第四章:10 『【世界樹】中間付近』
「……これが……悪い……これも……悪い……」
「……やめて」
「……可愛い子……傷つけた……消えろ……消えろ……」
「やめてよ……」
「……死ね……死ね……可愛い子……傷つけた……責任……とれ……」
「――もうやめて、歌音ッ」
「っ!」
歌音の手首を握った。あたしのひ弱な握力じゃ、歌音に敵いっこないのに、彼女は止まってくれた。
彼女の周りには、紫色の液体や、ぶよぶよした皮膚が散らかっていた。
10体はいただろうサンドワーム。
その全部を蹴り千切って、歌音は最後の一体を息絶えても踏み続けていた。まるで何かに八つ当たりするように、ぐちゃぐちゃと。
「……あはは……ははは……」
歌音は数秒止まってくれたものの、すぐに足を振り下ろしてぐちゃっと白い肉片を踏みつけた。まだ残っていた紫色の液体――血が破裂したようにパンっと音を立てて散らばった。歌音は無表情で笑いながら、顔を紫に汚しながらサンドワームの解体に勤しんでいた。
「……これが……悪い……これが……いけない……これが……これが、これがこれがこれがっ!!」
「歌音! もうやめてっ!!」
歌音の細腕を引っ張って振り下ろそうと掲げた足を、サンドワーム (残骸)からずらした。振り下ろした足が地面を穿ち、砂煙が舞う。割れた地面から足を出すと、再び同じ高さまで足を上げていき……
「歌音っ!!」
あたしはそれを止めようと、歌音を押し倒した。歌音の上に馬乗りになると、両手首を握り、抵抗できなくさせる。しかし、そもそも抵抗の意思がないのか、歌音は焦点をどこにも合わせていなかった。
ここまで狂うのか。
改めて【世界樹】の恐ろしさを思い知り、ため息を吐いた。
さっきまでの威勢が無くなったのを見て、歌音の両手首を離した。やはり抵抗しない。
そこへニボシが到着し、歌音を鎖で縛りあげようとする――それを手で制した。
「……ナルティス様、やはり歌音は戻るべきです」
そんなことぐらい、分かってるわよ。でも、ここで歌音が国に戻っても……。
きっと自分の失態を恥じ、永遠とガスタウィルの手駒にされるかもしれない。これは罪滅ぼしだ、とか言って。
歌音に罪はない。
だって、一緒に来たのはそもそもあたしのせいなんだ。
あたしが……もう少し歌音のことに気を使っていれば……。
と。
未だにあたしに馬乗りにされている歌音が、その手を伸ばした。あたしの頬に触れると、耳の後ろに手をまわして顔を抱き寄せる。
何がしたいのか分からないあたしは、彼女の顔を見ることしかできない。全ての感覚を失ったかのような歌音の顔は……とても恐ろしかった。
歌音……あんたは今まで何を抱えてきたのよ。
なんでそれをあたしに話してくれなかったの?
歌音の力になりたいよ……だって、あたしたち友だちでしょ?
「ねえ、歌音……」
返事はなく、変わりにすぅという寝息が聞こえてきただけだった。
多少トラブルはあったものの、幌馬車はゆっくりと進んでいく。
カタリ、カタリと揺れる馬車に、あたしと歌音。
外にはまた化け物がうろつき始めた。今度はいつ襲ってくるか分からない。さっきサンドワームを掃討したせいで、他の化け物が近づいてきたのだ。サンドワームが抑えになっていたのかもしれない。
兵士たちはそれを警戒しながら進んでいく。もちろん、ニボシも例外ではない。
ただ、あたしは金輪際、戦闘に参加することを禁止された。あたしの危機には必ず歌音がやってくるからだ。理由は納得できたので、文句はない。守られているっていう罪悪感はあるけれども。
幌馬車の中で、今度の歌音は鎖で縛られていなかった。目の前の人間が鎖で縛られている光景をずっと見ているなんて耐えられないからね。
歌音はあたしの隣で猫のように丸くなって眠っている。頭を撫でてやると、ふにゅぅと気の抜けた声が漏れた。微苦笑しつつ、頭を撫で続けてやる。うりうり。にゃあにゃあ。
さっきまでの様子とは全然違う様子の歌音を見ていると、なんだか安心する。
でもいつまでもこうしていられない。
早く、歌音を助けないと――。
しばらくして、再び馬車は止まった。一旦休憩をとるらしい。
時間は分からないが、お腹が空いたあたしは、食糧を漁った。あ、紅茶の茶葉発見! でも見つかったら怒られそうだったのでそっとしておく。うん。紅茶は適切な時にちゃんと作って飲まないといけないんだよね。それに、作法が分かっている人と分かってない人がいるし……ちゃんと分かった人が淹れなければ美味い物は作れない。ここは我慢我慢……。
――結論。我慢できませんでした!
