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ゆるり秋宵  作者: たむら
season2
31/47

未来は私の手の中に(☆)

「如月・弥生」内の「未来の方から来ました」の二人の話です。

有村(ありむら)先生、一緒に映画観に行きませんか」

「行きません」

「び、美術展のチケットが二枚あるんですが、よかったら……」

「まあ、それは審美眼を磨く絶好のチャンスですね! 二回ご覧になるといいですよ、松本(まつもと)先生」

「……そうですね……」

 取りつくろう事なく思いっきり肩を落として、とぼとぼ廊下を歩いていくジャージの背中。その様子に胸が痛まない、と云ったら嘘になるけど。

 ふう。今日も無事に撃退出来た。


 元・自称未来の恋人の少年は同じ高校の体育教師で、いつもこうして突撃してくる。けれどプライベートと職場はきっちり分けたい私は、頑としてそれを受け付けない。職場で繰り出されるお誘いは、何度いただいたって『NO』だ。

 ――どうして、ここで誘うのよ。

 綺麗でかわいい顔をまたしゅんとさせてしまったじゃないの。そうしたい訳じゃないのに。


 夕方ならまだしも週明け朝イチでのそれだったので、どこかぷりぷりしたままその日を過ごして――おかげで有村先生、今日いつもよりもっとコワーイ、なんて生徒達に云われてしまった――、帰宅してから食材がない事に気づいてがっくりくる。あれもこれも、あの元(略)少年のせいだ。

 ため息一つついて、それから腰を据えてしまう前にえいっと出掛けた。七時を過ぎてもスーパーには買い物客がいっぱいで、レジの長い列を並び会計を済ます頃には少し休憩してから帰りたい気持ちになった。ぷりぷりしてたせいかあれこれ買いすぎて重たくなっちゃったし。

 例の公園に寄る。まだそれほど寒くない季節は暗くなってもそれなりに人がいた。あの時とは違う。私の気持ちも。

 ブランコをこぐ。久しぶりに味わう独特の浮遊感。『ゆあーんゆよーん』と、行ったり来たりの恋心。


 私がカタブツだって知ってるでしょ。職場で誘われたって、うんなんて云える訳ない。

 またここでばったり会ったら、ここで誘ってくれたら、――それは望みすぎか。互いに携帯の番号は教えてあるんだから、せめて仕事じゃない時に掛けてもらえたら、私きっとその手を取るのに。

 ――やっぱり、素直じゃない。

 失恋して少しは変わるかと思ったのに、私という容れ物はますます頑丈になっているんじゃないだろうか。いやだな。でも、自分じゃどうしようもないんだってば。


 手を、引いて欲しい。未来の方へ。誰かに。――元少年に。

 そう定めてあるけど、一体いつになったら私は差し出された手に自分を委ねられるんだろう。

 そんな事を考えているうちに、こがないでいたブランコは止まってしまっていた。


 いつまでもこうしてだらだらしてても何も変わらない。帰ろう。

 傍らに置いたスーパーのビニール袋を手にとって、立ち上がると。

「――あ、」

 久しぶりに聞いたその声が嫌悪の色ではない事に、心のどこかが少しだけホッとする。

 そこにいたのは、元少年(あいたいひと)ではなく、元彼だった。


 すっかり忘れてたけど、そう云えば駅からこの公園を抜けるルートが彼の人の部屋への近道だったな。ここには私もあれから何度か立ち寄っているし、今まで会わなかったのがむしろ不思議な位か。というか、望まない再会がこんなにも気まずいとは。とっとと立ち去るのが吉だ。 

