第四章:6 『連立式』
あぁ、重かった。
地下の古書庫からとってきた一冊の黒い魔導書……その表紙には赤字で『連立式についての概要と考察』と書いてある。お風呂でメイドさんが言っていた通り、この本には『連立式』というものが書かれているらしい。
しかし、『連立式』というものはどんな魔法だろうか。そんな魔法、聞いたことがない。
あたしは自分の魔法の作り方をどうやって手に入れたのかを覚えていない。だからあたしの魔法の作り方がどんな名称で呼ばれているのもなのかは知らない。もしそれと同じならば、この魔導書も意味が無くなる。
だから開けて確かめるしかない。
分厚めの表紙を開いてみる。
表紙の下は黄ばんだ紙に題名が書かれているだけだった。
中の紙は、日焼けしていて少し黄ばんでいる。手の跡が付いていることから、これを読んでいた人が途中で眠ってしまったことが窺えた。
……いや、そんな紙が黄ばむくらいに日焼けする中で、人が眠るものだろうか。
「考えるな、あたし。一応安全は確かめてきたし。まあ机の上に置かれてただけだからずいぶん管理が浅かったけど、大丈夫。机の下に、誰かが暴れたみたいに二足の革靴が散らばっていたけど大丈夫大丈夫……」
「? さっさと開けよ、ぼさぼさ」
「うるさいわよ、セピア。心の準備ってものがいるときだってあるの」
「どんだけ危険なんだよ、その本……」
呆れ交じりのセピアの声。あたしはセピアの台詞に反論できずに、さらに1ページめくってみた。そこから文章が始まっていた。
小さめの文字で少し読みにくい――これは古い魔導書の特徴だ――が、現代語であることにほっとする。たまにどこぞかの古い言語で書いてあるものがあるのだ。とりあえずこの魔導書に書いてある文字は現代のものなので、それを読んでいく。
「ええと……ふむふむ……よし。分かった」
全部読んだわけではないが、大体の作り方は分かった。この魔導書は最初に重要なことを書き、後のほうはそれの使用法のようだった。最初の数ページで魔法の作り方が書いてあったので、早く読めた。それ以外の部分はどうでもいいし、歴史なんて興味もない。
「早っ!? で、なんて書いてあったんだ!?」
「まあ、まあ、そう急かさない。……っていっても、この説明で分かるのかな?」
「大丈夫だ! ちょっとだけなら魔法の勉強だってしたんだぞ!?」
うん。知ってるよ。君が夜中にこそこそと部屋の魔導書を読んでいたことは。
しかし、あたしはそれを指摘しなかった。わざわざそれを言う必要がないと思ったからである。
あたしはキラキラ目を輝かせたセピアに背を向けると、机の引き出しを引いた。そこにある巻物と机上の羽つきペンをとると、巻物を床に広げた。羽つきペンの先をインクで浸し、魔力のこもった文字を書いて見せる。
セピアはそれを覗きこむように見ている。それを確認して、あたしは説明を開始する。
「この魔法……『連立式』は、あたしが普段やってる一字ずつに魔力を込めるわけじゃないの。あたしはその魔力のこもった文字で魔法陣とか、魔力式とかを書いたりするんだけど、それをしない。簡単に言えば算数かな」
「算数?」
「そ。普段やっているやり方が、5ケタの掛け算を3つ同時にするのと同じだとする。例えば……」
あたしは巻物に文字を3つ書いて見せた。するとその文字が少し輝く。
「これが掛け算の答え。34893×39475×93457の答えだとする。するとその答えは約129000000000000。で、『連立式』はその中で空白を入れる」
「空白……」
「やれるか分からないけど……あ、出来た」
羽つきペンを動かしていた手元を見ると、今度は書いた文字がさっきよりも薄く輝いた。青白く輝いたそれは、うっすら発光しながら中に浮かび始めた。合計3文字のそれは、空中を漂うと、弾かれたようにパンッ、と音を立てて霧散した。
それを見上げたセピアは驚いているようだった。そりゃあ、こんな現象が起こるなんてありえないに等しい。魔力が込められただけでは魔法は発動しない。それなのに、このやり方は半分発動させながら残りの半分で構成をしていくのだ。こんなに不安定な魔法はない。
「今のは、計算に例えると……498□7×4□268×83□77≒1□□00000000000って言ったところかな。その四角に入る数字を、次の式で補う……それがこの『連立式』っていうやり方なの。分かった?」
「いや……全然。ていうか、普通そんな5ケタの計算の暗算なんて出来ねぇし」
「魔法技術士の基本よ。あ、ちなみに四角には3と2と9と6が入るから」
セピアの視線が、化け物を見る目に変わった。そ、そんな……5ケタの計算なんてできて当たり前でしょ?
