「ご趣味は?」「和楽器を少々」
会社員×会社員
小学生の時からお囃子をやっている。担当は締太鼓。日曜の夜、自治会館で地域の大人に教えてもらって、地域の夏祭りの日には前日の宵囃子から祭り当日の晩までずーっと。おかげで、祭りが終わってもしばらくは、耳に『と・と、とん、とととん、と・と、とん、とととん』という締め太鼓の音が残ってしまう程だ。
一緒に始めた子たちは、部活に入ったり彼女が出来たりすると一人二人と辞めてしまって、ついには私ともう一人しか残らなかった。とは云え追加人員は募集すれば毎年活きのいい小学生がたくさん入ってくる。その子たちも大体小学校卒業と同時に辞めてしまうけれど、私と三軒向こうの新之助だけが、辞める理由もなくここまで続いてしまった。特に自分は高校も大学も就職先も地元なら、まあそうなるかな。
現在二二歳の私と新之助は、この四月から学生さんじゃなくなって社会に放逐された=ここではいよいよ先生と呼ばれる側への仲間入りを果たした。
「どうだ? 真琴先生」と長年『先生』呼びしていたおっさんたちに稽古終わり、ニヤニヤ笑いで聞かれた。
「そう呼ばれるとムズムズしますね」
肩を竦めたら「ようやく俺たちの気持ちが分かったか」と、おっさんたちが煙草の煙の向こうでどっと笑った。
「ったく、小学生の頃はあの大人たちがあんなに愉快なおっさんだとは思わなかったなあ」と、新之助が苦笑しながら正座を崩した。そのリラックスしまくりな顔にドキドキしながら顰め面して「ほんとだよね、鬼がいる! って思ってたよ」と同調すれば、「打たれ弱いからよく泣いたよなあ、真琴」って頭をくしゃくしゃにされた。――もう。
「いつの話だ、いつの!」
「小学校四年の時だね」
「そんなのを執念深くいつまでも覚えてるんじゃないっ!」
ぎゃあぎゃあ騒いでいたら元鬼で現ゆかいなおっさんに「お前ら『先生』なんだから稽古終わったっつっても子供の前では示しつけろよ……」と、親御さんたちのお迎えを待っている子らの前で、先生になったと云うのに呆れられてしまった。
自治会館を出て二人で自転車に乗りながら、「新之助のせいで怒られた!」と苦情を云ったら「真琴の沸点が低いだけだよ」といなされてむかつく。でも、二人で自転車を漕ぐこの一〇分間は、密かにお楽しみタイムだったりする。向こうは、「もうすぐ冬だねえ」だの「落ち葉がいっぱいだねえ」なんて、おじいちゃんみたいに穏やかモードで、そんなとこが好きなんだけどなんだかちょっとムカついてみたり。
私が、日曜の夜の一時間のこの為に、どれだけナチュラルに見えるように腐心してメイクを拵えているか、お洋服をああでもないこうでもないととっかえひっかえして、どんな話をしようかと脳内でシミュレーションしてるかなんて、この人はきっと気付いていない。
意識し出したのは私達の歴史から云ったらごくごく最近だ。
二十を迎えてようやく堂々とお酒を飲めるようになった日、『きっと真琴はすぐに祝杯をあげたいだろうから』って、バイトの帰りに駅で私を呼び止めた新之助と、用意してくれた缶ビールを歩きながら飲んだ。
『にが』と情けない顔をした私を『お子様』と半年前に成人していた新之助が笑う。
その顔は小さい時から見慣れたものの筈なのに、色気があるタイプでもないのに、その瞬間恋心に火がついたのが分かった。――違う。
ほんとは多分、ずっと気付かないままに好きだった。
小六のクラスで飼っていた金魚が死んじゃってぷかぷか浮いていた時、誰も手で掴めなかったそいつをそっと手に取り『いままでありがとう』って涙を堪えてそう呟いて、丁寧にティッシュでくるんだのは新之助。
『真琴、悪いけど一緒に来て土掘ってくれない? 嫌ならいいんだけど』って云われて『嫌じゃないよ、行こう』って二つ返事をして、先生に許可をもらって学活の時間に二人で体育館の裏に金魚を埋めた。
