消失までの距離(☆)
大学生×
「クリスマスファイター!」内の「どこにも行かないドア」及び「如月・弥生」内の「もしものボックス」及び「夏時間、君と」内の「ふえるミライ」に関連していますが、未読でもお楽しみいただけると思います。
ヒトのものを欲しがるほど不毛な事ってない。
分かってる。頭ではね。でも勝手に目は彼女の姿を追っちゃうし心臓は勝手に高鳴るし心は勝手に彼女のフォルダばっかり増やしてる。――ほんと、不毛。
女の子が自分の横から途切れる事ってなくて、それが当たり前で何とも思ってなかった。なのに一番そばにいて欲しいと初めて願った人は、もう一生手に入らない事が確定した。
あーあ。やんなっちゃうね。
もういいかげん、諦められればいいのにね。
思ってたよりもうんと好きみたいで、「お陰様で、卒業したら結婚することになりました」ってはにかみながらの報告を開店前のミーティングで受けた時には、物理的にフリーズしてしまった。
おめでとうーと女性の比率の高い職場ならではの、ソプラノ声と拍手の音が湧きあがる。つられて、自分も反射で拍手してた。
「おめでとうございます」って、作り物だけど笑顔で云う事だって出来た。あの人も、「ありがとう」って、今まで僕には見せてもらえなかったとびきりかわいい顔で、そう云ってくれた。
「野口君は、彼女大事にしてる?」って、こちらを気遣う事も忘れない。歳変わんないのに、なんなんだろうなこの社交性。僕、あなたに嫌われてておかしくないんだけど。
「お陰様で相変わらずラブ度高めです」なんておどけて返すと、「それならいいけど、もうテキトーに口説いたりしたらダメなんだからね」とおどけて返されて、少女漫画の主人公のように胸が痛む。
彼女なんていません。そもそも出来てません。でもそう云っとかないと、いつまでも警戒されたままだって打算が働いてしまって、気が付いたら妄想溺愛彼女の出来上がり。
バカだよなあ。――バッカだよ。ほんとに。
あの人の彼氏がここにいないままクリスマスを迎えると聞いた頃は、まだ付けこめると思ってた。
『そばにいないのは、いないのと同じ』と云う僕の言葉に、面白いほどあの人は反応した。
きっと、いちばん云われたくなかった事。
あのあとほんとは、あの人の抱える不安をさらに焚き付けてから『あなたのせいじゃない。こんなになってる彼女を放っておく方が悪いんだ』なんて唆せば、きっといい具合にあの人に近付ける。そう踏んでた。
でもクリスマスを過ぎたある日、バイトに来たその人は、もう揺らがない顔になってた。聞けばここにはいなかったはずの彼氏が会いに来てくれたからもう大丈夫と告げて、僕との間に見えない遮断壁を下ろした。それでおしまい。
あーあ。
さっさと見切りつけて、次行けばいいじゃない。いい具合に合コンやらパーティーやらに誘われてるんだし。
思っていた分だけ必ず報われるもんじゃないんだから、気持ちを増やしててもこれじゃ余りものになっちゃうじゃん。無駄無駄。
あの人に恋する前の自分なら、そんな風に切り替えられてた。でも。
――この胸の痛みや切なさは、数値化したらどれほどのもんなんだろうね。
未来のない気持ちを抱えて途方に暮れている男が一人。あーあ、ほんとやんなる。
それでもね、あの人への気持ちはもう誰にも話せないじゃない? でもって、皆は僕の事『チャラチャラした野口君』って思ってる訳じゃん?
