星の描き方(☆)
大学院生×会社員
「クリスマスファイター!」内の「ナツコ的通訳」及び「如月・弥生」内の「ダイアローグ・モノローグ」に関連していますが、未読でもお楽しみいただけると思います。
週末、近所のバーに通い慣れた頃の話。もう二年位は経つのかな。
話の流れで星ってどこから描きはじめるかになって、二人でいっせーのせでコースターの裏に描いたことがあった。
私は左から右に横一本から。
谷原君は、一番上から斜め右に描いた。
そんなことが、気になるきっかけだった。
同じ県出身だったにもかかわらず、私と谷原君は色んな習慣が少しずつ異なっていた。
給食の小食缶を、彼の通ってたあたりでは天ぷら箱なんて云うらしい。グーとチョキだけ使ったじゃんけんでグループ分けをする時の、私はグーチーと云っていたそれを、谷原君はグーチョキと称していたり。そんなのが、色々。
大貧民のローカルルール、流行っていた替え歌(お下品系)。主に小中学の頃の共通項のちょっとした差異を楽しんで、でも地元のお肉屋さんのおいしいコロッケについては意見がしっかり一致して。
地元を遠く離れたこっちの、互いが行きつけにしているバーでたまたま出会ってこんな風に仲良くなったら、あっという間に好きになってしまった。――のは、多分私だけ。
谷原君の人当たりは、すごくいい。所属している院の研究室でもそのコーディネーター的な役割を重宝がられていると聞いて、『あー、そうだろうね』ってその話を聞いた時バーにいた誰もが納得した程度には。
初対面の人ともつい先週会った友達みたいに接して、またそれがべたべたしないし嫌味じゃないから自然と親しくなる。なのに、一定以上踏み込もうとするとすっと逃げられる。深追いして嫌われたくなかったから、今でも彼と私の距離は変わらない。と云うか、誰とでも等間隔を保ちたい人なのかも、とも思う。
優しくて明るくて面白くて盛り上げ上手で聞き上手で、ちょっと逃げ上手。
多分、本当の谷原君をまだ私は知らない。知ったら、幻滅するのかもっと好きになるのかは分からない。知りたい気持ちはある。
「はーるかチャーンお疲れー」
土曜の夜はバーで顔を合わせる率が高い。この日も仕事上がりに寄ると谷原君は既に出来上がってて、どこぞの泥棒三世みたいな口調で労ってきた。
「ドーモ。……あ、ハートランドビール下さい」
カウンターで、スツール一個飛ばしで隣に座ってお気に入りのビールを頼むと、すぐに緑色の壜とビアグラスが出された。ウインナーの盛り合わせとかピッツァマルゲリータとか適当に頼んで、我ながら綺麗に泡が作れたビールのグラスを谷原君のソルティドッグのグラスと軽く合わせる。ひとくち飲んで、それからガブガブ飲んで、喉が満足した頃合いで煙草に火を付けた。おんなじタイミングで谷原君も煙草吸ってアッシュトレイに灰を落として吸い終って、煙草を潰すタイミングまで一緒だった。それ見てたマスターが自身も煙草を吸いながら笑う。
「君ら、双子かコントみたいだよな」
「よく云われます」と私が肩を竦めると、「んじゃ『幽体離脱―』でもする?」ってすかさず谷原君がツッコミを入れる。
「もちろん、遥ちゃんが下ね」
「おい、私より身長三〇センチある大男が普通は下でしょうが!」
「でも谷子、いつも研究室にこもってばかりのもやしっ子だしぃ」
「キモッ!」
と、いつもこんな感じだ。マスターはそんな私たちをちらりと見やって『やれやれ』と呆れて見せながらも、その目は優しい。――全部、お見通しなのかも。
谷原君が笑っててもちゃんと笑ってない時があるのとか。
