第四章:9 『【世界樹】境付近』
「ああ……本当にツいてない!!」
視線の先には、巨大なミミズのような化け物が暴れていた。白いブニブニした体表に、紫と黒のラインが入っている。白のその向こうに、僅かに緑色に見える内臓……その中でせわしなく動いている深緑色の臓器が心臓だろう。口は大きく、円状に牙を生やしている。その口の中にもう一つ口があるみたいに、中にも円状に牙が生えている。妙に赤い口は、これまで喰ってきた生物の血を連想させた。生理的にきついものがあるぞ、こいつ。
それでも生きていることに変わりはない。あたしのポリシーからして殺すことはできない。
しかし、そいつがあたしの考えを分かるわけもない。地面からはい出したそいつは、まるであたしたちを待ち伏せていたかのように、兵士の真ん中を突っ切ってきた。円状に生えた無数の牙が、兵士の甲冑を軽く噛み砕くと、久々の食事をしたかのように身体を曲げて甲高い咆哮を上げた。あたしたちが耳をふさいでやり過ごしている間に、サンドワームはズズッと地面にもぐってしまった。
「――今のはサンドワームですね。もう一度来ますっ!!」
ニボシが叫んだと同時に、足元が地震のような揺れを起こした。兵士たちは顔を強張らせて、サンドワームの攻撃に備えて顔を左右に振った。どこから来るか分からない。いつでも抜剣できるように、腰に下げた鞘を掴んでいる兵士たちは、静かにその時を待った。
しかし、兵士たちの見ている方向は違う……そっちじゃない!!
あたしの、下だ!!
地面が高く盛り上がり、あたしは空に打ち上げられた。
「きゃあっ!!」
「ナルティス様!!」
しかし叫ぶのも遅く、空高く舞った身体は重力に従って、地面から現れた無数の牙に吸い込まれるように落下した。涎だらけの口には、先ほど喰われた兵士のものだと思われる甲冑が残っていた。しかしそれも白煙を噴きあげながら消えていく……いや、消化されてる!?
このままだと……喰われる!!
溶かされて消えてなくなる!!
文字通り、消化!! って、そんなこと言ってる場合か!!
しかし、戦闘に長けているニボシやアスタなんかと違って、あたしは万年引きこもり。空中で身をひるがえしたりすることなどできない!!
どうすれば、避けられる?
なんだかんだ考えている間に、ついにサンドワームの歯に服が触れた。ビリビリッと裾が破けてしまう音と、ジュゥという服が溶ける音が聞こえる。
万事休す、か……。
諦めて目を瞑った――その瞬間。
ギュエエェェェェェェェァアアアアッ!?
サンドワームが横っ跳びに蹴飛ばされたのが見えた。
おかげであたしの下に、あの涎まみれの口はない。安全に着地が出来る……。
っわけないよ!!
こんな高さじゃ意味ない!!
「きゃあぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!?」
「ナルティス様!!」
あたしの名前を叫びながら、ニボシが落下する小驅を受け止めた。大柄なニボシにとってあたしはかなり軽かったらしく、落下の衝撃を完全に相殺してしまっていた。そのおかげで怪我なく地面に立つことが出来る。よかった。あたしに何かあったらあの奇人が何をしでかすか分からない。
あたしはサンドワームの飛んでいった方向を見た。ピクピクと痙攣しているので殺されてはいない……のだが。
「……可愛い子……イジメる……許さない……っ!!」
あの巨体を蹴っ飛ばした歌音は、それをよしとしない。
一足でサンドワームの傍らに跳ぶと、尻尾を左右に揺らしながらその腹に足を鋭く突き刺した。紫色の液体が歌音の動きに合わせて闇に舞う。その光景が異様な雰囲気を醸し出す。
ぐちゃ、ぐちゃ
「……死ね……シネ……シね……っ!!」
呪文のように同じ言葉を繰り返す歌音を止める者はいない。いや、そんな無謀なことが出来る奴はいなかった。今彼女に何か言えば、そのとばっちりがこっちに来ることを本能的に理解したらしい。
