第四章:3 『兄と妹と猫ちゃん』
「俺にも魔法の作り方教えてくれ!!」
「はぁ……これで何度目?」
セピアは翌日もあたしに頭を下げにきた。昨日よりも鬼気迫るような感じがしてとても嫌だ。
あとからアスタに聞いた話だと、あたしがいなくなった後にメイドさんとひと悶着あったらしい。その内容はあたしの知ることじゃないとかなんとかではぐらかされたけれど……しかしメイドさんは一体何を吹き込んだのだ?
ずっと断っていても、セピアの態度は変わらなかった。だからあたしも教える気に到底なれないともいえる。
子どもには旅をさせよ、ただし金は自分で稼げ、ということだ。
ようは人に頼るな。
「自分で調べるとかしないの、あんた」
「何言ってんだよ。魔法技術士って本の知識だけじゃなれないんだろ?」
「……そーっだったかなー、おぼえてないやー(棒)」
「要はめんどいだけだろ!?」
ち、ちちち違うよぉ……い……いい嫌だなぁ。
「……ところで歌音どこ行ったの?」
「それ教えたら魔法の作り方、教えてくれるのか!?」
「必死だね。でも教えないよ」
それを言うと、セピアの頬が膨れた。やっぱり子どもは可愛い。あと単純だ。
きっと、セピアにはあたしの気持ち、分からないんだろうな。そう思うと少し胸が痛んだ。
けれど、それを悔やみ続けていても仕方ない。これからあたしがすることは決まっているのだから、それの準備をしないといけない。せっかくこの国の王様(笑)に手伝わせることができるのだ。この機会、使わずしていつ使うというのだ。
ガスタウィルも決して暇ではない。学校でも『あれ? 校長見ないなぁ……あいつ仕事してんの?』状態がある。しかし、確実に校長は働いているのだ。このことから、権力者はみんなの知らないところで働いているといえる。だから世のなかもっと親に感謝するべきなんだ。あたしはしないけど。
セピアだって感謝しない。だって、『親も一番近くの他人』なのだ。血がつながっている? 何を言っている、同じ血が通っていたら同じ人間が出来てしまうではないか。似ているだけでそれを決めつけないでいただきたい。ちなみにあたしは親の顔を知らない。故に家族というものを知らない。
セピアにとって家族はヒナだ。
一番近くの他人で、だから自分のことを一番知っている彼女を救いたいと願っている。しかし願って考えた、その答えが魔法技術士なんかじゃダメなんだ。
この仕事は、誰かを犠牲にする。
あたしは多くの人間を犠牲にして魔法を作ってきた。しかも、あたしはその犠牲になった人の顔も名前も知らない。
無論、セピアも同じになるとは限らない。けれど、何かを犠牲にすることは変わらないのだと思う。
あたしはため息をついて、セピアに身体を向けた。
セピアはあたしを睨むように視線を向けている。
妹を助けたい兄の視線――まるであたしを殺そうとでも言っているかのようだった。
……本当に、必死なんだ。妹を……ヒナを助けたくて、助けたくてたまらないんだ。いや、ヒナは安定しているからそうじゃない。セピアが助けたいと思っているのは、違うものだ。
自分と同じ思いをする人間を減らしたい。
ヒナの大切だったものを守りたい。
どうせ、この子が考えるといえばそんなものだろう。
セピア……あんたは十分に良い兄だよ。
だから、気負うな。
あたしは身を翻して、ヒナの病室から去っていった。すると、後ろにセピアもついてきた。会話はない。
無言のまま、寒気のする薄暗い廊下を歩いていく。廊下は閑散としていて誰もいない。蝋燭に集まる蛾が燃えて落ちる。
廊下は赤い。まっすぐ進むと次第に見えてくるは自室。
誰もいないはずの――アスタはヒナの病室に今もいるはずだ――自室を開けると、すぐに机に座った。セピアはその後ろに立っている。
それを気にせず、あたしは机の引き出しから巻物を一つ取りだした。真っ白の巻物を半分だけのぞかせ、そこにインクを垂らしてみる。……うん。問題ない。
インクを付けた羽つきペンを右手に持ち、巻物を全て開いた。巻物は長いので、机の上から落ちて床を転がっていった。セピアはそれを目で追った。