私の名前に誰かへの思いを重ねてか、切なそうに、嬉しそうに呼ぶことがあるのも。
それ分かっててもどうしようもなく魅かれている私の気持ちも。
好きでいても、追われたくなさそうな人に深入りはしないと決めているけれど、それでも時々迷う。
見ないふりと知らんふりで乗り切れることは少ない。仕事だってミスの報告とリカバリは、早いほどいい。隠してそのままにしてたって何の解決にもならないから。
でもそれを人の気持ちにも適用していいものか。悩んでいるうちに、その日が来た。
いつものように、土曜日に訪れたバー。
いつもと同じに、低くロックが流されていて、でも谷原君だけが違った。
「……やぁ、フージコチャーン」
「不二子ちゃうし」
とうとう泥棒三世を隠す気もないようだと呆れながらブラウマイスターを頼んで、スツールに座る。いつものようにいっこ置いて座ろうとしたら、「だめ。ここきて、ここ」と手でパタパタとされたのは、空けようとしていた真隣りの席。てか。
「なんかすっごい酔ってない?」
「うん、そうカモー」
口調は軽いのに、どこか湿っぽい。
「……どうしたの?」
ぐたっとバーカウンターに片肘ついてる谷原君に、いつもの『らしさ』は見当たらない。
「あら、心配してくれるの?」
――それでも笑顔でまぜっかえすことはやめないあたり『らしい』っちゃらしいか。
すっと静かに出されたブラウマイスターを一口飲む。深みのある上品なお味のご褒美ビールを堪能して、それから俯いた頭や背中を、お母ちゃんみたいな気持ちでぽんぽんした。
「そりゃあするでしょう。谷原君、今日元気ないよ。大丈夫じゃないね?」
そう聞いてみると谷原君も「そうだな、大丈夫じゃ、ないや」と疲れた口調で重たく本音を零した。
初めてかも、こんなに素直に駄目なところを見せられるのは。
それほど、辛いことがあったのかな。ぽんぽんしてた手をゆっくりと背中に置いた。嫌がっていないのを感じ取って、それから、ゆっくりと撫でさする。
「話したければ、話して。そうじゃないなら無理に聞かないから」
「そんなに優しくされたら、谷子泣いちゃう」
「いいよ」
「駄目。男だもん」
そうきっぱりと云いながら片肘で頬杖ついて、こちらに開いてた体を正面に戻した。顎に両手の親指を乗せ、残りの手で鼻を覆うようにして、は――っとふるえる長い息を吐いて、谷原君はそれでも目元に笑みを浮かべてる。
「――俺ねえ、何やっても二番目でね、ぜえったい一番にはなれないし本当に欲しいものは他の奴が掻っ攫っちゃうの。いっつもそう」
何をしても上から二番目で出来ちゃうって羨ましいんだけど、とまぜっ返せない雰囲気だった。
「研究も好きな子も、やっぱそうだった。まー好きな子っつっても一目ぼれしたのは彼女って紹介された時だから、叶う訳ないの分かってたんだけどね」
でもやっぱキッツイと、苦笑いしてグラスをくるくると回す。溶けた氷とバーボンの混じり合ってるところが、歪んで見える。
「なのに、あいつとはるちゃんが誤解からぎくしゃくした時、チャンスだって一瞬でも思った自分が浅はかで本当に嫌だ」
その言葉で気が付いた。今日は一度も私のことをいつものように『遥ちゃん』とは呼んでいない。そうか、好きな人は『はるちゃん』さん、なんだね。だから、私を呼ぶ時たまにどこか切ない甘い響きがあったんだね。
「二人が二人でいるのは当たり前だし、幸せそうにしてるのを見るのは好きだよ。でも、せめてあいつが持ってるのは恋と研究両方じゃなくどっちかでいて欲しかったなあ。どっちも敵わない俺チョー惨めじゃん、二人の前で泣く事も出来ないしさ」
