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ゆるり秋宵  作者: たむら
season1
29/47

永嶋家的デート二景

※作中で、妊娠初期の流産についての描写があります。

 ①ファニーでユニークでスペシャル

「そういえばねーねーに彼氏出来たんだってね」

 みずほはグリーンアップルソーダのストローを勢いよく吸い上げて、意地悪く笑いながら僕の顔を見る。そして、そこに怒りや苛立ちがない事を認め、不満げにパフェへフォークを突き立てた。

「パパさん何で冷静なのー。ツマンナイの」

 その率直過ぎる口に苦笑しながら、こちらも同じくシフォンケーキにフォークを入れていく。 

「僕たち親の仕事は君たちの手を繋いで歩くだけじゃなくやがて手放す事だから、それなりに覚悟はしているんだよ」

「ふうん?」

 聞いても今ひとつピンとこない様子で、「ま、いいや。とりあえずみーはまだそうゆう恋とか訪れてないから、パパさんと遊んであげるよ。だからしばらくはさみしくないでしょ?」と云って、カフェでニッと笑う。


 娘たちと月に一度、それぞれと出掛けてお茶をするのが遅番もしくは早番で時間が取れる時のお約束だった。『家で一人でゆっくり過ごす時間が欲しい』というしのぶさんのささやかな願い事をかなえるために、休みの日には二人を連れ出して公園で遊び、帰りがけにカフェへ寄っていたのがきっかけだ。そのうちに幼稚園や学校へ行き始めて生活時間帯がずれたかんなとみずほが、それでも『またカフェでお茶したい』と切望したので、二人とも小さくても女の子だなあと感心しつつ、一人ひとりと今のように二時間ばかりお茶をするようになっていた。

 一〇年少し続いたこのお楽しみの時間から、この秋をもって一足先にかんなが卒業した。高校生にもなると部活にバイトと忙しく、その上彼氏も出来たので、父親と過ごす時間はなくなったという訳だ。

 いつまでも父娘でべったりしてはいられないから、これでいいのだと思う。それに、まだみずほが相手をしてくれると云ってくれているし。

「よろしく頼むよ」と苦笑しつつお願いすると、「りょーかーいデース」とものすごく軽く承諾された。


 娘二人は、並べて優劣をつける事なんて出来ない尊い存在だ。

 小さい時からしっかり者のかんなは、時に頑固だったり意地っ張りだったりしつつ、僕としのぶさんの性質を色濃く受け継いでいると思う。良くも悪くも。

 じっくりと考え、答えを出すこの子は、『部活入った』『バイト始めた』と、事前の相談なしに一人で物事を決めて、こちらには後で報告する事が多い。でも先日、彼氏が出来た時にはとうとうその報告すらなかった。彼氏が出来た事より、しのぶさんには教えたのに僕には教えてもらえなかった事を、むしろ寂しいなと思う(しのぶさんは『高校生にもなったら、それが当たり前』と笑うばかりだった)。

 小さいころに比べるとやや冊数は減ったものの、相変わらず本好きで、なおかつ中学から続けているソフト部に高校でも所属しており、文武両道を地で行く子だ。コツコツまじめに取り組めるので、実力もさる事ながらその姿勢も評価されて、今年はレギュラーになれたそうだ。本人はそこまで語らず『レギュラーになった』とだけ口にしていたけど、日々かんなとおしゃべりしているみずほが『って先生に褒められたんだってー』と教えてくれた。


 みずほは、すごく自由な子だ。突飛な発想や行動にこちらが戸惑う事もあるけれど、今日は何をしてくれるのかと思うと楽しみで仕方がない。

 どこで覚えてきたのか小さい頃のみずほは、僕の事を『パパさん』、しのぶさんを『ママさん』と、そして沖縄方面の繋がりはないのに、かんなを『ねーねー』と突如呼び始め、それは未だに続いている。中学生なので外ではさすがに『わたし』らしいけど、家での自称は『みー』のまま、そして自由な気質も小さい頃のままだ。

