誘惑・困惑
販売員×営業
キラキラ眩しい男の子。
わざと、『子』を付けてた。私なんかが対象にするには、眩しすぎたから。
自分が担当しているお店へ他店から取り寄せしたカットソーを持っていくと、今日も見目麗しく眩しい葛西君が「こんにちは、くららさん。あ、これどーしても欲しいってお客さんから云われて無理云って取り寄せてもらった分だ。ありがとー!」と、カウンターに広げて検品しながら嬉しそうにお礼を云ってきた。
「いや別に、私は自分の仕事しただけだし」
「イヤイヤ、営業さんっつったってココまでやってくれる人なかなかいませんて。いつも助かってます、まじサンキューです」と、軽いんだか熱いんだか分からない口調で労ってくれた。――嬉しい。
それ探して引っ張って来るのに実はほんとに苦労した。
雑誌でも定期的に取り上げられる人気の定番品で、店頭に出すと即完売だからどこも出したがらない。都内の受け持ち店を駆けずり回って、最後はずっと担当させてもらってるお店の店長さんが『大塚さんがそこまで云うならいいよ、うちもお世話になってるし』と苦笑交じりに持って行け、と差し出してくれた。
『ありがとうございます!』
頭を下げてお礼を云ったら、『そのかわり今度メシ付き合ってよ』なんてその気もないくせに誘ってくる。この業界の男の人は、軽いか軽くないかで云ったらまあ軽いノリの人が多いので、にっこり笑って流すのが一番だ。
『営業会議なら喜んで』
『うっわ、かったい、固過ぎるよ大塚さん! そこは普通に『喜んで』って受けとこうよ!』とガハガハ笑ってた。ほら、からかってるじゃないやっぱり。
葛西君も、よく私をからかう。
年上の私を上の名前じゃなく下の名呼びするのとかもそうだし、『今日も綺麗だね、くららさん』だの、『あ、そのピアス素敵! 似合ってる!』だのと、からかいながらも客商売だからか人をその気にさせるのがうまい。さすがに都内で売り上げ二位の男の子は一味違う。
きっと、誰にでも云うんだよ、それがあの子の仕事なんだから。
だからいちいち喜んだり、いちいち傷付いたり、しないの。
葛西君は、私より四つ年下の、二二歳だ。でも大卒で大して服が好きでもないのに就職難からアパレルの営業になった私なんかよりよっぽど熱意もあるし、高卒でアルバイトから社員になった葛西君はスキルだってちゃんと身に付いている。あと何年もしないうちにきっと店長になるだろう。秀でた容姿を鼻に掛けるでもなくお客様にも評判のよい子だ。なのにどうして私をからかったりするんだろう。若い子の考える事は、よく分からない。
「こんにちは、くららさん」
今日も葛西君は私が声を掛ける前にこちらに気付き、乱れたカットソーを畳みながらにっこりと挨拶をしてきた。ただそれだけの事で、この子にとっては普通の挨拶が、私の側だけとくべつみたいに思えてしまって困る。そして。
「――こら」
あるものを見つけて咎めると、葛西君は「やば」とちっともそう聞こえないトーンで笑う。
「またピアス、落ちそうになってるじゃない。そんなにぶらぶらさせてたら、せっかくの男前が台無しよ。ちゃんとしないと」
なぜかこの子は見るたびにピアスがあと少しで落ちそうな角度で前に傾いてる。辛うじて引っかかっていると云った方が正しい。それを見つけて、そのままにはしておけない私が直してあげるのもいつもの事。
「キャッチが緩いんですよね、コイツ」
「なら、キャッチだけ交換しておいたら? なくしたらイヤでしょう、いつも付けてるお気に入りなんだから」
「だいじょーぶです、こうやってくららさんが直してくれるから」
その言葉にとっさに反応できなくて、「……何云ってるの。ほら、ちょっと屈んで、それじゃ直せないじゃないの」って、しらっと躱すふりするのがせいぜいだった。
『くららさんが直すから大丈夫』の、その言葉の意味を深読みしてしまいたい。でもまさかねと即座に打ち消した。こんなの、向こうにしてみたらただの会話でただのコミュニケーション。私の側が勘違いしなければそれで済む話だ。
そんな風に思ってピアスを直してすっと離れたら、葛西君が少し慌てた。
「あ、くららさん怒っちゃった?」
「べつに」
嘘だ。自分でも分かる、気持ちが一方通行だからって拗ねてるよ私。
「機嫌直して? 俺これから休憩だから一緒にお茶しましょう、お詫びにパフェおごりますよ」
調子いいの。平気で年上女をからかうくせに、そうやってすぐにフォロー入れてくる聡いところが、ほんとタチ悪い。
でもまあ、その誘いを一蹴するのも大人気ないかと、そう思う事にした。
「甘いの苦手だから、コーヒーがいい」
