第一章:3 『夜食の世界を救うバカ話』
「……ナルちゃんにお願い……というよりも依頼? ……があるんだ」
「え……?」
それは、アスタの作った料理を食べ終えた後だった。いつもへらへらと笑っているようなアスタが、今は真剣な眼差しであたしを見ていた。アスタからのお願いは初めてだった。そそして、『お願い』ではなく『依頼』と言った手前、それが意味しているのは、
「魔法の依頼?」
「うん」
アスタが頷く。
あたしが【鳥籠】に閉じ込められて七年間、アスタは一度も魔法の依頼をしなかった。アスタは毎日、【鳥籠】へ来ていたというのに。雨が降ろうが雪が降ろうが隕石が降ろうが……アスタは毎日、ほとんど同じ時間に来ていた。それに、アスタが病気になったのを見たことがない。
そんなアスタが、魔法の依頼をしてきている。
珍しい、なんてものじゃない。アスタがどんなことを言うのか、期待すると同時に不安にもなった。アスタはあたしと違って、【鳥籠】から出る方法を知っている。だから、アスタはあたしを置いて逃げることだってできるのだ。
もし、アスタがあたしに嫌気を差して逃げようとしているのなら……でも、あたしに拒否権なんてない。アスタの人生を、あたしなんかが遮っちゃいけないんだ。あたしはそのまま籠の鳥で、死ぬまで出られないのだから。
「ナルちゃん……」
ゴクリと唾を飲み込む。
「これはナルちゃんにしか頼めないことなんだけど……」
覚悟を決めるように、拳を握る。
「……うん。言って」
「じゃあ、お願い……」
そんな妙に緊張する中、アスタは言った。
「……世界を、救って「バカじゃない?」」
即座に返事をし、巻物を投げつけた。
世界を救う……【鳥籠】に囚われていて、外の世界のことを全く知らないあたしに世界を救え? そんなバカな話があるか。
思い出してみても、あたしが【鳥籠】に閉じ込められる以前に、何かあった記憶もない。それ以前に、あたしは【鳥籠】に閉じ込められた七歳よりも前の記憶が、一切ないんだ。記憶喪失、とは違うのだと思う。しかし、記憶はぽっかりと穴が空いてしまっているのだ。
この【鳥籠】から外を見ても、あるのは二つの月と銀杏の森……なにか異変があったようには感じられない。
「むぅ……」
「あはは。眉間にしわを寄せるナルちゃんも可愛いなぁ」
「もう! こっちは真剣に考えてるっていうのに!」
怒鳴るも、アスタはあはは、と笑うだけ。
考えても無駄な気がしてきた。ため息を吐き、降参と言うように両手を上げた。
「……頼むなら、あたしにも分かるようにちゃんと話して」
「それはナルちゃんがバカだから?」
「バカ言うなボケェェェェェ!!」
こいつは、あたしで遊んでいるんだ! あたしが怒る姿を見て笑っているんだ!
いきなり身に覚えもない、世界危機を知らせて、世界を救ってくれ? 馬鹿話にもほどがある。しかも、あたしにしかできないときた。これは罠だ。あたしを騙して、世界中のみんなで笑うつもりなんだ。
むぅ、と頬を膨らませる。
そして、
「本当に、ふざけてないんでしょうねぇ……」
「ふざけて『世界救ってー』なんか言う奴は、本当のバカだよ」
「アスタはバカじゃない……ていうこと?」
「あは。ひどいなぁ。俺は変態であってバカじゃないよ」
変態は認めるんだ、と、思ったが、ツッコむと長くなるのでスルー。
「……じゃあ、何? 世界が、そんなに窮地に追い込まれているとでも言うの?」
「お、やる気満々だねぇ。お兄さんとしてはとてもうれし……」
「話の腰をおらない! あとお兄さんじゃない……」
あはは、とアスタが笑う。
「じゃあ、もう一度言うよ。ナルちゃん、世界を救って……この世界にある災厄……」
一呼吸置き、
「【世界樹】を倒して」
「うん。無理」
【世界樹】