 動揺して散らかりそうな思考をなんとかまとめつつ荷物を手にして立ち去ろうとするけれど、その前に元彼が私のところへ来てしまった。

「こんばんは、久しぶり」

「――どうも」

 やっぱり、気のせいじゃなくどうやら友好的な態度を取られているようだ、信じがたい事に。

 ――まあでも、嫌われていたのでないなら、もうそれだけでいい。

 軽く頭を下げて通り過ぎる。すると、「待ってくれないか」と何故か呼び止められた。

「なんでしょう?」

 一線を引いた対応をしても、その目は静かなまま。そして。

「急いでなかったら、少し話を――いや違うな」

 そう一人ごちるとこちらに向き直り、「謝りたいんだ、あの時の事。もし、迷惑でなければ」と云った。

「今更?」

 思わずふっと笑ってしまうと、相手も「だよな……」と頭を掻く。なんだ、自分でも分かってたんだ、あの時の別れ方が一方的だったって。

 それならと、私の言葉を待っているその硬い顔に免じて、話に付き合う気になった。

「いいわよ、聞いてあげる。ただしこれ一本分ね」とまだ冷えていた缶ビールを手渡すと、元彼はきょとんとした後ほほ笑んで「ありがとう」とそれを受け取った。


 元少年と座ったあのベンチに、今日は元彼と座っている。間にスーパーの袋を置いて。何なんだろうなこの状況は。五〇字以内で答えよ、なんて云われてもなにも書けなさそうだ。

 カシ、と乾いた音を立てて缶を開ける。私がこういった類の行為を『爪が痛むからお願い出来る?』と任せたりしないとこの人はよく知っていたので、お付き合いしている間、形式的に申しだされた事はない。そしてまだそれを覚えてくれていた様だ。やっぱり「開けようか」という問いはなく、隣で続けてもう一つカシッと音がする。

 少し汗をかいてしまった缶を傾けると、口中に広がる苦味と炭酸。一番おいしい一口目をそれぞれ静かに味わった。二口目、三口目も続けて味わう。

「で? どういう心境の変化?」

 このまま黙ってたらあっという間に缶が空っぽになってしまうから、せっかくの機会だしあの時聞きたかった事に触れてみた。

  突然の別れの申し入れ。もし私が素直に気持ちをぶつけたとしても聞き入れられる余地はないと諦めたほど、その態度は頑なだった。

「ひどい事をしてるっていう自覚は、あの時にもあった。半端な気持ちで付き合ってる方がかえって失礼だと思って、心がないふりをした。でも、別れてもらったのにずっと、傷付けた事が忘れられなかった。勝手だけど」

「そうだね、傷付いた」

「……悪い。好きな人が出来たって云ったらますます傷つけてしまいそうで、云えなかった」

「ばーか。云われなかったから逆にいつまでも気になったでしょうが」

 きっと、元少年があの夜、私のそばにいてくれなかったら、今でもまだ引きずってた。でも、今はもう何とも思わない。懐かしい友人、なんてカテゴリに入れてあげられるほどお人好しじゃないけど。

「で、好きな人とはどうしたの」

 二年付き合ってた私を振ってまで選んだその人との事を、聞いてみても罰は当たらないだろう。そう思ったのだけど。

「どうもしない。告白する以前に、付き合ってた男と結婚したよ」

「……そう」

 淡々とした口調だったのに、あ、と何やら急に慌てる。

「だからって別に、よりを戻してもらおうだなんて思って声掛けた訳じゃないから」

「分かってる。好きだったのがそんな人じゃない事位、知ってるよ」

「……ありがとう」

「どういたしまして」

 こくりこくりとビールを飲んで、沈黙を埋める。離れていた時間を埋める。でも、心の距離はもう埋めようだなんて思ってない。多分、二人共。

「別れないでいるって云う選択肢がなかったのが、とっても『らしい』ね」

 ふざけて聞いたのに、返ってきたのはとても真面目な答えで。

「黙って傍にいる事も考えたけど、やっぱりそれは不実だから」

「……そうだね」

 何かのきっかけで露見したら、私はそれが未遂であろうと過去であろうと、どうしても許せなかったと思う。こうなった以上、修復は不可能で遅かれ早かれ別れていたという事か。

「何でもする。気が済むまで殴るのでも、慰謝料を請求するのでも、なんでも。どうか遠慮なく云ってくれ」

「要らないよ、何にも。もういいから」

「でも」

「もう、いいの」

 心は自分でも驚くほど凪いでいた。いつか、こんな風にばったり顔を合わせたら、ひどくなじるかそれこそ出社するのに困るほど顔をひっぱたいてやろうか、なんて考えていたのに。


