欠けないハート
「恋愛・その他の短編集 short hopes」内の「二〇分間」にて小学生時代の彼彼女らを書きました。合わせて読んでいただければ幸いです。
どんだけ気合いを入れたらこうなる。
私は広い客室で一人、呆れるような気持ちで窓の外を眺めていた。
窓ガラスは、日が落ちて温度がぐんと下がった外の冷気を指先に伝えてくる。こちらからは見えないけれど、譲とその彼女である悠里は向かい側のビル最上階に入っているレストランの個室で、そろそろフルコースを食べ終える頃だ。
チーズとデザートを食べたら、指環を見せてプロポーズ。そして、このホテルの客室の電灯を使って大きなハートを描く。
――アメリカ生活が長かったとは云え、それはドリーミィなシチュエーション過ぎやしないか譲よ。いや、いいよ、いいけど。悠里だって『ごめんなさい』する訳ないって分かってるしね。互いにべた惚れな人達だから。
家がご近所で、幼馴染。離れている間もずっと互いしか見えなくって、再会したらもう離れる余地なんてなかった二人だ。ご近所じゃないけど小学校からのお付き合いの二人を、祝福する気持ちなら誰にも負けやしないよ。
そう思うのは、嘘じゃない本当のきもち。
私は悠里じゃないから、譲の懐に入れてもらうこともなく、小学生の頃はせいぜいケイドロで敵対するチームリーダーとして対峙する程度。悠里とは地元仲間として時折会っていたけれど、譲はアメリカに行って帰ってきてからも双方の都合が合わず、会う機会がないままだった。なので、仕事で再会しても名乗られるまではそれが譲だなんて気付かずに。
――気付かず、うっかり恋をするなんて間抜けすぎるだろ私。
一目惚れだった。
ライターとして携わってた映画の配給会社の担当さん。
直接会ったのは、ずっと窓口だった先方の担当さんがお辞めになることになり、引き継ぎの顔合わせの時だ。
あちらにほど近いカフェで待ち合わせた。
向こうから、見知った顔の担当さんと、やけに体のパーツのバランスのいい男が歩いてくるなと思った。近付いたら近付いたで、俳優の誰かと誰かと誰かを足して割ったような、端正な顔立ち。なのに、手にしているのは生クリームたっぷりのカフェフラペチーノのラージサイズだなんて、そのギャップがツボ過ぎる。
そして。
「初めまして」
うお。声までどストライクだなんて。もう恋しない理由が一つもない。そう舞い上がった気持ちは、一瞬にして地べたに叩きつけられた。
「このたび桝野に代わりまして担当になります、中ノ森です」
その少々珍しい苗字には、心当たりがあったので、こちらから名乗る前にじっと顔を見つめた。
――私が知っている『中ノ森』さんなら、小三の時に傘でチャンバラごっこした時についた傷が、鼻の横にある筈。
果たして、傷はうっすらと残っていたので、安心して「譲」と声を掛ける。すると、目を見開いて警戒したのが分かった。なので、小学校の時分からあまり動かない表情筋を指差して、「私。アイリーン」とその頃から変わらないあだ名を名乗ると、「あいりか!」と相好を崩して嬉しそうにされてしまった。事情が分からずびっくりしてる現担当さんに種明かしをして、三人でわあわあ騒いだ。
やめてくれ。人様のものに恋するとか無駄過ぎる。
そう思っても、気持ちはちっとも冷めてくれなかった。
引継ぎが済んでもビジネスライクな距離にはならなくて、ついには悠里も交えて何度か飲みに行く羽目になった。恋に落ちる前は何度も流れた酒の席が、再会してからは叶うだなんて、神様って酷いと思った。
友人に会えるのは嬉しい。バカ話するのは楽しい。友人たちが幸せそうにしているのはこっちも幸せ。
でも。
会っている間中、会っていない時も、私の心の中はざあざあと雨が降っているようだった。
こんなのは、誰にも云えない。
幼馴染の美女軍団にだって云えない。だって交友関係が被ってる。あの人たちにだって、譲と悠里を祝福して欲しい。
大人になってからの知り合いにはもっと云えない。どこからか漏れないとも限らない。
だから、私はこの気持ちをひっそり葬るしかない。
幸いと云うかなんというか、表情筋は動かない方だからポーカーフェイスは得意だ。
毎朝、鏡を覗き込み、その目の中にまだ恋心が残っていることを見て取る。
不意に泣き出しそうになるのを、コンタクトレンズを装着することで必死に回避した。
お休みの日にはカラコンを付けて、気持ちを上げる。涙の海に沈まぬよう。
涙の海なんてなあ、浮き輪使ってぷかぷか浮いてカクテルを飲んでやるっつーの。失恋くらいでよわっちくなってたまるか。
恋なんかで、人は死なない。でもこんなにも辛い。バカヤロウ。
譲を、神様を、自分を、そう詰った。
このホテルの客室の電灯を使ってハートを描くと云う企画は、譲のものだ。
