蜂蜜紳士(☆)
「夏時間、君と」内の「夏色長恋」の二人の話です。
のぶくんとお付き合いするように、なった。
そう日記に書き記す日が来るなんて、思いもよらなかったな。
付き合ったら、日々が激変するとかなかった。付き合う前と同じ、物腰は柔らかくって、優しくて紳士なのぶくん。彼氏的独占欲はチラリとのぞかせつつも、『アレしちゃだめ』も『コレしなくちゃだめ』もない。逆にあたしこんなにのびのびしてていいのかな? って思っちゃうほどだ。
変わった点としては、元々あたしには甘いけどそれが増したことかな。喉が痛いほどあまい、蜂蜜みたいなのぶくんの云うことを真に受けてたら、あたしはだめな人になっちゃうんじゃないかって危機感を覚えてしまうよ。実はそれが手だったりして、なんてね。
「のぶくんさあ、たまには注意とかしてくれていいんだよ?」
「え、なんで」
週末、あたしの部屋に遊びに来てくれたのぶくんにこちらから申し出てみたら、心底意外と云う顔をされてしまった。
「だって多分あたし、色々足りてないでしょ」
知識の量も、経験も、何もかも。お付き合いするようになって、一緒にお出かけする機会がぐんと増えた。のぶくんにエスコートしてもらって訪れた先で、知らずにマナーやルールを違反してるかもと思うと怖いし、それでのぶくんに迷惑かけたり恥ずかしい思いをさせるのはすっごくヤダ。
これまではただの『隣に住んでる発展途上』で、思いを返してもらえるだなんて思ってもみなかったから、あたしはあたしのままでよかった。でも今、自分に何より一番に付けたい枕詞は『のぶくんの彼女』、なのだから。
大好きな人に迷惑かけないようにするんだと改めて気合いを入れ直してたあたしに、のぶくんはあっさりと訂正を入れてきた。
「そんなの気にしなくていいの。今の希が好きなんだから。でも、俺の為に頑張ろうとしてくれてるのは、嬉しい」と云って、あたしの頬をするりと撫でた。そしてそのまま下に降りてきた手で手をきゅっと包まれる。
「かわいい彼女を、おいしいって評判のかぼちゃのプリンを出してくれるお店に連れて行きたいんだけど、今から出かけられる?」
「行く! 食べる!」
ついさっきの誓いはどこへやら。テンションあがりまくりのその提案に飛びついて、腕にも飛びついて、「のぶくん大好き!」って云ってしまった。子供っぽいなあ。そう気が付いてちょっとだけ沈静化したあたしに、のぶくんはあまあまスマイルを見せてくれた。
「ほら、希のそういうとこ、『子供っぽい』とか云って隠したらヤダよ」と落ち込んだ気持ちをちゃんと掬い上げてくれた。
「のぶくん」
「ん?」
「ほんっとに、あたしの扱いを心得てるよね」
「伊達に長いお付き合いじゃないからね」
付き合う前から、女の子扱いしてくれてた。ちっちゃな時から。
あたしは自分はお姫様でのぶくんが王子様で、将来ふたりは結婚するんだと小学校の低学年まで固く信じていたくらい、のぶくんは昔っからジェントルだった。――それが不思議でしょうがないから、連れて行ってもらったカフェで、評判通りのお味だったかぼちゃプリンをいただいた後に聞いてみた。
「なんで小っちゃい時から構ってくれてたの、あたしのこと。のぶくんなら小学生の時だってよりどりみどりだったでしょう?」
「んー、云わないとだめ?」
「もちろん」
あたしが力強く答えると、天を仰いで、それから顔を手で覆って、「情けない話するよ」と切り出した。
「どうぞ」
顔を覆ってた手が外れて、困った顔したのぶくんと目が合う。
「あの頃の俺はね、イヤーなガキだった。世の中ナメてたし、周り中の人間は幼く見えてたし自分以外はみんな馬鹿だと思ってた」
「……うそっ」
「ほんとに」
信じられない、とってもそんな風だなんて分かんなかったし、当時ののぶくんに今のあたしが会ったとしても、きっと見抜けないと思う。
「そんな風にいつもイライラして人生なんて退屈だ、なんて思ってたのに、お隣に越してきた兄妹ときたら二人で俺の事がっちゃがちゃにひっかきまわしてくれたんだ」
「二人?」
「そう、大貴と希」
あの兄といっしょくたにされて思わず眉が寄る。のぶくんはそんなあたしにお構いなしに話を続けた。
「小学校の校庭の工事で入ってたユンボには勝手に乗るし、ミミズを持って振り回して女子を泣かすし、大貴はほんと野性児だった。好き勝手して、こっちはいい迷惑、って思ってた」
衝撃の事実。大貴にはとても聞かせられない。ああ見えてガラスのハートの持ち主だから。
「でもね」とのぶくんが優しく笑う。
「大貴といると、退屈しないんだ。色々巻き込んでくれるからね。それに気付いてからはちっとも迷惑じゃなかったよ。それにあいつすごく優しいんだ、相手にはなかなか伝わらないけど」
「……そうだね」