こほんと、ひとつ咳払いをすると、再び話し始める。
「こほん……つまりこの魔法は、半分魔法を作って、残った半分に次の魔法と、その次の魔法を詰め込む……それを永遠に繰り返すっていう魔法なの。これができれば、強い魔法をどんどん上乗せしていって、そのうち【世界樹】に匹敵できるほどの魔法が出来るかもしれない。まあ、現実的に無理だけどね」
「なんで?」
「この魔法、普通の魔法と違うのはその威力だけじゃない。その発動の速さも違うのよ。つまり、この魔法を巻物へ封じようと思っても、封じている最中に暴発するかもしれない……だから無理」
正確には、完全に無理というわけではない。しかし、それをやろうとは思わないのだ。あたしはその説明を省くことにして、話を続けた。
「そもそも、この魔法の研究も途中でやめたらしいしね。この魔導書に書いてあったんだけど、『連立式』を作る最中にトラブルが起こって、それ以来『連立式』が研究されることはなかったんだって」
「へぇ。じゃあ、この魔法をナルちゃんが開発できれば――」
「そうね。どれだけこの魔法が難しいのか分かんないけど、【世界樹】を倒すためなら何でもやってやるわよ……絶対、やってやるんだからねっ!!」
にやりと笑った2人を見て、少し恐怖したセピアであった。
========================
新たな魔法の研究に乗り出して数日後には、ナルティスは伸びていた。『連立式』という魔法はかなり難しいらしい。ナルティスにできない魔法があることに驚いたが、まあ彼女も人間なので、できないことの一つや二つ……それの十万倍は あるだろう。
怠惰に生きてきたにしてはしっかり動く。その集中力は、自分が見てきた中では頭一つ抜けている。いや、それ以上に彼女が天才なのだ、ということだろうか。そうならば……
「……」
セピアには、魔法は作られない。彼女に匹敵するほどの魔法を作られる自信がなかった。必ずしも彼女と同等、もしくはそれ以上の魔法をつくらなければならないという決まりはない。ブランクのあるナルティスのほうが有利なのは、火を見るよりも明らかだ。
しかし、それでも負けたくはなかった。
妹を助けるために魔法を作るのならば、こんなぼさぼさ、軽くひねられるくらいでないといけない。というか納得できない。
妹が大切だ。
それは常に思っていたが、しかしいざという時に自分はもっとも役に立たないのだと実感した。もう嫌だ……あんな役立たずになるのはもうごめんだ。ならば、せめて妹の大切なものだけでも守りたい。せめて、それだけでも罪滅ぼしがしたい。たとえそれが、逃げなのだとしても、自分たちに降りかかる運命に購えるようになりたい。
そのための魔法だ。
ある魔導書に書いてあった。
『魔法』は『思い』
ならば、自分にだって魔法は作られるんだ……そう思っていたのに、今のナルティスを見ていると、そんな軽口すらも叩けなくなる。そして改めて思うのだ。
――自分は無力なのだ
と。
=========================
頭が痛い。
それどころが身体が痛い。
ああ、無理しすぎた――そう思った時にはもう遅かった。
「はふぅ……ごめん、アスタ」
「いいよ、ナルちゃん。世話焼けるのはあの時から変わんないね」
あの時、とはおそらく【鳥籠】のことを指しているのだろう。
けれどあれは過去のことだ。
そして、寝不足で倒れたことも過去のことだ。
あたしは一週間ほど、一睡もせずに魔法の研究に打ち込んでいた。そのせいで昨日ついに倒れた。取りつかれたように、今までは大嫌いだった魔法を苦労してまで研究していたため、その限度を知らなかったのが運の尽きだろう。そんな自分がなんだかバカらしくなって、あたしは笑った。
【鳥籠】にいた時代は過ぎたのに、いまもこうしてアスタに看病せられている。あたしはベッドの中で動くこともできず、じっとしていることしかできなかった。頭は痛いし、身体も痛い。動けば激痛が走る。
だから今は安静にして、セピアを抱き枕しつつ、
「よしよし」
……アスタに頭を撫でられることしかできなかった。
「んもう、やめてよ!」
「あはは。ナルちゃんがセピアにやってたことだよ。照れない照れない」
「ぐぅ……こんなにウザかったのか」
どうやら今日は一日アスタのおもちゃ確定のようだった。まあ、このことも次の日になれば治るだろう。
にしても、【鳥籠】……かぁ……。
「……うーん」
「どうしたの? もっと撫でられたい?」
「違うわよっ! そうじゃなくて、【鳥籠】のこと。何だか……何か忘れてるような気がして」
「ん? そんなに俺といちゃいちゃした時代が恋し――」
「そんなことしてないわっ! それに、あれは過去のこと。だからもう忘れるの」
「いま忘れかけてたことを思い出そうとしてたのに?」
「うるさいっ! あぁ、もういいよ」
投げやり気味に言うと、痛む身体をゆっくり起こし、床に足を付けた。
あたしの腕の中でうなされながら眠っているセピアをベッドに寝かせると、そのまま扉のほうへと歩いた。突然立ち上がったあたしに、アスタは声をかけた。