秋の連休が終わり、クリスマスまで集客が見込めなかったこの時期に、ホテルは『あなたの夢を叶えます!』と云う公募を行った。そこに譲が応募して、ホテル側もその企画にいい反応を示したらしい。ただ、点灯イベント自体は平日で、唯一集客を不安視していた人もいた。でもそれも、点灯イベントのプレゼンに赴いた譲の『客室が埋まらないようでしたら、こちらで人を確保致しますので。もちろん、宿泊費もきちんと持ちます』という一言で決着が付いた。そのおこぼれを授かって、今私はジュニアスイートにお泊りしている次第。
大好きな人に、頼むよって云われたら、そりゃあ泊まりますよ、おひとり様だけどね。ついでに俺がここは持つからって云うのだって、当然甘えましたよ。
いいよね、それ位。私の恋は今日完全に未来がなくなるのだから。
エノテカで適当に買ったスパークリングワインが案外口当たりが良くて、一杯また一杯と飲んでしまう。
アラームにしていた時計が鳴れば、カーテンを引いて電気を消す。真っ暗。
イベントの一時間の間、灯りのつかない方のこの部屋は、カーテンを開けることも灯りをつけることもNGだ。
だから思い切り泣ける。
暗闇の中で使い捨てのコンタクトを外す。泣いていいぞう、と思ったとたんに涙が噴出する。ちょっとちょっと、落ち着け。苦しいから。
鼻水を拭いて、目元も拭いて、ってしてたら化粧なんて崩れてしまった。グラスに口紅がつくのもいやで口紅も早々拭いてしまったし。マスカラはウォータープルーフだから酷いことにはなってない筈だけど、もうメイクをしている意義が何一つ見出せなくなったので、ここいらで武装解除することにした。洗面所の灯りは、ドアをきっちり閉めればつけてもいいと自己判断。
携帯の灯りを頼りに洗面所まで歩き、メイクをきれいさっぱり全部落とせば、泣き腫らした顔丸出しの無表情な女が鏡の中から睨み返している。いや、睨んでなくて素で見てるだけなんだけどね。やっぱりかわいげがないね。
私の表情筋がもう少しだけ豊かだったらな。
私の言葉がもう少しだけ優しかったらな。
私の顔が、少しでも悠里に似ていたら、とは思わなかった。顔だけ似ていても仕方がない。譲が好きなのは悠里の中身と外側両方なんだから。
そう自分に突きつければ、また涙がじわりと出てきた。摂った水分全部涙に回さないでよね、乾いちゃうじゃないか。
なるべく灯りが漏れないように冷蔵庫からお水を出して飲んだ。冷たさが沁みる。すごくおいしくて飲み干した。
もう一本、と思った時に、ふと点灯されたハートを見てみる気になった。
よし、ホテルの売店に行きがてらせっかくだから見てやろう。私の恋心をこなごなにしてあの人たちの愛の炎にくべて燃やして作られたハートだ。
さすがに真っ赤な目でコンタクトはやめて、大ぶりの眼鏡を掛けてみた。そんなことしても誰も見てないっつーの私なんか。分かってるけど、一応。
お財布とカードキーだけをジャケットのポッケにつっこんでお部屋を出れば、同じく点灯イベントに駆り出されたらしい同級生の、『チーム★アイリーン』で一緒に小学校時代ケイドロを戦った安河内が、エレベーターホールで「よう」と声を掛けてきた。「よう」と、こちらも同じように返す。安河内はエレベーターの方を見ながら、「俺煙草買いに下行くんだけど、あいりは?」と話し掛けてきた。相変わらずでかいので、見上げる形になる。
「お水買って、ついでにハートを見ようと思って」
「それ俺も一緒していい?」
「いいよ」
むしろ大歓迎だ。一人だとまた泣いちゃうかもしんないから。
売店で各々欲しかった物品を手に入れて、ハートが見える方へ――あの二人のいるレストランからも見える方へ、すなわち譲から悠里への愛のかたちの方へと歩く。大勢の人が上を見上げながら携帯やスマホをかざしているのとは裏腹に、そこへ近付くにつれてだんだん下向きになってしまう気持ちと頭を、「おお、すげえ!」と暢気な声の安河内が上向かせてくれた。
「みろよ、ハートだよ、綺麗だなあ!」
カラフルなLEDの、凝った照明じゃない。プロジェクションマッピングのすごいのじゃない。でも温かみのある白色の、素朴なハートはやっぱり素敵だ。拒否したかったのに、心の真ん中にすとんと治まっちゃう位。――でも。
私の隣には、キレイキレイと大はしゃぎのデカい男がいる。いや、私も綺麗だと思ったけれども、あまりのその感嘆っぷりに思わずひいてしまう。
「綺麗だけど、云われたとおりに点灯しただけじゃん……」
「そう云うことじゃねえんだよ」
安河内がハートを見上げてきっぱりと云い切った。
「誰かを喜ばせる為に誰かが走り回って、その誰かを助けた奴がいるから今ハートは出来てんだろ、一人だけじゃこうはいかねえ。俺たちがいてようやくハートは欠けずに済んだんだってこと」
