第四章:7 『魔法×0』
人は独りでは生きていけないらしい。
でも、孤独を感じる人間にとっては、その言葉は嫌がらせにしかならない。
孤独を生きしものよ。
お前はずっと独りだよ。
夢を見るのを諦めろ。
どうせお前に友だちなんてできない。
あはは。
だからさ。
最後まで独りで生きて見せろよ。
「……嫌、だよ……独りは……」
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セピアが大変なことをしでかしたことに気付いたのは、30分ほど経ってからのことだ。
あたしはお風呂に入らずに、結局廊下で立ちつくしていた。頭の中でぐちゃぐちゃと考えているうちに、あっというまに時間が過ぎていた。
そして、30分ほど経ち、我に返ったあたしが見たものは。
「……これって……魔法……?」
廊下に漏れ出す黒い文字たち。ほんのり発光し、ゆらゆらと廊下の向こうまで続いて行った。それがとめどなく自室から出ていることに気がついた。
「まさか……魔法の暴発っ!?」
廊下を駆ける。自室の扉を開けると、部屋の真ん中で少年が倒れているのが見えた。その手には、自分専用の羽つきペンが握られているではないか。
あたしは歯噛みし、セピアからペンを奪うと、机に向かった。しかし様子がおかしい。
一端漏れ出した魔法――しかし、その逆の反応が起きていた。
魔法は発動するどころか、外に出た文字たちを集めるように、巻物へ吸収されているようだった。いや、本当に吸収されてる……?
暴発でない可能性が高まり、それには安堵する。しかし、問題はなんでこんな現象が起きたかだ。
状況を見る限り、セピアがこの魔法をいじったに違いない。あたしの羽つきペンを持っていたことからそれは推測できる。でも、それならなぜセピアは倒れているのだろうか。
「セピア、起きてっ!!」
抱き起こすと、眠気眼を擦りながら緩慢に半身を起き上がらせた。その間にも、異常現象は起き続けていた。
「なんだよ……って、うわっ! 何したんだ、これ!?」
「それはこっちが聞きたいわよ! セピア、あんたしかこの部屋にはいないの! アスタもどっかに行っちゃったみたいだし……あんたがなんかしたんじゃないの!?」
「はぁ!? 俺がお前の魔法なんかいじるかよっ! それこそ、あの変人がなんかしてそのまま逃げたんじゃ……」
「アスタはそんなことしない。それに、あたしのペンをあんたが握ってたんだよ?」
でも、それが証拠になりえるとは思えない。
セピアは今の今まで眠っていたわけだし、それに魔法を少し知っているくらいでこんなことを起こせるとも思えない。あたしが、そしてこの魔法――『連立式』を作るのに悩んできた人間ができなかったことを、この少年ができるわけがないのだ。まぐれという可能性もないだろう。それこそ、『連立式』に関わった人間の一人や二人、起こしていると思うし……とにかく、セピアがやったということはない。
なら誰が?
アスタ……は、セピアよりも知識がないはずだ。集落のときに、あたしの知らないところで彼が何かしていたとも思えない。まあ、【鳥籠】の出入り口を知っていたのは、他ならぬアスタだけれども。それでも……
それでも、アスタがこれをやったとしても、逃げる理由がない。それより、彼なら笑って許しを請うだろう。だから彼も犯人ではない。
この城にはいない。
いや、そう思わされているだけ?
この国に魔法技術士がいないと思わされているだけ? 実際に、街での水のパイプラインは顕在しているし……いやいや、それは理由にならない。実際、製作者が死んでも魔法だけが生き続けることだってあるのだ。きっとあれは、そうに違いない。
……って、そんなこと考えてる場合でもないか……。
「……どうしたものかしらね」
巻物から出てきた文字たち。
外に出たかと思うと、次々に吸い込まれていく姿はまさに異常。
けれど……不思議と危険な感じはしなかった。
魔法は思い。
魔法は人の心を映す鏡。
危険な感じがしないのは――。
「――あたしが、世界を救おうとしているから、かな?」
頬に汗が伝う。それすら気にならないほどに、文字たちが不思議な紋を描きながら吸い込まれていく。やがて全ての文字が吸い込まれると、一瞬発光したかとおもうと、そのまま静かになる。
セピアもあたしも声が出ない。
これで、終わりなのか?