それは1500年前に突如生えた巨木。その巨木は、草木を枯らし、太陽を遮り、大地を荒廃させる……まさに災厄の木。やがて村や街を呑み込み、いくつかの国も飲み込まれたのだという。
【世界樹】はその地の大量の養分を吸収し、その枝葉が日光を遮るので、【世界樹】の近くには作物は一切ない。
人どころか生物さえも住まないので、大地は荒廃するばかり……。
そういった被害を与える木。
もちろん、これまで人間は手をこまねいていたばかりではない。
【世界樹】を倒すために、世界中の兵隊や魔法技術士たちが集まったらしい。しかし、結果は惨敗。
【世界樹】を倒すどころか、傷一つ入らなかったらしい。
そして、1500年経った今に至る……。
「……ただの御伽噺だと思ってた。だって、1500年経っているのに、世界中の誰もが倒せない木なんて……絶対におかしいよ」
でも……あたしも何で覚えていなかったんだ? 自分の世界の危機だというのに……【鳥籠】に囚われる以前の【世界樹】について、全く覚えていない。
これらのことは、『クワル・エルディー』という、世界的魔法技術士が書いた魔導書に書いてあったことだ。あたしはその中の【世界樹】しか知らない。
彼も【世界樹】に挑み、そして敗北した人だった。
そして彼は書物の中でこう言ったのだ。
『【世界樹】を相手にするだけ無駄。世界が滅亡するならば、その時を待つしかない。人間、諦めが大事だかr――』
彼は品行方正、勤勉で真面目だった人物だ。そんな人が、『諦めろ』『世界滅亡を待った方がいい』と、安易に言うだろうか。
彼以外の魔法技術士たちの魔導書でも、同じようなことが書かれていた。【世界樹】は絶対に倒せない。世界は滅びる運命にあって、それを大人しく受け入れるのが賢明だと。
なかには、【世界樹】を見ただけで、恐怖に足がすくみ、頭がおかしくなった人もいるらしい。
誰もが諦める【世界樹】。
そんなものを、あたしが挑んでも仕方ないだろう。
「……【世界樹】なんて、倒せる訳ないじゃん」
「それはナルちゃんの意思? それとも魔法技術士としての意思?」
「それは……」
決して、あたしの意思というわけじゃない。本で読み、ほかの魔法技術士が無理なら、あたしだって無理だろう、と、諦めているのだ。でも、それが当然だと思う。第一、1500年もの間生きていた【世界樹】を、どうしてあたしが倒せると思ったのだろうか。
「あはは。確かに魔法技術士たちは無理だったよ。みんな、【世界樹】を倒せず、狂っていく……でも、俺の話を聞いて」
「どちらにせよ、あたしはそんなことしたくない。……あんなのを倒そうとするやつは、バカしかいないよ」
「あはは。じゃあ、俺はバカなのかぁ……ま、別にそう呼ばれても気にしないけどね」
アスタは、あくまで本気のようだった。過去、誰一人倒せなかった【世界樹】に挑もうとする……バカだ。
世界的に有名な魔法技術士が諦めたものを、【鳥籠】の中でしか生きていけないあたしが、どうして挑めるというのか。
その昔、【世界樹】に挑んだ者は『勇者』と称えられただろう。でも、今はそうじゃない。【世界樹】に挑むものはバカにされるのだ。
『無謀』に挑んだ、狂乱者と、そう呼ばれて一生を過ごす。
誰がそんな絶望の世界に希望を持って、その未来へ進むというのだ。
世界は理不尽だ。
世界を救おうとした狂乱者たちは、功績を残すことが出来ず罵倒され、そんなリスクを恐れた軟弱者は狂乱者をバカにして世界平和を諦める……。
ましてや、【世界樹】は最強災厄最悪の木……もう、近づくものさえもいないだろう。
ならば……
軟弱者の言うとおり、世界なんて滅べばいいのだ。
どれだけ泣きわめいたって、『これがおまえらの望んだ答えだろ?』と笑うことができる。世界の脅威に挑んだものを嘲笑い、自分たちは一切干渉しようとしなかったのだ。誰かのせいにして、自分だけは生きようとするのだ。そんなやつらを、誰が救いたいと思う?
