デートの日(☆)
「約束は、春に」の後日談。子安君目線です。
一緒に遊園地でデートしないかと嵯峨から持ちかけられたのは、それぞれの彼女が遊びに来てくれた文化祭で、二人を校門まで見送った時。
振り替え休日になっている月曜は、俺たちよりも一週早く文化祭を開催していた西条女子高も学校側の都合で同じく振り替え休日だと云うことで、とんとん拍子に話が進んだ。
さすがに受験生なのでここからだと少し遠い夢の国へ、と云う訳にはいかず、足を運んだのは地元の若干寂れた感のある遊園地だ。それにしても。
「この時期にこんな提案して来るとか、余裕だなあ嵯峨は」
「そんなんじゃないけど、今行っとかないとしばらくこういうの行けないだろ? 俺はいいけど女の子は、多分会いたいとかどっか行きたいとかあると思って」と肩をすくめる。
「お前はほんとに、顔に似合わず優しい子だよね」
「ヤメロ、人前で頭を撫でるなっ」
ヤロー二人でじゃれてたら、白川と滝田さんに「やっぱり今日も仲がいいなあ」「ねー!」って云われてしまった。白川が嵯峨に、滝田さんが俺に妬く必要はまったくないと思うけど、でもその気持ちが嬉しいし、――ちょっと拗ねてる白川は、すごくかわいい。
「じゃあお昼にここでねー!」
そう云うや否や、滝田さんは嵯峨の手を取り「何から行く?」とジェットコースターやらフリーフォールやらのある方へとずんずん歩いて行った。それに引き換え、白川は動物のかたちに剪定された植木を一つひとつじっくり見て感心したり、空を見上げて「晴れてよかったねえ」ってにこにこしたり。
「せっかくカップル二組で来たのにあっちと一緒に回らないでよかったの?」
園内に入るや否やさっさと二手に分かれたことを不思議に思ったんだけど、どうやら事前に示し合わせてあったらしい。
「そうしたかったけど、滝田さんは絶叫系大好きで私はそれ系乗ったら酔っちゃうんだもん」と白川は若干悔しげだ。こんな風に静と動で随分違う二人なのに、案外気は合うらしい。自分の親友の彼女と自分の彼女が仲良しである必要はないかもしれないけれど、それでもやっぱり仲がいいなら嬉しいもんだ。
「ま、いいや。白川、メリーゴーランドは?」
「乗りたい」
「じゃ、それから行こう」
手を差し伸べると、少し指先のつめたい白川の手が、するりと俺の手の中に滑り込んできた。
「白川、もしかして寒い?」
「ちょっとね」
訪れた遊園地は山が近く、園内には一足早く冬が訪れている。リュックの中から念のために持ってきていたぺらぺらのウインドブレーカーを出して白川に着せ掛けると、「ありがとう」とほほ笑まれた。これくらいでお礼を云われるなんて、自分に出来ることなら何でもしてやりたくなる。
さして大柄でもない自分にジャストサイズのウインドブレーカーは、女子にしては背が高めの白川が着るとぶかぶかだった。お尻の下までをすっぽりとおおい、袖口からちょこんと指先が出ているその姿は、何だかひどく頼りなく、自分にとって守るべき存在なんだなと改めて思う。
でも白川は、何も出来ない子じゃない。ちゃんと闘うことだって知っている。守りたいと思うのは俺の自己満足だ。しかもこの先、いよいよ受験勉強が佳境に入れば彼女を守るどころではなくなる。天才ではない自分は、努力を怠った瞬間にゲームセットだと知っているから、この先しばらくデートも考えてはいない。
――それを今告げて、せっかくの楽しい今日を台無しにしてしまうのはもったいないから、あとで云うことにしてしばし楽しむことにした。
ただでさえ人の少ない遊園地でさらに月曜日ときたら、園内でぽつぽつ見かける来園者よりスタッフの数の方が多いのではないかというありさまだ。他人事ながら経営状態を心配してしまう。