ぶっきらぼうに返したのに、葛西君はすごくすごく嬉しそうにして、それから「てんちょー! 早く午後休ちょーだい! 俺くららさんとお茶デートなんで!」ってお店に響きわたる声でそう高らかに云った。
「ちょっと、デートってなにっ!」
二人して騒いでしまったせいでお客様にもじろじろ見られて、表舞台に立ち慣れていない私はすっかり慌ててしまう。そんな私に葛西君は「うっわほんと、かわいい……」とかまたふざけた事を云っちゃうし、店長は店長で笑いながら「おお、じゃあがんばって三〇分で大塚さんをオトしてこい」なんてけしかけるし。
正直、ごちそうになったコーヒーの味はよく覚えていない。
いっつも自分をからかってる相手が、身を乗り出して頬杖ついてずーっとこっち見ながらカフェオレ飲んでにこにこしてたら、誰だってそうだと思う。
人で遊んで、ほんとに、罪作りな子だなあ。いい加減誰かがっつりと叱ってくれればいいのに。叱れない私の代わりに。
梅春物の展示会用のDMを各店舗に持っていってた日、葛西君はお店にいなかった。――お休み、かな。会えると勝手に思ってた心は、もらえる筈のご褒美を与えられなかったと不平を云っている犬のようだ。
「寂しそうですね、大塚さん」とニヤニヤしている店長に、つんと澄ましたまま「ええ、私の一番のお気に入りの葛西君がいなくて、心は涙雨でどしゃぶりですよ」とほんとの気持ちを敢えてそう聞こえないように大げさに言い放つ。と。
――がらがらがっしゃん!!!!
バックヤードから、なにやらあれこれ落としたようなにぎやかな音が聞こえてきた。
店長がそちらを見ずに声を掛ける。
「葛西よ、いちいちお世辞で動揺すんなー」
「!」
い、いたのかっ。
びっくりしたやら恥ずかしいやらでフリーズしていると、レジカウンター後ろの扉の向こうから、大好きな声がくぐもって聞こえてきた。
「しますよ! たとえお世辞でも!」
その言葉に店長は笑い転げてしまった。他の男の子たちも「無駄に前向きだな……」と呆れた顔や苦笑いを一様に扉の向こうへと向けている。
違うのに。お世辞じゃ、ないのに。でもそう云ってしまっていいんだろうか。
戸惑っているうちに、ちょっと赤い顔した葛西君が扉からそっと出てきた。ちらりと、こちらを見る。
「……コンニチハ」
「……こんにちは」
いつもは余裕でこちらをからかってくるくせに、自分がからかわれるとそんな風になっちゃうんだ。顔の前に手を翳して、赤みが残る頬を隠したりしているのが、とんでもなくかわいい。って思ってるのに、私はやっぱり怒った顔ばっかり上手。
「――ほら、また外れそう」と近付いて、緩んだピアスをはめ直した指が離れ際、葛西君の耳たぶを掠める。それだけで高鳴る鼓動。
その柔らかそうな髪に触れたい。きれいなラインを描く、頬や顎も。そんな気持ちは、いつもどおり顰め面の下に押し込んで隠した。
人の気も知らずに、葛西君は「いいんだ、くららさんが直してくれるから」っていつも通りにこっと親しげに笑ってくれる。
しかも、今日はそれだけじゃなかった。ピアスを直したあと離れようとした私を「待って」と留めて、さっきのお返しみたいに、私の耳に葛西君の手が近付いて、触れて……。
「王冠、ナナメってた」
「――あ、」
半立体の王冠のピアスはトップに石が付いていて、その重みで斜めになりやすいのを失念していた。
「ちゃんとしないと」って、わざと顰め面して、私の真似までして。
「……ありがと」を不承不承口にしたらぷっと噴き出された。
「どーいたしまして」なんて歌うみたいに云ってくるあたり、私なんかよりよっぽど余裕みたい。にくたらしい。でもやっぱり、嫌いになんてなれない。
その日は何度も、ピアスと耳たぶに触れてみた。そこだけ魔法で輝いているような気持ちは、夜までずっと続いていた。
「こんにひは、くららはん」
「――こんにちは、葛西君。とりあえず伝票は顎で押さえないで手で持ちましょうか」
「持てまへーん……、あ」
また別の日の閉店後、新しく上がってきた型番表を手に店を訪れると葛西君は両手にでっかい段ボールを持って、その上に伝票を置いて、それを顎で抑えて、さらにおしゃべりをしてきた。そんな状態なので伝票はひらりと簡単に床に落ちてしまう。それを拾うのは、私の役目、ね。まったく。
「他の人たちは?」と拾いながら聞いたら、「今日は俺がカギ締め当番。帰ろっかなーって思ってたらさっきこれが届いちゃってまんまと帰れなくなりました」と笑う。いきなりの二人きりに挙動不審になりそうなのを堪えて、殊更平気ぶった。
