第一章:6 『結局、変わらないのよ』
しばらくして、
「うぐ……」
「そろそろ泣きやんだ?」
「うん……いつまでも泣いているわけにもいかないしね。なんだか、心にぽっかり、穴が空いたみたい」
「じゃあ、そこに幸せを詰め込むんだ。【鳥籠】を出て、それで自由だ。けれど、俺たちはまだすることがある」
「うん……あたしたちは【世界樹】を倒すんだ……」
それは幸せのために。みんなが笑って過ごす世界を作るために。
決意を胸にし、アスタの身体を放す。こんなみっともない姿は、アスタにしか見せられないし、もう二度となくていい。次に泣くのだって、【世界樹】を倒したその時だけでいい。
「じゃあ、そろそろここから出る準備、しておこうか」
「うん」
頷いて、準備に取り掛かろうとする。けれど、何を準備すればいいのか……。
とりあえず、バックだ。【鳥籠】から出ることがないので、バックも必要ない。けれどどういうわけか、クリーム色の肩掛けバックならあった。そこに、必要と思われるものを入れていく。魔法を作るための羽ペン、インク、巻物。できるだけかさばらない服や毛布。お金がないので、お金になりそうなものを少し。紅茶もいれようと思ったけれど、アスタにも荷物があり、そちらへ入れられているようだった。
そして、机の引き出しを開けた時。
「……あ」
真っ白な封筒を見つけた。それは、あの血が付いていた依頼書だった。そういえば、この魔法だけ、作っていなかった。だからといって、こんな気味の悪いものを作ろうとは思わないし、置いて行こうと思った――その時。
『魔法技術士のガキィ!!』
醜く、汚らしい大人の声が、夜闇から聞こえてきた。
状況は最悪。
【鳥籠】の下には、あたしたちの企みに気付いた大人共が集まっていた。
遠路はるばるやってきた奴らの手には、刀やらクワやらが握られており、それを掲げて威嚇してきていた。
あたしたちを、それでどうするつもりなのだろう。殺すのか、捕まえるのか。
でも、そんなことはどちらでもいい。
要は【鳥籠】から出てしまえばいいのだ。そして、大人共のいないところまで、とにかく逃げればいい。それで完璧だ。そう、しなければならない。
頬に一筋、汗が流れる。
「……早く出よう、アスタ。大人共が攻撃してくる前に……」
「うん。そうだね……ま、あいつらも早く出て来いって言ってるんだしね」
そう言って、アスタが下でうるさく喚く大人を見下ろした。
「……本当に【鳥籠】は小さいよ」
そう呟いて、アスタは【鳥籠】の金格子に触れる。三日間、アスタはこの金格子に細工して、ここから出られるようにしているはずだ。しかし。
「痛っ!」
苦痛そうに声をあげて手を離した。でも、金格子には魔法技術士だけに効果のある魔法がかけられているはず。一般人のアスタには効果がないはず。と、言うことは。
「あ……やっぱり、魔法の構造が変わってる!」
今【鳥籠】にかかっている魔法は、昨日アスタが触った時とは違う魔法。つまり、この魔法は万人に効果がある。あたしにはもちろん効果があるので、大人共はアスタともども、殺す気満々だということになる。
「あぁ、くそっ……面倒なことになった」
アスタが呻いたとき、【鳥籠】の下から声が聞こえてきた。
『ガキ共がなにしてるか知らねぇがなぁ……早く出てこねぇとぶっ殺してやる!!』
「そ……そんなの無理に決まってるじゃん」
「あいつらは、こっちの状況も、この魔法のことも知らないんだ。どこまでもバカな奴らだ。そして、あいつらはあいつらで、何か焦っている」
アスタがそう言って笑うが、いまのあたしにはそんな余裕はまったくない。
肩掛けバックの紐を、強く握る。
どうやって、ここから出ればいい? 金格子に触れられるアスタが頼りだった計画が、早くも誤算になってしまっている。このままここにいれば、いつ大人どもの痺れが切れるか、分かったものじゃない。
「そ、そうだ! アスタ、あんたはいつもどこから【鳥籠】の外へ出てるの? それが分かれば――」
「そ、それは……」
アスタが言いよどむ。そうしている間に、
『餓鬼のくせに……俺たち大人を無視するとはいい度胸じゃねぇか……。おい!木ごと【鳥籠】を落とすぞ!』
『『『おお!!』』』
「あ、アスタ! 早く教えて!」
大人たちの動く音がする。
【鳥籠】を置いている木を倒して、本当にあたしたちを落とすつもりらしい。そんなことされれば、嫌でも金格子に触らなくちゃいけなくなる。悔しくて、爪を噛む。
あたしはずっと、こんな自分勝手な大人共のために、魔法を作って金を稼いでいたのか。
「あいつら……いつか、殺してやるっ」
「それは、ナルちゃんのすることじゃないよ。それに、今まさに殺されそうになっているのは俺たちだ。ナルちゃん、【鳥籠】から出る方法なんだけど、本来なら、ナルちゃんに見えないような魔法が掛けられた扉があるんだ。でも、今はない。たぶん、【鳥籠】に掛けられた魔法が変わったのと同じように、変わってしまったんだ。今の【鳥籠】は、絶対に出られない檻なんだよ。出ようとすれば、電気で焼かれ殺される」
「そ、そんな……っ」
外では、大人共の怒号が響き渡っていた。木を倒すための斧を持ち、それを誰かが指揮し、斧を打ち込む。ドンッ、ドンッと、重たそうな音が鳴ると、【鳥籠】が揺れて傾いだ。
「じゃ、じゃあどうすれば!?」
今から【鳥籠】に掛けられた魔法の構造をいじる? そんな時間が与えられているとは思えないし、何より、この魔法は複雑すぎる。どれだけ時間があっても、この魔法の構造をいじることなんてできない。
魔法を作るにしても、作り終える前に【鳥籠】が落とされるほうが先になるだろう。アスタもいるとなると、それだけ作る魔法も複雑になっちゃう。
考えれば考えるほど、状況の悪さが鮮明になるばかりだった。時間が過ぎるほど、【鳥籠】の傾きも大きくなっていく。
そして、ついに――。
バギバギッ!
「おわっ!」
「ひゃっ!」
木が、倒れ始めた。最初はゆっくり、しかし、徐々に速度を上げて。
「きゃあああああっ!!」
バランスを崩してしまい、あたしは床を転げた。
「ナルちゃん!! ……ぐっ」
叫ぶアスタも床を転げ回った。
そして、そのさき――転げ回った先にあるものは……
「やばっ……」
悲鳴を上げそうになって、しかし、それも止まる。
息が、止まる。
「がっ……ぐぁ……」
金格子に身体がぶつかり、高圧の電流が流れる。
心臓の鼓動が何十倍にもなったかのように速くなり、体内中の臓物が、外へ出ていきたいと叫ぶかのように、激しく吐き気を催す。痛みはない。ただ、気持ち悪いだけ。
あの大人のやることが――気持ち悪い
この魔法を作った奴が――気持ち悪い
この【鳥籠】が――気持ち悪い。
「―――――――っ!?」
叫んだつもりだが、声が出ない。
そして、意識を失う直前に、地面が見えた。
――次の瞬間、【鳥籠】が潰れた。