あちこち古びた――長い年月を経て歴史的な風合いが出ていればよかったのだが残念ながらそうではない――、メリーゴーランドの木馬に隣り合って座った。俺が白馬で、白川は灰色。俺たちが安全ベルトを締め終えるとすぐに発車のベルが鳴り、少し歪んだようなストリートオルガンの音が流れはじめてゆっくりと木馬は動き出した。
白川が木馬に跨ったまま少しだけ身をこちらに乗り出して、「貸切だね」と嬉しそうに云う。
「何か、落ち着かないな」と答えると「気ぃちっちゃい!」なんて笑われる。
「そうだよ、知らなかった?」
「知ってるけど」
「何だって?」
「あ、ウソウソ!」
オルガンの音に負けじと、二人して声を張ってふざけ合う。
流れる景色と、メリーゴーランドの電飾と、ゆっくりと上下する木馬に乗る白川の、後ろに靡く長い髪。
少し寒い空気。パキッと晴れた秋の空。白川を覆うウインドブレーカーの黒。
フォトジェニックなその光景を、ずっと忘れないで覚えていたい。
木馬を降りても、白川が相手だとすぐに『さあ次はこれ!』とはならない。自他ともに認めるのんびりさんだから。
でもいいよ、つきあうよ。
白川と一緒じゃなきゃ、早足で通り過ぎて見落とすことが自分にはたくさんある。自販機横に大抵置いてある、丸い入れ口が二つの薄いグレーのごみ箱は、その下に赤のテープが横に張ってあるせいでかわいらしいオバケに見えるんだとか、マンホールの蓋の意匠はその市によって違うんだとか、いろんなものにいろんな風に興味を示して、だからただでさえのんびりの上にじっくりそれらを二人で眺めることになる。
今日も園内のマンホールの蓋に何度も携帯のレンズを向けて、トイレの男女マークをまじまじと見て、それから人の顔見て「あ、」って呟いて。
「どうした?」
「遊園地にいるのに、まだメリーゴーランドしか乗ってなかった」とテレ笑い。ようやく気付いてくれたらしい。
「鎖のなが―いブランコみたいな、ぐるぐるするの乗りたいな」
「了解、じゃあこっち」
ウインドブレーカーに隠れないつめたい指先を、引いた。
昼に向こうと落ち合い、軽食コーナーでハンバーガーのセットを四人で食べれば、ハンバーガーとポテトだけでは足りない嵯峨が滝田さんに「太るよ!」って脅されながらアメリカンドックと焼きそばパンをぺろりと平らげてた。
白川の食べ終わりはやっぱり一番最後。「私を待ってないでいいから、滝田さんと嵯峨君行っておいでよ」と白川が云うと、滝田さんもあっさりと「あ、じゃあそうさせてもらうね」と今度はゴーカートの方へと嵯峨を引っ張って行った。
「子安君は待ってないと駄目だよ」
「分かってるよ」
「携帯見てていいから、私が食べてるとこは見ないで」
「なんで?」
「……恥ずかしいから!」
白川が云うには、一緒に食べているなら平気だけど、自分だけ食べていてそれをじっと見られるのは恥ずかしい、のだそうだ。女の子の心理は謎だなと思いながら「了解」と携帯を眺めるふりをして、その向こうで安心してゆっくり食べている白川を何度も盗み見してた。結局、ばれて怒られたけど。
広い園内を一周する機関車に乗った。おそらく大人二人が横並びで腰掛けることはあまり想定されていないコンパクトサイズの座席に、二人して縦も横もぎゅうぎゅうになりながら。
すっかり縮こまってしまった体を伸ばしたあと、「すごくかわいくない造形のタコの遊具があるんだよ!」と前に乗ったことがあるらしい白川が案内板を頼りにどんどん階段を上って行く。はあはあと息を切らして、頬を赤くして、まるで小さな子供みたいだと思ったことは、口にしたら確実に怒らせる自信があったので、そっと心の中に仕舞った。
運動はどちらかというと苦手らしい彼女が折角そうして小山の上に連れて来てくれたというのに、その遊具は『メンテナンス中』と札を出されて大きな雨よけのカバーを掛けられていて、白川はそれをひどく悔しがった。
