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芋虫の慕情

作者: haru

 8月22日。今日は妻の43回目の誕生日になるはずだった日だ。実際には妻は2年と少し前に亡くなっているのだから、もうこれで2回も誕生日を迎えそびれている。そしてこれからも迎えそびれ続けるのだろう。当時は私と10以上あった歳の差も、もう2つも詰まったことになる。

 そんな日に私は、一通の角二封筒を片手に、ポストに向かってふらふら歩いているのである。両手に持った杖で体を支えながら、右手の人差指と中指で封筒を挟みながら歩いているので、ふらふら、というのはあながち比喩でもない状態である。額から滲み出る汗を拭う事も出来ないまま、私は駅前のポストへと急いだ。

 ポストに辿り着くと、ポストの横に杖を立て掛けた上で、バランスを崩さぬようポストに掴まりながら、『猪瀬和也先生』(私の名前である)と表書きされた角二封筒から中身を取り出す。角二よりも小さめのサイズのオレンジ色の封筒と、左上ホチキス留めされたA4用紙が2枚。私は、最終確認のつもりでそのA4用紙に目を通す。妻が生前雑誌社から請けていた仕事の校正を私がして、それを送るところなのだ。

 妻がこの原稿に取り掛かっていたのは、2012年の5月位だったように記憶している。内容は、昭和初期~中期の少女雑誌に掲載された非常にマイナーな文学作家数名の書評を取りまとめる、というものだった。既に末期となった癌に侵されていた妻の代わりに、図書館に行って色々と調べた記憶がある。昨日自分で校正を入れた個所を見直すと、ある作品の発表開始年度よりも前に単行本が発行されたことになっていて、それを直した跡がある。編集の方が入れたであろう『?』の文字に申し訳なく思うと共に、当時の私達二人の余裕の無さを感じる。

 ざっと読んでいくうちに、妻が書いたある作家への批評が目に飛び込んできた。『――彼はこの作品発表の後の昭和44年に事故で帰らぬ人となったが、主人公哲也の発したこの言葉は読者の心の中に生き続けることになる』私はそこまで読むと、最終確認も途中の原稿をオレンジの封筒に入れると、乱暴にポストへと投函してしまった。

 帰り道、私はさっきの妻の記した言葉を思い返していた。妻は、たびたび学術論文の雑誌に原稿を載せてはいたが、それを読んでも私は妻を感じる事など出来なかった。妻の遺品整理の際に見つけた、日々の愚痴や私への不満が綴られた日記を読んでみても、やはり言葉の羅列に過ぎないように感じられた。妻からもらったメールなども同様である。私の入院中、寂しい時に読み返すこともあったのだが、それはやはり過去のものとしか感じられなかったのだ。

 それと同時に、放射線治療で自慢だった長い黒髪の大半が抜け落ち、辮髪のような頭になってしまっても、「私は格好悪くても生きていたい、ダサくても生きるからダサいきだ」としきりに私に言っていた妻の言葉を思い出す。それが本当であるとするなら、論文にあの言葉を記した妻の思いはいかばかりだっただろうか。

 ふと気づくと、私の視界の隅に、見慣れたケーキ屋の赤い看板が入って来た。私は引き込まれるように店内に入っていった。宝石箱のようなショーウィンドウの中から、私の好きなチョコレートケーキと、妻の好きな苺のショートケーキを選び、苺のショートケーキには『Happy Birthday』のチョコレートの板を乗せてもらった。私はそれを手に、妻の待つアパートへと急いだ。

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