 あまり本は読まない。小説は活字がギッチリ詰まっているから苦手との事で、絵本をたまに読む程度だ。運動は大得意で、小学校の運動会の短距離走では男子並みのタイムをたたき出し、市内の陸上大会でも上位に入賞していた。でも『命令されてやるのはいやーん』と、中学では運動部をあっさりと選択肢から切り捨て、合唱部に入った。のびやかで美しい声の持ち主なのに、急に歌詞が飛んでしまう事があるという理由でソロは任せてもらえないらしい。


 そんな風に、何から何まで異なる二人だけど、仲はすごくいい。二才離れた双子のようだ、としのぶさんは呆れて笑う。何から何まで扱いを同じにしないと、――ボーダーのカットソーや、フラワープリントの同型のワンピースがそれぞれ違う色だと、これじゃあお揃いじゃないと未だに怒る二人。

 小さい時、『かんなもみずほみたいにお姉ちゃんが欲しかったな』とかんなが控えめにもらした言葉にしのぶさんがとても困っていた事があった。

 すると、神妙な顔をしたみずほがとことことかんなのところへやってきて、『ねーねー、ごめんね。ほんとはみー、ねーねーのふたごのおねえちゃんになるはずだったんだけど、いっぱいよりみちしてたらおそくなっちゃったんだ』とかんなに謝っていた。

『そうなんだ、じゃ、いいや!』

 それを聞いてかんなの機嫌は直り、二人はまたおやつを食べる事に戻った――みずほの提案で、みずほが姉、かんなが妹というごっこ遊びをしながら――けれど、しのぶさんと僕は思わず顔を見合わせてしまった。

 この子らにはまだ伝えていなかった筈だ、かんなが妊娠当初は双子だった事。次の検診でエコーを取った時には、もう片割れが消えていた事。

『だったらいいな』

 二人を眺めてぽつりと云ったしのぶさんの肩を引き寄せ、僕の肩に凭れさせる。

『きっとそうだよ』

 彼女の目から涙が落ちるその前に、そっと目元に口付けた。それを目ざとく見つけた二人は、『らーぶらぶ!』と囃し立て(みずほに至っては、その言葉の意味も知らずに)、しのぶさんは『こらーっ!』と照れ隠しに赤い目のまま怒っていた。


 妙に勘がいいみずほは、僕らには見えないものでも見えているのか、時折じっと中空を見つめる事がある。犬や猫と本当に会話が成立しているかのような話しかけをする。だから、みずほがそう云うなら、本当なのかもしれない。――そうあって、欲しい。

 生まれてきた命は溢れるばかりの喜びを日々僕らにもたらしてくれるけれど、消えてしまった命への悲しみは、薄れる事はあっても消える事はない。でもそれでいいんだ。


 忘れなくていい。儚くも尊いその記憶を、ずっと携えていこうと二人で決めたのだから。


 赤ちゃんのふりをして『あーん』と口を大きく開いているかんなに向けてみずほが甲斐甲斐しくドーナツを差し出すと、勢いがよすぎたのか、かんなの口周りにはドーナツをコーティングしていたチョコレートがついてしまう。それをまたみずほが、『あらあら、たいへん』とお姉さんな口調で云ってやや乱暴に濡れ布巾で拭っては、さらに広げてしまう。食べ終えてそのままぬいぐるみで遊ぼうと部屋へ走り出した二人を、しのぶさんが『ちょっとちょっと、その手と顔のままいかないで―!』と布巾を掴んで慌てて追いかけていった。

 何気ない日常の、でもとても幸せな記憶。


 そんな一コマを思い出していたら、向かい側に座るみずほに「パパさんまたママさんのこと考えてたんでしょ、カフェでニヤニヤしちゃ駄目ですよ」と叱られてしまった。でも。

「しのぶさんの事だけじゃないよ、みずほとかんなの事も思い出してた」

「そーきたかー。パパさんてダンディなのにたまにすごく残念だよネー」

 ――そう云う事を、カフェの店員さんがいる時に口にしないで欲しい。お水をグラスに注ぐその肩が笑いを堪えて震えているじゃないか。

 しのぶさんにこのやりとりをメールしたら、労われるどころか『ああ、すごくよく分かる!』とみずほの側に同意されてしまった。自分は我が家の女性陣の中では残念な位置付けなのかと軽く落ち込みつつコーヒーを口にすると、時を置かずもう一通届いたメール。

