sparkle(後)
「なーんかちげーんだよな……」
ぶつぶつ文句を云って、粘土で甲をぼってりと厚く覆ったサボを真島が作業台に戻した。
「違っても何でもいいからとにかく仕上げてちょうだい」
「……ルイがシビアモード……」
「当たり前でしょう? ドレスばっかりかかりきりで、小物をおろそかにしてるからこんな風に直前になって時間が足りなくて押せ押せになってるのよ!」
「わ、分かったらか落ち着けって。お前怒るとこえーんだよ……」
「なら、口だけじゃなくても動かしてちょうだい。ついでに頭もね」
「る、ルイくん……」
テンパってぶっちぎれてるルイくんを初めて見た私は、少しビビってしまった。
「あら里央ちゃん、まだいたの? だめよ、あなたの仕事は『休息をしっかり取って当日に備える事』なんですからね」
そう笑いながら、見た事もない程高速でビーズを編み上げてネックレスやヘッドドレスを作るルイくんが、怖い。
「あ、じゃあ私お先に失礼するね……」
「気を付けて帰るのよ」
そういうとルイくんはふっと紗の幕を下ろしたように笑顔を下げて、作業に集中する。扱いは丁寧なのに、ビーズを編む手の速度がさらに上がったのが見て取れる。それでいて真島の手が止まると「何もコレクションを二〇も三〇も作れって云ってる訳じゃないんだから今出来るベストを尽くしてやれる事は何でもやってちょうだいそれも出来ない無能じゃないでしょ真島君」と一息で的確に刺してくる。
おいこれどうするよ、と困った目で縋るように見てきた真島に、日頃されてる言動も忘れて思わずファイト! とジェスチャーで励ましてしまった。
無能じゃない真島は、もちろんサボを仕上げた。ルイ君と一緒に、アンクレットもブレスレットもヘッドドレスもネックレスもサッシュベルトも。
サボはいつもの真島が一〇〇点満点中一七〇点なら九二点てとこだけど、まあ悪くはない。なんとか当日の朝には間に合わせて、今にもぱったりと倒れてしまいそうな二人に「あと一二時間後には寝ても飲んでもいいから、もう少しだけがんばろう!」って栄養ドリンクを手渡した。
そして、午前のリハも順調に終わって、あとは本番を迎えるだけ。
だった筈なのだけど。
「サボが、ない?」
「ああ」
イヤミも忘れて苦く返すだけの真島を見て、ああほんとなんだとぼんやり分かった。ルイくんは今にも卒倒しそうになっていたので、パイプ椅子に座らせて背中を擦って、すっかり冷たくなってしまった指先を握る。
制作物は、もちろん三人できっちり管理してた。リハまではちゃんとあったし、リハの後も決められた場所に置いておいた。なのに今ないという事は、まあ、ありがちだけど真島の言動にむかついてる人の犯行か、真島の才能に嫉妬してる人の犯行かといったところだろう。どっちに転がっても納得は出来る。気持ちが分からなくもないから。
サボ以外のアイテムはリハが終わってもそのまますべて身に着けたままだったから隠されずに済んだ。よかった。
どうするつもり、と聞く時間も惜しい。本番まで一時間。さすがの真島も、この事態までは予測していなかったらしく、呆然としていたから。――それを見て、腹を括った。
「真島」
「なんだ」
「靴はナシで、その代わりにペインティングしよう」
「――は?」
「顔も腕も足も、出てるところは全部蔦と葉っぱを描いて。このドレスのテーマは『大地と女神』でしょ? むしろ素足の方が映えるよ」
ドレスに執拗に施されてた刺繍は蔦だった、そこからの思いつき。
真島が考え込む時間は短かった。
「ルイ、」と声を掛けた時には、「パレット用意出来てるわ!」とルイくんがスタンバイしてくれてた。
このやり取りは狭い舞台裏でやってたから、みんなに知れるところになった。真島のドレス担当の先生も早速聞きつけたらしく「おいおい、なんか大変なんだって?」とやじ馬のふりをして、ボディペイントのコツを教えてくれた。
四苦八苦しながらペイントしていく真島を『わー珍しいもん見ちゃったー』と思いつつ、自分の体に彩色を施された。準備が整ったのは本番一五分前だった。