だから【世界樹】は倒さない……そう、口に出そうとして、
「あぁ、やっぱりつまらない世界だ」
「え……」
アスタの小さく呻くように呟いた。その台詞に耳を疑う。アスタがそんなことを言うのは初めてだった。しかし、結局は相変わらずの笑顔になり、
「確かに、【世界樹】は倒せないと思う……軟弱者は自分からは絶対に動かないし、狂乱者は現れないし……そんな世界、救う価値もないかもしれない」
「かも、じゃなくて、本当に世界なんて救う価値もないよ……欲にまみれた大人共が作った、本当につまらない世界だよ……全ては大人基準。あんなやつら救う価値もない。あんなやつら、世界危機に怯えて暮らしている方が似合ってるよ」
あたしの言葉に、アスタは笑い、
「あはは。確かに、この世界は救う価値もないクズだ。大人共は我が物顔して、まるで世界が自分たちだけのものだ、とかアホなこと思ってる……でも、俺が救いたいのは、そんな汚れじゃない」
「え?」
「俺はあんなバカで低劣な虫共を救いたいんじゃない。今の腐ったれた世界だって、大人共が無能だったせいでこうなったんだ。だから、大人共を救おうだなんて全く思ってない」
へらへらと、アスタは笑う。よくもまあ、笑いながらそんな話ができるなと思うが、同感してしまうところ、あたしも狂っているのかもしれない。
「……あたしだって、あんなやつら救いたくない。【世界樹】を倒したら、結果的に大人共を救うことになっちゃう……だから」
が、続く言葉を遮り、
「そう。だから【世界樹】を倒したら、笑いながら『てめぇらクズのために【世界樹】倒したんじゃねぇよ』って言ってやるんだ。そしたら、どれだけ面白いだろうねぇ」
「……アスタは結局、何が言いたいの?」
すると、アスタは外を見た。
空に浮かぶ二つの月を見て、
「俺が救いたいのは……いつか世界の滅亡を見ることになる『子どもたち』」
その答えに、あたしは息が詰まりそうになった。
子どもたち……
何を言っているのだろうと、あたしは笑った。
「あはは。これからの世界を見る、か……でも、バカな大人共の影響を受けて世界を作るのも子どもたちだと思うのだけれど……」
それに世界は救う必要はない。なぜなら……、
「未来に世界がなかったら、全て大人共のせいだしね」
争いを起こすも大人。
いざこざを起こすも大人。
世界を破滅させるも大人。
大人。
大人。
全て大人……。
本当に子どもが大切なら違うだろう?
大切なものなら、あたしなら失いたくない。
でも、世界は争う。
大切なものを失う世界の完成だ。
矛盾しているのに、それが正しいと言う。
世界破滅は仕方ないと考えて、諦める……。
「大人ってバカでしかないよね……大切なものを大切って言えるのに、それを失うような世界を作っていく。世界は争いで満ちるし、関係ないとほざけばあとは知らんぷり。所詮、子どもが大事なんかじゃない。自分たちが大切で大切で仕方ないだけだ」
「大切なくせに、いつも面倒ごとは傍観者。本当は失ってもいいとか思ってるのかな?」
「あはは。確かにそんな見方もあるね。子どもが何を言っても蟷螂の鎌。大人には響かない。でも、いつまでも子どもは弱くない」
「……」
いつのことだろうか、子どもが弱者として見られ始めたのは。
いや、ずっとか。
「……子どもは弱いわ。ずっと、大人に全てを握られている。大人が作る、腐った世界で生きるしかない。だから」
「子どもは弱くない」
「……!」
アスタの低い声にピクリと肩を震わせた。笑顔のままなのだが、どこか少し悲しそうで……怒っている?
そして再度、
「子どもは弱くない。……今は、だけどね」
「今、は?」
アスタの物言いに首を傾げ、問うた。そしてアスタは頷いた。
「そ。大人共のくだらない妄言で、子どもたちは弱くなるんだ。未来を紡ぐのは子どもたちなのに……それを大人が邪魔をするんだ。大人共の言葉一つで、子どもたちは強くもなるし、弱くもなる……ねえ、ナルちゃん」
アスタがあたしの瞳を見据えた。
アスタの金の目はいつも笑っていて、どうもふざけていたが、今は違う。
その瞳に、熱があるように感じた。
今のアスタは本気だ。
本気で子どもを救うだとか……だから【世界樹】を倒してくれだとか……そう言っている。
アスタは、あたしの頬を撫でながら、言った。
「もし、大人どもが救えなかった世界を、俺たちが救えたら……すごく、面白いと思わない?」
「――ッ!!」
ニヤリと、アスタが笑った。
一瞬、あたしは呆然として、そして――
「あっはははははははは!」
腹を抱えて笑った。
「えー、そんなに笑うことかなぁ」
「ち……違うの……あはは」
アスタの心配が、あたしにはとても面白く、さらに笑った。
本当にバカらしい。
【世界樹】を倒すだけじゃなくて、子どもたちを変えるだと?
それは本当に、本当に……。
「バッカらしいわ! 何なのそれ! ……でも、それはとても……とても……」
あたしは笑いながら、そして、思い浮べる。自分たちが蔑んできた子どもが、自分たちが全力を賭してでも救えなかった世界を救って、頭を垂れる姿。羨望の眼差し。悔しそうに歪ませる顔――それらすべて、一様に。
「すごく、面白いわッ!」
と、二人で不適に笑いあった。