アッちゃんとも一緒(☆)
「夏時間、君と」内の「あっちゃんと一緒」の二人の話です。
アンサンブルコンテスト略してアンコンまでもうすぐで、桃も吹部の面々もいつもより一層練習時間が長い。土日もおべんと持参して朝から晩まで一日中練習漬けで、俺が週に一日だけ桃を独占出来るはずの日曜日も、アンコンが終わるまではデートおあずけの刑に処されているところだ。
いつもはパート練習にのこのこ顔出してる俺も、さすがにピリピリムードのど真ん中にダイブは出来ねー。平日は合奏が始まるまで桃の傍にいて、そのあとこそーっと忍者のように被服室を出て、一人で帰る。土日は朝桃ん家まで迎えに行って、学校まで歩いて送ってって、終わりそうな時間にアイドルの出待ち状態で校門のとこで待ち伏せして。
「せっかくそっちはお休みなのに半端に時間つぶしちゃうから、来ないでいいよ」って桃は云う。平日の朝も文化部のくせに朝練があって早いから無理しないでいいよとか云うしまったく彼氏心が分かんね―ヒトだ。
「俺はこうやってちょっとでも、桃と二人でいたいの!」って教えたら息を呑んで、繋いでた手がぎゅってなった。ちびっちゃい子に掴まれてるみてー。
こんなのさ、テレビ電話でも伝わんないじゃん? やっぱ直に会うのが一番いいと思うよ。なーんも喋んなくって構わんよ。ただ隣にいさせてくれれば。まあ、今はもうそれだけじゃないけど。
「じゃーね桃、また明日」
「うん、あっちゃん、バイバイ」
桃を送ってったあと、俺はすぐには帰らずに、じっと門のとこにつっ立ってる。ご褒美待ってる犬みたく。『みたく』いらねーな。待ってんだ。
俺と同じく、門の向こうで桃も家に入らずにまだ立ってる。門を挟んだ俺たちの距離は、ごくわずか。
桃の手が、胸の高さの門を握りしめたらそれが始まりの合図。
その手に上から触れてコイビトツナギして、それからもう片方の手で桃の髪をかきあげる。くすぐったい顔した桃が、それを言い訳にして目を閉じる。
桃はもう、俺が近付いてもびくってしない。それがすっげー嬉しい。
桃の高さに合わせて屈んで、アッちゃんのマウスピースのせいなのか荒れた唇に、そっとキスをする。
宅配便のお兄ちゃんや、犬の散歩の人とかが奇跡的に通らなければ、『触れるだけ』って云いながら、瞼にも睫毛の先にもほっぺにも耳にも俺の好きなだけキスする。そして、耐え切れなくなった桃に『もうおしまいっ!』って遠ざけられちゃう。
今日は、歩いてる人も自転車もばんばん通ってたからキスさせてもらえなかった。せっかく桃が門を握りしめたのにな。
街灯がともる頃合いで、名残惜しそうな顔した桃が、「じゃあ、また明日」ってようやく切り出して、俺も「うん、明日」って繰り返す。口にした言葉の葉裏に『好きだよ』が潜んでるんだって、もう二人とも分かってる。
いつものように、パート練だけお邪魔してぼーっと桃見てたら、いつもとちょっと違ってた。コレ! って分かりやすいなんかがある訳じゃなくって、いつもより動きが緩慢じゃねーの? とか、首からストラップで下げてるアッちゃんが今日は重そうじゃねーの? とか、そんな程度の。でも、中学の時から桃を見続けてる俺にはピンときた。なので、ピリピリムードの発信源のとこに向かう。
「せんせー」
「んー?」
「桃さー、調子悪いみたいなんだけど早退させてお医者連れてってもいい?」
おや、と先生の目が笑う。
「すごいセンサー持ってるね」
「桃専用のね」
「分かった、連れてって。よろしくな」
「先生! 大丈夫です、私ちゃんと出来ます!」
「桃」
先生がびしっと桃を呼ぶ。――お人形みたいにかわいい顔してるし巨乳なのに、話し方がいちいち男らしいんだよな。
「もし風邪なら早く治せ。アンコン前に他の部員に風邪をうつすな。今お前に出来るのは、体調を万全にする事だけだ。分かったら大人しく医者に行きなさい」
「――はい」
さっきまではそれでも気ぃ張ってたんだろうな、アッちゃんを吹けないって分かって、もっとのろのろと片づけをしてる。
自分抜きで始まってしまった合奏に、後ろ髪を引かれまくりつつしょぼくれた桃のリュックを受け取り、右肩に掛ける。それから、「行くぞ」って声掛けて、手を繋いで帰る。――ほら、手ぇ、やっぱ熱っちーじゃん。