大貴とのぶくんが小学六年生の頃、綺麗なものが好きだと云った子が転校することになった時、大貴は何日もかけてセミの抜け殻を集めて、綺麗な小箱をママからもらって、それに詰めて渡してた。
その子は最初喜んでくれたそうだけど、開けてびっくり、箱の中にぎっしりと抜け殻が詰まっているのを見て泣いてしまった。
そのことで大貴はママにすごく叱られて、一人で泣いてた。そこにのぶくんがやって来たんだよね。
『大貴は、あの子に大貴が一番綺麗だと思うものを渡したんだから、泣いちゃだめだ』って云って、セロファンを渡してた。
『俺が一番綺麗だと思うもの、大貴にあげるよ』ってもらってたのに、もらったことで完全に復活した大貴はセロファンを口に当ててぶーぶー音を鳴らして、『くちびるがくすぐってえ!』ってげらげら笑ってた。それを、のぶくんが嬉しそうに見てたのを、三歳のあたしも見てた。
その頃から、のぶくんはのぶくんだった。
フツメンなのに物腰がジェントルなのぶくんは女子にモテてモテて、バレンタインにはたくさんのチョコをもらってた。
ちっちゃいあたしはお小遣いもなくてチョコが買えなくて、ふてくされてた。そしたらのぶくんがもらったチョコを『一緒に食べよう』って云ってくれた。
口の周りをチョコだらけにすれば、のぶくんが丁寧に拭ってくれた。
『俺の分も食べなよ』って顔を分け与えるヒーローみたいなことを云っては、うちのママに『だめよ! のぶくんは希に甘いんだから』って叱られてた。
それでも、『内緒だよ』ってひとかけらを口に入れてくれた。そんな風にされてもらってたあたしの口癖が、その頃から『のぶくんだいすき』だったことは云うまでもない。
『俺も、希のこと好きだよ』って云われるのを素直に嬉しかったのはいつまでだっけ。
その言葉の持つ熱が、あたしとのぶくんで違うと気付いてから嬉しくなかったのは確かだ。
思わずむうっとなってとんがらせていた口に、のぶくんが自分のプリンの最後の一口をくれた。ん、おいしい。のぶくんがくれたから、余計に。
あたしがにこにこして『のぶくんの彼女特権』にせっかく浸っていたと云うのに。
「小さい希は、かわいいモンスターみたいだったね」だなんて、ひどい。
「いっぱい、手こずらせてたってこと?」
そうはいっても大貴程じゃないよねと思いながら恐る恐る聞いてみたら、「方向性が違ってたけど、二人は似てるよね」なんてさらにひどいことを云われてしまった。
「希はユンボに乗ったり抜け殻をプレゼントしたりはなかったけど、こうと決めたら誰が何を云おうと絶対曲げなかった。よく手を焼いたよ。今でもたまに頑固だしね」
「じゃああたしはまだのぶくんを手こずらせてるんだね……」
手を煩わせたくなんかないのに、とへこんでいたら「大の男を手玉に取ってるんだから、そこは誇っていいと思うよ」なんてとんでもない切り返しが来た。
「手玉になんて取ってないもん」
「俺は、充分取られてるよ」
「……そうなの?」
「そうなの。希は、もっと俺の云うことを信じなさい」
「信じてるよ。のぶくんの云うこと、疑ったことなんか一度もないもん」
きっぱりと言い切ったら、「ほら、そうやってまた俺をいい気にさせる」と、テーブルの上で手を絡めて、指先にキスをくれた。その時。
「――須藤さん?」
のぶくんが、突然声を掛けられた。
びっくりして反射的に引こうとした手はのぶくんに絡め取られて動けなかった。
「ああ、どうも」
のぶくんは手を繋いだままにこやかに応対した。多分、会社とか、取引先とかの女の人。のぶくん側に属する大人の人。いいなあ、って思ってしまう。
するとその人がちらりとあたしを見て微笑んだ。
「妹さん?」
あ、わざとのいじわる発言だ。だって、大人の男が妹とカフェで手を恋人繋ぎになんかする訳ないじゃんね。
傷付くより先に呆れていたら、のぶくんがすっと冷気を纏ったような雰囲気に、なった。
「いや、彼女だけど。見れば分かるでしょ」と、のぶくんが恋人繋ぎしっ放しだった手をわざわざ持ち上げて見せると、「あ、そうなんだ」とその人もあっさりお返事して、あたしに「ごめんね」って少し悲しげに笑って、お店を出て行った。
そうする気持ちも分かるよ。だって片思い時代のあたしも、のぶくんに彼女さんが出来たと知った後は、すっごい悲しんだ後すっごいすっごいいじわるな気持ちになってたもん。
そんな訳で、あたしがぷりぷり怒らない分、今度はのぶくんがへこんでた。
「希にヤな思いさせた。ごめん」
「いいよもう」
「でも」
のぶくんが食い下がるので、「じゃあ」とあたしはいたずらっぽく提案する。
「来月のお誕生日、あたしのリクエストを聞いてもらう」
そう示したら、ようやく笑ってくれた。