『ありがとう』って云う声が震えてたから、『いいから泣くなら泣いちゃいなよ、あたし言いふらしたりしないから』ってそっぽを向いたら、その途端に堪えきれない泣き声が聞こえた。新之助は金魚係だったから皆より金魚をかわいがっていたし、死んでしまったことに責任を感じちゃったのかもしれなかった。
いつも冷静で穏やかな新之助がそんなんなっちゃうなんてびっくりしたけど、私は必死に体育館裏に植わっている木だけを見てた。
学活の時間の終わりを告げるチャイムが鳴る頃、『ごめん、ありがと』と、照れくさそうな新之助が赤い目で云うから、『悪いと思うなら明日の給食のプリンちょうだいよ』って云ったら次の日本当にくれてびびった。
中学に上がって男子と女子との線引きがうっすら引かれても、新之助はナチュラルにそれを跨いで私と仲良くしてくれてた。そうすることで『お前ら夫婦かよー』なんて云われれば、真正面から受け止めてカッとなったりせずに『まだそんなこと云ってるの? ガキだなあ』なんて苦笑するから、囃し立てた子の方がかえって分が悪くなっててウケた。
高校はさすがに一緒とはいかなくて、向こうが県内でもトップクラスの松風高校と云う男子校へ、私は地元の普通の公立校へと別れた。でも、お囃子で顔を合わせてたし、本やCDを貸し借りしたり、たまにはカラオケに連れだったりもしてた。
共学校に通う私に彼氏が出来れば『よかったね』って云ってくれたけど、デートしててもキスの最中にもその寂しそうな顔がどうしても忘れられなくて、結局いつもすぐに別れてしまった。向こうの恋愛事情は知らない。
大学も会社も、望めば新之助はどこにだって行けたはずなのに、何故か地元から離れはしなかった。
『三年になるまではキャンパスが遠くて大変だよ』ってこぼしながら、片道一時間半かけて通って、日曜の夜にはちゃんとお囃子会に顔を出してた。バイトもしてたからあの時が一番体力的にきつかったんじゃないかな。お囃子に来ても、たまに私の肩に凭れて寝ちゃったりしてた。それをおっさんたちも黙認してた。
ずっと傍にいたから、新之助がいないとなんだか落ち着かない。高校も大学も会社も周りの人に恵まれてきて、充実してはいる。なのに、『欠けてる』感がどうしても拭えなくて、日曜の夜に新之助に会ってようやくちゃんと呼吸出来たような、そんな気持ちになってた。
でもいつまでもこのままではいられないんだよね。早い人はもう結婚したり子供を産んだりしている。
新之助が、知らない誰かとキスとかセックスとかしてるの、やだな。でも嫌だって云う権利なんかないんだし。
もう、他でどうにかするしかない。上書き、なんてもんじゃなく、油絵の上から絵の具を厚塗りして、まるまる元の絵を潰すみたいに、なかったことにして。
自分は仲のいい両親がお見合い結婚でうまく云った人たちなのでお見合いにアレルギーはない。むしろいいシステムだと思っている。
恋愛の末の結婚は、恋愛指数がピークから始まる。そこからもっと高みに行く人たちもいるだろうけれど、恋に浮かされて何もかもよく見えていたのが一つ一つひっくり返ったり、実はこんなところが嫌ですとか出てきたりするらしい。ちなみに姉のケース。それでも、一時最低値を示していたゲージはいま、半分から上くらいを指している、とのこと。
そんな訳で。
二人で飲んでた時に「お見合いでもしようかなー」とぽろっと口にしたら、新之助が「まだそれは早すぎるだろ」って咎めてきた。
「別に早すぎはないよ二二だよ、早い子はもう子供が幼稚園行ってたりするよ」
「人は人だろ」
「まあ、そうなんだけど。それにさ、『ご趣味は……?』『和楽器を少々』って云ってみたくない?」
「変なの」と新之助がくすりと笑う。
「でもそうか、俺達もうそんな大人なんだなあ」
「やめてそう云ってしみじみ実感するの」
「いや、お前はいつまでもおさげのセーラー服のイメージだった」
「酒飲んでんじゃんこうして」
「ほんとだよな。大人、なんだよな」
言葉を噛み締めているようなその穏やかな顔が、やっぱりとても好きだ。
「……そ。大人なの」
