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ゆるり秋宵  作者: たむら
season2
36/47

好きだよシュガー(☆)

「ハルショカ」内の「うそだよダーリン」の二人の話です。

 春先にやられたのは、エイプリルフールのサプライズというには毒の強すぎる手紙。あれは本当に心臓に悪かった。

 おかげでみっともない自分をさらけ出す羽目になって、おかげで彼女にも自分の感情――分かりにくいと人に云われることが多い――をきちんと伝えることが出来た。あれ以来、今のところ心臓に悪い思いはしないで済んでいる。

 その一連に関してのお詫びなのか何なのか、彼女からは時々カードをもらうようになった。大抵それは彼女の部屋、もしくは彼女がうちにお泊りした翌日こっそりと忍ばせてあって、持たせてもらったお弁当の包みを開けた時や胸ポケットにボールペンを差し込もうとした時、ふっと心を温かくしてくれる。


『お仕事頑張って!』

『好きだよ』

 小さい文字で書かれた一言の横にはいつも、何の生き物だかよく分からないキャラクターが彼女の手によって描かれている。捨てるには惜しくて、いつも眺めるだけ眺めて、そっとしまいこんでいた。

 優しくてかわいい文字からは、君の声が勝手に再生されてくる。それどころか、書き損じて大騒ぎしている様子や、満足いく仕上がりによし! とニコニコしている様子まで。勝手にごめん。でも、俺の想像はけっこういい線いってると思う。

 いつもとても不思議に思うのは、俺と君とはすごく系統が違う――異なる鉄道会社の車両くらいは――なのに、こうやって仲良く出来ていること。片方の欠けた部分に対して、もう片方の持つものがちょうどぴったり合うのかもしれない、とあくまで精神的な意味合いで云ったことを、いつだったか君は肉体的に解釈して、「なっ……、ちょっ、昼間からそんなこと……!」って動揺してたっけ。顔を赤くしてあわあわしているところに「ところで、さっきのって俺はカラダじゃなくココロのつもりで云ったんだけど」と追い打ちをかけると、彼女は四月一日の自分のようにテーブルの上に伏せて悶絶してしまったから、そこから顔を上げてもらえるようにフォローするのが大変だったな。

 思い出すだけで今でも新鮮におかしくて、うっかり笑ってしまいそうになる。

 そんな楽しいストックが沢山あるのはとても素敵なことだけど、電車の中や信号待ちしている時に思い出してしまうとポーカーフェイスを拵えなくちゃならないのだけは大変だ。

 なんて贅沢な悩み。というかむしろただのノロケか。


 自分は物が壊れたらその時が寿命なんだという考えの人間だし、恋愛もどちらかといえば『去る者追わず』だった筈だ。なのに、別れを示す手紙を渡された時に押し寄せてきたのは。


 俺をこんな風にしておいて、ここで手放すのか。今更。どうして。

 落ち着けと自分を戒める言葉はあっという間に吹き飛ばされて、彼女に自分の気持ちを手ひどくぶつけないようにするので精いっぱいだった。――実際には、彼女の手紙自体が四月一日における世界的行事、つまり嘘だった訳だけれど。

 あれが本当だったらと思うと、自分でも空恐ろしい。あのまま彼女を大人しく手放せたとはとても思えないから。物語ならバッドエンドと云われる道筋を辿るルートも選択肢の一つだったかもしれない。そこまでいかなくても、いつまでも苦味の残る終わり方だっただろうと容易に想像がつく。


 少しだけ考えなしで、とびきり素直な君。

 俺のくだらないエゴや独占欲で、白くて甘い君を焦がしてしまいたくはない。なのにどうか、この先も離れないで欲しいと希う。感情をなかなか露わに出来ない、滅多に好きだと云えない俺を『落ち着き払ってて素敵』と称してくれることに、こちらがどれだけ甘えてきたことか。その上、もっと甘やかして欲しいと厚かましい願いまで抱いて。

 あの時の俺は君からの別れ話(うそ)を迷わず握りつぶそうとしたよ。今まで共にいてくれたことへの感謝や、離れた後の君の未来に幸多からんことを、なんて台詞は少しも思いつかずに、欲しいおもちゃの前で駄々をこねる子どもと同じように別れを拒んで。

 そんな自分が傍に居るのは、君にとってよくないんじゃないか?

