第四章:4 『魔法は恐れる』
翌日は、朝日が昇る前から魔法づくりを開始した。昨日セピアを愛でまわした挙句、あたしはアスタの腕の中でいつの間にか眠っていた。その時、あたしとアスタとの間に眠っているセピアを見て『まるで親子だね!』と言ったアスタの顔面を蹴り飛ばした。確かに川の字で寝ていたが、そんな気は一切ない。
日が一番高いころにセピアが起きて、後ろから仲間になりたそうにこちらを見ていたが、そんな大層な勇者ではないあたしは見事に無視を貫き通した。羨望の眼差しに慣れていないだけとも言える。所詮、ただの引きこもりだからね。
セピアの態度を見る限り、しばらくはあたしたちの部屋に居候を決め込みそうだ。あたしは人口密度が高いところが苦手なので、嫌だなぁ、とため息を吐いた。
「……ま、嘆いても仕方ないか。にしても、なかなかうまくいかないわね……」
手元に目をやると、そこには魔法陣の描かれた巻物が五つ、広げられた状態で置いてあった。その魔法陣はどれも構造が違っている――昨日作っていた四角上のものや普段使っている円状のもの、文字を乱雑に配置したもの、規則的な暗号で作られたもの、そしてそれらを組み合わせたものの五つ――ので、効果も威力も違うはずだ。しかし、これらの魔法では【世界樹】を倒すことなんてできないだろう。
これらの魔法は、過去に【世界樹】に挑んだ魔法技術士が作ったものと同じ構造のものだ。彼らは誰一人として【世界樹】を倒すに至っていない。だからこれらの魔法では倒せないだろう。
しかも、魔法作りは面倒な作業が多い。彼らの魔法は、面倒事が大好き! と言わんばかりの面倒くささだった。
面倒な作業の多さに、手が止まる。昨日セピアにあれだけ大見え切ったくせに、と自虐してみるがそれで結果が変わるわけがないし、まだ挑んでいないのに諦めるのは昨今の若者のいけないところだ。
それはともかく。
「むむ……何でこう、うまくいかないかな……いや違う。魔法自体はうまくできているんだ。問題は威力。そのためには……ダメだぁ。あたしの知識不足……」
嘆きつつ背もたれに全体重を預けると、そのまま逆さに後ろを見た。アスタが笑いながら腰に手を当てているのが見えた。
「あはは。ナルちゃんにでもできない魔法があるんだね。でも、そうやって悩んでるナルちゃんも可愛いよ」
「ああ、そう。そんなにあたしが可愛いなら、【世界樹】を倒す魔法の作り方でも教えてくれないかしら?」
「俺が魔法なんて作れるわけないでしょ?」
「役立たず」
「精進します」
「茶番はどうでもいいよ……」
セピアの呆れ交じりの声が聞こえたので、そちらに目を向けた。立った姿勢であたしの後ろに回り込んだセピアは、あたしの肩越しに魔法陣を見ていた。
「どこがダメなんだ? ……俺には全くわかんねぇ」
「素人はそう思うの。でも、こんな魔法じゃあ【世界樹】なんて倒せないの。試してみる?」
「どうやって?」
その言葉を待ってました!
と言わんばかりの笑みを浮かべると、セピアの視線が訝しげなものに変わった。気にせず立ち上がり、机にあった巻物を全部手にとって立ち上がった。
「な……何だよ……」
「いいのいいの! さぁさぁ、魔法ショーの始まりだよ!!」
そう言い放つと、机の引き出しにしまっていた巻物をその場で開いて魔法を発動した。
――瞬間、部屋が暗闇に襲われる。
「うわっ!?」
「セピア、あたしの手を握って」
「う……ううううぅうん……」
精神的に安定しないセピアは、こうした初めての不安を誰よりも感じて狂ってしまう。だから手を握っていないといけない気がした。セピアの手がとても小さい。可愛い。
暗闇が晴れると、今やもう見慣れた景色が広がっていた。
昼でも暗い空、赤くてひび割れた何もない大地、生物の気配もない空気。
――そして、背後からのプレッシャー……
「……! ……何だよ……ここ……」
「【世界樹】の前よ。いや、後ろだね」
セピアの表情が固まった。
後ろにそびえる恐ろしさを体中で感じているのだろう。
あたしだって、そのプレッシャーに押しつぶされそうなほどだ。何度同じことをしたからって、それがなれるとは限らないのだ。
一緒についてきたアスタも、額に汗を浮かべながら笑っていた。
「……でも、何で俺をこんなとこに連れてきたんだよ。それに、この魔法、なんだ? ぼさぼさの作る魔法じゃねえな」
「お、それは分かるんだね。さすが、魔法技術士見習い候補の候補のこう――」
「いいから答えろよ!」
セピアの声が苛立ってきたので、頷いてから話を始める。
「うん。確かにこの魔法はあたしが作ったものじゃないよ。その上、誰が作ったのかさえ分かんないしね」