「ここで、泣きな」
「……そんなこと云われたらほんとに泣くよ? 二〇代男子が人前で泣いたら連れの人間だって相当恥ずかしいよ?」
「いいよ、私酔ってるから、次の日にはそんなの覚えてないし」
まあ、酒で記憶を失くさないのでこれは嘘だけど。
「そうか、でも谷原君が何で人当たりいいか分かったよ私」
「しょせいじゅつ―」
「猫型ロボット口調しないの。そんなんじゃないよ。谷原君はさ、挫折を知ってるから人に優しいんだ。想像力のない人は、人が何したら傷付くとか分からないで平気で傷つけるんだよ。君は、そうじゃない」
「……んだよ、マジで涙腺ヤベェ……」
「あと、要らないかも知れないけど私は君のこと一番に好きだよ」
「そんな、ついでみたいに云われても谷子しんじなぁーい」
「はいはい酔っぱらいは人の告白なんて聞き流しときな、今度またちゃんと口説いてあげるから」
私も君がふざけたふりしながらカウンターに突っ伏して泣いてるの、流してやるからさ。
その日のことをどこまで谷原君が覚えてるかは知らない。でも、次に会った時には幾分かさっぱりとした顔をしていたのでホッとした。
あれから時々、ぽろっと思い出したようなタイミングで谷原君は素の自分を晒してくれるようになった。
「あいつは手の掛かる奴だと思ってたのに、気が付いたら俺ナシでもだーいぶ人間関係よくなってやんの。俺の存在意義がまた一つ薄れたー」
「もう人の前でいちゃいちゃすんなっつうの、こっちはそのたび傷を抉られるってのに」
と、素の時の発言はネガティブ全開だ。
「どうせ俺は、あいつみたいにはなれないんだ」
酔いが最深部に到達すると、必ず打ちのめされたように囁かれる言葉。のろいを自らに掛けているかのように、低くしゃがれた声で。
いつもの、明るいムードメーカーの彼はもうどこにもいなくて、自信をすっかり失くした頼りない男の子が、煙草の煙の向こうにいる。
そのたびに、「『あいつ』がどんな人かは知らないけど、でも私は谷原君が好きだよ」って、年上の悪い男の人が女の子たぶらかすみたいに谷原君に甘い言葉を掛け続けた。
「だからぁ、谷子云われても信じないって云ったぁ」
と何故かおネエ口調で返されるのも、私が「今度またちゃんと口説いてあげる」って返すのも、毎度のことだった。
ゆっくりゆっくり谷原君が復活していくのを見てた。
去年のクリスマス前は、がっくり両膝を付けて落ち込んでた。春先によろよろ立ち上がって、でもたまにまた膝を付いて。夏が過ぎた頃に、ようやく、あ、復活したなって思った。
飲みの席の終盤でお約束のように私が告白するのは相変わらずで、でも『信じない』と頑なに告げる口調が、近頃は素直に揺れているのが見て取れた。それなら、そろそろ『今度』の頃合いかな。
お友達モードの時には見せなかった格好をして、いつものように週末、バーに行った。
わざわざ仕事の後一度家に帰ってから巻き髪に結構作りこんだメイク、胸元や脚線を強調する格好に変身して。らしくなさすぎるのはよろしくないから、きちんと自分の良さを残して生かして。背伸びはするけど無理はしないで。
バーに行くことはメールしておいたけど、こんな装いだとは知らない谷原君は、「どうもー」と云いつついつものようにカウベルを鳴らして現れた私を最初はのほほんと迎えてくれた。
「いよぅはーるかチャーン、遅……」
スツールをくるりと回して振り向いて、絶句。ぽかーん、て擬音がぴったり過ぎて噴いた。
「こんばんは」