あたしは嘆息してから集中する。
頭に描いた構造を、魔法陣を思い浮かべ、願いを込める。
願いは形になり、頭に描いた魔法陣に吸い込まれた。水色の光の粒が魔法陣の中心に吸い込まれるような映像を思い浮かべると、ゆっくりとペンを下ろした。ペンの走りが軽い。
後ろのことなど気にせず、それどころか部屋のことすら気にせず、ただただペンを走らせた。
――約一時間経って、
「ふあぁぁぁぁ………」
「……眠いのか?」
「いや……ちょっと疲れただけ」
巻物は半分ほど埋まった。気の遠くなるような作業を続け、肩と首が限界に挑戦する寸前だ。やめてくれ。肩と首が壊れちゃうよ。
眉間を押さえ、頬を張ると、あたしはもう一度羽つきペンを持った。
巻物に描かれた魔法陣を見ると、なんだか目が回ってくる。算数嫌いが数字を見たときの反応と似ている。くっ、これが数字の魔力か!? 違うけど。
今回の魔法陣は、いつものような円形ではない。
巻物の四角を利用して、縦に幾何学の文字を入れていく形式の魔法……しかし、このやり方ではうまく魔力が安定せず、魔法の発動が失敗する確率が高くなってしまう。それを如何に失敗しないようにできるか……あたしの腕が試されるところだ。
ふっ、と笑うと、ペンを持つ手に力を込めた。
「………何笑ってんだよ、気味悪ぃぞ」
「うるさい。あんたも魔法作れば分かるようになるわよ。あれ? 魔法作れないんだっけ? あらぁ、ごめんなさいね、ボク」
「ああ、どっかのどチビが教えてくれないもんでね。しかも妖怪髪……」
「髪は関係ないよ!? そして誰がどチビよっ!!」
「……怒ってもペンは止めないんだな」
セピアが感心したように頷いた。ふふふ、当然よ。あたしを誰だと思っているのだか。やれやれだぜぇ。
「ペンを止めたら魔法技術士失格よ。なぜなら仕事が迫ってくるから」
「最後のなかったらよかったのにな」
「でも、本当のことよ」
「……」
ペンを動かしながら言う。
「ペンを動かさなきゃ、魔法なんて作れないし、それに、自分の作ってる魔法を待っている人がいるなら早く作るべきよ。だからあたしは作る……とはいっても、あたしももう誰かを傷つける魔法なんて作んないけどね」
「……なあ、ぼさぼさ」
「何?」
「……俺も魔法作れるようになるか?」
「知らないわよ、そんなの」
肩を落としたセピアの姿が浮かんだ。背中越しなので、その姿は見えないけれど。
魔法を作ることはそんなに難しいことではないと、あたしは思う。けれど年老いてやっと魔法を作られるようになるものもいる。
人によって願いも、思いも、それらの強さも違う――それが魔法を作られるかどうか、左右されるのだろう。
セピアならそれらをクリアしている。だから大丈夫だと思う。
魔法を作るだけなら、セピアにだってできる。
ただし、それが彼の人生にどう干渉するのか。さすがにそこまで保証できない。
きっと彼は、魔法を作られるようになったとしても、そのことを後悔しないだろう。
だったら教えてやってもいいじゃないか?
何言ってんだ、ダメに決まってるじゃない。
頭の中が思考でいっぱいに犯される。集中できず、ついペンを机に置いてしまう。
部屋を見渡しても、いまはセピア以外に誰もいない。アスタが帰ってきていたら紅茶でも用意させようと思ったのだが、まだヒナの病室にいるのだろうか。
あたしは背筋を伸ばすと、立ち上がり、ベッドに腰かけた。立ったままのセピアを手でこまねき、隣に座らせる。
セピアの身長はあたしの肩程度にしかなかった。
本当に小さい。
あたしはセピアの頭をぽんと撫でる。長年洗っていない髪が指に絡まって解けなくなる。あとでアスタと一緒にお風呂に入らせるか。
「……やめろよ。俺は男だぞ」
セピアは嫌がったが、それを無理やり押し込めるように肩を抱いて引き寄せた。
「照れなくていいの!」
「照れてねえし! とにかく放せよ!」
「あはは、可愛い可愛い」
「可愛い言うなぁぁぁぁああ!!」
セピアの慟哭が部屋に響いた。
うん。
無視!