だって久しぶりの紅茶なんだよ!? もう何日も飲んでないし、呑まれてもない!!
というわけで、そこらへんに突っ立っていたさえない木っ端兵士を連れてきて、紅茶を淹れさせた。その木っ端兵士さん、右目を負傷しているらしく、白い眼帯をしていた。隻眼では距離感が掴めにくいのだろうが、紅茶を淹れる手が止まっていないのを見ていると、そうでもないらしい。まあ、そうでないと兵士なんてできないか。
そんな隻眼の……困惑気味にしぶしぶ紅茶を淹れようとしている木っ端兵士さんを放っておいて、あたしは馬車の中に移動した。
歌音はもう起きていた。
背筋をぐっと伸ばすと、ふるふる顔を振った。ああ、猫だ。
「……可愛い子……?」
と、こちらを見た歌音は眠気眼を擦っている。
よかった。会話は普通にできるらしい。
狂っているのはあたしのピンチの時だけで、その他の時間は普通に人と接することが出来るのだろう。狂うにしても、それぞれ症状が違うのかもしれない。今の様子を見るに、歌音は安全かな?
「……可愛い子……むぎぃぃぃぃ……」
「むわぁぁ、抱きつくなぁぁぁ……」
頭を両手で押して引き剥がそうとするが、さすが猫人族。拒否する力が半端ない。
引き剥がせないことはうすうす分かっていたので、そのままにして歌音の隣に腰かけた。すると抱きやすくなったのか、肩に頭を置いてすぅと寝始めようとした。
そんな自由度が普段よりも強くなった歌音に、あたしは外の様子を思い浮かべながら話しかけた。
「歌音、紅茶飲まない?」
歌音が頷くのが肩ごしに感触で分かった。苦笑しつつ立ち上がるとお菓子のおまけみたいに付いてくる。身長差のせいで、いまだに頭が肩に乗っているので肩が凝りそうだ。
ま、このほうが歌音らしくていいな……。
そう思いつつ、幌を上げて外に出ると、すでに紅茶が出来たらしい。陶磁器のマグカップに入っているのはシナモンティー……スパイスティーのようだった。疲れた時や寒いときに飲むと良い紅茶だ。って、適当に連れてきた木っ端兵士なのに、何でこんなの淹れられるの? しかも隻眼!
馬車の出入り口に腰かけると、隻眼の兵士さんからシナモンティーを受け取った。シナモンティーの甘い香りをかぐと、なんだか落ち着く。そのシナモンの甘い香りが豊かな味を醸し出し、冷えた身体に沁みわたるのだ。
一口飲むと、身体の温かさにほっとする。なんだか最近起きていたあれこれが一気にどうでもよくなってきた。二口目でなんだか瞼が重くなってくる。ここまでリラックスするのか……。
そして三口目――――覚醒の時はきた!
「あは、ははは、ははは、はははははははっ、ははっっ!!」
あたし、覚醒。
紅茶を淹れてくれた木っ端兵士があまりの変貌ぶりに恐れ戦き、一気にかけて行った。おー、さすが兵士を名乗るだけあって速いはやっーい! 木っ端兵士だけど!!
隣に座る歌音の手にはあたしが持っているものと同じマグカップ。両手で添えるように膝もとで持ち、その液面を眺めている。飲むのをためらっているのかな?
「へいへーいっ! かうぉ――――――~~ん!! 飲んで呑んで呑まれて!!」
「……」
うぅぬ……なんだかテンション低いなぁ。これじゃああたしがバカみたいじゃんっ!
なんだかさっきから兵士たちから痛い目で見られてる気がする! でもあたし気にしない! だって覚醒状態なんだもん!
「むぅぃぃやぁぁ……歌音? うらぁ? ひっく。どうしたんでごぜぇますか?」
「……酔ってる……」
違うよ、ワトソン君……いや、歌音だ! 歌音君、あたしは酔ってるんじゃなくて呑まれてるだけなんだよ!! いえぇい!!
しつこく歌音の顔を見ようとしても、顔をそむけてしまってなかなか見られない。ガードが堅い。むぃ……なんだか切なくなってきたぞっ。
うりぃ、と指で額を押さえてやると、周りからの視線がさらに突き刺さってきた。むぅ、今いいとこなのに……。
「なによぅ……そんなうらやましそうな顔したって、歌音あげないわよっ!?」
「い、いや……そういうつもりじゃ……」
「問答無用! 成敗っ!!」
渾身の力を振り絞った右ストレートは見事にいなされた。互いに怪我をしないよう、うまい具合にいなされたもので、そのまま地面につんのめってしまう。
わとと、とたたらを踏んでから何とか体勢を立て直すと、ぎろりとあたりを睨みつけた。
相変わらず周りから飛んでくる視線は痛い……突き抜けて地面に突き刺さるくらいに鋭い。それってあたしの身体貫通してるね! ザ・人体の不思議!!