普段ローヒールやワークブーツと云った楽ちん靴に、すとんとした形のチュニックにパンツを合わせた姿ばかり見せてたけど、こんなのも嫌いじゃない。今日はその中でも特に足の甲が美しく見える高さの靴を選んで履いてきた。
ヒールの音が、木の床に控えめに響く。ドスドス鳴らして歩くのは興ざめだから、そっと。でも乾いたその音は好き。
最初っからスツールは真隣りに座った。カウンターについた手の先には、オレンジピンクにちっちゃなラインストーンを何粒か。肩を寄せ合うようにして並べられてるスツールの、狭い隙間で谷原君の足にわざと足を触れて上って、にっこりしてやった。はは、驚いてる驚いてる。履いてきたスカートのサイドからやや正面寄りに入ったスリットから覗く腿を見たなと思ったらすごい勢いで目を逸らされた。紳士だねえ。いや、がっつり見てる時点で紳士ではないか。
マスターも目を僅かに見開いてる。年の割に経験豊富っぽいこの人を驚かすことが出来てちょっと嬉しいと思いつつ、谷原君に「はい、あげる」と抱えてきた真紅のバラの花束をバサッと渡した。
「え、なにこれまさか遥ちゃんご退職?」
「違うよ」
「じゃあ何さ」
「ちゃんと口説きに来た」
私の言葉に、谷原君が息を呑んだ。
「愛の告白には花束がつきものだからね。花言葉云おうか?」
「はああ?」
「谷原君は覚えてるか分かんないけど、もう何度も伝えたけど私は君のこと一番に好きだよ」
「いや、それは慰めで云ってくれてたって俺分かってるし」
「勝手に分かるな。それと今日は谷子ちゃん禁止ね」
オーダーしたオリオンビールが出された瞬間グラスに注いで、こくこくと飲む。ん、炭酸が喉を通っていくのが気持ちいい。
私の横では、谷原君が「まいったなー」と笑いつつ、実はほんとに相当困ってる。
「谷子ちゃん封じられちゃうのは厳しい」
だよね。それが谷原君の鎧だったって知ってる。でもそれを剥ぎ取りたいんだ。だって君はもう元気になった。
「谷原君が回復するの、待ってあげたんだから」と恩着せがましく口にすると「あ、それ云う? 卑怯だなあ」と苦笑された。
「卑怯で結構」
「その格好で不意打ちで現れるのもなかなか卑怯だよね」
「奇襲って云うのは奇襲だからこそ効くんでしょうが」
「目のやり場に困るよ」
「じゃあ、つぶってたら?」
「それは男としてムリ」
「じゃあじろじろ見ればいいじゃない」
「……出来ないよ、俺動けない」
「じゃあいつまでもそうしてうじうじしてなさい」
私の方を見ようともしないで、目の前に並ぶ酒瓶をまっすぐみているその顔が憎らしくて、カウンターに肘を付いて身を乗り出した。それから、動けない谷原君の頬ギリギリに、唇を寄せた。互いの熱を感じる距離。それでも拒否することも慌てることもしてはもらえなかった。でもまあ、途中私の息が谷原君の頬に掛かるたび体がピクリと動いて、そのたびにカウンターに置いてた指を強く握りこんでたの見たし、とりあえず良しとしよう。
私が元の位置に座り直した途端、意地でも向かんと云う風情の谷原君が、緊張を解いた。安心するのはまだ早いよ。私はもう一度、揺さぶりを掛ける。
「私、駄目だと思ったらきっぱり思い切れるから、今すぐにも谷原君を思うことをやめられるよ」
これは、本当のこと。こうして脅迫材料にしたけれど、嘘じゃない。私は気の長い方だけど、だからと云って好きになった全員が振り向いてくれるわけもない。駄目な人は駄目だ。あちらの気持ちや相性もあるし。
そんな時には、伸ばしていた触手をすべて引っ込めて、撤退する。それが今でも構わないと云うだけのこと。多分しばらく泣くし辛いと思うけど。
「……脅迫、すんな」
声が震えてる。動揺してる?