「? 誰が作ったか分からない魔法……?」
「そ。この魔法はガス……が……蛾の王様が持っていた魔法だからね。それを昨日、貸してもらったんだ」
ガスタウィルと話をした時、あたしはガスタウィルにこの魔法を貸すように頼んだ。彼は快く受けてくれた。その目的は、試作品の魔法を試すことだ。たとえ偽物とはいえ、この威圧感だけは本物だろうとあたしは考えた。
この魔法を作ったのが誰かは分からない。城の魔導書には、この魔法の構造で作った人はいなかった。つまり、名を遺さず死んでしまったか、魔法技術士を引退したかのどちらかだ。
しかし、この魔法の構造自体を見たことがないというわけではない。
街中に駆け廻る水のパイプライン……あれは魔法で出来たものであり、同じ魔法の構造をしていた。
それをセピアは知っているはずだ。だからこそ、あたしの言葉に首を傾げているのだろうか。
「……まあ、誰が作ったかなんてどうでもいいや。それより、何で俺をこんなとこに連れてきたんだ? さっさと教えてくれよ」
「自分で考えなさい。さ、本来の目的といこっか」
腕を真上に背筋を伸ばす。それと同時に後ろにあるものの存在を考えて、ため息をついた。後ろに振り向くには少しの覚悟が必要だからだ。
深呼吸をして、胸の高鳴りを、動悸を押さえながらに振り向く。セピアとアスタもおそるおそる後ろを振り返った。
【世界樹】は相変わらず神々しい。威圧感に押しつぶされそうになるのを、あたしは歯を食いしばってなんとか耐えた。途端に背中に冷や汗が流れた。とめどなく噴き出す汗を押さえる方法を、あたしは知らない。
手汗をローブで拭うと、巻物を一つ開いた。その瞬間に、魔法が放たれる。
「君を犯す、悪魔を殺せ!!」
巻物から飛び出るは白雷。細い糸のような電流が、巻物の前で幾重にも束ね、やがて一つの雷と化す。
――触媒は静電気。
小さな電流だが、爆発だって起こせる威力を持っているものだ。
糸のように細長く連なった雷が槍と化し、音速を超えて【世界樹】と対峙した。
「――っ!」
しかし、巻物から飛び出した稲妻が【世界樹】の幹を避けた。
「くっ……魔法すらも怯える樹、か」
本当に厄介だ。これでは【世界樹】を倒す倒さない以前の問題である。
「そういうことか……倒せない、じゃなくて、当たらないってことかぁ……あはは、厄介だね、ナルちゃん」
「いや、きっと当てた人はいるよ。一人は絶対に。ほら見て」
あたしが指さす方向には、折ったカッターナイフの刃で傷つけたかのような小さな傷があった。
うーん……でも、確か【世界樹】は誰にも傷つけられていないはずなのになぁ。
もしくは、この傷を見て『自分ならやれる!』と思った魔法技術士が多くいたか……だから噂が持ち上がって、やがて『誰にも傷つけられない、悪魔の木』ってことになったのかな。
しかしそうだとしても、何百、何千人も挑んだのに結局倒せなかったのだ。
「……まあ、あそこに当ててみれば分かるかな」
あたしは次の魔法を用意した。
一点集中で狙いを定めて二つ目、三つ目――しかし当たらない。
二つ目も三つ目も、全ての魔法が【世界樹】を避けて遠く向こうへ過ぎて行った。遠くから地の泣く声が聞こえる――ということは、威力はかなりあるはずだ。
一発、当たればいい。
しかし四つ目は発動すらしなかった。巻物から出ていくことすらも恐れたか……。
「技量不足。あたしの力不足……はぁ、考えることが増えたなぁ」
出来れば一カ月ほどで【世界樹】を倒したかったのだが、時間が延びてしまいそうだ。
色々と考えるあたしに、アスタは笑いかけた。いつものことながら本当に腹の立つ顔だ。
その隣で何やら思考に浸っているセピアの姿が目に入った。顎に手を当てて、小さな頭を左右に振っている。この子も目の前の脅威を取り除きたいのか。
「……その魔法」
「ん?」
「そのもう一つの魔法、ちょっと貸せ」
「はあ? 何言ってんの……ってちょっと!」
あたしから巻物をひったくったセピアは、【世界樹】を睨み据えた。
セピアの足ががくがくと震えているのを見て、笑いを零す。しかし、セピアは集中しているらしく、こちらの様子に気づいていない。恐怖しているのは確かだが、セピアはやっぱり根が強いらしい。
「……願いを……思いを……」
何やらぶつぶつと言っているセピア。ついに頭をやられたか……。
「大切を守るため……救うため……」
セピアの呟きが止まり、【世界樹】を見上げた。
そして手元の巻物を開き、魔法を発動させる。
――真上に。
「ちょっ! 何、魔法の無駄遣いしてんのよ!?」
「……」
セピアは何も言わずに上を見上げている。
すると、現象が起きた。
空が泣く。
雷が、降ってきた!