「ぬぅぅ……そんなことしても歌音は渡さないわよ!? 歌音はあたしだけのものだ!!」
「……可愛い子……」
やっぱり酔ってる、と言いかけたのだろうが、歌音はそれを言う前に口を閉ざした。だから酔ってないって!
マグカップに残っているシナモンティーを一口飲むと、隣に座っている歌音の首に手をまわした。
「だぁかぁらぁ、歌音を傷つける奴はあたしが成敗してやんよぉ。あはははははは!!」
「…………あの、ナルティス様」
「あはは……って、ニボシ?」
暗闇の中、姿を現したのはニボシだった。彼はあたしの姿を見ると、苦笑し、「まだゆっくりしてますか?」と聞いた。
歌音の頬に自分の頬をすりすりと頬ずりをしながらうーんと唸ると。
「んにゃ……もぉー、行こっか!!」
ニボシは一つ頷くと、顔を引き締め、兵士たちの中に入っていくのだった。
それを見送ると、馬車が動き出した。外を眺めるように足を外に出したまま、手に持ったマグカップの中にある紅茶の波紋を見つめる。
ぱたぱた足を振りながら紅茶を飲む。過ぎゆく景色には何もない。ただの大地。そして天上には【世界樹】の葉が生い茂っている。そういえばちょっと寒くなってきたかも。
あたしは首に巻いたマフラーを口元に寄せて、マグカップを床に置いた。カタリ、カタリ。揺れる馬車、赤い大地、真っ暗な天上、光のない進路……。
やがて着くだろう【世界樹】を思い浮かべ、あたしは瞑目する。
瞼を閉じても、世界は真っ暗なままだったことに気がついた。
馬車の移動は暇だった。
揺れる馬車の中では魔法を作ることもできないし、同乗しているのは歌音――つまり話すことがないのである。いや、話はたくさんあるけれど、今の歌音と話をしても仕方ないような気がする。
そんなこんなで、何も話すことがない中、馬車は止まった。
もちろん【世界樹】に着いたわけではない。この場所で一夜を明かすのだ。そして明日にはいよいよ……。
【世界樹】に着くには2、3日はかかるといっていた。だから出発した3日後である明日には着くのだろう。しかし未だに【世界樹】の姿は見えない。真っ暗なこともあるが、ガスタウィルの魔法で作られた【世界樹】は確か発光していたはずだ。だから遠くからでも見られると思ったのだが、見当違いだったのかもしれない。
少し馬車から離れると、兵士たちが同心円状に包囲するように配備されていた。そこから先は化け物が跋扈しているので行けない。なので端から見てみたのだが、やはり【世界樹】は見られなかった。
仕方なく焚火をしているところへ戻ると、両手一杯に缶詰を持った兵士から缶詰をもらった。あたしに缶詰を渡すと、別の人のところへ缶詰を配って行った。
そんな背中を見送りつつ、手元の缶詰を開けると、中に入っていた鶏肉を焼いただけの料理を口に運んだ。昨日の魚の煮つけと違ってこれもいい。本当に、なんで国にいた時はパンばっかりだったんだろうか。
さっさと食事を済ませるが、まだ眠くない。昨日はやることがなくてすぐに寝たのに。
そして今日も何もすることがない。無職だ! ばんざーいっ!!
本当に仕事もなくなった。どうせやることなんて、あとは【世界樹】を倒すだけだし。今あの魔法を直しても仕方ないし。
そう言えば。
「アスタ……何してるのかな……あとセピアも」
ちゃんと仕事をしているのだろうか。
あたしが戻るまでに、あることを調べる……彼らに任せたことは、我ながら気が滅入ってしまうことだった。
だって、あたしの考えたことが正しかったら――
「……」
やめよう。
考えるのをやめて、焚火から少し離れて馬車の陰に入った。そこから上を見上げると……まあ、見事に星が見えない。あんなで光合成が出来るのだろうか。
【世界樹】の葉がここまで広がっているのは、光合成をするための面積が足りなくなって、横に広がったところここまで広くなってしまった、ということらしい。1日半くらいでまだ【世界樹】の幹に着かないのだ。それだけでどれだけ広いか……想像に難くないだろう。
とはいっても、こんなじめじめした空間もあと少しで終わる。【世界樹】を倒せば、その時点で太陽さんこんにちは、だ。久々の日光に目をやられないように気をつけないとね。
自分の目を気にしていると、背後から誰かがやってきた。
振り返ると、そこには白髪の少女――歌音がいた。
歌音は俯いて上目づかいにこちらを見ている。
「どーしたの?」
まだ酔いの醒めきっていない口調で言うと、歌音は顔を上げてこっちに歩いてきた
「……可愛い子……さっきの、こと……ホント……?」
「さっきのこと?」
うーむ……どのことだろうか。何せ酔っていたものだからあたしが何を口走ったのか覚えていない。
唸るあたしを見つめ、どこか哀しそうな雰囲気で「……いい……」と言うと、横を通り過ぎてそのまま歩いて行った。歌音は何が言いたかったんだ?