「……そっか」
そんな風に考えたことはなかった。自分の恋はただ死んだだけだと思ってた。
私も、あのハートの一部なんだな。そう思ったらちょっとだけ楽になった。
「ありがと」
「は? なにが?」
そらっとぼけてるけど分かってる。こいつは、私が弱ってると必ずいいタイミングで現れては、何気なく気持ちを掬い上げてくれる。ケイドロの時にはチーム入りしてくれたし(運動神経抜群の安河内の活躍のおかげで、それ以降負けなしだった)、譲と再会してからも、辛い気持ちの時は『元気出せよ』とか一言も云わないで、ただ飲んだりしゃべったりしていつのまにか元気にしてくれる。今日だって、赤い目だとかノーメイクだとかいろいろ突っ込みどころはあるだろうに、わざと触れずに。
こいつがいたから、何度も立ち上がる力を得て、ここまで恋出来ちゃったのかもしれないなあ。それが果たしていいことなのか悪いことなのか分からんけど。
きっと、他の人から寄せられた好意に便乗してそっちに逃げても、譲に会って何か声でも掛けられたら私の気持ちはすぐに譲の元に逆戻りしてた。そうしてたら傷付く人がきっといた。だからいい。そう思うことにするよ。
「綺麗だね」
また呟いてしまう。
「綺麗だ」
その時安河内が何かゴニョゴニョ云ってたけど、突然の爆音にかき消されてしまった。
「何事?」
滅多なことじゃ動かない表情筋がさすがに動いた。とっさにがっしりした体が私を庇う。――が。
音の正体は、花火だった。あのアメリカかぶれはとことんやるらしい。てか、OKの返事をもらって打ち上げた感じだなコレは。
安全を確認して、何でもないように安河内が離れた。
「……バカだなアイツ」
私と同じ考えに至ったらしい。
「ほんと、バカ」
笑いが込み上げてきた。ふつふつと。
腹筋で制御できなくなって、体が揺れる。普段動かさないせいか、表情筋が痛い。
「ぐ、ふっ、」
シャンパンの蓋が飛んで中身が溢れるみたいに、笑いが止まらない。
四年ぶりくらいに大笑いしたら、こっちを凝視してる安河内がいる。
「何よ、私だってたまには笑うんだよ」
「ああ、いや、その、――かわいいな、笑うと」
云われ慣れてない言葉にフリーズしてたら、「いや、今のいい方はあいりに失礼だった。いつもかわいいけど、そうやって笑うと、もっとかわいいってそう云いたかった」としどろもどろで云う。
「う、うそいうなあ!」
「嘘じゃねえし。俺が嘘ついたことなんてあるか?」
「いやあるだろう」
「ないって」
「いやあるって!」
小学生に戻ったみたいに、くっだらないことで云い合った。
それから、同じタイミングでバカらしくなって、余韻のようにくすりと笑った。こちらは表情筋がもう動かず、口元が若干て感じで。
「バーで飲みなおさねえか?」
「いいね、じゃあ一回部屋に帰ってお化粧直してくるよ」
「おお、お美しいあいり様に会えるのを楽しみにしてるぜ」
「もう少し心を込めて云えー!」
エレベーターホールまで、そんな風にして、歩いて。
頭を叩こうとしたら届かなくてムカついて。
「じゃあ、後で」
「うん、後で」
廊下で、右と左に分かれて。
でっかいからなかなか小さくならない後ろ姿を少しだけ見て、部屋の方に歩いた。
部屋に入って、メイクを直すのに洗面所に入って鏡を見たら、まだ目は赤かったけどそれでも私、少しだけ笑ってた。ほんの少しね。
それから、譲への気持ちが少し手放せてることにも気付いた。
灯りが解禁になったから、カーテンを開けて、きっともうそこに二人はいないだろうけどレストランのある方を見る。
――ばいばい、譲。
好きだったよ。小学校の時と、今と。
私の恋を踏みつけて行ったんだから、よっぽど幸せにならなきゃ許さん。悠里のこと、ものすごーく、うんと大事にしてよね。
ハッピーなエンドじゃないけど、私、譲に恋して幸せだった。おんなじ人に二回も恋出来るってすごいよね? でももう次はないから安心しな。
私は、私のことだけうーんと好きになって愛してくれちゃう人と恋をして、あんた方と同じかそれ以上に幸せになる予定だから。――今のところ、予定は未定だけど。
うるっときたけどもう泣かない。だってメイク直したし。コンタクトも入れたし。
少しぼんやりと優しくけぶる景色を堪能してたら、テーブルに置いていた携帯がメールを着信していることに気付く。
『おっせーよ! 最上階のバーで飲んでるけどシャレオツすぎて落ち着かん! これ以上待たせんな!』と云う安河内のメッセージに和んで、それから部屋を後にした。
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15/03/23 一部修正しました。
 