 そう思う自分も、冷静な今はかろうじているけれど、同じことがもしまたあったらまた同じように拒むと知っている。今の君が俺を好きでいてくれるからあの時の俺の振る舞いも好意的に受け止めてくれただけだということも。気持ちが変わってしまえばそうもいかないだろう。誰もが羨む理想的なカップルだった二人が、泥沼の別れ話で互いをひどく傷つけあう、なんてのはよくある話だ――そんな風に、まだ来るかどうかも分からない、この恋愛の未来の一つに囚われそうになるたび、忍ばされたカードを眺める。


 小さい、優しくてかわいい文字。

 何の生き物だか分からないキャラクター。

 書き損じて大騒ぎしている君。

 満足いく仕上がりによし! とニコニコしている君。


 

 週明けの月曜、からりと晴れた空は秋とは呼びたくない程の日差しだし、待ち受けている業務量の多さに回れ右したくなるけど、左手に下げた手作りのお弁当の重さが午前の仕事へのモチベーションを高めてくれた。――それから。

 今日も期待していた硬い紙の角の感触を、指先がまんまと探り当てた。朝のラッシュで混雑する駅のホームに立っているというのに、一人小さく笑んでしまう。

 ジャケットの右のポケットに名刺サイズのカード。取り出して見てみるとそこには、また俺を甘やかす一言(と、その横にきのこ? らしき小さなイラスト)。


『そろそろ、また気が向いた時にでも好きって云って欲しいです』


 ああ、きっと今日、このシロップ漬けのような言葉を俺は何度も思い出す。仕事の最中にだっておかまいなしに。

 そのたびに君の声で再生して温かい気持ちになる。『なんか恥ずかしいこと書いちゃったよ!』と今頃一人で悶えている姿までやすやすと思い浮かべることが出来る。

 そうして、駅のホームにいる誰よりも幸せな気分に浸りながら、すし詰めの電車に乗り込んだ。ぎゅうづめでロクに身動きの取れない車内で誰かの香水に鼻が曲がりそうになっても誰かに背負われたリュックの硬い中身で胃を圧迫されても、彼女からのカードに感じた幸せは一つも目減りしない。

 結局、会社の最寄り駅についてもまだ浮わついた心のまま、彼女の携帯に『夜に電話するから待ってて』とだけ、メッセージを送った。

 これで彼女もドキドキしてくれることを祈る。俺と同じに、俺の声でなんども再生してくれるといい。こちらばかりなのは、悔しいから。それにしても、こんな状態でニヤニヤせずいつも通りの顔で仕事が出来るか怪しいもんだ。


 案の定、どうしてもニヤついてしまった頬をぺし、と何度か叩く羽目になったが、自分のみならず回りも週明けの忙しさに忙殺されているので誰もこちらには注目しておらず助かった。こんな自分は恥ずかしいけど、幸せな恋をしているのだから仕方がないことだ。そんな心地よい諦めを、今日は何度しているだろう。

 これから、何度出来るだろう。君と。

 付き合ってもうどれくらいになる? 少なくても、恋の初動にありがちな、相手のすることをなんでも手放しで好きで、何をしてもバカみたいに楽しい、みたいな時期は過ぎた筈だ。

 でも、楽しいよ。

 ジェットコースターじゃなくていい。お化け屋敷もいらない。

 古ぼけた、人気のないメリーゴーランド。どこへも行けずにぐるぐると同じところを回る木馬。乗っている君がめぐってくるたび、見ている俺は毎周手を振る。そんなのがいい。

 木馬が壊れて君がどこかへ行ってしまわぬよう、祈るだけでなく苦手でも『好きだよ』ときちんと伝えていくから、どうか。


 夜、テレビ通話の画面越しに満を持してその言葉を伝えたら、「明日仕事だいじょうぶかな私……」と、手でぎゅうぎゅう頬をおさえた君が画面の向こうにいる。

「……かわいいなあ」

『な、何っやめてそういうの急に云うとか!』

 思わず漏れてしまった一言に動揺するだけでなく、『卑怯!』だの『そんなの云う人じゃなかったのに……!』だの次々に言い募る彼女がおかしくて、通話が終わってもずっと一人で思い出し笑いしていた。


 そんな、幸せな秋の夜長。

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