「すっごい変な顔なんだよ、子供が見たら三日は夜泣きするんじゃないかっていう位。見せたかったなあ……」
「じゃ、また来よう」
「……うん、また来よう!」
しょんぼりしていた白川が、自分の掛けた言葉一つでぱっと笑顔になったのが嬉しくて、思わずその頭を自分の胸に引き寄せた。
「こやす、くん?」
「……もー。そうやっていきなりかわいいの、禁止」
「え! なにそれ、意味わかんない!」
係員も、誰もいない、そこ。遠くでごおっとジェットコースターが走る音や、あちこちに設置されているスピーカーから微かに流されている歌を聞きながら、しばらく自分の腕に白川を閉じ込めたままでいた。白川も、そのままでいてくれた。
親子連れがやって来るのを聞いて、そっと離れる。頬を少し赤くした白川に、「大観覧車、行こうか」と誘うと、こくりと頷いた拍子に、つるつるしたウインドブレーカーの上を艶やかな髪が滑る。
意気揚々と上った階段をただ黙々と降りるのもつまらないだろうと、二人で『グリコ』をしながら少しずつ進むことにした。俺は『チヨコレート』と『パイナツプル』でどんどん歩数を稼ぐのに、白川がじゃんけんで勝つのは何故か『グリコ』ばかりで、「ずるいー!」と八つ当たりされる。「グリコーゲンでいいよ」ってルール変更しても、なかなか白川は俺に追いつかないまま、こちらはあと少しで降り切るところまで来たけれど、――時間を掛けて降りてきた段を一息に上り、白川のいる所まで引き返す。
「どうしたの?」
「寂しいから迎えに来た」
手を差し伸べて、ちょんと乗せられた指先を、袖ごと包んだ。
「子安君て、そんなに寂しがり屋さんだったっけ?」
「今日はそうらしいよ」
今度は二人で一段ずつ降りる。
「どうして?」
「――しばらく、会えないから」
延ばし延ばしにしていた言葉を、ようやく口にした。
「多分次、会うとしたらクリスマスか初詣。それ終わったら受験終わるまで会えない。学校も自由登校になるから、朝の電車でも会えない」
どんな顔してるか怖くて見られないから、階段を降りることに集中しているふりをして足元だけを見ていた。
「勝手なこと云ってごめん、でも俺は器用じゃないから、受験勉強の追い込みの時期に、まめにデートとか出来ない」
泣かせてしまうだろうか。不安にさせるだろうか。白川も受験生なのに。
繋いでいる手が震えそうになる。沈黙が何を意味しているのか分からなくて、もう一度ごめんと云おうとした時。
「――よかったあ」と、心底ほっとしているいつもの白川の声が聞こえたのは、自分の願望じゃないのかと一瞬耳を疑った。
「え?」
「だって、私も勉強とお付き合いの両立なんてこの先はムリー! って思ってたんだもん。――云いにくいことなのに、ちゃんと云ってくれてありがとうね」と感謝までされてしまった。
そんな風に、白川は大きい生成りの布でくるむようにして、俺の勝手な会えない発言を収めてくれた。今、白川にもっと会いたいと泣かれたら辛いな、と思っていたのを軽く飛び越えて。
そうしておいて、「あ、でも、会いたい気持ちはちゃんとあるんだからね?」と慌ててフォローも入れてくれる。
「……うん」
なんだか、泣きそうだ。
やっぱり今でも俺にとって白川は、精神的支柱なんだな。
細そうに見えて案外しっかり。揺さぶられてもしなやかに、それを逃がして。
そんなのきっと、白川にしか出来ない。
騎士気取りで守っているつもりが、白川に守られている。それがちっとも嫌じゃない。男だからとか女の子なのにとか、俺が自分に嵌めてたそんな枠は彼女が取っ払ってくれた。
自分からデートを凍結させると宣言したのに、ここに来て更に好きになってどうするんだと思うけど、自分でも自分の気持ちの手綱を取ることなんて不可能で、あっという間に気持ちが押し寄せてきた。