『でも、春人さんはそれも魅力だから』というしのぶさんの言葉にまたニヤついてしまって、「もうパパさん! いいかげんにしないと、みー他人のふりするよっ」と珍しくみずほに怒られたけれど、君たちが愛らしく魅力的なのが悪いんだと自己弁護した。


 ②ダンディでジェントルでチャーミング

 おはようしのぶさん、と目を細める彼に、私は毎朝恋をする。


 一人暮らしが長かったせいなのか、もともとの性分なのか、それら双方を兼ね備えているのか、春人さんは結婚してもいつもきちんとした人だった。ずっと親元でのんびりぬくぬく暮らしていた私なんかより、余程。

 家の事を一通りこなし、外に出ない時でもいつも清潔感のある格好をして、ほんの些細な事にも『ありがとう』『ごめん』と口にして。

 それだけでなく、今でも結婚記念日や誕生日、ホワイトデーと云った特別な日や、そうでない日にも、私に花を贈ってくれる。

 玄関先で『これ』と差し出される一輪の花。無駄遣いしないでといくら云っても『無駄じゃないから』と優しく押しのけて、特別な日に贈られる大きな花束。

 そんな風に愛される価値が自分のどこにあるんだろうと不思議でしょうがないけれど、そう口にすればとても悲しげな顔をされてしまうので、開き直って『愛している人に愛されてて幸せだ!』とだけ思う事にした。

 花束にはいつもカードが添えられる。そこには、見慣れた書き文字で丁寧に綴られた感謝と愛の言葉。花と違ってカードはいつまでも残るのが嬉しくて、贈られるたび大事に仕舞っては時々出して眺めている。そんな時の私の顔は相当緩んでいるらしく、みずほに『ニヤニヤ夫婦』なんて云われてしまっても反論できないのが困りものだ。


 あの頃はよかったな、なんて思った事、ない。春人さんは私に、いつでも今が一番幸せだと思わせてくれるから。


 二人が恋するきっかけになったショーウインドーのある百貨店は、私が出産を機に辞めた後、何年も前に閉店してしまった。私もそうだったけど、正社員として遅めの時間帯で長時間売り場に立つ仕事――不定期休で家からも遠い――を続ける事はどうにも難しく、結婚や妊娠を機に辞めていく人も多かった。お世話になったエレガントな主任も他店に異動していて、閉店前にと立ち寄ったかつての百貨店に見知った顔はおらず、かえって寂しい気持ちにもなった。

 百貨店が入っていた建物自体も戦前からの物で老朽化が著しく、その後新しいテナントが入る事なく取り壊され、今は全然違う形の新しいビルが建っている。それでも、春人さんが勤めていた書店や、二人でよく通った喫茶室はまだそこにそのままあるのが、ひっそりと嬉しい。

 その喫茶室へ、時折二人でお茶をしに行く。

 あの日と同じ席に座り、変わらぬ味と雰囲気を楽しむ。


 変わったもの、変わらないもの。

 あなたも私も年を重ねて、娘二人も大きくなった。なのにどうしてこんなにまだこの人が好きなんだろう。

 変わらない黒縁眼鏡の奥の、目じりの皺が好き。

 私が愛の言葉を口にすると、少し俯いて嬉しそうにはにかむ姿が好き。

 世界中どこを探しても、こんなにチャーミングな男性はいやしない。だから、私はあの日の春人さんに一生かかっても返せない恩がある。

 私を見つけてくれてありがとう。勇気を出して、声を掛けてくれてありがとう。


 今でも、私の心の中で、あの日の気持ちはキラキラ輝いている。その上、毎朝恋してしまうんだからニヤニヤ夫婦になっても仕方がないというものだ。

 私の耳を飾っているピアスも、春人さんからの贈り物。ペリドットとオパールは娘たちの誕生石で、ピアスはいろいろ持っているけれど結局はそのどちらかを付ける事が多い。――私の耳にそれを見つけると、春人さんが『似合うよ』と嬉しげに笑んで耳たぶにキスをくれるから、それでつい選んでしまうなんて、口にしたらやっぱり娘たちには囃し立てられそうなのでこれは内緒だ。


