水玉×プラトニック(☆)
会社員×高校生
「夏時間、君と」内の「夏色長恋」及び「ゆるり秋宵」内の「蜂蜜紳士」に関連しています。
「うわっ!」
その声と同時に、ばさばさばさーっと何かが道路に落ちた音が聞こえて思わず振り返ると、派手な男性が、派手に転んでそこいら中に郵便物を派手にぶちまげていた。どうやら歩道の凸凹に足を取られて転んだ拍子に、持っていた紙袋からこれから郵便局に持っていくらしいDMが飛び出しちゃったらしい。そのままにしていたら飛んで行ったり自転車に轢かれたり人に踏まれたりしてしまうから、急ぐ旅でもなかったし拾い集めるのを手伝った。
幸い、奇跡的に一枚もそんなことにはならず――私と転んだその人の他に拾う人はいなかったものの、皆器用に避けて行ってくれた――、DMを再び紙袋に入れることができた。
「ありがとうございます、助かりました」
「どういたしまして」
髪色こそマトモだけれど、スポンジボブのTシャツ(着用感あり)にピンクの迷彩柄のハーフパンツに、目に痛い蛍光色のスニーカー。ちゃらっちゃらというかふわっふわな格好の彼に、何度もぺこぺこされてしまった。多分年上の人に、そこまで頭を下げられても困る。
「困った時にはお互い様ですから」とおばあちゃんみたいなことを云ったら、その人がふわんと笑った。その鼻の先がすり剥けてる。転んだ拍子にやったとみた。
「鼻」と指差すと、「あ」とその人もその時ようやく気付いた。
「なんかムズムズすると思ったら……」と服のポケットを手当たり次第にぱたぱた叩いてハンカチやティッシュを探してるけど、どうにも見つかりそうにない。
「これ、よかったらどうぞ」
バッグから取り出したのはくしくもTシャツと同じくスポンジボブの描かれたばんそうこう。ふつう大人の男性に渡すものじゃないとは思うけど、彼は嬉しそうに受け取ってくれた。
「ほんとに、ありがとうございました!」
夏休みのせいなのか、おしゃれな街には平日とかお休みとか関係なくいつも賑わっているのか、たくさん人が歩いている歩道でおっきな声で云われて、ちょっと恥ずかしい。でもまっすぐなその言葉に、振り向いて会釈をした。その人は知り合いにするみたいに、ぶんぶんと大きく手を振って、私に全開の笑顔を見せてくれた。
表参道に、一人で遊びに行ってた時のことだ。時間にしたらほんの数分のできごとと、もう二度と会うことのない人。
なのに、何故か忘れられない。
あれからひと月後、同じ曜日の同じ時間に同じ場所へ行ってみたけど、当たり前というかなんというか、彼には出会えなかった。
植込みの柵に人待ち顔で腰掛けて、少しだけ胸を逸らせて。二〇分位そうして目の前を行き交う人を眺めてた。
似たような人なら、多分歩いてた。――って、顔とか既にぼやけてるから、すれ違っててもわかってないだけだったりしてね。そりゃ、そうでしょ。ひと月前のことだし。こっちがそれ位なら、向こうはきっと覚えてすらいないに違いない。そう思い至って、ようやく腰を上げた。
もしかしたらまたここで会えるかもなんて、とんでもなかった。地元の商店街ならいざ知らず。バカか、私は。一七にもなって。勉強ができても、こんなこともわからないなんて恥ずかしい。
でもせっかく来たのだからと思い直して人気のお店を覗いてみたものの、気落ちしたままで表参道歩きを終えて、帰宅ラッシュが始まる前に地下鉄に乗って帰った。
「ちょっと聞いてよみっきー、うちのデリカシーまるでなし男がまたやらかしてくれたんだよー!」
「え、なになに聞かせて!」
クラスで一番仲のいいのんちゃんには、ちょっと不思議なお兄さんがいる。
大貴さん、二五歳。職業、古着屋さんの店員さん。のんちゃん曰く、『わっざわざ都内に出てまでする仕事なのかなあアレ』と毒舌極まりない。そんな彼女と彼女のお兄さんとが顔を合わすと、毎日いろんな化学反応があるみたい。
「で? どうしたって?」
「そうそう、クソ大貴がさあ、この間私とのぶ君のこと尾行してやがったの!」
「あらら」
のぶくんというのは、彼女の自慢の年上彼氏さんだ。お隣に住んでいる幼馴染みなんて、なんだか少女漫画みたいなシチュエーションで、話を聞いてるだけで毎回ドキドキしてしまう。