今回は一般のお客様からの投票もあるので、どのチームもより気合が入っている。ありがたいことに満席になった客席をモニターで確認していると「里央ちゃんちょっと」とルイ君がまたあれこれと微調整をしてくれた。――ウエストのサッシュベルトを直すルイくんの手は、出番直前でもまだ震えてる。
と思ったら、全身を震わせて笑っていた。
「もう、真島君たら本番まで人騒がせなんだから……!」
「や、今日ばかりは奴のせいじゃないんじゃないの?」
ルイくんにやり込められる一方の真島が気の毒で心にもなく庇うと、「日ごろの行いが悪いからよ」とバッサリ斬られてた。
「……でも、こうして何とかなるってことは、才能を神様が捨て置けなかったって事ね」
さあいきましょと促されて、舞台袖へ。そして。
「お疲れ様でした!」
たくさんの人に、――多分知らない他学科の生徒さんにも――祝福の言葉を受けて、真島はもういっぱいいっぱいだった。寝てないし、対人スキル低いし。でもまあ、頑張ったよ、うん。
ありがとうございます、こいつらのおかげですと私とルイくんの肩を抱いてぎこちなく笑う真島は、サボを紛失したというアクシデントを乗り越えて投票で一位の座を射止めた。
撤収も一通りの御挨拶も終えて三人で学校を出ると、「ヤニ切れすぎてやばい」の真島の一言ですぐ隣にある小さな公園へ寄る羽目になった。手持無沙汰の私とルイくんは、自販機でそれぞれ缶コーヒーと紅茶を買う。
「これ、お前の見てる都合のいい夢じゃねえよなあ」と私の頬をつねる真島。ルイくんがすぐにその手を叩き落としてくれた。
「もう! そうやってすぐ里央ちゃんをからかうの、小学生の男子みたいね! 大体夢だったらやーよ、もう一度あれをしろって云うの? あの地獄の工程を!」
そう云うルイくんだって笑顔だ。真島も、私も。
ずーっと心の中でしゅわしゅわしてた炭酸がだんだんに落ち着いて、ふっと寂しさがよぎった。
「終わったねえ」
「……ああ」
「明日からは少しのんびりできるね」
「だからってジャンクフード食べまくったらだめよ」
きっと三人ともいますぐここで寝られるくらいに体は疲れてた。でも、まだここにいたい。帰りたくない。
「終わらなきゃいいのに」
私の心の声が漏れたのかと思った。
「ずっと」
ブランコに腰かけた真島が、初めて毒舌の鎧を脱いで、素直になった。
「バカね」
ルイくんが、静かにその背中に手をやる。やっぱ、母だ。
「私たち真島組は今日で解散だけど永遠に不滅よ」とルイくんがつとめて明るくそう云うと、真島も「勝手に真島組とか命名すんな、それから発言が熱血くせー上に微妙にパクってんぞ」と即座にツッコミを入れてきた。
私は、泣かないようにするのにただただ必死だった。
上を向いて瞬きを堪えれば、秋の星座が見える。でも、とんと星に詳しくないので真島が一服を終えるまで勝手にいろんな星を繋いで遊んでた。
ふてぶてしく光るのが真島座。ティアラみたいなルイ座。その間でちらちら瞬く里央座。
冬になれば見えなくなるもの。来年になったら、覚えていないかたち。
それでも、この日の夜空がひどく美しかったことだけは、今でも心に刻まれている。
現在、真島は舞台衣装の制作を中心にフリーで活動している。たまにうざいメッセージを寄越しては、ルイくんと私に既読スルーされてキレてる。大人になっても小学生男子みたい。
ルイくんは卒業後ずっと同じアトリエ勤務。言葉遣いも物腰も相変わらずエレガントだ。
私は、真島組解散と共にモデルへの道をきっぱりと諦め、第二の夢であったネイリストとしてサロンに勤務している。小さい時から爪を彩るのが好きだったから。
モデルを諦めると決めた翌日、親より先生より、まず先に二人へ伝えた。
真島は一言「そうか」、ルイくんは口元に両手を添えて、涙を一杯溜めながら「……里央ちゃんの選ぶ道を尊重するわ。あなたはどこにいても何をしていても輝ける人よ」と云ってくれた。
「ありがと」
そう答えた私の目はまだちょっとだけ赤かったと思う。でも、泣かない。涙は昨日一人で流し尽くしたし、いつまでも泣いてるヒマなんてないから。