 こちらを慮る目。生真面目なあなたは、もう馴れ馴れしく私を下の名で呼んだりしない。

 あなたの、そういうところが好きだった。

 本当に、好きだった。


 長く想っていた分、それを断ち切られた事でひどく醜い気持ちを抱いたとしてもおかしくはなかった。なのにこんな風に綺麗に思い出に出来たのは、やっぱり。

 その人の、女の子よりも綺麗な顔が浮かんでつい笑っていたら、じっと見つめられてた。

「なに?」

「いや、……今、すごく優しい顔してたから」

「そっか」

「好きな人でも思い出してた?」

 するどい、と絶句していたら慌てて「ごめん、踏み込みすぎたな」と謝られた。

「ううん、大丈夫。……そうだなあ、好きな人は、もう少し先の未来で待っててくれてるらしいけど」

 おどけたつもりが、リアリストの私が未来なんてワードを口にしたから変な顔されてしまったじゃないか。もう、元少年め!

 ハズしてしまった恥ずかしさを隠す為に、すっくとベンチから立ち上がった。

「さ、もうおしまい! もうとっくにないんでしょ、中身」

「ばれたか」

「何年付き合ったと思ってんの、あなたがビール飲むペースなんてお見通しよ」

「……そうだったな」

 その声に、苦笑以外の物が含まれてたのは聞かないふりをしてあげよう。私もあなたも、残っている情は未来へは連れて行かないでいい。

「じゃあ」

「……じゃあ。話を聞いてくれてありがとう。ビールもごちそうさま」

「どういたしまして。それじゃ、私の知らないところでどうか勝手に幸せになってね。間違っても結婚式になんか呼ばないでよ」

「覚えておくよ」

 空き缶を受け取って、それでおしまい。お見送りもしない。

 同じようなエリアに住んでいて、どちらかが引っ越さない限り、またこうしてばったり顔を合わせてしまう事もあるだろう。でももう、話し掛けない。会釈くらいはしてあげるけどね。


 さよなら。

 きちんと、お別れをしてあげられて、よかった。あなたを大好きだったころの私の為に。

 こみ上げてくる感傷は、僅かに残っていたビールと共に立ったまま飲み干した。


 私も今度こそ帰ろう。そう思って、歩き出そうとした瞬間。

 ちょん、と指の先をつつかれた。――あの人、こんなおちゃめな事する人だったっけと訝しみつつ振り向くと、そこには元彼ではなく、今度こそ一番会いたかった人が、今にも泣き出しそうな顔をして立っていた。

「――松本せん」

「誰」

「は?」

「今のは、だれ?」

 弱弱しく云うくせに、言葉には何だか妙な迫力があった。それは『プライベートですので』と躱す事が出来ないと思わせる様な。

「――れいこさん、すごく優しい顔してた、学校で見るのなんかより、ずっと」

 久しぶりのその呼び名にときめくより。

 ――まったく、男はどいつもこいつも勝手なんだから。

 ひたすらむかっ腹が立った。


 こちらを向いてはいるものの、私の腹の内を探るどころか、顔を見る余裕もないとみえる。『般若』と生徒に云われる事もある怒り顔をちらとでも見たら、いかな筋肉脳でも今私がどんな感情を抱いているか一発で分かるだろうに。

「俺、ふざけた気持ちで誘ってなんかないよ、いつもほんとに本気だよ。でも、駄目だったね」

 ほろりとほほを滑り落ちる涙。公園の灯りに縁どられた元少年のはかないシルエット。崩れ落ちそうな表情なのに気丈に笑って見せるなんて、いじらしくってまるで映画のヒロインみたいだ。

 思わず手をのばすと、身体を避けられた。

「ねえ、」

「ごめん、今謝られたくない。も少し待って、そしたら俺、ちゃんと諦める、から……」

 ――――――なんだって?

「馬鹿者!」

 夜の公園だというのに大きな声を放ってしまう。

 それを聞いて、元少年は元々大きい目をこれでもかと見開いて、びっくり眼になってる(これが同い年なんて、絶対不公平だ!)。通りすがりの人がじろじろこちらを見るけれど、そんなのはどうでもいい。それより。