ゆっくりと巻物へ近づき、そこに描かれたものを見てみる。
真中に唐傘のような紋が五つほど描かれ、その周りを三重ほど取り囲んでいる。右端から左端まで、全て文字で埋め尽くされ、まるで経典の様であった。
そこに込められた内容は、異常現象が起こる前にあたしが作ったものと同じだった。しかし、最後の一文字――あたしが出来なかった唯一の文字――が、そこにあった。
それが異常現象を起こし、そしてそれと同時に……。
「……『連立式』が完成した……っ!」
何があったのかは分からない。けれど。
これまでこの魔法にかかわってきた魔法技術士をあざ笑うかのように、実に簡単な結末でできていた。
計算に例えると最後の一文字……すなわち数字は、『0』だ。
「そっか……安定しない魔法なら、ところどころをなかったことにすればよかったんだ!」
しかし、これは簡単なことではない。
だって、少し失敗すれば、全てがなかったことになり、魔法自体が完成しなくなる。だから目に入っていなかった。これも、魔法を失敗することを幾度ともなく経験したあたしたちの性、ということかな……。
やっぱり、この魔法を完成させたのはセピアかもしれない。
魔法を作る上での失敗の法則を、プロの魔法技術士ならその身体に染み込ませているのだから。こんな無茶な魔法の作り方、初心者のセピアにしかできないことだ。
まったく、この子はとんでもないよ。
「? 何にやついてんだよ、気持ちわりぃ」
「はぁ、せっかく褒めてあげようと思ったのに、台無しだよ。前言撤回。やっぱりクソガキね」
「ガキ言うなぁぁぁっ!!」
叫ぶのを無視すると、完成した『連立式』を眺めてみた。そして、ところどころに穴があるのを確認すると。
「よし。さらに効率化して、いよいよ……」
そして、それから一週間後……。
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『くはは。これはサービスだよ? ナルティス・ミリン』
どこからか声がする。
それはどこか分からない。
アスタもセピアも、エルミニもニボシもガスタウィルも、そしてヒナも……聞いていない声。
ただ一人、例外がいるとしたら、それは猫ちゃんかもしれない。
「……この声……また……」
『ふん。俺はお前が気に入らないな、歌音。ええと、昔の名前は何だっけかな? お前が捨てられる前……そう、お前が独りになる前、その名前を俺は知っていたはずなんだがな……』
「……誰……なの……?」
『くはは。だれでもいいじゃねぇか。でも、警告はしてやるよ」
声は告げる。
男の声……だけどどこか幼いような声が、警告を発する。
『ナルティス・ミリンに【世界樹】を倒させてはならない』
「…………また……」
『だから、お前はナルティス・ミリンと行動を共にしなければならない。そう、ほかならぬ彼女のために。そして、俺たちの――お前らが【ナツメグサ】と呼ぶ存在のために、お前は動くのだ、歌音』
「……知らないよ……私……関係ない……」
『くはは、関係あるさ。だって、お前の過去を知っているのは――』
「……うるさい……っ!!」
『……くは。やっぱお前、気に喰わねぇや』
それきり声は途絶えてしまう。
歌音はそれに安堵して、蟠っていた息をふぅ、と吐き出した。
そして歌音は天上の星を見上げる。雲ひとつない星の輝きは、月のない空を、月の変わりに明るく照らしていた。
でも、そんなの今はどうだっていい。
あそこには、誰が行くのか。それを考えて、歌音は呟く。
「……嫌だよ……」
そして再び歩き始めていくのだ。
どれくらい立ち止まっていたかは分からないけれど、着実に終わりが見え始めている。それが感覚で分かる。
急がなくてもいい。けれど、足は前に。
重く動く足が、砂利を踏みしめた。
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「……いよいよ、か」
それに答える声はない。
一人きりの部屋で、あたしは身支度を整えていた。
出発は午後から。
どこへ行くのかは決まっている。
【世界樹】――別名『悪魔の木』――
世界一の堅さを誇る樹。その大きさは計り知れず、今も成長中。根から 水分や養分を吸いつくし、生物や植物の成長を妨げる。そのため、倒さなければ世界が崩壊する。しかしそれは困難で、【世界樹】が成って1500年経った今でも倒すに至っていない。誰もがいつかの世界滅亡を諦めてしまった。だから僅かな財産を得るために、みんな戦争をする。この樹を倒せば、きっと世界は平和になる。
そして、長年世界をむしばんできたそれを倒す準備が、つい昨日、整ったのだ。
万全は尽くした。結果はどうなるか分からないけれど、それでも成功を願って進もう。
あたしは机の前に立って深呼吸をした。
念のため、昨日まで作っていた魔法の確認をする。
穴があってはいけない。これで終わらせるのだ。
この世界に平和を。
この世界に安寧を。
この世界に無傷を。
さて、と。
あたしは巻物を手に取ると、部屋の扉へ歩いて行った。扉に手をかけようとしたが、向こうから入ってくる人物がいたので、空振りした。
「ぐふっ!」
そのまま扉に頭をぶつけたあたしは、尻もちをついた。このもちは美味しくないからもうやんないよ!
