍感で、ラブな世界からは縁遠い私でも、するりとその感情は理解してしまった。でもそれと、きちんと対応するのはまったく別の話で。

「―――ええええ?」

 ようするに、うろたえるくらいしかできなかったわけだけど。

「、っとフライング」

 お兄さんは慌てる様子もなくゆっくりと手で口に蓋をした。今さら。

「ねえちょっと何今のどーゆうこと」

 や、分かるよ。分かるけどでも聞きたいじゃん。

「教えねー」

「けち!」

 とびっきり子供っぽいリアクションをすると、お兄さんは『へっ』って笑う。いつのまにやら、大が付くほどお気に入りになっちゃってたそれ。

「早く全力で口説けるトシになれよ、話はそれからだ」

「全力で口説けるトシって何歳?」

「おそれなく突っ込んでくるあたりがまだまだコドモで怖えーよ……」

「私まだ高校生だけどもう一八だけどダメ?」

 あれあれ? 何聞いちゃってんの自分。そいでもって、お兄さんも口元に持ってった煙草がポロンとこぼれそうだけどいいのか。

「……まじで?」

「まじで」

「もうちっと下に見積もってたよ」

「センサーぶっ壊れてんじゃないの」

「壊れてねえよ、二十未満は分かんだから。でもまだ『全力』はアウトだな、せめて高校は出てもらわねえと」

「ですよねー! ……てか、全力って何?」

「まじコドモ怖ええ」

 それ以上何を聞いても、お兄さんは答えてくれなかった。


 それからというものの、私は変装しての突撃をやめた。どうせ突破できないって思い知ったもん。そのかわり。


 カン、カン、と音を立てて地下へ潜っていく。すると扉の前の受付ブースで、いつ見てもダルそうなお兄さんが持ってたスマホから視線を上げて「いらっしゃい」とぞんざいに声を掛けて来た。

「一人?」

「はい」

「差し入れとか持ってきてる?」

「ないです、お小遣い前だし」

「あー久しぶりに聞いたわそのワード」

『へっ』て笑う顔は、私の中ですっかりかわいいものとして認識されちゃってる。と、いくら力説してみたって、常連のお姉さんたちには『恋は盲目どころか目が腐ってるレベル』と呆れられちゃったんだけどしょうがない。

 お兄さんは、私の彼氏なんですもの。



 あの、『鍵を忘れて家に帰れなかった事件』の日、お兄さんとおしゃべりした後私はまた寝てしまって、クラブの閉店時間にたたき起こされた。

「行くぞ」とまだ眠い頭で連れて行かれたファミレスでトイレを済ませて席でまた寝て、それからまた起こされて一緒に朝ごはんを食べた。私はパンケーキのセット。お兄さんは人に飯食え飯食えって云っときながら自分はコーヒーだけで、大口であくびを連発してた。禁煙席だから煙草も吸えないってボヤくし何してんだろこの人。

 食べ終わったタイミングで「家どこ」と聞かれたので答えるとイヤーな顔されて「ちょっと親切にされたくらいでペロッと住所までしゃべんなバカ」と怒られ、それから私の乗る電車になぜか一緒に乗って。

 二人ならんで座ってたらいつの間にかまた寝て、最寄駅でたたき起こされて「よく寝るこった」と『へっ』て笑われて。

 一緒にマンションまで歩いてって、もう管理人室に詰めてた管理人さんに私が事情を話して合い鍵を受け取ると「じゃーまた」ってさっさと踵を返してしまった。エントランス出ていく前に追いついて、モッズコートの背中に追いすがる。

「待ってよ!」

「ねみーんだよ、早く家帰らせろ」

 私が心配で、ここまでついて来てくれたんだって、ようやく分かった。

 そんなの、君が心配だからここまでおくってあげるよとか、色々云えるはずなのにひねくれた不器用な人だ。ますます好きだ。離すもんか。

「ファミレス代払ってない!」

「いらん」

「じゃあお兄さんの分の電車代、」

「いらん」

「好きです!」

 私が云うと、無表情だったのが嘘みたいに、ちょっとだけ照れた顔で笑った。

「……コドモ怖れなしだな。怖えよ」

「何が怖いのか分かんないけど名前と連絡先おしえて」

「あーヤダヤダ、怖い怖い」

 そんな風に憎まれ口叩きつつも、結局は両方教えてくれた。


「教えたからって店に入れるとか特別扱いはしないから」と云われてた通り、それからもあの扉の中には入れてない。でもここ来てお兄さんを構ってるせいか、前ほど焦れてはいない。ちなみに、『顔出しに来んならオープン直後な、ヒマだから』と云われているのでそうしてる。これってつまり、前みたく一〇時過ぎにフラフラ一人歩きされると心配、ってことだから、素直に聞いてあげてるんだ。

 たまにデートもしてる。お茶してみたり、お買い物行ったり。でもまだこれは『全力』じゃないらしい。じゃあ一体何が全力なのかとお姉ちゃんにもお店の常連のお姉さんたちにも聞いてみたけど、『それ云っちゃったら悪いから』とそれこそ全力で拒否られてしまった。

「まーいいけどね」

「何がだよ」

「なんでもなーい」

「そーですか」

 駆け引きなんて乗ってくれない塩彼氏は、やっぱりあっさりと質問を引っ込めちゃう。いけ好かないね。でもいいよ。

「『へっ』ってした時の顔が好きな女の子なんて、多分私だけだろうなってこと」

「モノズキなこった」

 かわいくないそのお返事だって、ちゃんとかわいいよ。だって、嬉しい時の彼の目は少しだけキラキラしてる。お店のあの扉から一瞬溢れた光みたいに。

 相変わらず煙草は吸ってるけど、私といる時には一本も吸わないだとか(『ヤニ切れた』とかぶちぶち文句は云う)、いくらこっちが午後でいいよって云っても、オールナイトで勤務した後の日曜日だって朝からデートしてくれる(大口であくびを連発するくせ、寝ちゃわないのがすごい)し、口や塩な態度と、実際の行動は反比例。多分、付き合う前からね。そう思うとあれもこれもかわいいじゃない?

「そ! モノズキな私に感謝してよね、大好きだから」と笑って、受付の外に出てきてくれたお兄さんの腕にしがみ付くと、彼は『へっ』てしながら「……あーコドモ怖ええ」と俯いて笑う。

「んで、明日はどこ行くの」

「パンケーキのお店!」

「お前ほんと好きなそれ」

 好きだよ。いっとう最初に餌付けされた時のものだからね。

 そう打ち明けたらまた『怖ええ』って云われそうだ。何が怖くて、何が『全力』なのかはやっぱ分かんないけど、高校を卒業したらお兄さんに教えてもらえるはず。


 今ではそれが、扉の向こうのキラキラよりも、うんと楽しみになってる。





続きはこちら→ https://ncode.syosetu.com/n7313bz/34/

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