「電柱にぴたって貼り付いて隠れてたらお散歩中のよその犬におしっこ引っ掛けられて大騒ぎして分かったんだよ! もうほんと恥ずかしい!」
ぷりぷりと憤慨するのんちゃんだけど。
「いいなあ、私一人っ子だからお兄ちゃんいるのすごい羨ましい」
「いらないよあんなの! 熨斗つけてプレゼントしちゃうよ!」
「えー? じゃあもらおうっと」
キャッキャとはしゃいでいたらクラス担任がやって来たので、慌てて席に着いた。
いいなあ。もらえるものなら本気で戴きたい。だって、大貴さんのことを聞いていると、心がぽわってあったかいんだ。
きっと風変わりな彼なら、私のとんでもなく夢見がちな片思いだって、応援してくれるって勝手に思ってる。って思ったところで気が付いた。
あの表参道の人を、好きになっていたってこと。
好きになってどうするの。もう二度と会えない人だよ。ほんの数分しか知らない人だよ。
頭ではそう、わかっているのに。
普段は冷静で大人しいって評される自分の中に、こんな感情が芽生えたのは初めてだ。――それがマボロシだろうとニセモノだろうと構わない。人を好きになるのに、理由も時間も要らないんだって、その気持ちが教えてくれた。
大人だったら。
表参道にお勤めの人や、よく遊びに行く人が友達だったり知り合いだったりすれば、その糸を辿っていくことができる、かもしれない。
自分で稼いだお金で、興信所に頼んで探すことだって。
でも残念ながら、私はまだ高校生だ。いくらバイトしてても貯金してても、自由に使えるお金も時間も限りがある。いくらその人に会いたくっても、恋のためにお金は使えない。
そして表参道に人脈もない。八方ふさがりだ。
授業中に一人落ち込む私の耳に、聞いたこともない大貴さんの声が再生される。
『なーお前ら、希が卒業するまでキヨイ仲でいるんだよな? じゃー俺今日からのぶのことプラトニック一号機って呼ぼーっと』
そう云われたとやっぱりのんちゃんはぷりぷり怒って教えてくれたけど、やっぱり私は羨ましかった。
『のんちゃんのこと、大事に思ってるんだね』
『いや違う! 違わないけど違う!』
ムキになってたけど、大貴さんは見る人が見たら年の差で反対されそうな二人の恋を大貴さんなりに見守ってる。ちょっと面白い方向で。
それがきっかけで、のんちゃんから聞いた大貴さんの面白すぎるエピソードをあれこれ思い出してたら、授業中だというのに今度は笑いを堪えるのが大変なくらいだった。――ほらね。
泣きそうに悲しかったのに、大貴さん、魔法使いみたい。
文化祭シーズンがやって来た。うちの学校は、ちょっと遅め。
軒並み他の学校のが終わってから『あ、忘れてた』みたいなタイミングで行われるけど、他のとことバッティングしないのは助かるって、他校に彼氏のいる子が笑ってた。なるほど。
「ねえ、のぶくんさんも来るの?」
「なにその呼び方、さん要らないよ」
「だって友達の年上彼氏さんだよ」
「まじめだなあ、みっきーは」
二人で笑いながら、ぺたぺたとベニヤ板にペンキを塗った。
クラスの出し物はダンスホール。
飲食系は競争率が高いしどうしようかと話し合っていた時に、お父さんの持ってた映画のDVDを観てその時代の世界観にはまった子が五〇年代のアメリカを再現したいと発言して、皆でLHRの時間にそのDVDを観た。女の子がかわいくて、男の子がかっこよくて、満場一致であの格好でダンスホールをやろうということになった。ショータイムにはDVDを参考にした振付のダンスもある。
「土曜日のぶくん来るよー、大貴と一緒に」
「あ、大貴さん来るんだ」
「なんでみっきー嬉しそうなの」
「なんでのんちゃんはそんなに嫌そうなの」
「だってあいつ絶対騒ぐし迷惑かけるもんー。ああもう今から恥ずかしい」
そっか。大貴さんと初顔合わせだ。そういえばどんな顔なのか、知らない。のんちゃんが恥ずかしがって写真とか見せてくれないから。
「でも、楽しみだね」
「うん、楽しみだ」
そう笑い合うと、また二人してせっせと筆を進めた。
そして土曜日、なんとか完成した『ダンスホール☆二年三組』。