両手で後ろを支えながら半身を起こすと、入ってきた人物を睨み上げた。
入ってきたのはメイドさんだった。その手に、なぜかあたしが使っていたバックが握られていた。
そのバックは、【鳥籠】からさらわれたときに失くしたはず……なんでメイドさんが持っているのだろう。
訝しげな視線を向けるあたしに、メイドさんは。
「ぶふっ」
笑いやがった……。
いつも通りのメイドさんだ。
いつも通り腹立つ!!
「な、何笑ってくれてんのよ……」
「いえ、ナルティス様があまりにぶ……ぶざ……い、いえ。これ以上は私の口から言えな――――ぶふっ!」
「そんなに笑うなぁぁぁぁぁぁああ!!」
そんなに笑う要素あった!?
そんなにあたし、無様でしたかっ!?
肩を上下に震わせながら笑うメイドさん。睨み続けていると、閉まった扉から再び来訪者が。
ガチャ
ゴスッ
――ナニカ、イヤナヨカン……
「ひゃっ!」
「きゃんっ!!」
扉にぶつかったメイドさん。あたしの上に飛び込んで、その豊満な胸を押し付けてきた。む、胸が……こ、これは……。
「あたしに対する当てつけかっ!!」
「ふふふ……小さいですね」
「うっさいわ!!」
「あはは。俺は貧乳のほうが好きだよ、ナルちゃん」
「はっきり言うなぁぁぁああ!!」
新たな来訪者――アスタはいつもの如く笑って扉を閉めた。くそっ……そうやってみんなあたしを苛めるんだっ!
あたしはメイドさんを退けると、立ち上がり、膝についた埃を払った。扉にその身を預けると、瞑目して息を吐き出した。まったく、朝からとんだ災難である。
まぁ、それでもいいけど。
こうやってバカできる日々も、ある意味では重要なことなのかもしれない。いつの日か、本気で生きていたことすら忘れるのだ。なら、今だけでも楽しくあろう。
ふっ、と息を吐き出すと、顔を上げた。メイドさんはあたしのバックを両手で握って何かを食べていた。どこから出したんだ……という疑問には答えてくれなさそうだ。アスタはニヤニヤ笑って、こちらを見つめてきている。細かく言えば、あたしの服装を見ているのだろう。
にやりと笑うと、口角を上げながらアスタは言う。
「ナルちゃん、それで行くの?」
「仕方ないでしょ。あのローブじゃ動きにくし、それに、こっちのほうが動きやすくて防寒性があるんだって。あそこの下はいつも寒いらしいから」
言いながら、自分の服装を見下ろしてみる。
いつも着ているぼろぼろのローブではない。長袖なのは変わらないが、割と露出が多い。その割に温かいのはなぜだろうか。
首元に巻いているのはチェック柄のマフラー。先端はフリルのスカートに届くほどに長く伸びている。黒いセーターを着、その上に赤のラインの入っただぼだぼの服を着る。後ろにいくほど長くなるタイプのスカートを押さえるように、腰にはリボンが巻かれており、足は黒い靴下で覆われている。しかしこれは太ももまであるので、とても長い。そして薄手の生地ではあるものの、以外に温かい。
……というかこれ、ロリータファッションなのでは?