「どこ行くの?」
「ちょっとお風呂。研究漬けで何日も入っていないからね」
「えー、ちょっと心配だなぁ」
「……一緒にくるとか言わないでしょうね?」
「行っていいなら喜んでっ!!」
「ハゲろ!」
扉を閉めると、中の音はもう聞こえなかった。あの変態に構っていてはいつまでもストレスを抱えてしまう。あいつはストレス発生マシンなのだ。要注意。
あたしはため息を吐くと、薄暗い廊下を歩き始めた。
すると薄暗い廊下の先――そこに誰かいるのが見えた。
「っ!」
分かる。
見えなくても分かる。
あれは……あれは……
彼女は――
「……久しぶり。歌音」
「…………」
歌音……猫耳を垂らしてこちらを見る彼女は、数日間行方知れずだった。ただ単にあたしが部屋から出ていなかったせいもあるが、それにしては音沙汰なかった。毎日ヒナの様子を見に行っているセピアも、彼女の姿を見ていないらしかった。
どこかに行っていたのか、もしくは、あたしが避けられていたか。
歌音は俯いていて、前を向いていない。もしかすると、あたしの呼びかけも聞こえていないかもしれない。
数歩進み、あたしの肩にぶつかった歌音は顔を上げ、あたしの姿を確認した瞬間、身をひるがえした。
「まって!!」
走ろうとした彼女の手をつかむ。柔肌が棘に刺さったかのように冷たかった。
「……や……めて……」
「やめない……って、何で逃げるのよ!? ちょっと話したいことがあるだけ!」
「……話……聞き、たくない……」
あたしの手を引っ張るように、歌音は歩きだそうとする。少し歌音のほうが力が強いので、両手で歌音の手首を引っ張った。
「んくぅぅ~、歌音の話、正直信じられなかった」
「……なら……良いでしょ……放し――」
「あたしは、歌音を助けたいっ!!」
「……っ!」
「お願い……話を聞いて……あたし、歌音を……やっとできた友だちを助けたいだけなんだよ……」
「……知らない……分からない……いいの……私の問題……可愛い子……関係ない……」
「何でさ。そんなに思いつめているから、あたしに相談してくれたんじゃないの?」
あの歌音とお風呂に入った日、彼女が語った言葉。
『……私の……家族……人質なの……』
それが本当ならば、この国に歌音の家族がいる。囚われている。だから歌音はガスタウィルに操られるしかない。嫌なことを嫌と言えずにいるかもしれない。
それを知っていて、放っておくなんて友だちなんかじゃないっ!!
「あたしじゃダメなの?」
「……違う……っ!」
「あたしなんか、友だちじゃないって……そう思ってるの!?」
「……違う……」
「なら助けさせてよっ!! 歌音が助けを呼んだんだよ!? なのになんで逃げちゃうのさっ!!」
「可愛い子が傷つけられたくないからだよっ!!」
「……え」
「……分かって……私の……気持ち……助け……求めた……でも……ダメ、なの……」
「そ、そんなの歌音が決めることじゃないよ……歌音が救われたいから、あたしに――」
「……それでも……事情……変わる、こと……ある……可愛い子……私を……助けない……そうすれば……可愛い子……被害……無くなる……」
「ちが――」
歌音が、あたしの手を払いながら振り返った。彼女の目から、涙がこぼれる。
でも、その涙は何だ? なんで歌音が泣く必要がある?
その意味を探っていると、一言。
「……優しす、ぎるよ……」
「っ!」
それは……。
「あ……あたしは……」
否定できない。だって、アスタに『その優しさを否定したらダメ』って言われたから。
歌音があたしの脇を通って行った。
あたしは、振り返ることもできず、ただ茫然と立っていた。
身体中が……特に――
胸が痛かった。
=======================
セピア起床。
アスタの姿はなく、というか誰の姿もなかった。
セピアはベッドから降りると、ナルティスがいつも使っている机に座った。いま彼女はどこかへ行ったらしく、いないので使ってもいいだろう。それに証人もいない。
机の上には作りかけの魔法が広げてあった。それを見る限り、なかなか苦戦していることが窺えた。
セピアがそれらを一瞥すると、すぐにどんな魔法なのかを解析できた。
『連立式』の魔法。しかも、改良がなされていて、魔法自体が安定している。しかし、これだけじゃダメなのだ。魔法が『安定している』ということは、逆に言えば『威力が下がる』ということにつながるからである。
そもそもこの『連立式』、魔法を不安定にしてこそ効果を発揮するのである。しかし、ここで広げられているのは安定した魔法……これは『連立式』とは言えないだろう。
実際、セピアにも解決方法は分からない。そりゃ、ナルティスと比べれば、圧倒的にセピアのほうが劣るのは明らか。まだ魔法初心者でしかないのだ。だからセピアに魔法を作る権利はまだないに等しい。
しかしセピアは今、ナルティスの羽つきペンをインクに浸していた。その目を見ると、少し眠たげで、どこか虚ろである。
ペンを下ろす。
その瞬間――
――部屋中に、文字が浮かび上がった。