「……可愛い子を……苛めさせない……殺す……可愛い子……喰わせない……私の……友だち……許さない……どうにでも……してやる……死ね……」
歌音は呟きながら足を振り下ろし続けた。次第にサンドワームの動きが悪くなっていくのが目に見えて分かる。今は痙攣すらも起こさない。
やりすぎだ。
それはここにいる兵士、誰もが分かったこと。そして、あたしもそう思った。
でも、声をかけることが出来ない。
だって……
この場の誰よりも――
「あは……あははははははははははは」
――――歌音が狂っていたから。
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念のため幌馬車に積んでいたらしい鎖で、歌音は縛られた。猫人族である彼女にそれが有効なのかは分からないが、あたしと一緒のときは落ち着いているので何も言わない。
サンドワームはその後息絶えた。
守れなかった……また、自分の目の前で命を奪ってしまった。
まさか歌音が狂うとは思っていなかった。歌音はいつも無表情だし、ほとんど無感情だった。いや、最近はその感情がゆらゆらと不安定に揺れていたのだ。それを身近で知っていたはずなのに……くそっ、迂闊だった。
サンドワームが出てきたおかげで、あたしの呼吸やら体調やらも元に戻った。ただ、記憶に残る歌音の笑い声だけが自分の意思と関係なくリピートされ続けていた。
(歌音……哀しそうに笑ってたなぁ……)
笑っていたときも、歌音は表情だった。ただ、声だけが笑っていた。それは奇声と表現してもいいものなのかもしれない。笑い声だけが聞こえて、歌音の表情は無表情のまま……いつの日か、感情を失くしてしまった少女は、今や鎖につながれている状態だ。
実際、歌音は哀しかったのだと思う。
それを誰も分かってやれなかった……そして、結果的に狂った。
「あはは……ははは……」
乾いた笑い声が、馬車の荷台に無情に響いていく。二人きりの空間で、あたしは彼女にかけるべき言葉を見つけられなかった。そもそも、狂った彼女に、あたしの声が届くのかさえも怪しい。
外は真っ暗だ。馬車に備え付けられている燭台の光を頼りに、あたしたちは進んでいる。あと2日……その間に、何人もの兵士が狂うのか。
サンドワーム戦で、狂った兵士は20人ほどだった。その20人はすぐに帰還を命じられ、来た道を帰っている。そうでなくとも、あたしたちの乗る馬車より前に行く兵士の中にも顔色の悪いものもいる。いつ狂うか分からない状態だ。
歌音は狂ったが、これでも近衛兵を任せられていたのだ。その忍耐力を信じて残させることにした。まあ、戦力もあるし、やりすぎなところは目を瞑ればなんともない。歌音の手綱を握るのはあたしに任せられた。
そしてどういうわけか、あたしは立ち戻ったらしい。一瞬で慣れてしまったのか、それとも【世界樹】の影の境界線付近だけ影響が強かったのか……いずれにしてもあたしはもう大丈夫だ。
ニボシも無事だった。まあ、もともと屈強そうな体つきだし、精神的にも強いのだろう。サンドワームとの戦いが終わった後も冷静に状況を判断していた。おかげで今は順調に【世界樹】に近づいて行っている。
しかし順調とは言っても、化け物が現れないというわけではない。
どこか遠くでなにかが吠える声が聞こえるし、馬車や馬のものとは思えない音が聞こえたりしている。時たま地面が揺れることもあった。その時には必ず背後にサンドワームが現れた。もともとは好戦的ではないのか、彼らは近くに来るが、攻撃してくるそぶりはない。腹が空いた時に人間を襲う、そう言った本能を持っているのだろう。
そういった化け物が現れても、実質的な問題はない。
この集団で行けるところまで行って、馬の疲労がピークに達してきたくらいに休む。しばらく休んでは進み、危険地帯付近の直前で一旦休む……そういった進んでは休む、を繰り返しある地点で、一日目はこれ以上進むのをやめて安全なところで野宿することになった。
兵士は交代で見張りをしたり、野宿のための火を熾したりしていた。