だから、嘘も吐くし平気な振りもするの。そんなそぶりを見せない人に突撃して砕けて、全部を失うくらいなら、私の恋の一つや二つ、きちんとコールドスリープしてみせる。
ほどなくして新之助もお見合いをすると聞いた。くしくも同じ日だ。お日柄選んでるとそうなっちゃうのかね。てか、人を咎めておいてブルータスお前もかー! だよまったく。
着物を着ていく気分にはなれずに、ワンピースで勘弁してもらった。それでも、会社にもそんなの着ていかないし普段スカートよりもパンツばかりだから、自分の中では特別感満載だ。足がすうすうするなあと思いつつ、待ち合わせた地元の老舗ホテルのラウンジの席に相手よりも先に座ってぼーっと窓の外のお庭を眺めていた。ちなみに相手の個人情報には手を付けていない。予めスペックを知っておくよりも、会った時の自分の直感を信じたいだなんて、お見合い向きじゃないのかも私。
――どうしたってきっといちいち新之助と比べちゃうんだろうなあ、きっと。背の高さだとか、趣味だとか。声が高いとか低いとか、ぜんぶ。それって失礼だって今更気が付いたけどもう遅い。あと少しであちらさんもお見えになる。
覚悟を決めなきゃ。
その人が新之助より色々上回ってる人だといいとは思わない。そんな、勝ち負けみたいなのは好きじゃないし。
好きになれる人だといいなと思う。今は、それだけ。
待ち合わせ五分前に、こちらへ歩いてくる男の人の姿を何となくとらえた。第一声はなんて云ったらいいんだろう、『初めまして』かな? ちゃんとしたお見合いじゃないから会うのは当事者二人だけで、しまった会話が弾まなくてもフォローしてくれる人がいないぞとその時初めて焦った。
俯いていたらよく磨かれた革靴が見えた。それ、結婚しても自分で手入れしてくれる人だといいな。てか、いい加減顔上げないとな。そう思ったと同時に声を聞いた。
「お待たせ」
――――――――――え?
ぎぎぎぎ、と油を差した方がよさそうなロボットみたいに顔を上に上げたら、スーツ姿の新之助が、そこにいた。
「なん、で」
「俺もここでお見合いなんだ」
「――へえ……」
うわ泣きそうだ。早く来てくれmy見合い相手。今ならそれだけでちょっと好きになれるよ。
「『誰と?』って聞いてくれないの?」
「聞いてどうするの」
「そうだなあ」
新之助はちゃっかり私の向かい側の席に座って、「紅茶とブレンドとアップルパイ二つ」と注文もしてしまう。ここのおいしいアップルパイまで。私の分の紅茶まで。
「もう、いいから自分のお見合い相手のとこ行ってよ!」
静かなラウンジで悪目立ちしないように――新之助の方のお見合い相手に聞こえちゃわないように小声で云ってやったのに、新之助ときたら「うーん」なんて云いつつ、いつもの穏やかモードだ。足組んで寛ぐな。
「動きようがないよねえ」
「何でよ」
「俺の見合い相手、お前だもん」
「――――はあ?」
どういうこと!? って聞こうとしたタイミングで紅茶とブレンドとアップルパイがやって来た。ゆっくり静かにサーヴされて、大いに焦れる。綺麗なお辞儀をしてようやく店員さんがテーブルから去ったあと、私を制して新之助がブレンドを飲みつつ云った。
「俺が、お前のおばさんに頼んだんだ。見合いさせてくれって」
「――なんでまたそんな、回りくどいことを」
「だって真琴が云ったんじゃないか、お見合いしたいって」
そんな酔っぱらいのたわごとを真正面から受け止めるなんて――いや、そう云う人だった、新之助は。
私の意見を尊重してくれる。お囃子の時も、私に合わせてくれる。でもただ追従するんじゃなく、私の太鼓が走りそうになると、宥めて正しく導いてくれる。
だから今回のこれは、正しく間違えたってとこか。
「真琴、今付き合ってる人いないの?」
「付き合ってる人いたらお見合いなんかしないよ。もう二年も一人」
「誰でもいいなら俺にしてよ」
「誰でも、いい訳じゃないよ」
新之助を忘れさせてくれる人がいいと思った。でももしかして、忘れる必要、ない感じ?