美術の先生や家庭科の先生まで巻き込んで、電動でくるくる回るミラーボールや女子のサーキュラースカートをこさえた。女子は、白いブラウスにそのスカートで、髪の長い子はそろってポニーテール。男の子たちは開襟のアロハシャツにジーンズ(でも上履き)、髪の毛はポマードでリーゼントにしてて、男子も女子も皆いつもとはずいぶん違う雰囲気だ。
「のんちゃん似合う―!」
「みっきーもかわいい―!」
二人して褒め合った。のんちゃんは元々かわいいんだけど、いつもはサイドに流している前髪をまっすぐに下ろし、それを内側にくるりと巻いていて、まるで昔のバービー人形みたいだ。
残念ながら私は髪が硬くてカーラーやコテでもなかなかうまくカールしないので、前髪はいつもどおり。まあ、のんちゃんと違って見せたい相手もいないからいいんだけどね。
いつも通りの緑のフレームの眼鏡は、のんちゃんに『いいよー雰囲気合ってるよー』って云われてその気になって、コンタクトじゃなくこっちにした。スカートの色と柄は自由に選べたので、のんちゃんとお揃いの赤地に白のドットにした。
先輩や後輩や他校の友達(時には保護者が)が入れ代わり立ち代わりやってきて、ノリのいい人は一緒に踊ってくれる。いつもはただの教室なのに、今日は別世界みたいだなあ、なんて思っていたら、隣にいたのんちゃんがぱっと表情を変えて入口に駆け寄った。
「のぶくん!」
教室の戸口に立っている優しげな男性が、のぶくんさんだってすぐにわかった。彼のそばにいるのんちゃんはとってもとってもかわいくって、『彼女』の顔してた。そして格好を褒められたのか、前髪を触ってはにかんで、それから右に左にくるくる回ってスカートを揺らした。それをのぶくんさんも嬉しそうに見ていた。
のんちゃんが何かを囁くと、のぶくんさんはこっちを見て会釈をする。慌てて私もお辞儀を返す。のんちゃんが、のぶくんさんの手を繋いで引っ張ってこっちに来る。ぐいぐいと引くその勢いに、のぶくんさんが苦笑してた。なんかお散歩大好きなわんことその飼い主みたいと、のんちゃんが聞いたら怒りそうなことを思ってしまう。
のんちゃんに、「みっきー、これのぶくん。のぶくん、いっつも話してるみっきーだよ」とざっくり紹介された後、改めて二人して名乗り合った。
「そういえば大貴は? 一緒に来たんでしょう?」って、のんちゃんが聞くと、のぶくんさんも「云われてみれば遅いね、隣のクラスの縁日に寄ってから来るって云ってたけど」と返す。のんちゃんがフンッと鼻息荒く「どうせ射的とかヨーヨー釣りとかスーパーボールすくいにハマっちゃったんでしょ。小学生か」って口にした時、がらっと前の扉が開いた。
「希ー、のぶー、聞いてくれよー! 俺スーパーボールこんなにすくっちゃったー……」
パワーパフガールズが三人そろったトレーナーに、蛍光ピンクに大きめの白のドットのダウンベストに小鹿柄(小鹿シルエットではなく、体の模様)の起毛のハーフパンツ。その下は、赤とエメラルドグリーンのノルディック柄のハイソックス。校舎の中だから蛍光の靴は履いていないけど、あの日の彼がそこにいた。
私、忘れてなんかいなかった。どうやら向こうもそうみたい。
私と目があって、口をぽかんと開いて、スーパーボールがぎゅうぎゅうに詰まっていた袋を持っていた手がゆっくりと開いて……。
色とりどりのボールが大貴さんの周りに弾む。赤、金、ラメ入りの白、青、ピンク。
暗幕を張って暗くした教室で、ミラーボールの灯りが私たちを横切ってはまた戻ってくる。でも二人とも動けずにいた。
「やだもうバカ大貴!」というのんちゃんと、「まあまあ」と諭すのぶくんさんが、しゃがんでせっせとスーパーボールを拾っているというのに。
「ほら! もう落とさないでよ!」と、拾ってもらったスーパーボールを袋に入れてのんちゃんに渡されても、固まったままのその人――大貴さん。そうか、私は大貴さんをそうとは知らずに好きになってたのか。
面白いし不思議だ。表参道で働いてる二度と会えないと思っていた人が、仲良しの友達のお兄さんとして目の前にいる。っていうか、どうして固まってるの?