その調子で、私の方を見なよ。ちょっとずつでいいよ、でももう目の前でシャッターを下ろすみたいに拒否して、一目散に逃げないで。
「脅迫だけど、宣戦布告でもあるよ」
「何の」
「君の大切なものを盗みます、って云う」
「カリオストロの城かよ、しかもアレンジとかしてるし」
泥棒三世好きなネタをふったら、少しだけ笑った。
「そんな訳だから、遠慮なく戴くよそのうち」
「……や、ムリだから」
「決めつけないでってば」
付け込む隙のない断定口調に、思わず顰め面してしまうよ。
「無理だよ、だってもうとっくに、」
そこまで云っておいて、谷原君は口を押えてしまった。
「とっくに?」
「いや、その、」
慌てても無駄。もう聞いちゃった。
「落ちた?」
「…………ひっじょーに、不本意ながら」
その渋々ながらのお返事に、口がにいっとチェシャ猫みたいに弧を描くのが止められない。そのままにやにやしてたら、「なあ、お願いがあるんだけど」って切り出された。
「何?」
今なら何でも君の好きなものを買ってあげようってな太っ腹モードは、「今日のこれ、ナシにしてくんない?」と云う谷原君の一言でたちまち萎んだ。
「――なかったことにしたいって意味?」
我ながらひやりとする口調で問うと、「違う、そうじゃなくて、その」と口ごもる。
じっと谷原君の口元を見つめながらその続きを待っていたら。
「――情けないからちゃんと俺にも口説かせてくれ!」と逆切れされた。
「ほんとにちゃんと口説いてくれるのかなあ」
さんざん、人の名前に誰かさんへの思いを乗せてたしなあと訝しんでいると、「口だけはうまいって評判だから、俺」って自信ありげに微妙な太鼓判を押してた。
「口だけじゃないよ」
思わず真面目に返してしまった。
「ふざけてても絶対人のこと傷つけるようなこと云わないし、しないじゃん。谷原君のいいとこ、私いっぱい知ってる。なんなら改めて一つ一つ教えるけど」
「いやいやいやいやちょっと遥ちゃんなにいっちゃってんのかな? 俺が君を口説きたいって云ってんのにどうしてそうさせてくれないかなあ君は!」と云うや否や、目の前のグラスをぐっと傾け一息に中身を飲んで、空けた。たん、と音を立ててカウンターに置いて、はーって長くため息ついて。
「何か俺、遥ちゃんの前ではいつもカッコ悪い気がするわ」
「取り澄ましてるより全然いいよ」
「そんなもんかなあ」
「そんなもんだよ」
今まで二番手だったのは、取り澄ましてたからかもよ。なんて『気にしい』な谷原君には云わない。
「大事にしてあげるよ、君は私の一番だから」
「……知ってる」
ぶっきらぼうにそう告げる谷原君の肩を引き寄せて、頬に触れるだけのキスをした。
ピュウ、ときれいに口笛を吹くマスターも、L字型のカウンターの向こうで身を寄せ合い、口元にグーにした両手を当ててこちらをガン見していた常連の殿方連中によるハイタッチもぜーんぶ意識から追い出して、ようやく逃げずに触れさせてくれたことだけを喜んで。
遠くで微かに瞬く寂しい星みたいだった谷原君が、ようやく私の掌に落ちてきた日。
後は二人で、ってなんかお見合いみたいなことを云われて体よくバーから放り出されて、「とりあえず、もうちょっと一緒にいよう」と深夜までやってるカフェへ歩いた。――私が渡した真紅のバラの花束も、ちゃんと小脇に抱えて。
道すがら、「すっかり待ちくたびれちゃったよ」とおどけたら、「待たせてごめん。待っててくれて、ありがと」って初めて手を繋がれた。
私とは違う書き順で星を書く人。同じ県で育って、この街で出会った人。
意地っ張りで、優しくて、けっこう頑な。
そんな谷原君を、二番手に据えてた男子女子にありがとうって云いたい。でなければ、今こうして二人でここにいないかも知れなかったから。でも『はるちゃん』さんにはちょっとだけ嫉妬もしてる。しない訳ないよね。そう思ってたら。
