第三章:13 『あの時の魔法依頼』
埃が舞って、鼻がむずむずする。埃が多すぎて視界が悪くなるだとか、どこかの大都市で起こった光化学スモッグと云われる現象ほどでないにしろ、その埃の多さ、濃度は、人体に悪影響を与えるだろうことは想像に難くない。
だからくしゃみが出てしまうのは自然の摂理だともいえるだろう。
「はっくしゅ!」
むしろ生理的欲求に近いかもしれない。
さすがに年代物の書庫なだけあって、埃とカビ臭さは、鼻が無くなってしまえばいいのにと思ってしまうほどに酷いものだった。埃の多さ(だけ)は世界一ィィィィ!! そんなわけないか。少なくともウジ虫程度だろう。もちろんそんなわけない。
図書館は規模が広いので、本の近くでない限りは酷い臭いは臭わない。つまり、広さによって臭いが拡散してしまっているのだ。しかし、その規模が狭くなると、その臭いが部屋に充満しさらに換気が悪くなると、とてもじゃないが人間が長く居られるようなところじゃなくなる。
あたしたちがいる王城の地下……『古書庫』は、そんなに広くない。いや、部屋自体は広いのだけれど、そのほとんどを魔導書が占領しているのだ。だから、あまり長居することはおすすめされない。
「むぃぃ……鼻は詰まるし鼻水は止まらないしくしゃみはとまらなーい!」
「あはは、ナルちゃんのくしゃみ可愛いからいいじゃん!!」
「どこがいいのさっ!」
ホントにこいつは……あたしが苦しんでいるのを見て楽しんでいるんだ!
しかし、こいつが嘘を吐かないことを知っている。吐いたとしても分かんないし、それにこいつがあたしを遊んで楽しんでいることだってあたしは知っているんだから! うん、自慢にならないねっ!!
あたしはため息を吐いて手に持っていた魔導書のページを繰った。
あたしたちがここへ案内されてからすでに一時間は経とうとしている。その一時間、この国を知る手掛かりを探していたのだが、いまだに見つからないまま。うーん、もどかしい。
けれど嘆いていても仕方ないし、それに焦っていてもしょうがない。焦って、その結果見落としがあったとなればこの国のことを知るのが遅れてしまう。それだけは避けなければいけなかった。
「あの王様がなにを隠しているのか知んないけど、それが原因で不幸になってしまう人がいることは看過できないからね。早く見つけて、みんな救わないと」
だからページを繰る。繰る。
それでも残念ながら手がかりは見つからない。いや、まだ書庫の三分の一も見ていないからどうにも言えないけれど。それにここに必ずしも手がかりがあるとは限らない。手がかりがあるというのは、あくまで希望的観測なのだ。
それでも探す。
みんなを救う可能性を探し続ける。
「早く見つけないと、ね」
「ナルちゃん、そんな気張らなくても、今日中に探せばいいってもんでもないでしょ?」
「それでも早めに探さなきゃいけないよ。大丈夫。あたしは焦りはしてないから」
「あはは、焦りってものは自覚しないんだけどね。でもうん。ナルちゃんなら出来るよ。この国のことを知られるのはナルちゃんだけだ。この国の人々を救えるのはナルちゃんだけだ」
「ふっふふ、当たり前よ! あたしを何だと思ってるの!」
「紅茶偏執系ヒロイン」
「新しいヒロイン属性作るなっ!!」
新ヒロイン体勢、此処にあり!! (テロップどーん!)。
あたしは分厚い魔導書を本棚に戻し、次の魔導書に手をかけた。その魔導書を半分出したところで、何かが魔導書と魔導書の間から落ちた。
頭に疑問符を浮かべつつ、それを拾うと、それを眺めてみる。それは白い封筒のようなものだった。しかし、その表紙に宛先がない。それどころか、何も書かれていなかった。かといって新品なのかと言うと、その封筒はくすんでいたのでそうではないことが分かった。封筒のふたを閉じていたであろうテープも、年代の風化を感じさせて粘着力が下がっていた。ぼろぼろの封筒は、しかし穴こそ空いていないので、それが不思議だった。おそらく、書かれてから今日にいたるまで、ここで保管されたまま忘れられてたのだろう。
それにしても、魔導書と魔導書の間にこんなものを挟むとは、なかなか粋なものである、と開き直ろうとしたが、無理だった。第一、こんなところに手紙を挟んでいても、そのことはすぐに忘れてしまうだろう。だからここにこんなものが挟まっていたことにも理由があるはず――なのだが、めんどいからそこまで気にすることもないだろう。ダイジョーブ、ダイジョーブ。こんな時にこそ、責任転嫁。無添加だよ! 関係ないけど。
「――責任は全て、誰かが取ってくれるからね❤」
「ナルちゃん……黒い」
あっはは、おっかしいこと言うなぁ☆
当然のことを言ったまでじゃないか!