 とは云え、それなりに長くなってきた夫婦としての時間の中で、私と春人さんはいつもいつも仲良しさんな訳でもない。やたらと本を増やしたがる彼と、せめてこれ以上は増やしたくない私の攻防戦は、未だにしょっちゅう勃発する。

 昨今の厳しい出版事情も相まって人気の薄い本はどんどん店頭からいなくなってしまうから、頑張っている作家さんを応援したいし、大事な物語は所有していたいんだと春人さんは熱く語るけど、残念ながら私たちの住むマンションは倉庫でも田舎にある広々とした家でもないからすべてを受け入れる訳にはいかない。

 去年、思い切ってリビングの壁一面を本棚にした。今はまだ若干の猶予があるものの、いずれそう遠くない未来に棚はいっぱいになるだろう。でも、溢れた分は処分してもらう約束だ。悲しげな春人さんの顔を見て思わず何度も譲歩してしまいそうになったけど、ここは心を鬼にして約束を取り付けた。

 そんな春人さんはきっと、かんなとみずほがそれぞれこの家から巣立ったら、空いた部屋を書庫にする気だ。床が抜けない程度にしてくれるといいんだけど。


 本の事だけでなく、かんなとみずほをどう育てるかでも、厳しくすべきところはビシッとしたい私と、出来るだけのびのび育てたい春人さんでは、随分対立した。

 実のある話し合いなのか、はたまたギャップを再確認しただけなのか、ちくちくと互いをやりあった後、むすっとした春人さんとダイニングで差向いに座る。まだムカムカしつつもそんな顔もかっこいいなんて思ってしまう自分。でも今日は教えない。だって何だか悔しいから。


 春人さんがふらりと立ち上がる。一瞬、家を出てしまうのかとすがるような目で見れば、私を落ち着かせるように頬を撫で、ゆっくりとキッチンに向かった。そして薬缶を火にかけ、数分後お湯が沸くとコーヒーを淹れてくれた。

「はい」

 ぶっきらぼうに突き出されたお気に入りのマグを、「……ありがとう」とこちらもまだ笑顔を見せられずに受け取る。

 インスタントのコーヒー。だけど、一口飲めば私好みの温度と濃さだったのが嬉しい。

「おいしい」と思わず口にすれば、「よかった」と短く返す春人さんの目は、優しくこちらを見ていた。

 だから、テーブルに半端に置かれた、迷子になったような大きな手を取った。そっと両手で包めば、ぎゅっと握られる。

「ごめん」

 お揃いのタイミングで云って、二人で笑った。

「春人さんの意地っ張り」

「しのぶさんの分からず屋」

 二人して、さっきまで互いにぶつけ合っていた言葉を、今度はやさしいまあるい愛の言葉にして手渡した。

「でも、好き」

「僕だって」

 手を繋いだまま、テーブル越しにキスをする。

 軽いだけでは済まされず、ソファに連れて行かれてもっと深く長いキスを交わしながら、仲直りできた事を素直に喜んだ。


 嬉しい時だけじゃなく、すごく悲しい事があった時も、二人だからここまでやってこられた。だから、喜びは二倍で悲しみは半分――にはならなかったかもしれないけれど、分かち合って。

 これから先も、仲良しでいられるかな。三〇年後を想像すると楽しい事ばかりじゃないだろうけど、でも私、白髪の春人さんにもきっと毎朝恋をするんだと思う。

 だから春人さんも、ずっと私に恋をしてくれたらいいな。私の言葉に慣れる事なく、いつまでもはにかむあなたでいて。

 一生、私を夢中にさせてね。


かんなちゃんはこちら→ https://ncode.syosetu.com/n4134ci/6/

みずほちゃんはこちら→ https://ncode.syosetu.com/n7313bz/28/

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