ちなみにこれの製作者はメイドさん。ファッションセンスは悪くないと思うけど、なんでこんなにバカにされているような感じがするのだろう……。
やっぱり胸か! 胸が小さいからこんなロリータ着せさせられるのかっ!!
「可愛いよ。ナルちゃん」
「あんたにそれ言われても、うれしくないわよ。というか、当てつけにしか感じないし、悪意満載な感じがするのはなんでかなぁ!?」
「いえ……あまりにナルティス様がおこちゃ……発育がよろしくなかったので」
「言いなおした意味ないよ!!」
「では、言い方を変えましょう。――そう……ロリロリしていたので!」
「ロリじゃないっ!!」
「ナルちゃん、14歳はぎりぎりロr――」
「ロリじゃないわよっ!!」
ロリじゃないもん! 今なら思いっきり泣けそうな気がしてきた。
メイドさんの台詞を聞くと、この服も着たくなくなってきた。でもローブはメイドさんに強奪されたし、あそこに行くならしっかり防寒しないとだし……仕方ない、か。
って、なんだか謀られた気がするんだけど!?
心の叫びも虚しく、完全に後の祭りだったことに気がついた。
ため息をつくと、メイドさんの持つバックを指さした。クリーム色の、肩かけバックだ。
「……で、メイドさんは何でそれ」
「ああ、これですか。ガスタウィル様がこれをナルティス様に届けるようにと、おっしゃっていたので。はい。渡しましたよ。これで私の仕事は終わりです」
「そ。ならさっさと通常業務に戻りなさいよ」
「ええ。そうさせていただきます。ただ、一言言わせてください」
メイドさんは扉へ近づき、取っ手に手をかけた。
「【世界樹】を、必ず倒してください。私の願いはそれだけです。そうすれば、子どもたちも笑って暮らせますしね。きっといつか、今も昏睡中のヒナ様も一緒に遊べますよ。いつの日か、みんなの笑顔が来ることを願って、待つことにいたします」
「メイドさん……」
メイドさんは振り向かないまま扉を開け、廊下へと足を踏み出した。
「ナルティス様ならできますよ。あなたを信じていますから」
そう言い残して、メイドさんは廊下へと姿を消した。
後に残ったあたしとアスタ。お互いに視線を交差させると、ふっと笑った。
「あはは。ま、ナルちゃん。俺も同じ思いだよ」
「ふうん。ま、アスタがあたしを信じてくれてるなんて前から知ってたよーっだ」
べーっと舌を出すと、アスタは笑った。
「ありがと。これが本当の家族なのかな?」
「知らないわよ。あたしに家族なんてできたことないし」
「でも、今は俺がそばにいるよ。俺がナルちゃんを支えてあげる。だから――」
「分かってる。だからあんたは今回……」
一呼吸置き。
「【世界樹】に一緒に行かないんでしょ?」
と、言うと、アスタは困ったように笑った。うん、と頷くアスタには、どこか申し訳なさそうな気風が感じられた。
「支えてあげるっていうのに、俺はついていけない……ごめんね」
「いいよ。どうせあんたの代わりなんていくらでもいるんだから」
「あはは、酷いなぁ」
でも、アスタが必要なんだよ。
アスタがここに残ってくれないと、いけないんだよ。
それに、ね。
「アスタの代わり、もう見つけちゃってるから」
「ふぅん。誰?」
にやりと、口の端を上げると、あたしは扉にもたれかかった。
ビシッとアスタに人差し指を向けると、その人物の名前を出した。
「ズバリ! その人物は……ぎゃっ!」
ゴンッと。
急に開いた扉に轢かれた。だから、何であたしは朝からこんなのばっかなの!? なんて日だっ!!
ぷるぷると身体を支えて顔を起こすと、その人物が目に入った。
大男で、筋骨隆々。こちらを見下ろしている目はオオカミの如くおそろしさを醸し出している。
「ありがとね、ニボシ」
「いえ。ナルティス様に仕えることは、ガスタウィル様に仕えることも同義ですから」
そう、大男――ニボシ・カルシウムは、口角を上げて笑った。
「どういうことなの、ナルちゃん……?」
……こちらの怪しい笑みは無視した。