……はい。こんなことを理解されようだなんて思っておりません。
それよりも、今は考えることがあるじゃないか。
あたしは手元にある白い手紙の外側を眺め始めた。長方形の薄い紙……この厚さからすると、中身は紙一枚だろう。しかし、外側は透き通っていないので中身の事情までは分からない。
訝しげな視線でくまなく観察された手紙は羞恥にその身を赤く染めるわけもなく、ただただ起こりうる監視の目に身を任せていた。もちろん恐怖で震えてもいないので、相当の我慢強さと言えようか。うぬぅ、こんなものにも話しかけるほどに根暗になったか、あたしは。
いつまでも外側ばかりを見ているわけにはいかないので、テープを剥がして中身を確認する。中には、やはり一枚の便箋が三つ折りにされて所狭しと入っていた。
「……なんだろ?」
「まあ、汚さないように読めばいいんじゃない? どうせ今はメイドさんもいないことだし……」
それもそうだ、とあたしは頷いた。
メイドさんは、あたしたちにこの部屋を明け渡した後、どこかに消え失せてしまった。別れ際、彼女が言っていた台詞を反芻してみる。
「『閲覧禁止はみないように』……メイドさんはそう言ったけれど、この手紙には何も書いてないから、やっぱり見てもいいのかな?」
「あはは。今更礼儀も何もないと思うけど?」
「ま、いろんな人に迷惑ばっかだからね。今更って言ったら今更だし……ん? それじゃあ閲覧禁止も見ていいってことにならない?」
「あはは、ナルちゃん、あんなの律義に守ってたの? 俺は最初から守ってないけどね」
そう言いながらアスタは自分が読んでいた魔導書を掲げて見せた。確かに、全部『閲覧禁止』だった。とんだ裏切り者がいたものである。いいぞ、もっとやれ。
この国の不利益なんて知ったこっちゃないので、あたしは便箋を広げて読み始めた。しかし、中には何も書かれていなかった。白紙も白紙。ここに何かを書いてくださいと、言っているようなものだ。
「……何も書かれてないね」
「うん。こんな手紙、斬新過ぎて返信の手紙がたくさん来るだろうね。『こんなものいらない!』『意味分かんない!』『金返せ!』ってね」
「クレーマーか!!」
ていうかこんなものに金を払ったのか。そりゃ返金ものである。むしろ自業自得。だから返金しない(悪徳業者)。
「クレーマーはつけられて当然だとして、しかしこれをどう考えればいいんだろ?」
「さすがに文章なしじゃ、作者の気持ちもなにも分かったもんじゃないしね。芸術家なら分かるのかな? こういうやつは……抽象画? ってやつかな」
「それでも白紙で出されたら誰だってびっくりするでしょ?」
たとえそれが芸術的なものであっても、さすがに白紙というのはいただけないな。そんなの、誰でも芸術家になってしまえる。
みんな芸術家、ただしみんな同じ作品……みたいなことになってしまう。わー、なんてつまんない光景なんだろ。
それにしても手紙か……。
今となっては懐かしいものだ。【鳥籠】にいたころは毎日のように手紙がやってきてそのたびにうんざりしたというのに、今となっては物思いに耽るほどのことになっている。
手紙。
白紙の手紙。
差出人不明の――手紙。
「……あれ?」
前にもこんなことが……こんな手紙を見たことがあるような気がする……。
「……ねえ、アスタ。こんな白紙の――差出人不明の手紙、前にも見たことない?」
聞くと、アスタは使く似合ったぼろぼろのイスに座りながら思案顔になった。やがて、思い出せなかったのか「うーん……ダメ。思い出せない」と言って肩をすくませた。
そんなアスタに一言。
「役立たず」
「あはは、ごめん」
アスタなら覚えているだろう思ったのだが、どうやら見当違いだったらしい。アスタは邪魔ものから役立たずに進化した。むしろ退化した。そうして世界は退化していく。なにこの壮大な計画。きっと失敗する。
まあ、そんなつまらないことはさておき、手紙について考える。
手紙……手紙ねぇ……。
きっと、そんなデジャヴがあったのは【鳥籠】時代だ。あのころにしか手紙は見ていないし、あそこから出た後は手紙のことなんてすっかり忘れてしまっていた。何なら自分の服のポケットに間違ってはいってそうなレベル。
「…………っあ!!」
思い出した!