「何で勝手に諦めんの? 何で私の言う事聞こうとしないの! 何で学校で誘うのよ! 考えなさいよ少しは!」

「え? れいこさん、……え?」

「あれは元彼。今は何でもないしもう人生で関わる機会もない!」

 偶然会って、してたのは恋の残務処理。ぶすぶすと煙を上げた後、硬くて小さな黒い塊に成り果ててしまったもの。それを、拾って、二人できちんと成仏させた。

 どこかでずっと引きずっていたものを、今日やっと。なのに。

「待っててくれるんでしょ。だったら、諦めたりしないでよ……」

「れいこ、さん」

「もう誘ってくれないの?」

「だって、いつも迷惑そうにしてたし……」

「だからそれは職場だからでしょ! 脳筋! 脳筋!」

 やってられない。再びベンチに座り込むと、スーパーの袋をがさがさ言わせて二本目をカシッと開けた。まだちょっと強すぎる炭酸が、喉でぱちぱちと弾ける。

 そんな私の様子を眺めた後、元少年は意を決した風にジャージの胸元を握りしめて、こちらを見つめながら震えた声で話し掛けてきた。

「あの、さ」

「なによ」

「今は、お仕事モードじゃないよね」

「仕事モードだったら飲んでない」

「じゃあさ、じゃあ……」

 もじもじと切り出しては立ち止まる言葉の続きは、なんとなく分かってる。ビールを飲みながら待った。

 一口一口ゆっくり口を付ける。缶がだいぶ軽くなってから、ようやく念願の続きが来た。

「俺と、付き合って下さい。好きです。好きなんです、ほんとに」

 シンプルで、きっと嘘のない言葉を聞き漏らさないようにじっと耳を傾けて、残りを全部飲み干す。コン、と軽い音を立ててベンチの座面に缶を置く。それから。

「はい」

「ほ……ほんとに?」

「疑うの?」

「だって、今までずっと……あ! そうか、れいこさん公私混同しないタイプだった! あー!!」

「遅いわよ元少年」

 でもようやく、正しい答えに辿り着いてくれた様だ。


 いつからそういう目で見てたか、明確な線引きは出来ない。夜から朝へのうつくしいグラデーションのように、心は徐々に色合いを移していってたから。

『有村先生、』と懐こく話しかけてくる彼。お誘いはぴしゃりとシャットアウトしてた筈が、いつしか楽しみに待ち受けるようになってた。『どうしてここで』って憤るし、毎回断るくせに。

 断りきれなくて、何度か私の好きなミルクティーの缶を押し付けられては受け取ってしまっていた。きっとその時いつも嬉しさと戸惑いが混ざった、変な顔してた。

『松ケンの事好きなんですか?』って女子生徒に問われて『同僚よ』って答えるたびに、胸が妙に痛んだ。

 そんな私の『今までずっと』の舞台裏を彼が知ったら、天使顔負けの笑顔を見せてくれるだろうか。


 私の前でへなへなとしゃがみこんだ、柔らかい茶色の髪の毛に触れる。こちらを見上げながら大人しく撫でられる姿は、いつもの『松本先生』とは違う。私だけの。

 天使みたいな。少年みたいな。

 一緒にいると、若干女としてコンプレックスを刺激されるけれど、でも。

「好きよ」

「! ほんとに!?」

「冗談云えないって知ってるでしょ」

「うん、知ってる……」

「もう学校で誘ってきたら怒るからね私」

「は、はい」

「よし」

 欲しかった言葉を手に入れて、もうそれだけで満足だ。

「そろそろ帰りましょうか。また明日学校で」

 にこやかに告げると、元少年は大げさに手をバタバタさせた。

「ちょお! 待ってよ、俺たち今思い通じたばっかだよ? もうちょっと一緒にいようよー、どっかでお茶でも」

「私、今日採点持ち帰ってるから」

「そんなあ」

 情けない顔もかわいい。その滑らかなほほを軽くつつくと彼が嬉しそうに笑った。こうしたって喜ばれるとはなんともむず痒く愛おしい、なんて思ってしまう。

「日曜日、部活は?」

「! ないです! あいてます!」

「じゃあ、この間誘ってくれた展覧会、行かない?」

「行きます!」

「なんで『ですます』なのよ」

「分かんないけどとりあえず俺今チョー嬉しくてチョーテンパってる事は分かります」

「そうみたいね」

「って、だからそんな風に優しく笑ったまま帰ろうとしないでぇ!」

「採点が待ってるんだってば」


 こうして元少年は、予言通りまんまと恋人になって。

 ――まだまだ遠いと思っていたその未来は今、私の手の中に。


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