「それにしても、ウォーキングもポージングも宣伝写真も授業料も、ぜーんぶ無駄になっちゃった!」
あまりにすがすがしくて笑うと、「そうじゃねえだろ」と真島に諭された。理不尽に怒られるのではなく。
「きっと、この先役に立つ日が来る。それに、お前がいなかったら俺はドレスを作れなかった。こいつだってそうだ」
親指でぞんざいに示されたルイくんが、「そうよ!」と強く同意してくれた。
「……ありがと」
泣かないって決めたのに泣かさないでよ、二人のバカ。そう思ってたら、真島が「ブスが泣いたらひどいブスになるからやめろ」と、髪の毛をぐっしゃぐしゃに乱してきた。
「真島君! 女の子になんて事!」
真島にやられっぱなしだった私を救出したルイくんは、ぎゅっと私を胸元に寄せたまま髪を直してくれた。
「まったく、素直じゃないにもほどがあるわよね」と至近距離で笑うルイくんに、なぜだか胸はどんどん高鳴ってきて――
「っ、これから進路担当の先生に伝えてくるね!」
「いってらっしゃい」
廊下をパタパタ小走りしてても、進路の先生と話をしても、ドキドキはずっと続いてた。おかげで、涙も感傷もぶっとんだ。
卒業する時真島から告白されて、迷うことなくその場で「ごめんなさい」をした。何度だって云うけどあいつの作る服『は』好きだけど、あいつは駄目だ。だいぶ印象はましになったとはいえ、あんな激しすぎる、身勝手なわかりにくい、その上めんどくさい男と付き合えるほど寛大じゃない。むしろ、私は甘やかされたいんだから。
そんな私が選んだ男と、今日は久しぶりのデート。
「里央ちゃん」
待ち合わせ場所にやってきたルイくんに近付いてその手を勝手に繋ぐと、彼はまた困った顔になる。付き合ってもう二年になるんだし、いいかげん慣れてくれてもいいんじゃないかな。と思う自分だって、いまだにときめいちゃうんだけど。
「恋人だもん、いいでしょ?」
ドキドキするくせに、当り前みたいに云うと小さく「うん」と返事が来て嬉しい。
「そうよね。僕、里央ちゃんの彼氏、なんだものね」
「うん」
自分で口にした彼氏という言葉に自分で照れて、ルイくんは繋いでいない方の手でうっすら赤いほっぺたをおさえている。
小さい頃追いかけられて以来犬が苦手で、街で大型犬を見ると私の後ろに逃げ込むルイくん。
布屋さんやアクセサリーパーツのお店に行くとスッと真面目な顔になるルイくん。
くるくる表情を変える彼をずっと傍で見ていたい。星座が移り変わっていっても、私はどんな空にだって里央座とルイ座を作ってみせるから(ついでに遠くの端っこの方に、真島座も一応ぽつんと作ってあげよう)。
輝く星が遠くに行っちゃった日。
また、小さなそれを手に入れた日。あなたは誰よりも優しく私を包んでくれた。
そんなルイくんに負けないくらい私も輝いてみたいと思っているけど、どうかなあ。
聞いてみたいところだけど、返ってくるのはきっと『里央ちゃんはいつも輝いているわ』――この人は私を甘やかすことにかけては天才だから――なので、嬉しいけどなんというかアテにならないし。
っていうのを真島にメールすれば『おめーら二人して頭の湧いたノロケを送ってくんじゃねーよ』って返されるし。いいじゃない湧いてたって。
「里央ちゃん?」
むー、と考え込んでいたら、手を繋いだ恋人が、歩きながら私の顔を覗き込んでくる。――ああ、なんて無防備な。
その瞬間、ぱちぱちと胸の中に光る星が私を唆した。
「ルイくん」
「なあに」
すきだよ、という言葉と同時に、キスを贈った。
女だって、自分からしたい時があるんですよ。
声こそ上げなかったものの、きゃーって顔したり赤くなったり忙しいルイ君の手を引いて、何事もなかったのようにまた歩きだす。夜の街は宝石箱をひっくり返したように眩いけど。
一番明るい星も、一番きらめく宝石も、今この手の中にある。
笑いかけると笑い返してくれる彼の目の中で、小さなひかりがいくつも瞬いている。
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