いつもよりゆっくり歩く。桃の家に着いたら、早く帰ってきた事情を俺からおばさんに話した。保険証と近所のじじいがやってる耳鼻科の診察券を桃が持たされて『じゃあ』って俺が帰る訳もなく、やっぱり桃をエスコートしてそこまで行った。――吹部の部員曰く、俺は桃の金魚のフン、らしいけどほんとの事だから腹も立たね―。むしろフンなら本体とずっと一緒にくっついてられてて羨ましい。
耳鼻科の待合室は風邪っぴきと予防接種待ちと中耳炎と鼻炎と、とにかく人がいっぱいだ。なんとかソファのはじっこに一人分のスペースを見つけて桃をそこに座らせると、元気な俺はその横で立ってる事にした。その途端、「あっちゃんごめん、ちょっと寄り掛からせて……」と桃が俺の太腿にこてんと寄り掛かる。
「それじゃ安定悪いだろ、ちょっと待って」と慌ててリノリウムの床に尻を付ける。つべてーけど、別に大丈夫。
「ほら、この方がラクだから」って、俺の肩に寄り掛からせた。
「そんなとこ座り込んでたらあっちゃんが風邪引くよ」
けほ、と小さい咳までしながら俺を咎めるとか、桃さんどんだけしっかりもんなの。こんな時くらい、甘えろ。
「いいから」って、まだ文句を言い足りなさそうな桃の頭を胸元に引き寄せて、ぽんぽんってした。桃は大人しく目を閉じてる。親鳥に包まれた雛みてー。
いつもより、多分少し早い、桃の息。頬は薔薇色。さらさらの髪が、俺の首をくすぐる。何でしょう、このでじゃぶ。夏に、自分が風邪引いた時の事を思い出す。だってあれからやっぱりそんなに構ってもらえる時間は激増する訳もなくて、やっぱり桃はアッちゃんに取られてばっかだ。
あーもー、ここがしょぼくれた耳鼻科の待合室じゃなく俺の部屋だったら。
でもそれじゃ、狼な俺はあっという間に赤ずきんちゃんな桃をひん剥いて召し上がりたくなるから、やっぱダメ。しょぼくれた耳鼻科で、これくらいで我慢するよ。
そのまま、幼稚園児に『うわーラッブラブー』とか囃し立てられながら、三〇分くらい待った。ずっとこのままでいたいと思うような、でも桃が辛いんじゃかわいそうだから短くていいやと思うような、――でも結局は、正直鼻血を噴かなかった自分を褒めてやりたいくらい、理性を試される長い時間だった。
「怜央センセー、この子風邪引いちゃったんだけど治してよ」
ようやく通された診察室で、桃が診察台に座る間に待ちきれない俺が先生にお願いしたら、「それは僕がこれから判断する事だから」と一蹴された。なのに、一通りみたあとの診断はやっぱり「風邪ですね」だった。
「だからそう云ってんじゃんか最初っから―!」と制服のズボンのポケットに両手つっこんでツッコんでたら、受付にいた怖そうな看護婦さんに「お静かに!」とか怒られてしまった。
桃が恥ずかしそうな顔してんの分かってたけど、どうしても黙っていられなくって、大事なコンテスト前だから早く何とかしろとか、眠くなる薬は出すなとかとかいちいち口を出していたら、「君はこの子のママみたいですね」なんてじじいに苦笑されてしまう。ムッときて「恋人!」っておっきな声で訂正したら、また看護婦さんに怒られた。
それから桃が蒸気みたいな薬を吸って、診察室を出て、会計と薬の受け取りを済ましてからその古めかしい医院を出た。
「ほれ」
「うん」
掌は熱いくせに、その指先が風邪っぴきの今日はやけに冷たかったから、自販機でレモネードを買って桃に手渡す。桃は、掌でころころとそれを転がしてた。今は寒くない、つうか熱があって暑いのか使ってないけど、この季節の桃は指のない、甲だけ覆うタイプの手袋を普段朝とかに使ってる。冬はミトンだ。かわいいんだよまたこれが。見たら萌え死ぬぞ。まあそれは置いといて。
桃はひとしきりころころしてから、小さく「ありがと」って云った。
「べっつにー、一四〇円だし?」
「それだけじゃなくて、……不調に、気付いてくれたでしょう?」
「まーねー」
「私自分でも気付いてなかったのに」
「愛の力だね」
「……うん」
ってまさかのストレート球のピッチャー返し、来た。見事にそれを喰らって、二人して黙りながら、桃ん家に向かって歩き出す。