「ごめんね、クローズしてから来ちゃって。型番表だけ置いて帰るから」と封筒からちらりと見せると、「いーじゃん、もし予定ないならゆっくりしてってくださいよ、コーヒーくらい出しますよインスタントだけど」って引き止められてしまう。
「ううん、悪いから帰るよ。伝票、カウンターに置いておくから、……?」
そう云ったのに、葛西君ときたらご飯を待ってるヒナみたいに口を大きく開けた。
「……何?」
「口で挟んでカウンターまで持ってく。はい、ちょーだい」と、わざと口をパクパクさせて。
私が躊躇していると、「早く―。段ボール重いんだからー」と云われてしまう。段ボールの中の服の重さはこちらもよく知っているから、渋々それを聞く事にした。
「……紙で口切っても知らないから」
「そしたら舐めてくれる?」
首を傾げて甘えて、またすごい事云ってくれるなあと思わず笑ってしまった。
「切ったらね」と云いつつそっと唇に伝票を挟めば、「くっそ残念、切れなかった!」とかさかさ音をさせながら、本当に残念そうに葛西君が悔しがった。
「バカね、そんな簡単に……、っ!」
「くららさん!」
そんな事を話しているうちに、封筒から取り出した型番表が滑り、自分が指を切る羽目になってしまった。
葛西君はどすんと段ボールを床に置き、伝票をさっとニットカーディガンのポケットに入れ、私が落とした型番表を拾って、それから切ったところに当たらないように私の指を持った。そのまままじまじと検分される。
「血、出ちゃったね」
「うん、結構痛い……」
指なんて久しぶりに切ったので思わずぼーっと眺めていたら、葛西君が「ちょっと貸して」と云うが早く、出血した私の指先をぺろりと舐めた。
「何!?」
「云ったじゃない、『切ったら舐める』って」
「それは葛西君が切ったらの話でしょう……!」
いい年して、赤くなってしまった頬。切った挙句に舐められた指は、すぐに葛西君の指から逃げて、もう片方の手でぎゅうっと握りこんでいたので、かえってズキズキと痛んだ。
「いいじゃん、もうどっちでも」
葛西君は今にも鼻歌を歌いそうな勢いで、「今日はいい日だなー!」って笑う。ぼーっとしたり狼狽えたり、いつもと違って余程からかい甲斐のあるリアクションをしたせいか、葛西君はごきげんさんだ。――そんなに、楽しい?
「くららさん、常に鉄壁のガードで太刀打ちできないけど、俺的に今日は手ごたえアリって感じがしました」
へえ、よかったね。いつものようにつんと澄ましてそう云ってやりたかったけど、もうこれ以上は無理だった。
「くららさん?」
目に映る無邪気な顔が、ぼやけていく。慌てて俯くと床に涙が落ちた。泣くか、私。こんな事で。
仕事中に泣く女は嫌い。だから、ささっと目元をタオルハンカチで拭いて、深呼吸してそれ以上は何とか堪えた。
「……どうしたの? 指、そんなに痛い?」
「葛西君、お願いだからもうそうやって人の事からかうの、やめてくれないかな」
「……え?」
聞いた事ない低い声。また泣きたくなる。
「悪いけど、葛西君と違って私あんまりこういうの慣れてないから、すぐ舞い上がるし勘違いしちゃうの。だからやめて欲しい。ごめんね、ノリが悪くて」
せめてもと努めて明るく振る舞ったけれど、葛西君はいつもの私みたいに硬い顔のまま黙り込んでしまっている。
あれもこれも、からかいじゃなければ嬉しかったよ。だって私は葛西君の事が好きだから。
彼が笑うと、ふわっと花が咲いたのを見たような気持ちになるのが好き。ボディに着せる服のコーディネイトを考える、真剣な目も好き。セール中でも決して疲れた顔はお客様に見せずに、楽しそうに服を畳んでいるところが好き。たまに電話口で、お店の名前を噛んじゃって照れてるところも好き。
好きな人にじっと見つめられれば勝手に誘惑されたみたいになる。
そんな風に思ってみても、向こうは困惑するばかりだって知ってる。
この子が望むだけ、年上の余裕のふりをして『堅物でからかい甲斐のあるくららさん』でいたかった。でももうごめん無理。
「……じゃ」
型番表を渡してしまえば、もうここにいる理由もない。
葛西君に拾ってもらったそれをまた封筒に入れ戻して、「これ、人数分入ってるから皆に渡しておいてね」とカウンターの上に置いて踵を返す。ガラス戸に手を掛けて店から出ようとした途端、
「どうせ俺は頼りない年下ですよ!」
――突然、葛西君がキレた。
「まだ社員になって二年目だし運転免許持ってないし虫は苦手だし頭悪いし! でも!」
驚いて振り向いた私に向けられた目は、見た事もないほど赤くなっていた。
「俺、くららさんをからかったり、してないっ……!」
ならそれはつまり、――そういう事?