「ぎゅうぅぅぅぅ……」
「ぎゃあぁぁぁぁ!!」
とにかく、セピアを抱きまくって落ち着きを取り戻そうとしたのだった。
結果は成功でした。
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薄暗い廊下。
まっすぐに進む。
曲がり道を右に。
次を左に。
ぐにゃぐにゃと、覚え始めのときは迷った道を進むと、その先に彼女たちの部屋があった。
その部屋の扉に猫の耳を近づけると、その中から聞こえる音を聞いた。
『っもう! いい加減にしろよなっ!」
『あはは~、そんなに照れちゃってぇ」
『くっつくなよ!』
そこにいつもの同居人の姿が見えず、首を傾げた。でも、そこにいる2人が、まるで姉弟のように見えて、つい笑ってしまった――そこへ誰かが近づく音。しかし、その足音だけで誰が近づいてきたのか分かる。
「俺たちの部屋の前でなにしてるの? 歌音」
「……変な……人……」
廊下の暗闇から現れた少年……アスタを前にして、歌音は少し身構えた。どうやら彼女は彼のことが苦手のようだ。
何を考えているのか全く読めない奇人……アスタに対する歌音の認識はそんなものだった。
歌音は兵隊だ。しかも、王の近くを守る近衛兵……普段なら王であるガスタウィルの近くにいなければいけないのだが、ガスタウィルが王室にいる間は王室の外にいないといけない。あの王室には、どうやら見てはいけないような重要機密があるらしい。といっても、歌音がそれを言いふらすようなことはしないだろうが。それともガスタウィルが慎重なだけなのか……いずれにしても、歌音にそれを知る権利はない。
アスタはいつものようにニヤニヤと笑っている。気味が悪いと思うのは、彼のことが生理的に受け付けないからだろう。
「あはは、変な人だなんて、やだなぁ……」
「……事実……だから……」
「酷いなぁ。ていっても、ナルちゃんにも言われてるけどね。で、そのナルちゃんは今、セピアと戯れてるってところかぁ……」
そう言った彼の顔……歌音は見ないことにして、顔をそらした。そのままアスタの隣を通り過ぎようと歩きだす。しかしその肩を掴まれてしまい、歩みを止められてしまった。
アスタのほうを見る。笑顔になったアスタは、どうにも気味が悪くてたまらない。
「……手……放して、ください……」
「あはは、冷たいなぁ。ちょっと話でもしようって思っただけだよ」
嫌だなぁ。
歌音はそう思いつつ、しかし表情には出さない。表情を変えられないのは、おそらく歌音自身の精神疾患の一部なのだろう。
「……嫌、です……放してください……」
「こっちこそ嫌だよ。この手は放さない」
ぐっと、力強く握られる。しかしその程度では歌音には効かない。
「……力づくで……やりま、しょうか……?」
「えぇー……痛いのは嫌だよ」
「……じゃあ……放し、て……ください……本気で……怒り……ますよ……?」
「ナルちゃんに何するつもり?」
「……?」
アスタの突然の言葉に、歌音は小首を傾けた。
何を言っているのだ、この男は……。
それとも、彼は何を知っているんだ。今……こうして肩を握る前には、どこで何をしていた?
最後に見たのはヒナの病室だった。しかし、本当にずっとこいつは同じところにいたのか? ヒナの病室にいたのを、誰かずっと見ていたやつはいるのか……?
疑問が不安に変わり、心が疼いて痒い。
なんだろう……このもどかしさ。
しかし、その答えは見つからなかった。
アスタはもう用が終わったかのように、肩から手を放して笑みを浮かべた。……妖しい笑みに、背筋が粟立つのを感じた。
「……いや、知らないんだったらいいんだよ。ごめんね、引きとめちゃって」
「……」
「あはは、そう睨まないで。それより、ナルちゃんに用事があったんじゃないの?」
「……ない……」
そうとだけ答えると、歌音はアスタに背を向けて歩き始めた。
背中から声がかかるのを無視して、ただ足を動かした。
進まないと。
逃げないと。
立ち向かわないと。
歌音の思いは渦巻く。
歌音の焦燥は誰にも気付かれないままに、いたずらに時間は過ぎていく。
「……私は……私は……」
私は……。
―――どうしてしまったのだろうか。
歌音は考える。
しかし答えは出てこなかった。
自分が何に悩んで。
自分が何と戦って。
自分が何を知って。
自分の存在価値が分からず。
その日の終わりに、フクロウは鳴く。