「俺、ちゃんとあいつとはるちゃんのことは、もう吹っ切れたから。心を残したりしてないよ」ってわざわざ教えてくれた。
「わかった」
その心意気が、嬉しい。だから信じる。
なにより私が、誰よりも近くで谷原君の変化をつぶさに見て来て、分かっているんだから。傷ついた眼をして誰も近づけなかった人が、私だけを傍に置いてくれて、少しずつ元気になっていった日々を。
これからも谷原君は二番手で悔しい思いをすることもあるんだろう。一番手のあいつ君が同じ研究室にいるなら、大学に残ることも難しいのかも。
でも谷原君なら大丈夫だよと、谷原君が自ら身に掛けたのろいが解ける日まで傍でずっと囁くのが私の仕事だ。そう決めた。
灯台守みたいなその役目で、いつでも君を守ってあげる。遠くの遠くからでも見えるように超強力なサーチライトを光らせてここへおいでって教えるから。
迷っても傷付いても、安心していらっしゃい。
「大事にしてあげる」と告げたら、「俺だって」と力強く宣言された。どうだか。
「気持ちはありがたく受け取っとく」
「なんで半笑いしてんの? 付き合い始めてまだ一日目だよ俺達! ちょっとは信じようよ!」と憤慨している谷原君。
「ほら、ついたよ」って、ドアについている無骨なバーをぐっと引き、ようやく開いた重たいドアを肩でストッパーみたいに止めてたら、すぐさま大きな掌が肩のかわりになってドアを支えた。――女の子扱い、初めて。
なんとか「ありがと」って小さくお礼を口にすれば、「これからはずっとこうだから、早く慣れなよ」って意地悪く云われた。――尽くすのは慣れてても尽くされ慣れてないのが早くも露見したらしい。
「谷子のくせにナマイキ」
悔しくてそう嘯いたら、瞬時に谷原君も応戦してきた。
「なによ、谷子を勝手に封印して勝手に解禁して! アンタこそ生意気よ!」と、谷子節も健在だ。
ギャーギャーやりあいながら席に着いてから、静かなカフェで悪目立ちしてるってようやく気付いて、「谷子のせいだよ、バカ!」ってテーブルに身を乗り出し小声で文句を云ったら、「本日の谷子は終了いたしました」って閉店のアナウンスみたいに告げて、それから「俺、今日は谷子になんないから、遥ちゃんも今日はもう素直になろ」って改めて手を繋いできた。
蝋燭を使ったランプが、優しく二人の周りの空気を包む。
さっき悪目立ちしたのに、店員さんもお客さんもじろじろ見たりしないでほっといてくれてる。
「うん」って、かなり今更なタイミングで口にしたけど、谷原君は優しく笑うだけだった。
メニューをぱらぱら見て、「カフェオレとブレンド」って勝手にオーダーされた。――いつの間に、今日の今の私の飲みたいものまで分かってくれちゃうくらい、私のことを知ってくれてたんだろう。
嬉しくて、胸の中が何かでいっぱいになる。
ぽってりとした器に入ったカフェオレとブレンドがやって来ると、谷原君は取っ手をつまんで少し持ち上げた。
「遥ちゃんに、乾杯」
「私?」
「そう、私」と頷くけれど、掲げたカップはそのままだ。
「君が頑張って動いてくれなけりゃ、俺はもっとずっといじけたままだった。君が励まして好きだって云ってくれたから、今日を迎える事が出来た。ありがとう。――これからも、よろしく」
「――ん」
言葉が出なくて、その代わり、見る見るうちに鼻の奥がツンとなって、そんなぶっきらぼうな返事になってしまう。
何とかカフェオレボウルを両手で持てば、谷原君がかちりと軽く器を合わせてくれた。いつものバーでの乾杯みたいに。
「その返事、あいつみたい」って、煙の向こう側でもう少し笑ってて。
今はまだ溢れてしまう涙をなんとかおさめて、笑って谷原君に向き合うまで、もう少しだけ。
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