「大貴、さん?」
「うぇはいっっっ!!」
恐る恐る名前を呼べば、真っ赤な顔して不思議なお返事をくれた。
私の横ではのんちゃんが腕組みして「うぇはいって何? なんでそんなにテンパってんの? てかなんで二人して見つめ合ってんの?」って云ってて、それをまたのぶくんさんが「まあまあ」って諭してる。
「表参道で会った以来、ですね」
「そそそそ――――デスネッ」
「のんちゃんの友達の、安西美希です」
「……みき、ちゃん」
うわ、いきなり下の名前呼んだ。びっくりしてたら「ご、ごめん、失礼だよな初対面なのに、いや初じゃないけど何云ってんだ俺!」と、大貴さんがものすごい緊張してるのが言葉や態度から伝わってきた。なんかかわいいな。
「云いたいことはわかるので、大丈夫ですよ」
「あ、ありがとう」
「どういたしまして」
それだけ云うと、もう言葉に詰まってしまった。私にも大貴さんの緊張が移ったのか、いまさらどきどきしてる。
しっとりした曲から、陽気な曲に変わったその瞬間、大貴さんが意を決したように「あの!」と裏返しながら声を掛けてきた。
「はい?」
「俺と、付き合って下さい!」
「えっ」
突然の申し出に、嬉しいよりびっくりしてしまうと、「いや違う、違わないけどそーじゃなくって、まずはお茶に付き合ってくれませんか?」と途中途中で噛みながら云い直した。
「あ、はい」
それなら。ほっとして笑顔でお返事すると、大貴さんもようやく笑ってくれた。
のんちゃんがのぶくんさんと手を繋いでくるくる踊りながら、「ちょっとーそこの二人、後で詳しく話し聞かせてもらうからねー!」って云ってる。のぶくんさんもにこにこしながら、でも「今日から大貴の事、プラトニック二号機って呼ぶから」、だって。
それをきいて大貴さんは「ああああー、そうだったー!」ってしゃがんで頭を抱えてる。
「……イヤですか?」
だったらヤだな、って思いながら聞いたせいか、すごくしょんぼりな声になってしまった。すると大貴さんはパッと顔を上げて、「そうじゃないよ! いやそうじゃなくないけど大丈夫! 一号に出来て二号に出来ない訳がない!」と言い切ってくれた。
「よかった」
ほっとしてたら、大貴さんは左胸を両手で押さえて、「うっわやっばい、俺のぶのこと尊敬するかも……」と呟いて、曲が終わってこちらに来たのぶくんさんに「お互い頑張るとしよう」って肩を叩かれてた。
そんな二人を、私とのんちゃんとで、笑った。
大人の男の人の苦悩って奴を、話でしか知らないけれど。付き合うならそれを強いる関係になってしまうけれど。でも。
私、大貴さんとお付き合いしたい。今すぐじゃなくって、もう少し、心の準備が整ってから。
のんちゃんみたくかわいくないけど。大貴さんのおしゃれを一緒に楽しむことはできないけど。でもね。
二人でそのスーパーボールを弾ませ合ったり、大貴さんがすることを特等席で見ていたいな。きっと、すごく楽しいと思うんだ。
再び黙り込んじゃった大貴さんを前にして、家に帰ったら携帯の待ち受け画面を大貴さんが今着ているみたいなピンクに白のドットにしようとか、あと二〇分後に休憩時間になったら一緒に校内を回りませんかって誘いたいな、とか、メールアドレスとかいろいろこっちから聞いてもいいかなとか思っていたら、傍で見ていて業を煮やしたらしいのんちゃんが大貴さんのお尻を蹴っ飛ばしながら、「あたしのみっきーを困らせるなー! 固まってないでさらっと誘えさらっと!」ってさらに攻撃を加えそうになって、それをやっぱりのぶくんさんが「まあまあ」っていなして、大貴さんが「二人で! この後! 回ろう!」って、電池の接触の悪い喋るおもちゃみたいにぶつ切りで云ってくれて。
そんな三人を前に、笑いが止まらなくなっちゃった。だって面白すぎるよ。のんちゃんはカンペキにかわいいのに大貴さんのことになるとなんだか怒りっぽいし、のぶくんさんはそんなのんちゃんを放し飼いだし、大貴さんはやられっぱなしだし。
そのすてきな三人の輪の中に、私も入れてくれるかな。入りたいな。そんな風に思うのも私、初めてだ。自分の身には起こらないすてきを今までは『いいなあ』ってうらやむだけだった。大貴さんとだと、きっと色んな初めての私になるね。どんなことが待ってるんだろうって、わくわくするよ。
どんなところへも、連れて行って。その笑顔があればきっと大丈夫だから。
結構長いこと笑ったあとでようやく、「はい」ってお返事をした。笑いすぎて涙の出た私に大貴さんがテレタビーズのハンカチを貸してくれて、そのキャラクターの懐かしさ加減とかわいくなさ加減に、またちょっと笑った。
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