僕もそうしてた方が楽だから、変わらず遊びまくった。カラオケにクラブにボーリングにドライブ。部屋でひとりの夜なんて湿っぽくなるばっかだし、外へ出掛けてって、意味のない、むしろノリ重視のバカ話して騒いでる方がマシ。でも、いくら楽しんでても駄目なんだよ。
深夜の高速道路を飛ばす車の中で、ふと思い出す声。
こんなとこにいないって分かってるけど、人ごみの中でついその姿を探してしまう癖。
閉店時間を迎えたクラブを出て、まだ眠ってる街中を歩いて駅に向かう頭ん中、さっき最後に流されたラブソング。ぜんぶ、あなたに繋がってる。
僕はまだ、あなただけ見てる。冬も春も夏も。秋になっても。
あの人を好きになってからはなんとなくお断りしてた、一夜限りのお遊び。
知り合いの知り合いの知り合い? の誰かの家のパーティーで出会って、ひっさしぶりにそんなのをしたくなった。お相手は、ちょっとあの人みたいな感じの女の子。ニコッとされて、心は勘違いしそうになる。
でもまあ、いいじゃん。僕はあの人の恋人じゃないんだし、遊んだって怒られる事もないし。
開き直って、東京タワーの見えるベランダでこっそりキスした。でも、「二人で抜けようか」って誘われた声が全然違くて、思わず遠ざけてしまった。
「ごめん」
今日ちょっとそう云う気になれなくて、だの、口先だけの謝りさえ出てこなかった。
ちょっとあの人に似てるなんて思った女の子は不快感を露わにして、「じゃあ人の事期待させないでくれる?」って、また賑やかな方に戻っていく。ガラスの扉がやや乱暴に開けられて、溢れた音の洪水が、目の前で再び閉ざされる。
「ごめん」
失礼な事したな。せっかく、かわいい笑顔見せてくれたのにな。
こんな思いは、どうしようもない。
知らんふりしても気晴らししても、拭えない傷痕。
手にしたプラカップが情けなくへこむ。すっかり泡の抜けたビールを一口だけ飲んだ。秋とはいえ、マンションの高層階のベランダでこんな風に座り込むんなら、あったかい酒にすりゃよかったよ。
僕の中からあの人が完全に抜けるまでどれくらいかかるのかな。一〇年とかは、マジ勘弁なんだけどさ。
「あーあ」
呟いた声と一緒に、息が白く広がって消える。
こんな風に、さっさと消えてよ。それが無理なら、何の値打ちもない思いなんてもうここに打ち捨てていくから風に吹かれてどこか遠くへ飛んでっちゃえばいい。
何であの人なんだろ。すっごい美人でもないし、お金持ちでもカリスマカフェ店員でもないのに。むしろあわてんぼうで、フォローしてやんなきゃって感じなのに。――でも。
バイトなんだからさぁ、テキトーに手ぇ抜けばいいじゃん、とか思ってた僕の前で、あの人はうちの店では売り切れになっちゃってた限定のマグを、電話もファックスもメールも他店に入れまくりで一生懸命手配してた。
『彼氏さんにどうしてもあのマグをプレゼントしたいんだって』って微笑む横顔は、僕の中の何かをたやすく打ち抜いた。対応したのがあの人じゃなく僕だったら『申し訳ありませんが当店では売り切れてしまいまして』で終わりにしちゃうとこだ。
なんとか取り寄せ出来た時には自分の事みたいに喜んでた。後日改めて買いに来たお客さんも、めちゃめちゃ喜んでた。
それを見て、僕の心は完全に恋に落ちたんだ。
それからはずっと、息を潜めてチャンスを伺ってた。彼氏がそばにいないって知って、ちょっと挑発してやるともの凄くいい反応を返してくれるのがかわいくって、わざと意地の悪い事ばっか云ってた。
でも、ほんとに好きなら、ちゃんと優しくすればよかったんだよな。
大事な事は、いつもあとから気付くんだ。
僕はほんとうに、本気であなたが好きだとか。あなたに大事な人がいるのは知ってて、それでも好きなんですとか。
今の自分って、なんか床に吐き捨てられたガムみたい。くっついて離れなくって、ぼろぼろになってもまだしがみついて。カッコ悪。めっちゃカッコ悪。こんな男、見たら指差してゲラッゲラ笑ってたよ。
でもこれが、きっと。
――いつもよりソフトフォーカスで見える夜空。
本当の恋をするのは、こんなにも辛い。知らなかったよ。あなたが教えてくれたよ。
キスしてみたかったな。夜が明ける瞬間も日が沈む瞬間も一緒に過ごして、それであなたが云うんだ。『大好き』って。
そんなシーンは、来ない。
名前を呼んでみる。声に出さないそれは口の中でとけて、消えちゃう魔法。
「……かえろ」
今はまだ無理だけど、いつかあの人とあの人の恋人に、何か結婚のお祝いを買おう。花でも酒でも。残らないものがいい。喜んでもらえたらいいや。
――その時に、あの人が笑う顔は、その瞬間だけは僕だけのものだ。
前向きなのか後ろ向きなのか分かんないまま、夜がふける。
翌日、昼過ぎに起きたら少しだけマシな気分になってた。久しぶりに、ほんのちょっと軽い気持ちになってて、僕らしい僕、プチ復活。
僅かでも、昨日より強い心はポジティブな思考を引き寄せて、今にも死にそうだった恋は簡単に息を吹き返す。
諦める事ばかり考えてたけどもしかして結婚生活が幸せじゃないって可能性はゼロじゃないから、僕はそいつを見極めよう(あわよくば改めてかっさらおう)って思い付いちゃった。こんなの、すごい僕らしい割り切り方じゃない?
まったく、しょうがないね。
ある程度まできっちり見届けてあの人がちゃんと幸せだって分かったら、そしたらその時こそ諦める事にする。それまでは、また息を潜めてチャンスを伺うよ。
片恋延長戦のスタート。だけどほんとは、もっと好きな人が出来るといいよね。
他人事みたく、そう思った。