あたしは火のついた薪を眺めて支給された缶詰を開けた。中には久々のパン食以外のもの――なんだかよく分からない魚の煮つけ――が入っていた。あたしはそれをフォークで突き刺して食べた。
兵士の数が多いため、あちこちで煙が上がっていた。それで【世界樹】に燃え移ってくれれば魔法なんて必要ないのに……と考えたが、なんとあの樹、耐火性にも優れているらしい。なんてこった。
まあ、【世界樹】が燃えたりなんかしたら、いまその下にいるあたしたちも危険だしね。そう考えると、燃えなくてよかったと思う。【世界樹】を倒すという仕事は増えるけど。
食事を終えると、馬車の中に戻った。歌音はまだ縛られたままでいる。彼女の前にはあたしが食べたものと同じ缶詰が置いてあったのだが、両手を縛られている状態では犬食いしかできない。しかし歌音はそれすらしようとせず、虚ろな目でただ虚空を見つめるだけだった。
「……歌音、手伝おうか?」
「……」
歌音から返事は返ってこない。その代わり、虚空に向いていた目があたしをとらえた。何も言わないが、どうやら手伝ってくれ、ということらしい。
あたしは缶詰を開け、中に入っていた煮魚をフォークで突き刺した。歌音の小さな口に運ぶと、桜色の唇にそれをあてた。数度鼻をひくひくさせ、あーん、と口が開いたところにひょいと入れた。咀嚼すると、すぐに次を求めるように、口が開かれた。どうやらお腹が空いていたらしい。
あまりの人間らしさにクスッと笑うと、すぐに次を口の中へと入れた。
缶詰の中身が無くなると、歌音は目を閉じて眠り始める。こんな状態だというのに、大したものだよ。
鎖でぐるぐるに巻かれた彼女――それから解放されるのはいつになるのか……もしかすると【世界樹】を倒した後でなければ解放されないのかもしれない。
もう、歌音のこんな姿見たくないっていうのに……。
その思いは伝わらず、一日目は終了するのだった。
翌日。
とはいっても、相変わらず真っ暗なままである。時間間隔も狂うな、これ。
再び進みだした幌馬車の中で、あたしは外の景色を眺めていた。
とはいっても、外は何もない。本当に……【世界樹】の中心へ向かう兵士や食料などを積んだ馬車のほかには何もない。赤い大地が視界の限り広がり、そこへ真っ暗な影が下りているだけだった。
遠くで砂埃が上がれば、そこにサンドワームがいるらしいのだが、こちらに干渉してこようとしないので保留。【世界樹】の中心へ向かうほど、サンドワームの数は増え、ほかの化け物たちは見当たらなくなった。ここらの主はサンドワームに決定らしい。
兵士たちはそれらを気にしないように進んでいる。
それと同時に、徐々に【世界樹】に近づいているという緊張感が漂ってきた。
今朝の段階で、もうすでに100人ほど国へ帰ってしまった。これだけ離れているのにいちいち影響を受けていてはいけないのだ。あたしが言えた口じゃないけどね。
まだ大丈夫だ。
最初のような苦しさはもうないし、体調も悪くない。
――このまま順調に進んでいけば、明日の夕刻ほどに【世界樹】へ着きます。
今朝、兵士を集合させたニボシがそう言っていた。
でもね。
――そんなに順調にことが運ぶわけないのが人生ってものだよ。
それは一旦休憩することになり、進行を中断したときのことである。
「! マズい……囲まれたっ!!」
「ええ。そのようですね」
迂闊でした、と苦虫をかみつぶしたように言ったニボシの頬には汗が垂れている。
あたしも周りの状況を見て、歯ぎしりをした。
もっと早くに気が付くべきだったのだ。
「サンドワーム……あいつら、あたしたちをずっと狙ってたみたいね」
標的は疲れさせて一気に狩る……それは動物界では当たり前に行われていることなのに、そんな単純なことに気がつかなかった。
最初の一匹目で確信するべきだった。
あいつは腹が空いていたからあたしたちを襲ったのだ。
そんなの当たり前だ。
だって、ここは【世界樹】の……『悪魔の木』の真下なのだ。人間も動物も近寄ろうとはしないここで、どうやって捕食をするっていうんだ!!