まあ、あの時には中身が見られなかっただけで、中に何か入っていたことは確実なのだが、そのまま忘れて今日まで来ていた。
そして、その手紙は、たしか【鳥籠】から出るときにバッグの中に入れた。しかし、この国に来る途中で、そのバッグごと無くしてしまっている。だからこれ以上の詮索は不可能……。
「くそっ……うかつだった」
奥歯を強くかむ。
それもそうだ。あの手紙さえあれば、きっと手がかりはつかめたはずなのに、そのチャンスをみすみす逃してしまった。あたしの落ち度とはいえ、さすがに悔しすぎる。
頭の片隅へ残った微かな記憶……それを思い出してみる。
中身は見ていなかったから、思いだせるのは封筒のほうだけだ。
真っ白な封筒。
簡易的に書かれた名前に住所。
――ち、のついた依頼書。
「……」
簡易的に書かれた住所にはなんて書いてあったのだったっけ? そして名前も。
依頼書と言うよりは、むしろ脅迫に近いものを感じて、結局は作らず仕舞いだった。あの魔法がこの世界にとって大事なものだったらどうしようと、今更ながらに思う。でもそれも後の祭り。あの時作らなかったことで、いま行き詰ってしまったことには変わりないが、危険を冒してまであの封筒を開ける勇気はなかった。
むう。
あたしの、バか。
「はぁ、まあ過ぎたことだし、仕方ないかぁ」
思い出せないものは思い出せないし、でもこれで少しは進んだのだと思う。この国のことを全て知るにはまだ足りない部分が多すぎるので、まだまだ調査は必要だ。それは確実。
「せっかくこコニ来られたのだし、コこにある魔導書全部読ミ終わるまでなントかなんとか、だね」
「うん。二人じゃ厳しいかもしれないけど、全部調べよ」
「うん。あリガと」
やっぱり頼れるのはアスタだけだ。
信用できるのも、アスタだけだ。
アスタと一緒なら、この国のことを深くまで調べられる。あの時、作らなかった魔法が一体誰からだったのか、そして、なぜ血が付いていたのか。
疑問ハそれだけではない。
もう一つ、重要なことがある。
「何で、あたしノばッグは無くなってしまったのか……」
たしか、あたしが【鳥籠】から出ようとした時、あたしはバッグをかけていた。【鳥籠】が倒れるときにバッグが破損した……それならあたしはもっとひどい怪我をしていたはずだ。だから違う。
じゃあ、なぜ無くなってしまったか。
それを解くカギは、『あたしたちがこの国に救われた』という事実だ。
もしかすると、バッグはあたしたちが救われるときに故意に隠したのかもしれない。もしそうだとすれば、あのバッグに何かあった証拠だ。ソウ――。
「例えば、チのツいた依頼書、とかね」
なんてね。
「もし、あれがこの国に関係するものだとしてモ、そレを隠さないトイけない理由が分かんナいし。それに、あれをあたしが持っていたなんて、誰が知っているンダか」
「俺、ぐらいかな? あはは」
「絶対にありエないよ。アスタは裏切らない、でしょ?」
その言葉に、アスタは頷いた。あたしたちは笑いあった。
アスタはあたしを家族と言ってくれた。だから信じられる。アスタが家族と言うのなら、あたしはアスタのことを『仲間』とでも称しておこう。いつか、それが昇格して『家族』って堂々と言えるようになったらいいな。
ふふっと微笑む。
さて。仕事は山積みだ。
そう思うと、肩の荷が一気に重くなる。ニート野郎がいつこんなに仕事をしようと思ったのか。もちろん、会心したわけではない。あたしを動かすものは使命感にも似た、願い一つだ。
「あたシはみんなを救うために頑張ろう。みんなを救うために、【世界樹】を倒そう」
「あはは。【鳥籠】のときにはそんなこと思ってなかったくせに、何がナルちゃんを変えたんだろうね」
「さあ、知んないけど、きっと、あたしは独りじゃないって気付いたからじゃないかな?」
アスタは「あぁ、そっか」と呟くように言って、適当なところから魔導書を引っ張り出した。あたしもそれにつられるようにして魔導書を開いた。
世界を救オう。
みンなを救おう。
さテ、未来はどうなルのデしょうか。
未来が分カラないからこソ。
――こんな凡みスをヤらカした。
≪次の日≫
――ヒナがしにました❤
ぜんブあたしのセイだ