なーんて云っておきながら、実はこれと云ってのぶくんに買って欲しいものはなかったりする。ウォークマンは去年パパが買ってくれたのがあるし、DVDはブルーレイがいいなあなんて、のぶくんにリクエストするのもおかしいし。まあこれはそのうち大貴が買ってくるだろう。
そんななので、何度か「リクエスト、決まった?」って聞かれたけどあたしの返事は結局「うーん」で、いつものお誕生日通り、のぶくんが見立てたものをもらうことになった。
のぶくんからのここ何年かのプレゼントは、おととしがスニーカーで去年はシュシュとカチューシャ。
今年は、私が好きな、でもちょっとお小遣いでは手が届かないのでいつもセールで買ってるお洋服屋さんのワンピースだった。
黒いレースの丸襟付きでベビーピンクのワンピースは、胸の下に切り替えが入ってる。袖がぷくっとなってて、でもスカート部分はそんなにボリュームたっぷりじゃなくて、かわいいとお姉さんぽいがブレンドされてる感じ。
「のぶくんありがとう、すっごくかわいい!」ってお礼を云ったら、「今度のデートで着てきてくれる?」っておねだりされて、もちろん! と力強く頷いたのは云うまでもない。
そして、デート当日。鏡の前で全身表裏チェックしてよし、と靴を履いてたあたしに、遅く起きてきた大貴がものすごい寝癖のまま「これからデートかー」って聞いてきた。
「そうだけど」
てか、早く行きたいんだけど。そう思ってるのに大貴ときたら「フーン」て云いながら人のことじろじろ見ててヤな感じ。
「何」
「んー、希が着てるのってのぶからの?」
「そうだけど」
「わーやらしー」
「何でよ」
ちょっとムッとしたままあたしが抗議すると、「いやいいよ、いいんだけどさー」と云って階段を上がっていった。その時、あいつマジむっつり星人だわ、とか云ってたので問い詰めたいけどもう時間だ。
イラッとしたままばったんと玄関のドアを閉めると、後ろからくすくすと笑い声が聞こえてきた。のぶくんが、うちの門のとこで待ってた。
「朝からご機嫌斜めだね、どうしたの」
「のぶくん!」
おはようと、着てみたよと、大貴がむかつくと、どれから云おうか迷って門を開けたら、「ん、よく似合ってる」って云ってもらえた。
「ありがと」
手を包まれて、お隣の車庫へとエスコートされる。いつものように助手席のドアを開け閉めしてもらって、それからドライブがはじまって、「で? 希は何で怒ってたの?」って聞かれた時には一瞬『なんでだっけ』って思うくらい忘れてた。
「ああ、大貴がなんか変だったから」
「あいつが変なのはいつものことじゃないの?」
「そうなんだけど、あたしがこの服着たら『やらしい』とかのぶくんのこと『むっつり星人』だとか云うから」
あたしが告げ口すると、「……後で大貴シメとく」と、珍しくのぶくんが渋い顔をした。
出だしはそんなだったけど、その日もあたしが憧れまくってたようなデートを堪能した。
ちょっとドライブして、紅葉している山を見て、そこのお蕎麦屋さんに連れて行ってもらって、少しお散歩して、それからこっちの方に戻って。
夜になって、まだ帰りたくないなあって思ってたら、車はうちじゃなく、地元のイタリアンレストランの駐車場で停まった。
「のぶくん?」
まだ帰らなくていいんだって云う嬉しい気持ちと、どうして? って云う気持ちで運転席ののぶくんを見上げる。するとのぶくんはエンジンも切った暗い車内で髪に触れながら、顔を近付けてきた。
なのであたしも目を閉じて、おでこかまぶたかほっぺにキスが落とされるのを待っていたら、のぶくんの唇はあたしの唇にそっと降りてきた。
何度も何度も啄むようなキスが続いた後、唇がそっと離れる。
のぶくんが、あたしの顔を見てふっと笑った。
「希、目ぇまんまる」
「だって、いつもとちがうから……!」
キスが違うだなんてえっちぃ発言だ、と気付いて身悶えしてたら、「一七歳になったからね」とこれまでと違ってた意味を教えてくれた。
「少しずつ俺が教えるから、先へ先へ進もうとしないこと」
「……はぁい」
不本意を隠さずにそう返事をすると、苦笑される。
「じゃあ、行こうか」とのぶくんが先に車を出て、助手席のドアを開けてくれた。
一六歳はおでこかまぶたかほっぺで、一七歳は唇で、じゃあ一八歳は?
考えると、うわあってなっちゃう。でも、待ち遠しいよ。
あたしのはじめての全部は、のぶくんのもの。そう決まってるから。怖いし、痛いのもヤだけど、のぶくんとならきっと大丈夫。
そう思いながら、のぶくんと手を繋いでレストランに向かった。
――男性が女性に服を贈る意味をうっかりネットで知ってしまったのは、その数日後。
「のぶくんのむっつり……」とあたしが呟いてしまったのは、云うまでもない。
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14/11/14 誤字訂正しました。