さっきよりずいぶんあったまった桃の指に触れて、コイビトツナギした。桃が不調の今日は門越しのキスが出来ねーから。
桃の指も、逃げなかった。
「じゃー、大人しく寝て早く治せよ」
「うん、ありがと」
「明日学校行けそうだったらメールして、迎えに来るから」
「うん」
「……じゃ」
門の上にちょこんと揃えて乗せられた指に軽く触れてからえいっと手を離して、俺ん家に向かって歩き出す。
何か元気が出そうな曲をBGMにしようと頭ん中を検索して、出てきたのは桃たちが夏にコンクールで演奏してた勇ましいマーチだった。
俺の云いつけを良い子で守っていたのか、薬がよかったのか、桃の風邪はひどくなる前に落ち着いて、なんとかアンコン前の最後の追い込みに間に合う事が出来た。
そして桃たちは今日、一時間目だけ授業を受けてから、公休扱いでコンテスト会場へと向かう。
休み時間に昇降口へ行くとすぐに桃を発見した。リードケース持ったかとかチューナー持ったかとか過保護なママみたくうるさく心配してしまう。でも桃はそれを嫌がらずに「うん、持った」ってフツーに返してくれた。
そうこうしているうちに二時間目のチャイムが鳴りそうになって、俺は慌てて「じゃあ桃、気を付けてな!」って階段を上り始めた。すると。
「あっちゃん!」
呼び止められて、階段の手すりから身を乗り出す。
「私今日、あっちゃんのために吹いてくるから」
――それをさあ、吹部勢揃いの昇降口で云うかあ?
案の定、拍手喝采を浴びて、どっちが送る側だか分からん雰囲気になってしまった。
まあいいや。桃が吹きたいように吹ければそれで。
「分かった、頑張ってこい」
「うん」
笑った桃を見て幸せモードになってるうちに、チャイムが鳴る。慌てて教室までダッシュした。
アンコンの地区大会の結果は銀賞で、県大会には出られなかったと桃は不満げに報告してくれた。黒とグリーンのチェックの膝丈ワンピースにパーカーを羽織って、今日ばかりは部活ナシで解散になったと、わざわざうちまで来て。――わざわざかわいい私服に着替えて、時間が出来たからって真っ先に俺んとこ来るとか、かわい過ぎて困るっつーの。この男殺しめ。
「ま、とりあえずお疲れさん」
「あっちゃんも、色々ありがとう」
桃が買ってきてくれたコーラをグラスに注いで、乾杯した。
それからお菓子をこれでもかと開けまくって、実に久しぶりにまったりゆっくり、二人で過ごす。俺の側は、まったりゆっくりどころか『へっへっへ赤ずきんちゃんがまんまとココにやって来たぜ』と涎たらしまくりの狼モードを封じるのにチョー必死だったけど。
そんな俺の水面下での奮闘を知らねー桃は、警戒心ゼロって丸分かりの顔してちょこちょこと俺の傍に近付くと、ぎゅって抱きついてきた。
「桃?」
出した自分の声が、動揺で掠れてる。
「……ずっと、こう出来なかったから。駄目?」
「な訳ねーじゃん」
俺の言葉でさらにぎゅっと抱きついてきた桃を、ヨユーのふりしてふわっとハグする。
俺は紳士俺は紳士とお経のように唱えながらなんとか衝動をやり過ごすしているのに、それを笑うみたいに桃の匂いが甘く香った。でも俺は紳士(暫定的)なので腿と腿の間を渡すみてーにシャツを掛けて、桃が目にしたら怖がりそうなソコもきちんと隠した。
そうとは知らずに、桃は俺の胸に頬を寄せる。
「私これからも、あっちゃんが傍にいてくれたら、アッちゃんのことずっと楽しく吹けると思うんだ」
なんという殺し文句。狼が瞬時に霧散するくらい、その言葉にやられた。
「なら、一生一緒な」
「うん」
手を、繋ぐ。言葉の葉裏には『ほんとだからな』『分かってる』が隠れてる。
桃を家まで送ってった帰り道、浮かれて鼻歌なんか歌っちゃって、それはこないだまで桃が苦戦してた曲のソロパートで、それで俺は気付いてしまった。
――俺がいたらずっと楽しくアッちゃんを吹けるってことは、俺は一生桃をアッちゃんに取られっぱなしってこと?!
うわあ複雑だわーってややテンションが下がりながら、まあそれも悪くねーか、なんてとりあえず強がり成分多めで思っておいた。
 