「子安君?」
足の止まってしまった俺の顔を、ひょいと白川が覗き込もうとする。
「だめ、見ないで変顔だから」
「……そう云うのは変顔って云わないの」
頬が赤くなっちゃってカッコ悪い。手を前に翳して顔を隠していたら、白川は掌の真ん中に顔を寄せて、そっとキスをしてくれた。そして、ふんわりと笑う。
「今日、来れてよかったねえ」
「うん」
「あの二人、またジェットコースター乗ってるのかなあ」
「一〇回は最低でも乗りたいって云ってたからね」
そんな風にのんびり会話しながら、再び下を目指す。指の先だけ繋いでいた手は、ウインドブレーカーの袖の中に潜り込んで今や堂々と恋人繋ぎをしている。
「大観覧車、乗る時間あるかなあ」
約束の時間まで残り三〇分になって、白川は今から乗れるかどうかちょっと心配そうだ。
「一周一五分だから、大丈夫だと思うよ」
「ん、じゃあ行こう」
れっつごーと気が抜けるような号令をかけて、前を行く彼女。一歩踏み出せば簡単に追いつくけど、ここは彼女のリードに身を任せることにする。
「明日、雨降るってね」
「ええ? 朝と夕方以外で、学校行ってる間に降って欲しいねえ」
そんな話をしていると、だんだんに頭が『いつもモード』になっていく。本当に、楽しい時間はあっという間だ。
明日からまた勉強漬けの日々になる。
制服は、一〇月で冬服に変わった。彼女の高校の制服も、白地に紺のラインの入ったセーラー服が、紺地に白のものになった。
その冬服に身を包む彼女は、今年限りだ。そう思うと時が過ぎるのが惜しくなる。『真冬に膝丈のスカートとか、先生たちは鬼だと思う』と告げる彼女の来年の装いは、きっとハイソックスと膝丈スカートの出で立ちは含まれていない。今だって私服がミニスカートの時は、スパッツとスカートの合わせ技だから。
自分ももしかして、惜しまれているのだろうか。窮屈なブレザーとチェックのズボンという、ありきたりな制服を。
それでも、春には制服を脱いで前に向かって進む。俺も彼女も。
つづらおりになっている長い階段を降り切って、大観覧車のある方へ足を向ける。こっちがいろいろ考え過ぎて若干センチメンタルになっているのに、白川ときたら「ピンクのに乗りたいなあ。 いい?」って、あくまでマイペースだ。
「いいよ」
「ありがとう!」
些細なことで喜ぶ白川を見ていると、早いとこ合格をもぎ取って思う存分甘やかしたり優しくするぞと不純な原動力が湧いてきて、湿っぽい空気は心の中から駆逐された。
乗り込んだゴンドラからどんどん離れて行く地上を見下ろす。何もかも小さく見えるその景色は、現実感も距離感もなくてなんだかミニチュアの作り物めいて見える。
来年、五年後、一〇年後。自分はどこで何をしているだろう。
まだそんな先のことまでは描けない。せいぜい、三月にどこか受かってたらいいなあってくらいだ。――でないと、春の約束もかっこ付かないからね。
ゴンドラが一番てっぺんに来た時に、照れながらキスを交わした。
女の子じゃないからそんなジンクスなんて信じてないけど、でも白川とずっと歩いていけたらいいなと思う。たくさん寄り道をして、たくさん笑って。たまに白川を怒らせて、一生懸命ご機嫌を取って。
白川はあんなに散々ゆっくりだったくせにここへきて「あと五分しかないよ」と向かいの席で焦っている。逆に俺はのんびりと構えて「少し遅れるってメールしとくよ」と嵯峨宛にそれを送信した。そしてゴンドラから降りるや否や「早く早く!」と急かす彼女に苦笑して、「あんまり急ぐと転ぶよ」とつめたい指先を包むようにして手を繋ぎ、待ち合わせ場所へと向かった。
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