「なっ……」
「あはは、ナルちゃんよりも、セピアのほうが頭が良かったみたいだね」
幾重にも重なった稲妻の糸……それが空中で解けて無数の星屑と化した、か。
流星のように降り注ぐ雷は、多少【世界樹】を避けようとするものの、重力とその威力が重なって避け切れていない。
いくつかの雷の糸が、【世界樹】に当たり、鋭い音を響かせた。バキバキ、と、何かが削れる音がする。
しかし、削れたのは【世界樹】ではなかった。
地面だった。
「っ!? に、逃げろ!!」
「あんたなんてことしてくれんのよぉぉぉぉおお!!」
「あはははははっ!!」
地面が砕け、あたしたちに襲いかかってきた。その上【世界樹】に当たったもののその硬さで弾かれた雷が、空から撃ってくるおまけつきだ。
あたしは必死で逃げ回りながら、魔法を使った。
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一瞬の暗闇の後、自室に戻ったことを確認して、あたしたちは床に寝転んだ。全力疾走しながら魔法を使ったので、息切れが激しい。もう年かな。
「はぁ……はぁ……んぐ……危なかった……」
「うーん……うまくいくと思ったんだけどなぁ」
セピアがしょげている。結果はうまくいかなかったとはいえ、最後のはなんとかなりそうだった。
あんなやり方、あたしには思いつかなかった。まっすぐ当てること以外は何も。
自分の浅慮さを呪いつつ、あたしは身を起してセピアに身体を向けた。セピアは疲れを感じていないかのように、すでに立っている。アスタもその隣にいた。
「……まあ、結果はこんなもんでしょ。まだ最初だし。だからセピア」
「ん?」
「ありがと」
頭を下げる。するとセピアが急に慌てだす。やっぱり可愛い。
「それと、無理やり連れて行ってごめん。これでもあんたに成長してほしかったのよ」
「! もしかして……俺を連れて行った理由って――」
しかし、その言葉が終わる前に、あたしは立ちあがった。空はもうそろそろ夕暮れに染まる。あそこにどれくらいの間いたのか分からないが、それなりに時間が経っているに違いない。
顔でも洗おうかと、あたしは部屋を出て行った。その背中に突き刺さる視線――多分セピアのものだろう――を受けながら廊下に出ると、その向こうに白いものを見た。
猫ちゃ……いや、歌音だ。
「……可愛い子……どこ、行ってた……の……?」
「いや、ちょっとね」
言葉を濁すと、それが不服だったらしく、歌音は頬をぷぅと膨らませた。無表情でそれなので、面白い顔が完成した。あはは、と笑うと、急に顔を寄せてきた。鼻と鼻がぶつかる。
「ち……近いよ、歌音」
「……ん……」
「……んぐ」
あたしの言葉をどう受け取ったのか、歌音はあたしの唇をふさいだ。
自分の唇で。
……。
…………。
「な……にゃににゃってるをぉぉえぇえ!?」
「……可愛い子……」
慌てたあたしの顔を押さえて、歌音は声を小さくして耳元で囁いた。
「……私……を……助けて……」
「え……」
「……私……分からない……」
「……歌音?」
歌音はあたしを抱いた。歌音のほうが背が高いので、自然とあたしの顔が歌音の胸にうずまった。見た目に反して……で、でか……。
「……可愛い子……助けてくれる……私を……助けて……可愛い子……助けるから……」
「歌音……」
状況が呑みこめない。
けれど、歌音が――友だちが悩んでいるのなら、あたしは――。
助けるしかないでしょ。
「分かったよ、歌音。とりあえず、事情を話して」
「……うん……」
頷くと、あたしを解放して、一歩下がった。
その時、歌音の無表情が涙を流した。
「……誰に、求め……れば……いい?……この……助けを……」
「歌音!? どうしたのっ!?」
歌音の涙は止まらない。
彼女は何を抱えているのだろうか。そしてあたしは、歌音の変化に気づいてやれなかったのだろうか。歌音が何かを抱えた時、自分はそれに気づいてやれなかったのだろうか。
そしてあたしに――魔法技術士のあたしに何が出来る?
歌音の涙は止まらないまま、
時間は過ぎ。
「……どうしてこうなったんだろ」
「……可愛い子……こっち……」
あたしは歌音とお風呂に入ることになった。
はてさて、歌音の悩みとは一体……。
くだらないことではありませんように……。