くそ、といささか乱暴な口調で呟いて、新之助がカップをソーサーに置く。おや珍しいと思ったら、今度は髪をがりがりと乱した。
「じゃあどんなのならいいの? 俺、お前の望むような男になるから。マッチョがいいならもっと体鍛えるし、ふくよかがいいなら体重増やすし、公務員が駄目なんだったら転職だって」
「そうじゃないよ」
私が苦笑すると、途端に口を噤んでしまう。
「私がいいなあって思ってるのはね、地元の人。ここ、離れたくないから」
「うん」
「遠くに転勤とかない人がいいな」
「うん」
「それからね、穏やかな人」
「うん」
「せっかくおしゃれしてもちっとも気が付かないで、『朝晩冷えるねえ』とかそんな話ばっかりする人」
「――、」
「お囃子やってる人。私の隣で一緒の、締め太鼓担当の人」
「真琴、」
「新之助がいい」
そう告白したら「……そっか」ってちょっと嬉しそうに笑って、いつもきちんとしてる新之助が、スーツ姿で老舗ホテルのラウンジなのに弛緩してずるずるってテーブルの下に半分潜るみたいな体勢になった。それから「よっこいしょ」っておじいちゃんみたいに掛け声掛けて座り直して、私を見る。
「ずっと好きだった。でも真琴はちっとも俺の事なんか意識しないで、平気で他の男と付き合ってたから、諦めてた」
「――そっちが、ちっとも私のこと好きだって見せなかったからじゃん」
口に出したら、思いのほか拗ねて聞こえた。てか会話がなんかいきなりバカップルくさい。
「真琴、機嫌直して」
「ムリ」
一大決心したのに忘れようと思ってた相手が来てしかもいきなり両思いになって、そんなの心が追いつかない。
「ここのアップルパイ好きだろ? ホールで買ってやるから」
「うそ」
「ほんとに」
ここのホテルメイドのアップルパイは大好きだけど、ホールで買うなんてしたことない。
だってお値段一葉さん一人分よ? ここで食べられるだけでラッキーって思ってたのに。
私がその誘惑にぐらぐら来てるのを見て新之助はさらに攻撃を重ねてくる。
「作りかけで放ってあるガンプラ、手伝うから一緒に完成させよう。そろそろ河川敷のくるみが頃合いだから取りに行こう。前に飲んでおいしかったって云ってたカルヴァドス、手に入ったから一緒に飲もう」
他の人にしてみたら、取るに足らないこと。でも私には、一つ一つが堪らなく素敵な提案。――そんなの、降伏しない訳ない。
「よろしく頼む」と頭を下げたら「よかった、エサで釣れて」と新之助がホッとしたように笑った。
「ちゃんとぜんぶだからね。アップルパイも、カルヴァドスも」
「当然。俺が、真琴との約束を破ったことある?」
「ないね」
むしろ私がドタキャンしたりいきなり変更したりが多いか。しかもいつもそれを苦笑いして許してくれちゃう。――ほんとに、こんな私でいいの?
不安になる。怖いじゃん、とんとん拍子で、こんなの。
私が俯くと、新之助がそっと頭を撫でた。
「大丈夫だから。真琴が思ってる勝手とか我儘なんてね、俺にしてみたらかわいいの範疇の事だから」と安心させてくれた。
「……うん」
と・と、とん、とととん、と・と、とん、とととん。
二人で叩く締め太鼓のリズムが、軽やかに蘇る。大好きで、手放せなかった音。二人で作る音。それを、きっとこれからもずっと。
新之助となら何でもできそうな気分。空中ブランコでも、綱渡りでも――まあ奴は高所恐怖症だから、無理だけどね。
「じゃあ早速、家帰って着替えしてくるみ取りにいこっか?」
気がはやって今にも立ち上がりそうな私を、新之助が「もうちょっと待って、まだコーヒー飲み終ってないし」と諌める。
「それにお見合いだって終わってないよ。あれ、やりたいんでしょ。――ご趣味は?」
その言葉に、私はにっこりと笑った。
「和楽器を少々」