信じられなくて思わず一歩後ろに下がれば、ガラス戸に背中がとんと当たってしまう。ううん、信じなくちゃ。そう決めて、葛西君の言葉を素直に体の中に入れようと、一歩ずつ近付いた。
「何してもあなたは振り向いてくれなくって、俺があなたにほめられるのなんて見てくれだけで、でもそうやってほめるくせにくららさんは俺のことなんかどうでもよくって、俺の言葉なんか全然通じないんだ!」
大きな目から、水晶みたいにきらきら光るしずくが落ちる。それを乱暴にぐいと腕でぬぐって、「――すいません、これからは、わきまえます」と、震える声を押し出すように云う。たまらなくなって、ヒールを鳴らして傍に行き、その体を引き寄せた。
「ごめんね、……ごめん」
「何のごめんですか、憐れみならいりません、俺」
「そうじゃないの」
何やってんだろう、私。
営業のくせに年上のくせに、自分の事ばっかりでちっとも彼の事を見ていなかったなんて。そう思うと、もうとまらなかった。
涙で冷たくなった頬を両手で包む。
「くららさ……」
しゃくりあげる声を封じるみたいにキスをした。
震える唇に。ぬれた睫に。まだ、震えている唇に。何度も。
それからゆっくりと離れて、おでこにおでこをくっつけた。
「葛西君の事好きなのに勝手にひねくれて、言葉を受け取らないでいてごめん。傷つけてごめん。――あと、年上で、ごめん」
私がそういうとまだ真っ赤な目のままようやくくすりと笑って、「それは、別に謝ることじゃないと思うよ」って云ってくれた。
二人で、ウインドウに白いシェードを下ろしたお店の中で、カウンターのところにだけスポットライトのようにあかりを付けて、話をした。床に潰した段ボールを敷いて、カウンターに背を預けて並んで座って。――手を、繋いで。
私が葛西君を好きだと告白した時から、いくら頼んでも手は離してもらえてない。
「だって、もう離れてたくないもん」て甘えて、逃げようとする私の手を両手で閉じ込めて。私がそうやって甘えられると弱いって、本当は知ってるんでしょう?
屈託なく笑うけど、目元はまだ赤みが残っている。それを見るにつけ、申し訳ない気持ちになってしまう。葛西君はそんな私を見て「こーら」って優しく笑った。
「そんな風にね、いつまでも気にしてると、それ利用するよ俺」って、私の肩に頭を乗せて見上げてくる。
「どう、やって?」
「俺の目が赤くなくなるまでキスして、とか?」
「……ばかっ」
体育座りした膝に顔を隠したら、「怒らないで、くららさん。機嫌が直るまでキスしてあげるから」なんてやっぱりふざけてるみたいに云うし。
「どっちにしても同じじゃない!」
「うん、だって俺、くららさんがかわいくてどうしようもないんだもん」
「……葛西君の方が、かわいいくせに」
ぼそっと口にしたら、「え!? 何で? かわいいじゃなくかっこいいがいい!」と抗議された。――ほら、かわいいじゃないの。
顔を上げて、納得いかないってむくれてる頬に触れる。
「葛西君、かっこいいけど、かわいい」
「……だからー、かわいいはいらないの。くららさんに全部あげる」
「いらない。私かわいくないもん」
「かわいいの!」
「かわいくないって」
やけに振るわれる熱弁に苦笑してたら、「……俺の云うこと、まだ信じらんない?」なんて、悲しげに云うから、もうそれ以上は言い張れなくなってしまう。ずるいなあ。
こんな風に、付き合っていくのかな、私たち。甘えて、甘えられて、信じて、押し切られて。うん、何か想像ついた。葛西君の言葉に結局私が根負けするの図。でもいい。そんなのがいい。
もう二度と泣かせたりしないと心に誓って「信じてる、全部」ってぎゅって抱きついたら、「当―然!」って葛西君が鼻高々な顔をして見せた。
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