「酷い反応ですね、ナルティス・ミリン」
「うわっ!? い、いつからいたの!?」
歌音の進んでいった逆から幼い少女の声がした。振り向くと、そこにいたのは――
濡れ烏のようにまっ黒な艶やかな髪をして、両手に祭りでも行ってきたんじゃないかと思わせる焼きトウモロコシと、熊のぬいぐるみ持っている少女――あたしは見たことがあるぞ、この迷子紛いの子。
「……リール」
「きゃはっ」
黒髪の幼女――リールは無邪気に笑った。リールがそれをやると、本当に小学生に見えてしまう。しかし本人はあたしよりも年上と主張している。
突然現れた彼女に警戒しつつ、話を始める。
「何しに来たの? もしかして自分の正体でも教えてくれる気になったの?」
「うーん……じゃあ【世界樹】の精ってことでいいでしょ、ナルティス・ミリン。私は警告しに来ただけだ」
て、適当だなぁ。
絶対それ、自分の素性明かすつもりないでしょ。
それに、前回会った時も確か警告されたな。好きなのかな? 警告。
首をかしげていると、リールはあからさまにイライラしたように、こめかみに指を当ててため息を吐いた。
「はぁ……私は確かに警告したはずなんだけど……聞いてなかった?」
もちろん覚えている。その時の警告は……
「――私はナルティス・ミリンにはまだ【世界樹】を倒すには早すぎると言ったはずよ?」
そう。
リールはなぜか【世界樹】を倒すことに反対しているのだ。その上、自分の正体を明かさないのだからたちが悪い……この幼女め。生意気な。
「今、生意気とか思ったでしょ?」
「そ、ソンナコ――」
「拳骨」
あー、前にもこのくだりやったなぁ。でも前よりも決断早くありませんかっ!?
素直に殴られておき、あたしは痛みで悶えながらもリールの話に耳を傾けた。
「ナルティス・ミリン、私は決して力不足だから【世界樹】を倒すなと言っているわけではないのですよ? ただ……今の【世界樹】は一番不安定な時期。もうそろそろだから」
「もうそろそろ?」
「それもナルティス・ミリンが知るべきではない。それよりも、【世界樹】を倒すのは諦めなさい。これは警告です。あれを倒してしまえば――後悔することになる」
「――……」
後悔……。
もうしてるよ。
「あたしは、誰も守れない」
「嘘。誰もを守ってきたのはナルティス・ミリン、君だ」
「そうじゃないよ。あたしは現に歌音に何を言ってやればいいのか分かんない……歌音を救えないのよ、今のあたしは。でも、後悔しない道ならある」
「その道に進むな、そう言っているのが分からないか?」
「分かんない……分からないよ。ねぇ、リール。何で【世界樹】を倒したらいけないの?」
口ごもったリールは「それは、話せない」と言った。
リールの言葉はあまりにも自分勝手だ。どんな理由があっても、【世界樹】を倒せば世界が救われるのに、何でそれを止めようとするんだ?
「リールが話さないなら、あたしはあれを倒すよ」
「待て。本当に――後悔するぞ?」
結局、リールは自分のことを話そうとしないで、自分勝手に【世界樹】を倒されることが嫌なだけなんだ。あたしは世界を救うために進むしかないんだ。
「後悔なら十分してるから」
「ならその道に進むな。本当に、後戻りできなく――」
「――うるさい」
「っ……」
脅すように低い声で言うと、リールは黙った。反論しようと口をわぐわぐさせているものの、何を恐れているのか、声を発しない。あたしはそんなリールの隣を通り過ぎる。通りすぎざまに、
「――あたしはあんたの操り人形じゃない」
と言った。
後に残ったリールは。
「……あーあ。これで後悔するんだから、ナルティス・ミリンは。でもいいや。これも教育教育。大人が子どもに教育するのは当たり前なんだよ。
人を愛するあまり、自分を見失った少女。
でも、ナルティス・ミリンがそれに気づくのはいつになるかな? いやいや、やっぱりナルティス・ミリンはまだ【世界樹】に挑むべきではないな。
きっと後悔する。
目の前で傷つく人を見て、後悔するんだ。私はそれに看過しない。……それでも心配だなぁ。
愛されていることに、いつになったら気づくのよ、あの子は――」
うれしそうに含み笑いしつつ、リールは消えた。