もしかすると、リタイアした100人程度の兵士たちもすでに――いや、大丈夫だ。
きっと……大丈夫だよね。
「どうする? ニボシ」
あたしたちの周囲を蠢くサンドワームを見渡しながら隣に立つニボシに言った。いつの間にかサンドワームは10体ほどに増えている。ニボシはすぐにシャインと抜剣した。
あたしの手では持てそうになさそうなほどに大きな剣を高く掲げると、一度振り下ろした。地面に触れていないのに、空振りだけで足元の赤い地面が裂ける。この剣の鋭さもさすがだ。
「戦うしかなさそうですね。大丈夫です。ナルティス様の魔法があれば、あいつらは死にませんよ」
あたしの魔法……それは、出発前に兵士たちに配給された剣の魔法のことだ。
この場の兵士全員が持っている剣には殺傷能力がない。否。殺傷能力を殺した武器しか持っていない。その代わり、睡眠効果のある魔法がかけられている。
この旅では化け物との戦いを避けられなかった。
化け物を殺すことに反対するあたしは、ならばと剣の殺傷能力を殺す魔法を、【世界樹】攻略の魔法を作る片手間に開発した。その代わりとして平和で安全な睡眠魔法を付与した。
ニボシがその魔法の剣を高く上げると、それに呼応するように兵士たちも各々の剣を振り上げた。
「――総員、攻撃開始ッ!!」
低くオオカミのように鋭い声と同時に、兵士たちは走っていった。
「「「うおおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉっっ!!」」」
化け物に負けじと自分たちも大声を上げながらの攻撃。しかし、殺傷能力を殺しただけあってまるで歯が立たない。代わりの睡眠魔法も、相手に効果がなかったり薄かったりしたら戦闘が長くなる。
一見したところ、サンドワームには睡眠魔法は有効のようだった。しかし、それも個体差がある。
人間のようにすぐに眠る奴もいれば、なかなか眠らない不眠症な奴もいた。
ニボシの一閃――しかし弾かれてしまう。そこへ隙を逃さまいと追撃を加えようとする。
「ニボシ!!」
あたしはとっさに叫んだ。
なんとか追撃の突進を剣で防いだニボシだったが、力に押しきられ、数メートル吹き飛ばされてしまう。あの巨体を吹き飛ばすなんて、どれだけ力が強いんだよ!!
兵士たちも次々に吹き飛ばされた。
サンドワームの咆哮で鼓膜を破られたらしい兵士は顔面を蒼白させ、目前に迫った化け物を見上げて乾いた笑いを上げている。
その逆方向で、内臓を損傷したらしい兵士が吐血する。その血のにおいをかいで、サンドワームは興奮したのか甲高い咆哮を上げた。
あたしも何かしないと!!
馬車の中に残していたバックを引っ掴むと、中から白紙の巻物と羽つきペンとインクを取り出した。簡易な魔法をその場で作る。
――触媒は、空気。
今はこんな魔法しかできないけれど、こんな場面では仕方ない。
「みんな伏せて!!」
すぐに魔法を発動――刹那、巻物の周辺からカマイタチのような傷害性のある風が吹いた。八方に散ったそれが、サンドワームに直撃すると、なんと弾かれた。
あの身体はぶよぶよで、ある程度の衝撃は弾いてしまう……なら剣はダメだ。あんなものを斬られるわけがない。
打撃性のある武器を……でも、そんなの誰ももってな――
考えるあたしの足元で、
「キギュエエエェェェェェェェッ!!」
「きゃあっ!?」
地面が盛り上がり、高く打ち上げられた!!
その下には、もちろんサンドワームの姿が……。
「ナルティス様!!」
しかし、気付くのが遅い。
ニボシはあたしからだいぶ離れたところで戦闘中だった。兵士たちもそれぞれ散らばって戦闘をしている。
だれの助けも来ない……というか、来られない!!
「くそ……最後に油断した……」
ゆっくりと落ちていく。
口を大きく開けたサンドワームに吸い込まれるように、あたしは――
――喰われた。
そして吐き出された!?
「ぐぇっ!」
体中がサンドワームの粘液でべとべとだ。どうやら消化される前に吐き出されたらしい。でも誰が……。
って、そんなの一人しかいないでしょ。
数メートル離れたくらい関係なく一足で飛び越え、なおかつ、その力はかなり強い。
あたしを一番好いてくれて、だから友だちになったけど狂ってしまった――猫。
「……可愛い子……食べる……愚行……許さない……っ!!」
歌音は白い髪を逆立てて怒っていた。
鬼、此処に降臨。




